2011年7月7日木曜日

9月26日(日):旅の終わりとホーム・ステイ先のホスト・ファミリーの家に行く

・ホーム・ステイ先に戻ったのは、既に夕方であった。ホスト・ファミリーは70歳位の元気な黒人の夫婦だった。イメージとしては、ビジネスでやっている様だった。XXXという国から、若い時に移民で来たという。ここは、アメリカでも中流の下という感じで、どの家も200坪位の芝生の庭がある住宅地なので、キット成功した人なんだろうと思う。ホーム・ステイは奥さんが切り盛りしており、彼氏は家具などを製作する木工工場を経営しているという。後で案内すると言っていた。4週間で、部屋代が$600、食事代が$200、インターネット代が$15で、最初に支払うブロバイダーへのサービス料が$200だった。その前に事前に登録料として$200が必要だった。彼氏が、今度来るときは直接電話をくれれば、一日当たり$21で泊めてやると言っていた。



・既に二人の学生が泊まっていた。一人は25歳の中国人の女性で、身長が170cm位でとてもスタイルの良いオシャレな美人であった。名前はM.Lと言い、中国で短大を卒業した後に、ベイジンの日本企業で働いていたという。自分でマンションに投資して儲けた金で、アメリカ留学を自費で賄っているというしっかりものだった。一ヶ月前にアメリカに来たばかりと言っていたが、残念なことに彼女は英語だけではなく日本語も上手だった。もう一人は男性で日本人だった。東北大学を卒業後に、企業に勤めること無くそのままアメリカに来て、既に二つの大学で8年も勉強しているという。名前はK.Tと言った。どちらも少し喋っただけだが、とても頭の良い人達であるということがすぐに分かった。それだけではなく、とても人生に対して真摯で前向きな気持ちを持っている気音が伝わってくる。特に彼女の方が、自分の親は最高ですと話すのを聞いた時にはなぜか泣けてしまった。聞くとその親の方が自分よりもずっと若い。日本では、例えば自分の娘がこんなことを話すだろうか?



・夜7時頃に、三人で顔を合わせた後で、ホーム・ステイ先で一緒にホスト・マザーの作ってくれた夕食を食べた。食事は、ホスト・ファミリーと我々は別々に食べる様になっていた。我々が食べ終わった後で、同じキッチンで彼らが食事をするようにしているらしかった。恐らく、彼らはイスラム教徒なので、食事は手で食べるということで、以前ここに泊まったイギリス人と生活習慣の違いからトラブルを起こした為だという。



・学生なんだし、もしも酒を飲むならば部屋ではなくて、キッチンで飲んでくれと言われていたが、夜、部屋で酒を飲むのは自分の絶対の条件であるとして認めて貰った。兎に角、奥さんは気の強い人だった。我々は夕食を食べた後に、酒を飲みながら12時過ぎまで、いろいろと話しをした。半分は英語で、半分は日本語だった。



・彼らは、今度、この家に60歳過ぎの爺さんがやって来ると聞いて、とても嫌だったという。それはそうだろう、若い留学生なら誰だって60歳を超えた人とはあまり友達にはなりたくないと思うだろう。しかし、結果として認めてもらったのかどうか分からないが、明日の日曜日には、同じロスアンジェルスに住んでいる別の中国人の女学生のアパートでやるパーティに、一緒に参加することを勧められた。ホーム・ステイ関係のルーム・メイトや彼らの大学の友人達が何人か集まって来るらしい。彼らにとっては、年齢の離れた自分は、多分、異色の存在と思うが、自分も行ってみることにした。





・明日から学校の予定なので、今まで借りていたレンタカーを、今日は帰しに行かなければならない。それにしても今日はとてもビックリしてしまった。初めての経験をした。そしてどっと疲れてしまった。午前中、快調にサポールブダ通りを通って、ダウンタウンにあるユニオン駅まで行った。レンタカー・オフィスが駅の構内にあるからである。しかし、オフィスが契約しているカー・プールへの入り口が見つからないので、電話でもしようとしてどこか道の脇に車を止めようとした。しかし、どこも駐停車禁止のペンキが塗ってあった。少し位は大丈夫に違いないと思って、曲がり角の近くの安全な場所に車を止めて、携帯を取り出していたら、窓を叩く人がいた。何だろうと思って窓を開けると、バス代がないから$1くれという。忙しいのでポケットから$1札を出していたら、向こうからパトカーがやってくるのが見えた。そして、いきなり、ドでかい音でサイレンを鳴らされてしまった。自分かなと思っていたら、直ぐにUターンをして戻ってきて、自分の車の前で止まったのである。捕まったのは自分だった。





・拳銃を取り出すような動作をすると撃たれてしまうことがあると聞いていたので、両手を上げたら、いきなり大きな声で両手と顔をステアリングにつけろと言われた。警官は二人いたが、二人とも本気で身構えている。そして免許証を見せろという。補助席に置いていたザックから出そうとしたら、両手はステアリングに載せろという。思わず、「そんなことは出来るわけがないだろう」と日本語で叫んでしまった。違反切符を切ろうとするので、自分は旅行者で今からレンタカーを返しに行くところだが、道が分からないから調べようとして止まっただけだと説明した。なんのかんのと説明していたら、何と「Can you speak English?」と聞いてきた?? 仕方がないから、「Only a little.」と答えたが。



・結局、「Be careful!」と言いながら許してくれた。それだけではなく、「自分は道が分からないのだから教えてくれと。」と言うと、「Follow me.」と言ってパトカーで先導してくれた。実はとても優しいお巡りさんだった。





・今日、レンタカーを返してからバス乗り場まで歩いてみて分かったこと。それはロスアンジェルスの9月は、とてつもなく暑いということだった。日差しの強さが半端ではない。本当にここは、かって砂漠だったということが実感できる。見たところでは、現地人は比較的平気な顔をしているので余計驚いてしまう。自分は頭に日が当たらないようにして、雑誌で覆いながら歩いているのだが、そんなことをしている人はどこにもいない。



・はじめて此処に来たときには、太っている人が大勢いるのでビックリしたのだが、理由が分かるような気がする。要するに全く歩かないのだ。ロスアンジェルスという街は、車で移動することを前提にして設計されていると言って良い。というより有り余るスペースの余裕に任せて、ドンドン横に街を拡げていった結果こうなったのだろう。道路も巾が広いので、1ブロック先に移動するだけでも大変だ。歩いている人は、貧乏人だけだと言われているらしい。



・40分も待ち続けてやっとバスに乗った。しかも、自分は一つのバス路線だけで家に帰れるが、乗り換えるとなると何分待つことになるのかも分からない。しかし、このバスは全線乗っても$1なのである。しかも、優遇パスが沢山発行されていて多くの人達が無料で利用出来るようになっている。車のない人達のための、社会福祉事業のような位置づけだと思った。



