2011年10月21日金曜日

9/27(mon)--10/3(Sun)

9月27日(月)UCLA語学学校に行く
・今日から4Wという短期間だけであるが、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校が行っている、イクステンション・プログラムに参加することになった。イクステンション・プログラムとは、社会人や学生が多くは一ヶ月単位で自由に参加・出席ができる、外部に開かれた講義プログラムである。ここを履修しても大学で学んだという資格や単位は得られないが、大学がどんな講義をどのようにやっているかを調べることや、その雰囲気を体験することが出来るのでとても良い企画だと思う。
・講義の内容は多岐にわたり、所謂、ビジネス・スクール・プログラムから、ランゲージ・プログラムまで豊富に揃っており、誰でも自由に参加出来る。自分はランゲージ・コースに参加した。ランゲージ・コースには、大学入学を目指す語学力をつけることを目的とした、アカディミー・コースから通常の語学コースまで、レベルを含めていろいろなプログラムが揃っている。どのコースも一日フル・タイムの授業があるので、あらかじめアメリカに入国する前に、学生ビザを取っておく必要がある。
・私は通常の語学コースを取ったのだが、今日はそのプログラムの初日なのである。自分がホーム・ステイで滞在している家は、ロスアンジェルス・エア・ポート(以下LAX)の近くにあり、ここからUCLAのキャンパスまでは、バス停まで徒歩で約10分、バスで約30分と片道Tot40分位の距離であった。学校は朝の9時から始まるのであるが、学校の近くのカフェでパンとコーヒーの簡単な朝食を食べようと思い、1時間以上の余裕を見て7時に家を出た。道路は事前に話に聞いていた程は混んでいなかったが、これは朝が早かったせいかも知れない。先週の土曜日に同じ道を、地図を見て迷いながらも、車で通った時にはかなりの混雑だった。
・9時少し前に集合場所に行くと、既に大勢のそれらしき人達が受付の周りに集まっていた。自分には周りに知らない顔ばかりが並んでいるのだが、多くの参加者は既に皆が互いに知り合い同士のように話をしている。皆が英語で話をしながら自由に振舞っているのを見て、とても羨ましく感じるとともに、自分が何か取り残されていくような気がしてしまった。しかも、皆、まるでネイティブのように自由に英語で和気あいあいと会話をしているので、自分は中々、中に入っていけない気がしてきた。日本人らしい若い女性も何人かいたが、それぞれ自信たっぷりに、となりの外国人達と大きな声でしかも楽しげに話しているのを見ると、とても近づいていく気にはならなかった。自分のように誰も知り合いがいなくて、隅のほうにボーっと立っている人も何人かはいたが、ワザワザ話しかける気にもなれなかった。それに今まで全く気にしていなかったのだが、考えて見れば他の多くの学生達と自分を比べると、まるで親子のように年や外見が違うのである。その上、自分は前もって話すことを頭の中で復習してからでないと、言葉が口から出てこないのである。何とも口惜しい瞬間だ。日本人なら普通かもしれないが、ここLAにはそんな人は他にどこにも居ないのではないと感じた。
・9時丁度に挨拶とともに始まったのは、オリエンティーションとクラス分けのテストのみだった。テストはマーク式で大量の問題に対して短時間で答える形式のものと、実際に面談をするインタビュー型式のものだった。高い授業料を払ったにも関わらず、わずか2時間で今日の分が終わってしまった。後で聞いたら、今日の分は週の最後にまる一日を追加して補うとのことだった。自分が英語の説明を聞き逃しただけだったらしい。
・今日、学校で話をしたのは、タイから来ているリリーという女性だった。2時間ずっと隣に座っていたので、いろいろな話をした。小さな体つきでかわいい顔をしていたので、大学を目指してこちらに滞在している、裕福な家庭の留学生かと思ったらそうではなかった。既に仕事を持っているのだが、自分をもっと高めようと決心して3ヶ月の休職をして、取り敢えず英語を物にしたいとタイからやって来たのだった。
