2011年7月7日木曜日

9月17日(金)サンフランシスコでジャズ・クラブ巡り

・朝起きて、今日やることをメモに書き出す。真っ先にやるやるべきことは、ホームステイ・ブロバイダーに連絡して催促することである。しかし、先方からの連絡も来ないので、UCLAに連絡して、そこからも催促してもらうように頼んだ。この、二三日中に連絡が取れない場合は、新しい不動産屋に依頼した方が良さそうだったが、その場合には、現在、依頼しているところから手数料$250を返してもらうという手続きが待っている。


10時頃にサンフランシスコに向けて出発した。高速道ばかりでは移動だけになってしまうので、サンタクルズを回ってパルアルト辺りまで、地図を見ながらゆっくりと一般道路で行くことにした。しかし、それでも街中でないところは、大体、時速90kmで走ることができた。


・サンタクルズ市街地は、建物や道路がとても綺麗に手入れされた静かな郊外都市だった。道路脇にある、銀行やファミリィ・レストランの作りが綺麗で、横の広い駐車場にも大きな木が沢山植えられている。そのような日陰を選んで車を止めて、直ぐ隣のガソリン・スタンドで用を足してから、そこで買ったスナックとジュースを飲み休憩する。たまたま、隣に真っ赤なスポーツカーが止まったので、運転していた女性に道を確認しようとして話しかけた。所が彼女の横に男性がいて、二人で丁寧に教えてくれたのだが、彼らもドイツから来た旅行者だと言っていた。しかし、ドイツから来た人だけではなく、一般に町で話しかけると皆、本当に時間を掛けて丁寧に教えてくれる。それだけではなく、日本から来たと一言言っただけで、しばらくたわいもない話が続く。考えて見れば、こんな会話は日本では経験がなかった。




・パルアルトはXEROXの研究所のある所で、昔、出張で来たことのある懐かしい場所だったこともあり、周囲を少しうろついてみようと思った。場所が全く分からなかったので、カフェで遅い昼食をとった時に尋ねたら、台湾人の店長が色々と雑談を含めて相談に乗ってくれた。オフィスの中に一緒に入って、PCのグーグル・マップで調べ、プリントアウトまでしてくれたので大助かりだった。処でここのトイレは、使用する時はカウンターで一言ことわってから鍵を借りて使用するシステムになっていた。


・サンフランシスコの町で気がつくことは、歩きながら携帯で話をしている人が多い。それも話が長く、延々と続く。一人で歩いている人の20%は、電話で話をしているようだ。アメリカ人は話好きが多く、皆、疲れを知らずに早口で喋りまくっている印象だ。メールを見ている人も多いが日本ほどではない。ただしこちらは、ブラックベリーや最近急に増えてきたらしいアイフォンが目に付く。日本とは少しだけだが、システムが違うようだ。ただし、日本のように高校生が多く使用しているかどうかは分からなかったが。


・サンフランシスコに着いて、ユニオン広場の近くのパブリック駐車場に車を止めた。道を歩いていたら、簡単な明るいカフェのような所で、日本の寿司を安く食わせる店があった。夕食の前に少し食べようと思い中に入る。店のオーナーも使用人も韓国人の様だった。日本のスーパーで売っているような簡単な寿司の他に、焼きそばやら色々なものがメニューに乗っている。客は少なかったが、東洋系は見当たらず白人系ばかりであった。しかし、彼らにはこの味は口に合わないらしく、自分の横にいた二人の男性も「幕の内弁当」を箸で食べていたが、半分位残して出て行った。やはり彼らには、味が濃くてしつこい食べ物でないと、満足できないようだった。近くには、ハンバーガーを食べさせるカフェがやたらと沢山目に付くが、みなそれぞれ満員に近い客が入っている。


・人の味覚には、味や食感や香りや色形といろいろあるが、その味覚を極限まで単純化して分けていくと、どれもこれも「辛くて、甘くて、シツコイもの」だけが生き残ってしまうのだろうと思う。アメリカ人は、その様に単純化された分り易い味でないと、我慢できなくなってしまったのだろうと思う。彼らに薄味の野菜の煮物を食べさせても、旨さが分かる筈がないと思う。寿司の人気は、単なるダイエット食から来ているのであって、多くの人に人気があるようには思えない。