・バスに乗り込んでくる乗客は、殆どが黒人である。たまに白人のホームレスのような荷物を抱えた人が乗ってくることもあるが、そんな時は特有の匂いが何とも強烈にする。降りるべき場所を見失わないように、バスの通る道をよく観察しようとしたが、何回も角を曲がるうちにすっかり分からなくなってしまった。乗り込んでから40分位して、やっと行き先表示が出てきたのとアナウンスがあった。





・夕方、家に帰ると、学生達が既に皆が家の前で待っていた。というより家の前で立ち話をしていた。何人か初めての顔が見える。全員が日本人のような顔をしていたが、一応、英語で挨拶をする。やはり日本人だった。これが話しに聞く留学先の日本人コミュニティのようなものかと思った。



・一人はTさんで20代の前半、もう一人はKさんで20歳、どちらも前途有望な若者だった。しばらく話をしていると、M.Lが玄関から出てきたので、そのままK.T氏とTさんの車に乗って出発した。メンバーはもう一人のM.Lを入れて5名だった。





・日頃、全く日本語を話す機会がないという生活を送っていると、時にとても寂しくなったり、落ち込んでしまう事がある。たまに日本語を話すと、実に心が落ち着く感じがする。昨日がそうだった。こちらに来てから、はじめて日本語で話しをしたのだった。しかし、留学生がこれにハマってしまうと、何年滞在していても英語があまり上達しないとも聞いていた。しかし、無理をして日本人を遠ざけるのもどうかと思う。要はできるだけ英語を話す機会を持ち、外国の友人を沢山つくると同時に、日本人の友人も沢山得るということが正解だろうと思う。





・目指す中国人女性の家は、XXX通りから1ブロックあまり奥に入ったところにあった。彼女はXXといい、まだ18歳の若さであるがサンタ・モニカ大学に通っているという。きっと親が金持ちで中国ではとっても裕福な暮らしをしているのではないかと思う。部屋は8畳位のスペースで、その他にキッチン・バス・トイレがあって、もう一つある部屋の住人とシェアしているという。



XXXが一生懸命に作ってくれた、マーボ豆腐や鶏肉の炒め煮、それと美味しいご飯とジュースで乾杯した。差し障りの無い話から、情報交換、それから若者特有の話題、学校のこと等、いろいろな話が弾んだ。自分は言いたいことを、英語でうまく表現できないもどかしさを経験した。そんな時に、直ぐに日本語が通じてしまう気楽さがきっと上達の妨げになるのだろうと思う。





・ここに来て自分は、アメリカに学びに来ている若者達が、実は学校やその後の仕事を含めて、言葉の問題だけではなく色々な障害にぶつかり、悩みながら生活を送っているという当たり前のことが分かった。その用な話に加わって、彼らから見れば少しは多い自分の経験を活かしながら、彼らをできるだけ励ましてやることができそうだと思った。何しろ今や明日からは、自分も上から目線ではなく彼らと同じ立場の学生なのだ。少なくとも、ここでは英語に関しては彼らの方が数段上だし、向上意欲も体力も自分より上だし、実績以外に彼らに誇れる物がないのだから。ただし、コメントを付けたり、アドバイスをしたりして、説教調になることだけは絶対に避けようと思った。





9月25日(土):ゲッティ・センター

・ロスアンジェルスの西北の郊外、UCLAの近くにあるゲッティ・センターに行った。この辺りから、周囲は山というか丘になっていて、道が登ったり下ったり、しかも真っ直ぐな道が殆ど無く、カーブが多く見通しも効かない。すぐ近くまで来ており、しかも山の上の方にモダンな建築が見えているのに、入り口が見つからず周囲をぐるぐると回ってしまった。

・この辺りは、ロスアンジェルスでも高級な部類の住宅地だった。一軒辺りの敷地が大きくて、しかも山の起伏を利用して広い庭のある家が続いている。ガレージにはポルシェやBMWTOYOTAL)等が並んでいる。歩いている人など全く見かけることが無いので道を聞くことも出来ない。あちこちの家で、それぞれ数人の黒人の庭師が働いているのを見掛ける。ある家から中年の女性が出てきたので道を尋ねると、綺麗な英語で本当に丁寧に教えてくれた。


・ゲッティ・センターは本当に凄い所だと思った。建築物や庭に贅沢にカネがかかっているのが分かる。アメリカで個人の金持ちが、金をふんだんに使って何か後世に残そうとするとこんな感じになるのだろう。建家はとてもモダンである。入場料は無料だった。ただし、駐車料金を$15払うので、一家で一台の車で来ると割安である。通常は二人連れなので一人$7.5である。駐車場からは、専用のモノ・レールで山の上に登っていく。途中、眼下に見えるUCRAや高速道路、ロスアンジェルスのダウンタウンの眺めが素晴らしい。


・この美術館は、個人が集めた美術品を陳列するために作られたものである。大きな建物が4つに分かれていて、それぞれのテーマ毎に絵や集められた品が置いてある。はじめに入った所は、キリスト教にまつわる書や絵のコレクションで、それぞれが大事そうにしかも膨大な量が綺麗に並べてある。そして、それらの一つ一つに説明書きが添えてある。幾つかの有料のツアー・コースがあるようだった。


・実はキリスト教的な関係の作品は、地味だし宗教的な価値はともかく美術的な感動はあまり感じられなかった。ただ、スケールの大きさに圧倒される。ひと通り急ぎ足で見て歩いただけで疲れてしまった。早速、カフェでツナ・サンドとジュースを買ってひと休みする。


・外は日差しが強くしかも暑いが、建物の中は冷房が効きすぎて寒い。しかしその分、カフェの戸外の日陰のテーブルは、自然な風がとても涼しく爽やかで心地良かった。隣のテーブルに陣取った中国人の女性が、大声で喋る中国語がいやに耳障りで煩かったが。大体、彼ら中国人や、何処でも見掛ける韓国人はグループで来ていることが多く、声がやたらに大きくて しかもお喋りである。エネルギーの量には感心してしまう。そして、ここでも日本人を全く見掛けることがなかった。


・広い庭をカップルやファミリーが歩いているが、皆、お喋りに夢中で楽しそうだ。良く話すことがあると思ってしまう。東洋系の若い男に白人の若い女。黒人の女と白人の男の家族。ここには色々な国籍や人種を見ることが出来る。ただし、やっぱり殆どは同じ民族の組み合わせが多い。そして相対的に、ここでは黒人はあまり見かけない。年寄りの二組のカップルで来ている人が多い。しかも、前を歩く二人連れは女でお喋りに夢中で、その後ろを男達が大抵は黙ってついて歩いている。どう見ても男は単なる添え物なので、女同士で来た方が楽しいのではないかと思ってしまう。しかし、女同士というカップルは全くと言って良いほど見ることが出来ない。