・昼頃、学校を出た時には、今まで大勢いた同じクラスの人達は、街に吸い込まれるように知らない内に皆どこかへいってしまい、自分の近くには誰もいなかった。仕方が無いので、学校のサーヴィス・オフィスで市内バスの路線図を貰って、ハリウッド見物かダウン・タウンに行こうと思った。しかし、長い間、地図で確認したハリウッド行きのバス停でバスを待っていても中々来ない。場所が違うのか系統が違うのか、さっぱり訳が分からない。別に特にハリウッドに行かなければならないこともないと、自分に言い訳をしている内に、次にR720と書かれたダウン・タウン行きのバスが来たので、これに乗ることにした。約40分掛かって、UCLAからダウン・タウンに着いたが、その料金はたったの$1であった。バス料金が安いのは、市の低所得者対策の一つのような気がした。
・ダウン・タウンでは はじめに、中央図書館に行ってみた。しかし、あいにくと前回経験した日曜日だけではなく、月曜日も連続して休館日なのだという。建物の中にあったレストランはやっていたが、トイレを貸すことは出来ないと追い返された。少しムッとなったが、誰かに不平を言おうとしても対処する言葉が出てこない。この場合には、考えて見れば相手の方に部がありそうだし、自分も暑さと疲れで反論する元気が出てこない。よほど疲れた顔をしていたのだろう、どうも上手く自由に対応できない。日本では経験したことのない自閉症患者になったような気がして、急に全てにすっかり自信がなくなってしまった。
・気を取り直して歩いている内、前回、入館できなかった近くのMOCA(カリフォルニア州立現代美術館)に行くことにした。62歳以上はシニア割引で$10だったが、今は使える身分となった学生割引にしても同額だった。館内は冷房が効いてとても涼しかったし、折角、$10払ったので、心と体の休養を取りながらゆっくり見物した。

9月28日(火)紛失したドライバーズ・ライセンスを探して
・今日は学校へ行く途中のバスの中で、偶然にもまたリリーに会った。彼女は自分が滞在している家よりも更にUCLAから離れた所にある、彼女の親戚の家に泊っているという。残念なことに自分の発音が悪いせいか、自分の英語の一部が彼女には理解出来ない様だった。また、自分も彼女の英語の一部がどうしても聞き取れなかった。しかし、互いにアメリカにはあまり慣れていなかったこともあり、私には頼もしい友人であった。
・終点の一つ手前でバスを降りて少し歩いていくと、学校の直ぐ側に大きなスーパー・マーケットがあって、店の前にテーブルと椅子が幾つか並べてあった。授業が始まるまでにまだ時間があったので、そこで自分はクロワッサンとコーヒー、彼女はコーヒーを買い、飲みながら話をした。パンとコーヒーの値段は$2.58だった。
・そして突然、授業が始まる前に大変なことに気が付いてしまった。財布に入れてある筈のドライバーズ・ライセンスが見当たらないのだ。先週、レンタカーを返す直前に、パトカーに捕まった時には持っていたので、どう考えてもその時に慌ててしまい、車の中に落としてしまったに違いない。このライセンスがないと、語学学校が終わった後に、レンタカーでの旅行を続けることが出来ない。滞在型の旅行ならともかく、車がないと全く移動することが難しくなる。授業中に、もしもカードが見つからなかった場合にやるべき事を考えていた。急いで再発行の手続きをするしか無いが、まずは借りたレンタカーの中を自分の目で捜索したいと思った。
・授業が終わった後に、直ぐにレンタカー・オフィスに電話をした。車の中に有る筈だから探してくれとお願いしたのだが、しばらくしてからの答えは、探したが見つからなかったというものであった。そこで、まずは自分で探そうと思い、授業が終わると直ぐに飛び出して、昨日と同じ方法でオフィスのあるダウン・タウンへ行った。レンタカー・オフィスから、駐車場に歩いてそこに辿り着くと、幸運なことに懐かしい車が止まっていた。早速、運転席を調べると、果たして椅子の背もたれの下の所に、カードが何気なく挟まって居るのを見つけた。ヤレヤレ、あるべき所にある場合には、当たり前だが呆気無いほど簡単に解決してしまう。