・さて、モーテルを探していて、今日は週末であるということに気がついた。何処へ行っても満員で、しかも値段を聞くと馬鹿高い。あちこち探したが見つからず、結局、ロンバート通りに面した小汚い所が一室見つかった。しかもメキシコ人のような年取った男性が、カードでなくて現金で払えという。一泊、$110だった。しかも、部屋に入ってビックリした。今まで止まった中では最低で汚かった。田舎町なら$30でも高いと思えるような所だった。壁紙が剥がれており、それをガムテープで止めていたし、洗面所では水を使うとぽたぽたと絨毯に垂れるので、そこへ近づいただけで靴下の裏が濡れる。ベッドも綺麗とは言い難かったので、ダニがいたらどうしようかという不安が頭をかすめた程だった。




・夜、再びヨシズにナベサダを聴きに行く。バスでフィルモア・イーストのジャズ・クラブの近くで降りて、歩きながら探したタイ料理レストランで食事を取った。さていよいよジャズ・クラブ、ヨシ’ズへ! 普通アメリカでジャズ・クラブというと、主にアルコールを中心にしたバー・タイプと、食事を食べながら演奏を楽しむタイプに二分される。ヨシ’ズは大きなジャズ・クラブで、ミニ・コンサート・ホールにテーブル席を並べた演奏スペースからなる部屋と、主に食事を楽しみながら演奏を聞くスペースと、酒を飲みながら演奏を楽しむバー・スペースの三か所に部屋が別れている。どこの部屋でも同じ料理や飲物を注文できるのだが。 前回来た時はバーだったが、今回はチャージ$30を払って、分厚いドアでキッチリと分けられた、演奏中心としたスペースの会場(部屋)に入る。正面に少し高くなった舞台があり、その手前側が客席というか丸テーブルが沢山並んでいる。どのテーブルにも椅子が二つ付いているが、互いのテーブルは驚く程狭い。東京は表参道にあるブルーノート東京と似た感じの作りと雰囲気である。


・客の殆どは白人で黒人も1/5位、日本人もちらほらいた。演奏はクァルテットで日本人演奏家はナベサダだけだった。演奏は大好評で、自分はナベサダとは何の関係もないのに、同じ日本人としてとても気分が良かった。自分の隣にとても目立つ、センス良く着飾った美人の黒人女性がいたが、どの曲でも手を振り回して踊るような格好でのりにノッテいた。ナベサダも彼女のリアクションには大満足の様子で、彼女と時々何か反応しながら演奏していた。


・ナベサダが曲目やメンバーの紹介、そしてその合間にチョットしたジョークを挟むのだが、とても自然な英語を話すので感心してしまった。そう言えば彼はニューヨークの音楽大学を出ていたのだった。異国の町で、日本人同士が久し振りに出会って日本語を話すことを頭に描いていたが、現実は全くそんな感じとは程遠かった。自分が心配することはないよね。


・十分に満足して外に出ると、時計は既に12時を回っていた。近くの他のジャズ・クラブの看板が掛かった店からは、ジャズではなくロック。ミュージックがガンガン響いてくる。ここサンフランシスコでも平日と週末の夜と言う違いは大きいが、アメリカの普通の街では夜も10時を過ぎると、一部の店を除き店が閉まってしまい辺りが暗くなってしまう。しかし、ここでは大勢の大学生のようなグループが、酒によって奇声をあげながら騒ぎ踊りながら歩いていた。そう言えばアメリカに来てから、外で酔っぱらいを見るのは今回が初めてだ。しかも、男女のカップルか男性の二人組が多いアメリカで、不思議なことにここでは、7-8人の若い男女のグループがあちこちで騒いでいる。最近は日本でも、酔っぱらいを見掛けることは大分少なくなったが、この通りは自分の記憶にわずかに残っている、日本の新宿の夜のような雰囲気だった。自分もその昔、経験したことがある懐かしい光景が、アメリカで見られるとは意外だった。もちろんバスなどはなかったが、タクシーが沢山走り回っていた。

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