・大きな白黒の写真で面白いのを見つけた。止まった電車から大勢の人がホーム降りてきた所を撮った写真である。ホームは人で溢れている。近くにいる人達は、動いているのでピントがボケテいる。近くにたった一人ピントの合っている人が立っている。遠くの人並みは、ピントのズレが小さく映っている。もちろん、列車や建物はクッキリと写っている。動と静の組み合わせが、妙に不思議な感情を呼び起こす。

9月24日(金):Near LA

・マリブに差し掛かったので、このままR1を降りて更に海に近い方に行ってみる。この辺りの家々は、先程の山の上の家よりはずっとこぢんまりとしているが、海の側なのに十分な広さの庭と小奇麗な家が並んでいる。日本で言えば湘南海岸というトコロか。大小のモーター・ボートが家の横に並んでいる家も多い。ここら辺のビーチは、全てプライベート・ビーチになっている様だった。ビーチは見えるのに、ビーチに出る道が見つからなかった。家からまるで車にでも乗るような感じで、船に乗って海に出ることができる。家の外のビーチで海水浴もできるのである。



・しばらくすると、ステート・ビーチ入り口という看板があった。気が付いてみると、このような看板は、他にも幾つか見つかった。


・それにしても、アメリカという国は、金持ちの多いところだと思う。家も庭も綺麗に手入れがされているし、手入れをしているのは住人ではなく使用人だし。日本も収入で比較すると随分豊かになったが、ベースが圧倒的に違う感じがする。


・当然のことながら、ロスアンジェルスの町で見かけたように、一方では多くの貧しい人達がいる。その収入の差が何としても縮められないで、格差がとても大きいことが実感で分かる。それにしても、圧倒的な富の大きさが分かる。一体、日本と比較した場合の、この経済力のベースの違いは何処から来るのだろうか。

・再びR1に戻って更に南下する。全く久しぶりに、ハイウェイが渋滞で、車が止まってしまった。信号はないがマリブの中心地の近くらしかった。この辺りは、やはり海を感じさせる所だと思ったのは、道の両側を歩いている人が急に増えたことと、彼らの中に水着姿が何人もいることだ。

・しばらくR1を走っていると再び大きなビーチが見えてきた。サンタモニカ・ベイ・ビーチだった。駐車場に車を停める。広い砂浜、心地良い風、ここでは年寄りも若者も、違いが分からない。散歩している者、ローラー・スケート、サイクリング、卓球台まである。平日の午後だというのに、なにかやりながら楽しんでいる。たった一人だったが、近くになにもしないでただ座ったままの黒人がいた。多分、一日中ここに座っているのだろう、日焼けして真っ黒だった。

・今日は何処に宿泊しようか迷った結果、R1を海沿いに更に南下してLAとサンチャゴの中間辺りまで来てしまった。R1の両側に安いだけが売りのモーテルがたくさん並んでいた所に出たので、数軒をチェックして中の一つに決めた。このモーテルでは、クレジットカードを受け付けてくれなかった。現金で払って欲しいということだったので、直ぐ側にあったコンビニで金を下ろして、チェック・インした。時間が少し早い時間だったので、久しぶりにモーテルのコイン・ランドリーを利用した。


・この街で夕方散歩をした。見掛ける人の多くは、背の低髪の黒い、しかも太ったスペイン語を話す人々である。サンフランシスコの下町で見掛ける、インド系や黒人系より親しみが感じられる。一歩、R1から奥に入ると彼らの住む住宅地が広がっている。平屋建てが多いが、庭も結構広くてきれいな感じである。道路脇に停まっている車を見ても、比較的綺麗で新しい車が多い。




・モーテルは、場所によって内容と価格が大きく違う。もちろん、大都市では狭くて汚くても高く、田舎では安くて広くて綺麗である。地方都市では大都市の1/2位の価格になる。また、週末はどこでも20%位価格が上がる。田舎で$100出すと、キッチンやリビングがついた広い部屋が選択できるが、大都市では$100では暗く汚い所が多い。また、大都会でも、中心地から離れたところでは、30%位安くて、かつ綺麗な所が選択できる。


・しかし、モーテルの探し方にはすっかり慣れてしまった。直接的に最も役に立ったのは、あちこちのサービス・エリア等に置いてある、無料のモーテル・ガイド・ブック(冊子)である。A5サイズの大きさで50ページ位のものであるが、その場所が所属する州での1000件以上のモーテルが紹介されている。住所や価格、連絡先はもちろんだが、地域ごとに分けて詳しい地図まで載っている。更に割引のクーポン券まで付いている。この情報から大体の相場が分かるので、これらの中から数件を絞り込んで、一つ一つ電話をして価格と空き情報を確認しておく。そして、何件かを実際に自分の目で見てから交渉するのが良いようだった。例えばシニア割引というのもある。


・自分は旅行者と言っても一人で移動しているので、安いことは大きな条件であるが、綺麗ではない所は敬遠したい。価格的には、一泊 $45-$70 位の所で予算を立てていた。絶対の条件はこの他に、無料のインターネットができることと、テーブルか机があること。冷蔵庫があること等であった。できれば書きものやPCで使うために、テーブル専用の電気スタンドも欲しかった。アメリカのインテリアは、間接照明が多く手元が暗いからである。


・交渉では別に躊躇することなく、ここのモーテルは気に入ったし価格もリーズナブルだが、念のため別の所も見たいと言えば、相手も嫌だと言わない。そして、やはり前の方が良いと思ったら、車を戻せばフロントの係の顔に笑顔が浮かぶのである。この笑顔が重要である。多くの安いモーテルでは、インド系やメキシコ系の人が、一人でフロントの番をしている。そして、彼らは絶対に笑顔を見せないのが普通であるからである。


・どんなに簡単なことでも、経験してみないとはじめは上手くいかないで戸惑うことがある。それが出来るようになったからと言って、別にスキルが上がる訳でもないが、一応、何でも出来た方が生活は便利になる。これは旅行者にとっては、良いことに違いない。


・朝飯はR1沿いにあるドーナッツ屋で、ベーグルwithハム&玉子にコーヒーにしたが、$4で結構美味かった。この後で、歩きながら持参したリンゴをかじる。それにしてもR1は車の通りが多い所だ。夜通し、ひっきりなしに車が通る。それも殆どがひとり乗りの乗用車である。皆、何処から来て何処へ行くのだろう。


・実は、アメリカに来て初めて洗車をした。それもコイン洗車場で。車を乗り入れても、機械が何時まで経っても作動せず、後ろに並んだ車にいろいろ教えて貰って、やっとやり方が分かったというものである。自分の車を止めた位置が、少しセンターからズレテいただけであった。当たり前だが、位置を修正したらチャント作動した。