9月29日(水)語学学校の授業について
・昨日、能力別に分けられたクラスの発表があった。自分は周囲のネイティブ・ライクな連中の中で、万が一にでも上級クラスになってしまったらどうしようかと、のんきに考えていた。しかし、当たり前だが心配することなど無く、チャンと実力が評価された結果は、幸いにも最下の初・中級クラスだった。語学コースではあるが、その中でも種類(コース)は幾つかに分かれている。自分は一応、ビジネス&マーケティング・コースを第一志望にしておいた。
・LAの市内に、恐らく沢山あるだろう一般の語学学校のコースと比べて、UCLAの語学コースの質は、決して高いとは言えないようだ。ここで知り合った何人かの友人に聞いてみると、通常の会話学校では多くても生徒の数は10人以下だったが、UCLAでは20人近くいて、しかも授業料は一番高かった。生徒の人数が多いということは、すなわち教え方はとても丁寧という訳にはいかない。大体、例え先生が一人一人発言を促したとしても、1時間の授業のなかで発言する機会はほんの僅かである。
・従って、ここでの授業方針は、生徒が積極的に友人同士でお話をしましょうというものである。つまり、英語の構文や単語力、そして正しい発生音を繰り返し練習するようなトレーニングのプログラムは殆ど無かった。授業が4W単位で構成されていることもあるが、一冊のきちんとしたテキストを使用するのではなく、先生方が自分で用意してきた教材を中心にすることが多い。先生が説明し質問をして、それに生徒が積極的に参加して発言していくという型式が多かった。その為か、学校側も生徒側も、互いに友人を作ることに熱心であるという印象を受けた。確かに、UCLAの名前で世界中から集まってきた生徒たちは、レベルが高いと思われる人が比較的多いようだった。このやり方では、私のような内向的な日本人には、発言する機会が少なくなってしまう。しかし、私が受けた印象では、多くの参加者は結構、ここが気に入っているようであり、リラックスしてとても楽しそうに自由に振舞っていたし、互いに友人関係もチャンと作っているようであった。
・アメリカで大学への進学を目指す人のための、アカデミック・コースと違い、自分が取ったコースに集まって来る学生は大きく分けると二通りのようだ。一つは自国での大学を一年間休学して、語学研修と遊びを兼ねてやって来た裕福な若者達。当然のことながら、彼らの中には来年度には留学を考えているというもの者も、少なからずいた。もう一つは、仕事を休職して自分の金で3-6ヶ月位、語学だけを学びに来ている社会人である。
・後者の場合は知りあってみると、大学教授がいたり、歯医者さんがいたり、サバイバル休暇を利用してやってきた有名企業の副社長がいたりした。友人としていろいろな話をする機会が得られるという意味では、結構、良い環境と言えるかも知れない。先生は、ネイティブの話す言葉の、50%を理解する事を目標にして下さいと言っていた。私には、皆、既に結構な語学力を持っているように見えた。日本で良く見掛けるような、発言の途中でどう言おうかと考え込んで、黙ってしまう様な人はここには居なかったから。

9月30日(木)クラス・メートについて
・自分が所属していた初級クラスで、今日までに話をしたことのあるクラス・メートをメモしておこうと思う。プライバシーの観点からファースト・ネームをカタカナで書くと、
