2011年7月7日木曜日

9月26日(日):旅の終わりとホーム・ステイ先のホスト・ファミリーの家に行く

・ホーム・ステイ先に戻ったのは、既に夕方であった。ホスト・ファミリーは70歳位の元気な黒人の夫婦だった。イメージとしては、ビジネスでやっている様だった。XXXという国から、若い時に移民で来たという。ここは、アメリカでも中流の下という感じで、どの家も200坪位の芝生の庭がある住宅地なので、キット成功した人なんだろうと思う。ホーム・ステイは奥さんが切り盛りしており、彼氏は家具などを製作する木工工場を経営しているという。後で案内すると言っていた。4週間で、部屋代が$600、食事代が$200、インターネット代が$15で、最初に支払うブロバイダーへのサービス料が$200だった。その前に事前に登録料として$200が必要だった。彼氏が、今度来るときは直接電話をくれれば、一日当たり$21で泊めてやると言っていた。



・既に二人の学生が泊まっていた。一人は25歳の中国人の女性で、身長が170cm位でとてもスタイルの良いオシャレな美人であった。名前はM.Lと言い、中国で短大を卒業した後に、ベイジンの日本企業で働いていたという。自分でマンションに投資して儲けた金で、アメリカ留学を自費で賄っているというしっかりものだった。一ヶ月前にアメリカに来たばかりと言っていたが、残念なことに彼女は英語だけではなく日本語も上手だった。もう一人は男性で日本人だった。東北大学を卒業後に、企業に勤めること無くそのままアメリカに来て、既に二つの大学で8年も勉強しているという。名前はK.Tと言った。どちらも少し喋っただけだが、とても頭の良い人達であるということがすぐに分かった。それだけではなく、とても人生に対して真摯で前向きな気持ちを持っている気音が伝わってくる。特に彼女の方が、自分の親は最高ですと話すのを聞いた時にはなぜか泣けてしまった。聞くとその親の方が自分よりもずっと若い。日本では、例えば自分の娘がこんなことを話すだろうか?



・夜7時頃に、三人で顔を合わせた後で、ホーム・ステイ先で一緒にホスト・マザーの作ってくれた夕食を食べた。食事は、ホスト・ファミリーと我々は別々に食べる様になっていた。我々が食べ終わった後で、同じキッチンで彼らが食事をするようにしているらしかった。恐らく、彼らはイスラム教徒なので、食事は手で食べるということで、以前ここに泊まったイギリス人と生活習慣の違いからトラブルを起こした為だという。



・学生なんだし、もしも酒を飲むならば部屋ではなくて、キッチンで飲んでくれと言われていたが、夜、部屋で酒を飲むのは自分の絶対の条件であるとして認めて貰った。兎に角、奥さんは気の強い人だった。我々は夕食を食べた後に、酒を飲みながら12時過ぎまで、いろいろと話しをした。半分は英語で、半分は日本語だった。



・彼らは、今度、この家に60歳過ぎの爺さんがやって来ると聞いて、とても嫌だったという。それはそうだろう、若い留学生なら誰だって60歳を超えた人とはあまり友達にはなりたくないと思うだろう。しかし、結果として認めてもらったのかどうか分からないが、明日の日曜日には、同じロスアンジェルスに住んでいる別の中国人の女学生のアパートでやるパーティに、一緒に参加することを勧められた。ホーム・ステイ関係のルーム・メイトや彼らの大学の友人達が何人か集まって来るらしい。彼らにとっては、年齢の離れた自分は、多分、異色の存在と思うが、自分も行ってみることにした。





・明日から学校の予定なので、今まで借りていたレンタカーを、今日は帰しに行かなければならない。それにしても今日はとてもビックリしてしまった。初めての経験をした。そしてどっと疲れてしまった。午前中、快調にサポールブダ通りを通って、ダウンタウンにあるユニオン駅まで行った。レンタカー・オフィスが駅の構内にあるからである。しかし、オフィスが契約しているカー・プールへの入り口が見つからないので、電話でもしようとしてどこか道の脇に車を止めようとした。しかし、どこも駐停車禁止のペンキが塗ってあった。少し位は大丈夫に違いないと思って、曲がり角の近くの安全な場所に車を止めて、携帯を取り出していたら、窓を叩く人がいた。何だろうと思って窓を開けると、バス代がないから$1くれという。忙しいのでポケットから$1札を出していたら、向こうからパトカーがやってくるのが見えた。そして、いきなり、ドでかい音でサイレンを鳴らされてしまった。自分かなと思っていたら、直ぐにUターンをして戻ってきて、自分の車の前で止まったのである。捕まったのは自分だった。





・拳銃を取り出すような動作をすると撃たれてしまうことがあると聞いていたので、両手を上げたら、いきなり大きな声で両手と顔をステアリングにつけろと言われた。警官は二人いたが、二人とも本気で身構えている。そして免許証を見せろという。補助席に置いていたザックから出そうとしたら、両手はステアリングに載せろという。思わず、「そんなことは出来るわけがないだろう」と日本語で叫んでしまった。違反切符を切ろうとするので、自分は旅行者で今からレンタカーを返しに行くところだが、道が分からないから調べようとして止まっただけだと説明した。なんのかんのと説明していたら、何と「Can you speak English?」と聞いてきた?? 仕方がないから、「Only a little.」と答えたが。