・アメリカでは、日本のようにガソリン・スタンドに洗車場がある所は少ない。$3位のコインを入れて自分でやるところと、$7位の料金で、手洗いでやってもらう所があるが、一般的には後者の方が多い。それもワックス入りを選択するなどグレードを上げていくと$20位にUPするのが普通である。アメリカは完全なクラス社会なので、自分でやってしまったりして、黒人系やメキシコ系の仕事を奪ってしまうのは良くないというイメージであ



る。従って、日曜日の昼下がりに日本の住宅地で良く見掛けるような、自分で車を洗っている人には ついに一度もお目に掛かることが出来なかった。


・今日の計画は、来週から厄介になるホーム・ステイ先の確認、同様にUCLAのキャンパスの見学、有名な美術館であるゲッティ・センターの見学等である。


・昼飯をバーガー・キングで食う。トイレがいつ言ってもFULLになっているので、聞いたらキーを開けるための専用のコインをくれた。


・ロスアンジェルス市内の一般道路の走り方:運転そのものは、東京やその周辺の街を走っている人であれば、全く問題はない。多分、イタリアを除く世界中のどの都市であっても通用する筈である。(イタリアはどこも道が狭く、しかも全てのドライバーが高速で走りたがる。普通に走っていると、狭い道で必ず追い抜かれる。しかも若い女性である。)


・アメリカの道路と日本それとの最大の違いは道路標識にある。道路自体は、東西・南北に所謂、碁盤の目のようになっている。メイン道路は広くて何車線もあるが、一本裏通りに入ると、そこは多くが一方通行になっている。そして必ず、どんな小さな道路にも、全ての道路には名前が付いていて、交差点の所にその名前を書いた看板がつけてある。これによって、自分が今、何処にいるかは正確にわかるようになっている。しかし、行き先標示がないので、知らない道では、どの方向に行ったら良いかが、全く検討もつけられないのである。事前に地図を良く見たつもりでも、必ずどこかで道に迷ってしまうことになる。そして、車を道の脇にとめて、地図を見ながら走ることになる。ただし、道路の殆んど全ての場所が、停車・駐車禁止になっているので、車を停車させる場合には絶対にルールを守る必要がある。日本の数倍のパトロール・カーが走りまわっており、一瞬でも見つかったら$50-$70位の罰金を払うことになるらしい。しかし、レストランやストアには必ず大きめの無料駐車スペースがあるので、車を停める場合はそこに入れる。実際に、多くの車が街中を高速で走っているので、駐車禁止区域に車を停めることは危険である。


・従って、初めてアメリカの都市を走りまわるには、カーナビ(アメリカではGPSと言う。)があると便利であると思う。


・結局、UCLAに行くのに何回も道に迷ってしまい、午後になってしまったので、ゲッティ・センターは明日行くことした。そのままホーム・ステイ先の家に行って、今日からそこに泊まることにした。取りあえず電話をしてその旨を伝える。

9月23日(木)美しいオーハイと云う街(日本の旧軽井沢)



・昨日、泊まったオーハイという街は素晴らしい所である。ガイド・ブックを見ると、避暑地として、ロスアンジェルスからも多くの人が訪れるらしい。日本で言うと、軽井沢か那須高原の別荘地のような雰囲気である。街並みや家並みがとっても綺麗である。今はまだ9月だが、周りの山は既に紅葉が始まっていて素晴らしい眺めである。ただし、街の中はメイン・ストリートでも人の数は少なく、家々の数もそれ程多くはない。しかし、大きなスーパー・マーケットから郵便局まで、大抵の物が揃っている。もちろん洒落たカフェやレストラン、ブティック等の高級店が散見される。


・オーハイで自分が泊まったモーテルは素晴らしい所だった。料金は少し高めだったが、中にはいってみるとキッチンがついた、大きな部屋で一泊しか泊まらない客には少々勿体無いが、二人で一週間位過ごすには十分な広さである。




・来週からは語学学校が始まるので、その前に予定していたホーム・ステイ先を、早めに確認したかった。今日になってメールが入って来てその詳細が分かった。場所はLAX(ロスアンジェルス飛行場)の近くであった。この家には、既に30代の日本人男性と20代の中国人に女性が居るらしい。UCLAまではバス一本で乗り換えなしに行けるとのことだったが、学校までの距離は20km位有りそうだった。でも、たった一人のドライブ旅行と違って、若い美人の話し相手が居るということは、何となく嬉しい感じだった。予定を早めて、早くロスアンジェルスに行きたい気がしてきた。


・朝の散歩をしてキッチンで朝食をとった後、早めに9時に出発する。まず向かった行き先は郵便局で、ここで切手を購入($8.2@20枚)、この切手を3枚貼りつけて日本にハガキを出した。


・そして、この3週間の旅行では最後の温泉地探訪である、W.Hot.Springsに期待を掛けて行ってみることにした。そして、大いに期待したのだったが、行ってみると何故かCLOSEの札が掛かっていた。



・仕方が無いので、このまま車で山道を登って行き紅葉見物をすることにした。何時までも綺麗に舗装された道を走り続けていてもしようがないと思っていたら、峠に差し掛かる手前に林道があったのでそちらの方に入っていく。林道と言っても、ここまで上がってくると、この辺りは草原が多く高い木は少ない。しかし、斜面は既に紅葉が始まっている。草は枯れているが、なかなかそのコントラストが綺麗だと思った。近くにはキャンプ場が有ったり、こんな所なのに牧場があったりする。


・全く車が通らないし人の気配もしない。日向は日光が暑いので、日陰に車を止めて少し小高い所まで歩いて登ってみた。誰もいないので、一度腹の底から声を出してみようと思って、思い切り叫んでみた。何も返って来なかった。




・山道を黙々と一人でリアカーを引いて歩いている人を見かけた。アメリカに来て、この様な人を今までに何人も見た。



・ベンチュラからR101に入りロスアンジェルスに向かうことにした。相変わらず、6車線位の広いハイウェイを走るが、段々とその単調さに旅行気分が薄れて来る感じだった。まだ、3週間は経っていなかったが、走行距離だけは3,500km近く行っているはずだった。少なくともハイウェイはやめて、できるだけ海の近くの普通の道路を走ろうと思い、T.OakからR23に出て海を目指した。



・この辺りはLAの近くであるにも関わらず、本当に山というか広大な丘がずっと続いている。上り下りの激しい山道である。ただし、今までとは大きく違っていることは、道の両側に多くに結構な数の家が建って、しかもそれが何時までも続いていることである。もちろん、家が密集している訳ではなく、一軒一軒が広大な庭を持った大邸宅が並んでいるのである。金持ちの別荘なのか本宅なのか分からないが、とても綺麗に手入れされた庭が続く。それも芝生に囲まれた庭ではなく、あくまでも自然を活かした趣が感じられる。