バキッ(ドバイ)、ナヤン(ドバイ)、モハメッド(ドバイ)、ジェニー(台湾)、スハ(コリア)、ヨンターク(コリア)、キーサンカン(コリア)、ミナ(コリア)、ジェー(コリア)、YUK(日本)、YK(日本)、ジュリー(日本)と、アジア系が多い。この他にアドバンス・クラスの友人で知り合ったのは、YR(日本)、エリカ(イタリア)、キム(コリア)、リリー(タイ)等である。上級クラスにはヨーロッパ系の学生が多く在籍しており、ガヤガヤと喋りまくっていてとても喧しかった。しかし、初・中級クラスは圧倒的にアジア系の学生が多く、上級と比べると随分と静かだった。
・今日の授業では、先生のシンシアが用意してきたテキストを使った。それは、有名なロック・ソングの ”Love Potion Number 9”の歌詞であった。これを元にして、生徒達が二人一組のパートナー同士になって、いろいろな質問を交代で行い、それに答えるという授業である。

10月1日(金)LAのバス事情(1)
・LAの中には多くの市(シティ)がある。そして、それぞれの市が自分の所を中心にして、各方面に繋がるバス路線を持って運営している。更にメトロバスがLAの全域に渡って、網の目のように路線を張り巡らせている。もちろん、需要の高いところには、私営のバスも通っているようである。従ってバス路線図を調べておけば、LA市内の殆どの場所に行くことができる。
・バスの料金は、それぞれの市の路線ごとに共通のようである。メトロバスは全線で$1.5、自分がUCRAに通うために使用していた、カリバーシティ・バスは全線$1であり、兎に角、低料金である。しかも、カリバーシティでは、62歳以上になるとシニア割引があり全線で35C(セント)で利用できる。従って、私はバスの回数券や定期券を購入すること無く、毎回、小銭を使って利用していた。こんな恩恵にドップリと浸かってしまって良いものだろうかと思うこともあったが、買い物等で溜まってしまう小銭を、バス料金で使う事ができて、何かとても嬉しかった。
・同じ市営のバスで路線を乗り換える場合には、バスの運転手に声を掛けるとトランスファー切符を切ってくれる。これは前に乗った時に支払ったバス料金で、次のバスにも乗れるというものであり、うまく利用すると交通費がとても安くなる。
・乗客は圧倒的に黒人系やメキシコ系が多い。UCRA近くでは、いろいろな国からやって来た留学生らしき若者も多い。それからバスの乗客には自転車を利用している人が結構いる。その為に、どのバスでも前部のバンパーの所に、自転車を括りつけるブラケットが3台分位付いている。そこに自転車を載せてから、バスに乗り込んでくるのである。手続きとしては、外から運転手に合図をすればそれで良い。
・全てのバスには車椅子に乗った人が利用出来る様になっている。路上から専用のエレベータでバスに乗り込み、専用の場所に車椅子を固定できるようになっている。その間、随分時間がかかるが、乗客は皆、辛抱強く静かに待っている。しかも、車椅子の利用者は見ていると、料金はフリーのようである。
・バスの運転手は殆どが黒人であり、女性の運転手も結構大勢いる。バス料金が安い理由は、やはり低所得者に対する市の政策であった。LAでは車が発達しており、街や道路の設計が車の利用を前提に作られている。従って、バスを利用しての移動は、いくらバスが頻繁に通っていると言っても相当に不便である。バス路線図を見ると、網の目のように走っているバスも、実は自分の行きたいバスを待っている場合に感じたことは、かなりの時間待たされることである。沢山のバスが走っている路線でも15分以上、少ない所は、1時間待ちは当たり前のようにある。従って、LAでは街を歩いている人やバスを利用している人は、車を所有出来ない人達であると言われている。もちろん、学生街などでは、裕福な留学生も多く利用しているし、ビジネス街ではキチンとした身なりの乗客も多い。

10月2日(土)アメリカの中古車事情