・結局、「Be careful!」と言いながら許してくれた。それだけではなく、「自分は道が分からないのだから教えてくれと。」と言うと、「Follow me.」と言ってパトカーで先導してくれた。実はとても優しいお巡りさんだった。





・今日、レンタカーを返してからバス乗り場まで歩いてみて分かったこと。それはロスアンジェルスの9月は、とてつもなく暑いということだった。日差しの強さが半端ではない。本当にここは、かって砂漠だったということが実感できる。見たところでは、現地人は比較的平気な顔をしているので余計驚いてしまう。自分は頭に日が当たらないようにして、雑誌で覆いながら歩いているのだが、そんなことをしている人はどこにもいない。



・はじめて此処に来たときには、太っている人が大勢いるのでビックリしたのだが、理由が分かるような気がする。要するに全く歩かないのだ。ロスアンジェルスという街は、車で移動することを前提にして設計されていると言って良い。というより有り余るスペースの余裕に任せて、ドンドン横に街を拡げていった結果こうなったのだろう。道路も巾が広いので、1ブロック先に移動するだけでも大変だ。歩いている人は、貧乏人だけだと言われているらしい。



・40分も待ち続けてやっとバスに乗った。しかも、自分は一つのバス路線だけで家に帰れるが、乗り換えるとなると何分待つことになるのかも分からない。しかし、このバスは全線乗っても$1なのである。しかも、優遇パスが沢山発行されていて多くの人達が無料で利用出来るようになっている。車のない人達のための、社会福祉事業のような位置づけだと思った。



・バスに乗り込んでくる乗客は、殆どが黒人である。たまに白人のホームレスのような荷物を抱えた人が乗ってくることもあるが、そんな時は特有の匂いが何とも強烈にする。降りるべき場所を見失わないように、バスの通る道をよく観察しようとしたが、何回も角を曲がるうちにすっかり分からなくなってしまった。乗り込んでから40分位して、やっと行き先表示が出てきたのとアナウンスがあった。





・夕方、家に帰ると、学生達が既に皆が家の前で待っていた。というより家の前で立ち話をしていた。何人か初めての顔が見える。全員が日本人のような顔をしていたが、一応、英語で挨拶をする。やはり日本人だった。これが話しに聞く留学先の日本人コミュニティのようなものかと思った。



・一人はTさんで20代の前半、もう一人はKさんで20歳、どちらも前途有望な若者だった。しばらく話をしていると、M.Lが玄関から出てきたので、そのままK.T氏とTさんの車に乗って出発した。メンバーはもう一人のM.Lを入れて5名だった。





・日頃、全く日本語を話す機会がないという生活を送っていると、時にとても寂しくなったり、落ち込んでしまう事がある。たまに日本語を話すと、実に心が落ち着く感じがする。昨日がそうだった。こちらに来てから、はじめて日本語で話しをしたのだった。しかし、留学生がこれにハマってしまうと、何年滞在していても英語があまり上達しないとも聞いていた。しかし、無理をして日本人を遠ざけるのもどうかと思う。要はできるだけ英語を話す機会を持ち、外国の友人を沢山つくると同時に、日本人の友人も沢山得るということが正解だろうと思う。





・目指す中国人女性の家は、XXX通りから1ブロックあまり奥に入ったところにあった。彼女はXXといい、まだ18歳の若さであるがサンタ・モニカ大学に通っているという。きっと親が金持ちで中国ではとっても裕福な暮らしをしているのではないかと思う。部屋は8畳位のスペースで、その他にキッチン・バス・トイレがあって、もう一つある部屋の住人とシェアしているという。



XXXが一生懸命に作ってくれた、マーボ豆腐や鶏肉の炒め煮、それと美味しいご飯とジュースで乾杯した。差し障りの無い話から、情報交換、それから若者特有の話題、学校のこと等、いろいろな話が弾んだ。自分は言いたいことを、英語でうまく表現できないもどかしさを経験した。そんな時に、直ぐに日本語が通じてしまう気楽さがきっと上達の妨げになるのだろうと思う。





・ここに来て自分は、アメリカに学びに来ている若者達が、実は学校やその後の仕事を含めて、言葉の問題だけではなく色々な障害にぶつかり、悩みながら生活を送っているという当たり前のことが分かった。その用な話に加わって、彼らから見れば少しは多い自分の経験を活かしながら、彼らをできるだけ励ましてやることができそうだと思った。何しろ今や明日からは、自分も上から目線ではなく彼らと同じ立場の学生なのだ。少なくとも、ここでは英語に関しては彼らの方が数段上だし、向上意欲も体力も自分より上だし、実績以外に彼らに誇れる物がないのだから。ただし、コメントを付けたり、アドバイスをしたりして、説教調になることだけは絶対に避けようと思った。





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