・何回か庭の手入れをしている所を見かけた。もちろん、家の住人などではなくて、一目見てそれと分かる職人風の格好をした、メキシコ人か黒人が多かった。他の家では、職人は見えなくても、彼らが乗ってきたと思われるピック・アップ・トラックが、家の横の道路にぴったりと並んで止められているので、何人の人が働いているかが分かる。周りの風景のイメージを、日本の風景で例えると湯河原のような感じがする。


・直ぐに太平洋岸に沿って走っているR1に出た。全く珍しくサンタ・モニカ方面という標識が見えたので、ここを左折してロスアンジェルスを目指す。右側がもちろんパシフィック・オーシャンである。

9月22日(水)海あり山あり畑ありの田舎を行く

・朝、7時頃に起きだして近くを散歩した。この辺りは綺麗な住宅地が続いていて、家の前は芝生や生垣が続いている。どこの家でもスプリンクラーが設置してあって、歩いているといきなり水が出てくることがある。大体、周囲が濡れているところは要注意である。道端の開いているスペースに植えられた草や花にまで、自動的に水が掛けられるパイプが付いていた。周囲を見回すと、同じような光景がずっと続いている。


・しばらく行くと、普通の民家のような家を建築中である空き地があった。アメリカの中流の家は、どんな感じで家を建てるのかが気になったので、しばらく立ち止まって工事現場を見ていた。朝の8時チョット前だというのに、既に数人の労働者が全開で働いていた。工事はまだベタ基礎の段階であったが、日本のツーバイ・フォーの場合と大差ないように見えた。


・近くにいたオバサンが話しかけてきた。例によって、一般的な話をした後で、オバサンの話が止まらなくなってしまった。いろいろと話題を見つけてくれて、面白い話をしてくれた。


・この家を立てているのは、新婚さんらしい。家を建てているのは買う予定のある客で、工事を自分でも手伝うと費用が安くなるシステムがあるらしい。土地が100坪位で家は40坪位の二階建て。価格は土地と家で2000万円位だという。周りを見ると、二階建てはむしろ珍しく、平屋の家が多かった。分かれる時に、「地球は狭いからキットまたどこかでお会いしましょう」と言う決まり文句が出て握手を求めてきた。何となく嬉しい気分だった。




・朝、9時半に出発、高速道路のR101には乗らないで、A.Grandeまでは田舎道であるR227を行く。町を抜けるとそこは再び、相変わらずのカントリー・ロードが続いている。しばらく走ると本当に小さな田舎の村に出た。メイン・ストリートの両側に店やらガソリン・スタンドやら民家が並ぶ。多くは平屋であるが、イメージが統一されていてとても綺麗家並みである。日本のように電信柱があったり、鉄くずが積みあげてあったりする雑然さが少ないので奇妙な安心感がある。

・一度、間違ってR101に乗ってしまったが、サンタ・マリアで降りて今度はR135に入る。殆んど車の通らない道なのに、片側2車線もある広い道路である。速度は120km/h出ているのにまるで停まっているような気がする。日差しが暑いのだが、とても冷たい風が入って来て、気分が最高のドライブだった。CDから流れるキース・ジャレットのピアノ曲が心地良い。走っている車は少ないのに、車より数段数が多い自転車族を時折、そして何人も追い抜く。彼らは何時も単独で走っている。凄い体力だと思う。大きな荷物を両側につけて、かなりのスピードで走っているようだ。追い抜いてしばらくしてから、途中の原野で車を止めて用を足していたら、ぐんぐん近づいて来た。


・道の両側にぶどう畑が続く所に出た。何と数十メートル置きに、綺麗に咲いているバラが植えてある。いつかテレビでこんな風景を見たことがあった。その時は確か、虫除けか交配のどちらかが目的であった気がする。誰も観る人がいないと思うが、手入れが良く行き届いている。しかし、働いている人を全く見かけないのだ。


・大量の水がスプリンクラーで撒かれて霧の様に見える。世界で何が起きたって、ここでは関係の無い、のどかな風景である。この一本道を行く車は、皆100km/h以上で飛ばしているのでよそ見はできないが。120km/hの速度がとてものんびりと感じられる。地図に印をつけてみたが、さっきからほんの数センチしか移動していないのだ。地図の縮尺と実際の広さがいまだに一致しない。地図を見て移動計画を立てると、特に田舎道では感覚がずれてしまい、ガソリン・メーターと時間ばかりがドンドンはかどっていく。風景もあまり変化しないのだ。


・走っていたら道路標識が急に35マイル/時と出てきて、あっという間にきついカーブに突入してしまった。この車では今まで掛けたことのない急ブレーキを踏むと、タイヤの鳴く音がするとともに車体がフニャとしてヨロメイテしまった。危うくオーバー・ランする所だった。この車は韓国製であるが、エンジンは実に良く回る。加速感も悪くないし、故障の不安感もない。ただし、ステアリングが軽すぎて、ロスアンジェルスの街中をキビキビ走るのには向いているが、高速道路を走り続けるには適さないようだ。そして何よりサスペンションがしっかりしていない事が分かってしまった。細かい所まで使い易さに気を配っている事が分かるが。高速で走り続けるので、急にタイヤが心配になってチェックをする。特に問題は無いようだが、名前を知らない韓国製のタイヤだった。



・昼飯は昨日と同じハンバーガー。マックのようなドライブ・チェーンではなくて、普通のカフェ・レストランで注文した。こちらでは何処で食べても、肉がばかデカクてしかもパサツイテいる。ボリュームは十分である。その上、付け合せのポテトと、野菜サラダ、ピクルスが山のようについてくる。玉ねぎやレタスもたくさん付いてくる。チキン・スープとコーヒーを頼んで$8.1+Tip$1.0だった。


・温泉を探してGaviotaという町にやってきた。ガイド・ブックには、この公園の中に確かにあると書いてあるのに、そのような案内はどこにもない。公園の有料駐車場に$8払って入ったのだが、ただのビーチで遊ぶための駐車場のようだ。近くにいたマイクという男性に聞いてみた。とても話好きの男性で、自分も温泉が大好きで良く行くと言っていた。いろいろと情報を教えてくれたが、肝心の温泉はここにはないと断言した。この先のXXXという所に良い温泉があると言って地図を書いてくれた。また、彼が今までに行ったことがある温泉の中では、デス・バレーの近くにあるコパという所が最高だと言って、コパの温泉の案内用の名刺をくれた。信用できるかどうか分からないが、とってもいい奴だったので握手をして別れた。



・マイクに教えられた通り、R101をサンタ・バーバラまで行き、そこからR3154に入って急な山道を上の方に向かってドンドン登っていった。素晴らしい観光用の山岳道路だった。カーブが続くが90km/hのスピードで走り続けるが、目的地が出て来ない。少し不安になったので、近くにあった大きな公園の管理人に聞いてみたが、温泉の存在を知らなかった。