・朝、7時半頃に散歩に出かけた。途中、大きなスーパー・マーケットで小さなパンとデカフェを$2で買う。アメリカの大きなスーパーでは、食料でも何でも大量に、しかも日本と比べるととても安い価格で売っている。例えばミルクなど、日本では1リットルの角型のパック売りで¥200位のものだが、アメリカでは1ガロン(4リットル)のプラスティックボトル入りが普通で価格は$3位である。しかしながら、朝食用に美味しいコダワリのパンを、スーパー・マーケットで買うことは不可能と言って良い。コーヒーは、店の中にスター・バックスとかコーヒー・ビーン等の専門の店が入っている事が多いので、そこで一番安いカップ入りの本日のコーヒーを買う。
・店の外にあるベンチに座ってパンを食べながらコーヒーを飲んでいると、直ぐ側に座っていたオバサンが一人で何かブツブツ言っているが聞こえた。アメリカでは、一人で大きな声でブツブツ言いながら歩いている黒人が沢山いる。これは町で良く見掛ける普通の風景だ。今日、意外だと思ったのは、このオバサンが喋っている言葉が良く聞き取れることだった。何故なら、それは日本語だった。何故かとても複雑な思いがした。
・自分は、はじめ一人でブツブツ言いながら歩いている人を見て、少し頭がオカシイのだろう位にしか感じていなかった。しかし、アメリカに一人で来てみると、その理由が分かるような気がするのである。恐らく金もなく仕事もない状態で、ホームレス暮らしのようなことをしていると、一日中誰とも話すことがないだろうと思う。一日中、自分が声を出さないでいると、精神的に参るのだ。そして、何か喋っている人物が年老いた日系人である場合には、それが自分のことのように感じられてしまうのだ。
・このWilley Portの街にも、路上で夜を明かす人達が少なからずいるようだった。黒人やメキシコ系が多いように思う。ショッピング・カートにビニール袋を一杯ぶら下げて歩いている女性もいる。その姿は日本で見るのと大きな違いはなかった。しかも、強烈なニオイを発散している所も同じである。正直、一度、ニオイが体に付いてしまうと、普通の生活に戻ることは易しくないだろう。アメリカでも抱えている課題は日本とさして変わらない気がする。
・昼前になって、KazとMeiと私の3人で、Meiが購入を検討しているという中古車を見に行った。Kazのアコードで中古車ディーラーを何軒か廻った。Meiが予めインターネットで品定めをしていた車の良し悪しが分からないので、それを判断するために私達にその車を見て欲しいということだった。中古車を含めて、車のディーラーはロスアンジェルスにはあちこちにあるようだったが、サンタ・モニカ通りにも何軒もの店が集まっている所があった。国産車だけではなく、日本車やドイツ車だけを扱う専門店も幾つかあった。彼女は銀色のVWのビートルが、すっかりとお気に入りのようだった。
・トヨタ・ヴィッツ 2007年製でみたところ殆んど新車に近いものが12000ドル、もう少し古い年式で6000ドル位からあり、日本と比べると30%位は安いようだ。 VWビートルの方は、もう少し高くて2007年製だと17000ドル位、少し年式が落ちると12000ドル位からある。ビートルのエンジンは2.5リッターで作りはがっしりしているが、燃費は悪そうである。ディーラーの話では、トヨタやホンダの人気は高く、他の日本車はもう少し安いらしい。そう言えば、自分の語学クラスの先生の一人が、アルバイトで車のセールスもやっていて、良い車を探してやるよと授業の時に言っていたことがあった。彼が言うには、中古車を買うなら絶対にアメリカ車を避けること。日本車かドイツ車を選択しろと、皆にアドバイスしていた。
・昼食はこの3人の他に、Kaorと高さんの二人の日本人が加わり、久しぶりに日本料理店に行った。Meiは日本語ができるので、皆、殆んど日本語で話しをする。気が楽といえば楽だが、英語の練習時間は確実に減ってしまう。自分は天ぷらとご飯のセットを頼む。$10+Tipだった。ご飯も天ぷらも冷めていたが、ロスアンジェルスということで、味はまあまあだろうと思った。日本料理店以外で出てくるこちらのご飯は、パサパサ・ポロポロでとても美味いというものではない。それらは、お世辞にもまあまあと言うことさえもできないから。
