2011年7月6日水曜日

9月10日(金):ヨセミテのジョン・ミューア・トレイルを歩く

・朝、早く起きるつもりが起きたら既に7時を過ぎていた。朝食は昨日スーパーで買った、リンゴとバナナとサンドイッチにコーヒーである。兎に角外食ばかりなので、野菜がどうしても不足する。レストランに行っても、不思議と野菜料理が見当たらない。しかし、スーパーへ行くと、野菜を大量に売っているので、家庭ではチャンと食べていると思う。ただし、何処のスーパーストアに行っても、不思議なことに同じような野菜、食料しか売っていないのだが。



・野菜が不足がちなのだが、更に悪いことに旅行に出ると自分は便秘気味になる。そこで今回は日本からビフィズス菌(ビオフェルミン)の錠剤を持ってきた。このお陰で今回は全く問題がなかった。ウォシュレットがないことが、少しさ寂しく感じられるが。



・今日はエルポータルから再びヨセミテ公園に入り、有名なヨセミテ滝の上までハイキングした。御前10時頃から登り始めピークポイントに着いたのは午後二時過ぎであった。壮大な滝と云っても、実は雪解け水なので夏を過ぎると枯れてしまい、水の気配は全くなく唯の岩山であった。それにしても頂上付近が平らな台地になっているため、下から見上げると頂上から水が落ちてくる感じになり不思議な感じもするし、その分落差が大きいわけである。



・途中の景色は全く雄大な岩山で、やはり日本の山にはないスケールの大きさに圧倒される。


しかも、公園内には人が溢れかえっているが、登山道に入った瞬間から人をあまり見かけなくなる。静かな山歩きが楽しめる。人に出会うと唯挨拶をして通り過ぎるのが何となく勿体無い。そこでチョットだけ人懐こく、情報交換などしてから分かれる感じである。カリフォルニアで出会う人達は、観光客も含めて皆、とてもフランクだ。道で出会ったときに、全くの他人でも皆あいさつをする。そして、チョット話をしたいと思って声をかけると、気軽にしかもとても親切に応対してくれるのが嬉しい。しかし、このヨセミテの山では、あまり黒人やメキシコ系のアメリカ人は見かけなかった。私は彼らの英語がよく聞き取れないので、自分のほうから進んで話しかけようという気があまり起きなかったが。


3時過ぎから膝をかばいながらゆっくり下り始めたが、下に着いた時は既に午後6時であった。しかし、あまりにも疲れていたので、車の中で30分位眠った。







・さて、今日の宿泊場所はどこにするかと考えながら、エルポータルの街や、その先のマリポサの街でモーテルを探した。結局、飛び込んだ処は、嘘のようだが全て満員と断られた。宿で空いて居るかも知れないと教えてもらった処も全てが一杯だった。今がハイシーズンと言うのは本当だったんだ。一室位は空いているに違いないと言う、根拠の無い自信が簡単に崩れていく。既に暗くなっていたので、更に先の街まで車を走らせる元気もない。何件目かに行った有るモーテル(Super 8 Mariposa)で、クリスティーナという受付にいた若い美人の女性が自分を可哀そうに思ったのか、本当に親切にいろいろと世間話をしながら、商売抜きであちこち電話をしてくれた。しかもチップは受け取らなかった。ファミリールームなら幾つか空いている所が有ったが、どこも料金が高過ぎると思ったのでお断りした。(馬鹿広い部屋で250ドル位の処が多い) はじめは実際に家族用と言う部屋を二箇所、見に行って見たが、30畳位の大きな部屋で$250だった。しかしながら、一人で寝るだけでは、どう考えたって広い部屋の使い道がない。


・クリスティーナが10件位電話してくれた中でファミリールームだが、特別に安くしてくれそうな処が有ると云って、ナンバーをひかえてくれた。自分で電話を掛け直して交渉したら、$150で良いと云う。既に830分を廻っているので、レストランもまもなく閉まってしまいそうだし、昨日泊まった所より$10安いと言うこともあって、思い切ってそこに決めた。行って見てびっくり、部屋の大きさがさっき見たでかい部屋より更に大きくて40畳位ある。作りも悪くない。早々に荷物を置いてひと休みした。飯を食いに行く前にシャワーを浴びようとしたのだが、その時に値引きしてくれた理由が分かった。シャワーのお湯がどうやっても出ない。ダメもとと文句を言うべきだと思ったが、既に、9時を過ぎていたこともあり、文句をつけないことの言い訳を考えて、自分を納得させることにした。


・何故なら、その宿にはレジストレーション・カウンターなどと言う物がなく、全て宿泊施設の前に有る電話でやり取りするのである。現物の鍵もなくドアに着いているプッシュ式キーの番号を電話で教えてもらう。つまり、宿の管理者と直接会って話をすることができないシステムになっている。本当にアメリカでは、もしもクレジットカードが無かったら旅行を続けることは難しい。


・こんな時に中流以下のアメリカ人だったら、金の計算を抜きにして交渉して自分の主張を通すのだろうと思う。自分が付きあった、ゼロックスの人達との交渉を思い出してそう思った。もっとも、交渉したとしても、更に$10位値引きして貰う位の事であり、如何にも小さい話ではある。


・夕食は近くのピザ・ハウスでハイネケン・ビールとスパゲティ。安いせいか地元の若いファミリー(多分、自分の娘より若い245歳位の夫婦「=既にどちらも腹が出ている)と小さな子供達)と観光客が半々位で実に騒々しい。料理はしつこくなくて食べ易かったが、現代の普通の日本人ならキット文句を言うだろうと言うレベルと思う。スパゲティの上に、ボイルした人参、マシュルーム、ブロッコリー、それにオイル漬けのオリーブがドサっと乗っているだけ。でも楽しめた。家族連れが、こんな料理をテイクアウトしていた。


・マリポサの一本しかないメイン・ストリートを歩いてみたが、他に良さそうなレストランが何件かあった。多分、客は観光客だろうと思う。街全体の印象は、家がアーリー・アメリカン調の木造の家ばかりで、表通りの店は昔風のランプで家を飾り立てていて懐かしい感じのとっても感じが良い街でした。



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