・色々聞いて回った結果、Cold Spring Tovernという一軒宿があるらしいということが分かる。早速、行ってみたがここは昔、日本でいう鉱泉が湧いていたが、今は名前だけで、レストランを主体とした宿だという。山の中にあって、山小屋風の、そして中はとてもシックなアーリー・アメリカン・スタイルの小屋だった。


・宿の女性主人に聞くと、この近くに確かに有るらしいが、普通の車ではとても行ける所ではないという。しかも、場所が良く分からないとのことだったので、私のリスト・メモにまだ残っている場所の方を優先することにした。



・まだ、明るい内に今日の宿泊予定であるオーハイに向かった。オーハイまでは、素晴らしい景色が続く山道のドライブだった。今までのドライブに加えて、新たに沢山の湖の眺めが加わる。ただし、後ろから付いてくる車が自分の車にピッタリ付いてくる。何時もならば、そのままやり過ごすのだが、今回は自分も急いでいたので、そのまま2台が繋がって走り続ける。繰り返し現れるカーブをクリアしている内に、段々速度が上がってきた。これはチョットヤバイかなという気がしたのと、大人げない感じもしたので抜かせることにした。しかし、そのような場所も見当たらない。そうこうしている内に、オーハイ近くの村についてしまった。この村にある交差点の信号で終わらしてしまった。自分は交差点の側にあるレストランのパーキング・エリアで、最後の地図の確認を行った。


・今回のドライブで一番困ったことは、ルートの探索である。地図を見ながら走るのであるが、肝心の地図に書いてある文字が小さすぎて良く見えないのである。そこで、大きな街ならどこの街にもあるステープルで、ライト付きの小さな拡大鏡を購入した。どこかで車を停めるたびに、拡大鏡で地図を調べることが習慣になってしまった。

9月21日(火)ワイナリーの村、パソ・ロブレスを抜けて



・坂を登って下ってまた登っていく。右に曲がって左に曲がって、また坂を登って下って、どこまでも続く道。道の両側には、大きな木が等間隔でずっと植えられている。周囲は山というよりなだらかな丘になっていて、所々がはげた枯れた草地と、背の低い藪のような林が点在している。そうかと思うと、道に沿った広い平地から奥にひかえている山の斜面まで続く、しかも手入れが行き届いている様に見える大きなぶどう畑が一面を覆っている所があったりする。また、次には何も無い草地に出る。そしてまた、今度は道の両側に広がるぶどう畑。


・この繰り返しの風景が、如何にもこれがカリフォルニアだと言っているような気がする。こんな景色を体験するのは初めてなのだがこれが、自分が頭に描いていたカリフォルニアだと思う。所々に家へと続く入り口があるが、そこにはXXワイナリーと書いて有る札を見掛ける。入り口から家まで続く道は、その家の敷地らしい。赤や緑の色をした綺麗な布で飾ってあって、何となく入ってみたい気がする陽気さがある。大きな家が見え隠れするが、道路から少し離れたところにある。当然、隣の家まではかなりの空間がある。感覚的だが1km位はありそうである。このような景色は、日本では九州でも北海道でも見ることが出来ない。こんなばかでかい土地でも、チャント私有地を示すための鉄条網の囲いが見える。


・たまに車とすれ違うが、彼らは観光客ではなく土地のものだろう、ピック・アップ・トラックが多い。また、タンク・ローリーを二つ連結した馬鹿長いトラックとは二度もすれ違った。中にはワインが詰まっているのだろう。観光客らしい乗用車には殆ど会わない。人も歩いていないのどかな道を、高速で走り抜けるのは気分が良いが、急いでいるように見えるのは自分だけ。



Paso Roblesを出てから、山の中をずっと続くルート46を走る。小さな村であるAdelaidaHarmonyCayucosを通ってM.Beyに出た。広いビーチには店などないようだったので、少し戻ってCayucosICでハイウェイを降りた。海に向かって少し走ると、ここにも小さなビーチと桟橋が見える。桟橋の横には、珍しく公衆トイレがあった。チャンと手拭き用の紙まであって、全く汚れていなかった。


・直ぐ近くにカフェがあったので、昼飯にと入ってみた。サラダ付きのミニ・バーガー(普通のバーガーはでかすぎるので)が$4、サラダはトマトと紫玉ねぎのスライスとサニー・レタスが山盛りのように入っていた。それとホワイトソースにあさりがどっさりと入ったクラムチャウダーを頼む。($3.5)チップを入れて$9.2でした。クラムチャウダーは、普通はボール$5に入っているが、小さなカップの方にするこれだけで腹が一杯になってしまった。


・ここからはできるだけ海岸に沿った道路を走って、Los OsosS.L.ObispoAvira Beachに向かう。Avira Beachの近くに有るはずのヌーディスト・ビーチとAviraHotSpringを探すつもりである。ヌーディスト・ビーチはともかく、温泉探しは、今回の旅行の目的の一つである。


・結果としてヌーディスト・ビーチは見つからなかった。分かり難いところにあると聞いていたが、車で通るだけでは見つからず。INで調べると、今年からカリフォルニア全州で、そのようなビーチが禁止になったらしい。




・温泉は直ぐに見つかった。ICの直ぐ横の広大な敷地の中にあった。早速、中を案内して見せてもらう。温泉というよりも、ただの四角い大きなコンクリート製のプールであった。中には確かに39度位のお湯が入っており、何人かの男女が水着を着て浸かっていた。聞くと、本物の温泉で、確かに成分表が事務所の壁に貼ってあった。


・ただし、日本で良く見かける効能書きは見当たらない。聞くとそのようなものは、法律で書いてはいけないことになっているという。アメリカでは学会がない領域では、公に書くことは禁じられているらしい。


・その他には休憩スペースと、飲食のできるスペース、それと人気があると言っていたスパ、マッサージ・ルームがある。価格は$8/dayで何時間いても良いと言う。ただし、プールは屋根がなく午後の強い日差しが照りつけているので暑くてしょうがない。探し求めていた温泉ではないので、ここは素通りして、次の温泉を探すことにする。



・温泉場の隣は大きな芝生と、大きな木が木陰を作っている涼しい場所があった。その木陰のテーブルとベンチには4人の日本人らしいお年寄りが集まって、英語で駄べっている。大きな魔法瓶とカセット・コンロが置いてあった。チョット年が行っているように見えたので、仲間に入れてもらうことは遠慮することにした。


・その隣が大きなファーマーズ・マーケットになっている。丁度、ハロウィンの前だったので、大きなカボチャが山のように積まれていた。自分はリンゴ、モモ、バナナ、トマト、ジャムなどを山のように買った。料金はTot $9だった。