・夜、George Winston のPiano solo CDをKAZに借りて、部屋でその音楽を聞きながら、ウイスキーを飲み、取り留めもない話をする。すっかり日本語に馴染んでしまった。

10月3日(日)雰囲気の良いパネラ・カフェ
・朝、8時頃起きだしていつものように散歩に出かけた。実はスーパー・マーケットの近くに、パネラ・カフェというアメリカでは結構大きなカフェ・チェーンがあるのだ。ここでは、とても美味しい色々な種類のパンが買えるのと、買った物を店で食べることが出来る。値段はチョット高いが、他にスープやサラダなど色々な種類のものを売っている。しかも、電源があって、PCを使って長時間のインターネットができるので、文章を書いたりするために、最近、ここに良く行くようになった。自分は店の外のテーブル席がお気に入りだった。日本と違って、ロスでは日向は暑いが日陰でありさえすれば、とても爽やかな風が気持ちよかった。
・自分はパネラでは何時も一番安いベーグルとジャムとコーヒーを注文する。カリッと焼いてもらったベーグルが、比較的美味しいということもあるが、実は毎週、日曜日に自分がパネラに通うのには、理由が二つあった。一つは店の店員と仲が良くなったことで、彼が自分に気を使っていろいろと話しかけてくれることだった。もう一つは、毎週、日曜日の朝になると、ここに現れる日本人の留学生の女性だった。アメリカに来て既に7年目で、ここは高いので週に一度しか来ることができないと言っていたが、彼女は車に乗って優雅にいつも一人でやってくる。30歳代の後半だと言っていたが、一度、社会人として働いた後、考える処があってこちらに留学しているという。中々、個性的な人で話が面白いこともあって、一緒に話をすることが密かな楽しみの一つだった。
・最近の若者は海外に出たがらないと言われているが、積極的な人はやはり沢山いるようだ。しかし、先月、たった一ヶ月間であるが、自分はカリフォルニア州のあちこちを車で旅行した。その時の印象では、学校の周辺地域は別にして、他の何処に行っても日本人にはほとんど会わないことが気になっていた。日系の現地人も少ないし、旅行者も少ない。ビジネスマンも少ない。日本料理屋はクローズしたところが幾つかあった。日本人の留学生には何人かに会ったが、その多くは女性であるのが気になる処である。
・私の住んでいる街には大きなスーパー・マーケットやファーマシー等が集まっているショッピング街があちこちにあるが、それらの大型スーパー・マーケットの近くには、他にもカフェや書店やその他いろいろな店が集まっている。ここで殆んど全ての物が買えるので、便利でありしかも安いのだが、問題は他のショッピング街に行っても、殆んど同じものや規格品しか売っていない事である。あれこれ探す楽しみは少ない。
・思い出したが今日は日曜日だった。ロスアンジェルが特殊なのかどうかは分からないが、この街には小さなカフェがとても沢山ある。ご多分にもれず、カフェで扱っている料理はどこも同じようなものだったが、客の多くは料理の内容を期待してやってくるというより、ただ話をするために頻繁にやって来る。特に日曜日の朝は、家族の皆でカフェに集まって食事をすることが、習慣と言うよりも楽しみの様であった。
・何処のカフェにも沢山の人が溢れている。私のように一人で、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる老人もいるが、多くはカップルか子供連れのファミリーで、皆、同じような朝食を食べている。見ていると卵料理+ソーセージにふかふかのホットケーキのようなものを食っている。昼食はともかく日曜日の朝食を、ファミリーがカフェで食べるという習慣は日本では一般的ではないが、こちらでは良く見掛ける風景である。しかも近くに住んでいるに違いないが、キチンとした服装をしている人が多い。予想ではあるが、この後でキット教会にでも行くのだろうと思う。

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