・モーテル・ガイドをめくりながら、大学があるという綺麗な町らしいサンルイス・オビスポに行くことにする。町の中をあれこれ迷って、大学から少し離れた所にあったモーテルに落ち着いた。



・少し車で町を走ったので、幾つかのレストランや大きなスーパー・マーケットが有る場所が分かった。モーテルはそのどちらにも歩いていける距離にあり、静かで値段も安かった。アメリカの田舎では、モーテルの料金が都会に比べると断然安い。







9月20日(月)誰にも会わない山の中を走る

・朝、10時に出発した。今日の予定は、まず近くにあるHarst城を見学、それからゴーダまで昨日、走ってきた道を再び逆に北上してそこでガソリンを入れる。そして、ゴーダの更に先のLucia近くにあるナショナル・パークで少しハイキングを楽しみ、その後で海を離れて山越えして、Jolong辺りまで山の中をドライブしてから、何処かその近くの村に一泊しようと考えた。


Harst城は丘の上にそびえ立つ姿が、下の海沿いの道路から良く見える。ハイウェイを降りて、田舎道を10分、城に向かって走ると大きなゲートがあって、これまた1000台は駐車できると思われる巨大な駐車場がある。できるだけ日陰を探して車を停める。大きなビジターセンターが入り口になっている。既に大勢の観光客で一杯だった。そこで6種類あるツアーのチケット(どれも$24)を購入する仕組みになっている。城はここに有るのではなく、ツアー毎に大型バスに乗って出かけるのである。


Harst城は実は皇族の住む城ではなく、アメリカの金持ちの作った悪趣味の象徴の様な別荘である。広大な建物と手の凝った庭が有名で、どのガイド・ブックにも乗っている。使ってある材料は、すべて本物で模造品ではないとのことで、それなりの風格が有るらしい。ヨーロッパの城よりも金と時間が掛かっているとのことであった。アメリカ人はこのようなドリームを受け入れるばかりか、そのようなスケールの大きいことが好きな民族である。


しかしながら、次に出発するツアーは午後だと言うので、結局、ツアーに参加することは止めてしまった。


・代わりに昨日は見ることができなかった、ゴーダへ行く途中にあるアザラシの浜に行く。ここも既に多くの人が来ていた。しかし、野生のアザラシの数は、人の数よりも多いくらいだった。ただ寝転がったまま、少しも動かなかったが。海から吹き付ける水を含んだ強い風が冷たく、ジャケットを着込んでも寒いくらいだった。他の観光客の多くは半袖のTシャツ姿が多かったが、車から降りて記念撮影をして、また直ぐに行ってしまった。


・自分は少し離れた所を歩いてみようと、草原を少し行く。そこは後ろを振り向かなければ、正に大自然の中にたった一人きりだった。海を見れば、あちこちで二頭ずつのアザラシが奇声を発しながら追いかけっこをしている。此の様な風景を観ている人は他にだれもいなかったが、考えて見ればアメリカ人の積極的な保護が有って、このような景観が維持できているのだろうと思う。皆、きちんとルールを守っているところは、偉いと思った。ゴミが何処にも落ちていないし。


・一方では、トイレに行けば、こんな僻地でもチャンと水が出てきて、ペーパータオルが置いてある。途方も無いエネルギーの無駄遣いをしている国である。アメリカ人の考える省エネとは、まず自分が使いたいだけ使う量を確保してから、それ以上はムダにすることは止めようと、言っていると実感する。最近はペーパーではなくエア式乾燥機も多くなってきたが。


・さて、ゴーダに来た時に大変な事に気がついた。ガス・ステーションが有ることはあったが、有人の事務所が有る訳でもなく、機械で読むクレジットカードしか使えない。普通のキャッシャーではもちろんカードは使えるのだが、無人の処ではアメリカでは多くの機械が日本の国際カードを読み取ってくれないのである。ガソリンの残りはかなり少なく、次のガス・ステーションまで持つかどうかも自信がない。さてどうするべきか。ゴーダからS.シメオンまでは片道で100km位の距離がある。(これでも一番近いG.ステーションである。)


・考えられる手は二つ有った。一つはここでガソリンを補給する車が来るのを待って、その人のカードを使わしてもらい代わりに現金を支払う方法。もう一つは、S.シメオンの更に先のカンブリアまで戻って入れる方法である。計算するとそこまではギリギリだがガソリンは持ちそうである。結局、厚かましく頼むことは嫌だったので、来た道を再び戻ることにした。カンブリアにガス・ステーションが有るということは、昨日、泊まったモーテルの受付の人が教えてくれていたのである。それなのに、ゴーダで入れることばかり考えていたので、モーテルを出る時にその町で補充してくる案はすっかり忘れてしまったのだった。


・カンブリアという小さな町でガソリンと昼食を補充すると、すっかり身も心も満たされて疲れてしまった。リンゴを齧りながら、しばらく予定変更を考えたが、この分では当然ながら、ハイキングはカットするか、近くに一泊するかだろう。と言っても、その近くの宿泊場所といえば、温泉付きの禅道場であるエサレンしかないが、昨日来る途中で中を見せてもらいついでに価格を聞いた所では、禅セッション付きで$240だったので少し考えてしまう。ただし、エサレンの温泉はオールヌードで混浴だと言っていた。色々悩んだが、結局、温泉は他に沢山ありそうだったので、次の機会に別の所に行くことにした。


・再度、ゴーダに向かってドライブをする。不思議なことに濃い霧が出てきた。道路が濃い霧で良く見えないのでゆっくりと進む。この霧は海の上だけにかかっていて、道路の所は少し薄くなっている。そして道路の山側の崖に沿った所で、何と霧が急に消えているのである。とても幻想的な、しかも広範囲に渡る霧の世界だった。


・ゴーダを通り過ぎてLuciaに向かう途中にJolongへ行く入り口が見つかった。狭い道である。いよいよここからはあまり車の通らない山岳道路である。激しいきついカーブの上り坂が続く。カーブにはもちろんガードレール等の人工物は何も無いので、いきなり絶壁と、その向こうに海が広がって見える。眺めが最高の道路である。


・その内に海が見えなくなってしまい、完全な山道となる。段々と道が狭くなってくるが、TAJAHARAと違って、舗装してあるので全く不安がない。しかし、道路が砂で覆われているようで、タイヤが盛んに砂を巻き上げる。砂で滑るので30km/h位のスピードで走る。何もここでドリフトの練習をして死ぬことはないと考えていたら、急にカーブの所で前方から車が飛び出してぶつかってきた。自分は上りだから直ぐ止まったが、対向車がぐんぐん近づいてくる。スリップする音が激しく聞こえる。運転していたのは、若い男女のカップルだった。とっさに「バカヤロウ、ラリーヤッてんじゃないよ」と日本語で叫んでしまった。ぶつからずに済んだが、本当に1mも無かった。相手は何も言わず行ってしまったが、きっと次のカーブで震えが止まらない筈だ。本当に事故になる所だった。


・途中でトイレが近くなってしまい、2度もタイムを取る。いずれも山の中で、夕方5時だというのに眩しい太陽を背に受けて。この辺には、家もなければ対向車も見かけない山奥だ。体長が10cm位の小さな無数のリスが、ひっきりなしに道路を走って横切っていく。10m毎にリスが現れる。初めの内は注意をしていたが、それではとても走り続けることが出来ない。


・山の中を下って行くと、今度は平坦な道路になった。Jolonの村らしいのだが、家がまばらに何件かあるだけなので、休まずにそのまま通り過ぎる。道路には自分の他には全く車が走っていない。この道路にはたまにカーブがあるのだが、そこを曲がるとまっすぐに一直線にどこまでも道路が続いている。そこを時速130kmで走り抜けていく。もう夕方の6時を過ぎているので何となく急いでしまうのだ。


・そしてRXXXの近くまで来るとICのそばに、Paso Roblesという町が見えた。今夜はそこに泊まることにする。

・夕食はまだ7時だというのに明るいので、ブラブラと散歩しながら町の中心地に向かう。中心地と言っても、店が4軒ばかりあるだけだが、その中からピザ・ハウスに入ってディナーを食べた。もちろん歩いてきたので、ハイネッケン・ビールを二杯飲む。広い店は何処から客が来るのか、殆どいっぱいだった。のどかな雰囲気などではなくて、周囲の壁に据え付けられたテレビが、フットボールの試合をやっており、煩いノイズを出していた。ビデオかも知れない。

9月19日(日) ウェスト・コーストのドライブ




・今日はいよいよ海沿いのコース、ビッグ・サーに向けて出発だ。もう何回も通ったモンタレーへの道を行く。ロング・ドライブの前に、モンタレーのフィッシャーマンズ・ワーフをしばらく見物散歩することにした。日本の海では当たり前だが、アメリカでは珍しい磯の香がする。公園の駐車場は$1.5/hだったが、ゲートも何も無いようだった。しかし、皆、チャント機械に金を入れていく。自分も当然そうする。



・磯の香の正体はワカメのような植物らしい。桟橋から見ると全ての橋柱に、巨大なワカメのような物が絡みついてゆらゆらと泳いでいた。直ぐ近くの公園では、ジャズ・フェスティバルの中の一つのイベントらしきものをやっているようだったが、全く盛り上がっていなかった。



・車に戻って再び、3日前に来たことがあるモンタレー海岸に行く。今日は日曜日なので、先回より車が多い。しかし、駐車スペースがたくさん有るので、好きな所に車を停めることが出来る。海岸線に沿って植物が植えられていて、ずっとずっと公園のように続いている。しかも手入れが行き届いていて、ゴミやその他、景色に目障りになるようなものが何も見当たらない。その間に遊歩道のような道が続いている。海からの風が強いので寒く、散歩している人はあまり見かけないが、ランニングしている人やサイクリングしている人も多い。



・ランニングをしている人は、少なくともロスアンジェルスでは殆どいなかったが、ここでは腹の出たおっさんが走っている。確かに自然に健康を考えたくなる景色だ。このような景色がずっと続いている。17マイル道路という有料の観光コースだ。確か$12位だったと思う。




17マイル道路を抜けてからもドンドン南下するが、この道路は確かサンチャゴまで続いている有名なパシフィックコースである。海岸線に沿ってアップダウンを繰り返しながら、少しずつ坂を登っていく。道路はガラガラであるが途中にあるビスタ・ポイントには、必ず数台の車が止まっている。反対の山の方もきれいなのだが、皆、同じように立ったまま海の方を見ている。何を考えているのか分からないが、ここでは全員が禅僧の様に見える。メガネを掛けてカメラをぶら下げているのが多いが、ここでも中国人や日本人は全く見かけない。ただし、多分レンタカーだろう日本車はやたらと多い。ホンダ、トヨタ、レクサス、ニッサン、スバルが多い。自分の様に韓国製の小型車も結構走っている。








・自分のような一人旅では話し相手がいないこともあり、ただひたすらに走るだけである。適当なカーブが続くので、運転がとても楽しい。やることと云えば、所所にあるポイントで立ち止まって、看板に書かれたガイドを読むくらいである。後はトイレを探すために、売店のような店があると必ず立ち寄る。男の一人旅なら、いざという時には何とかなるが、トイレが近い人には注意が必要だ。









・素晴らしい海岸線のドライブ、それも全く渋滞はなく自分の意のままに運転できる。晴れ渡った空の下、開け放した窓から乾燥した空気が入って来てとても良い気分だ。それにしても気が付いてみるとオートバイの姿が見当たらない。自転車で旅行している人は良く見かけるのに。自転車は多いね、日本より多く見掛ける。多くのアメリカ人は、腹が出ておりあまり歩きたがらない。しかし、スポーツをする一部の連中は本当に凄い。自転車でこの距離を延々と、自分だけの力で移動するなんて、その強靭な体力と精神力に圧倒される。



・ビッグ・サーは成程、景色が素晴らしかったが、もう、何時間も同じ様な処を走り続けているので慣れっこになってしまった。でもやはり有名な大きな橋の処で、居合わせたお兄さんに写真を取って貰う。



・もっと凄い人を見かけた。小さなリアカーに犬を載せて、歩いているのである。それも車に引っ掛けられないように、道路の方に長―い旗をつけてゆっくりと歩いている。一体、何処から何処へ行くのか、何故、そうするのか聞いてみたい気がする。



・この日は夕方にS.シメオンに着く。あまり快適に走っていると直ぐにロスアンジェルスまで行ってしまいそうなので、どこか適当な所を見つけてハイキングでもしようと思うが、歩くにしても今走っている道路以外はないので、明日もっと良く地図を見て計画を考えようと思う。


・途中、ゴーダという所を通りかかる。地図で見ると小さな村の様な印が付いているが、道路脇に家が数軒有るだけだ。山側にとても美しい景色が眺められるレストラン・カフェがあり、その横にガソリン・スタンドが有った。休んでいこうか、ガソリンを入れて行こうか考えているうちに、何となく通りすぎてしまった。しかし、ガソリン・メーターは既に残りが1/3の所を指していた。しかし、あまり気にしないで次のガス・ステーションで入れれば良いと考えてそのまま進んでしまった。

・結局、何処まで行ってもガス・ステーションは無かったが、S.シメオンという町に来た時には既に夕方になっていたので、そこに有ったモーテル(スーパー6)に泊まることにした。スーパー6は、全国に展開されたフランチャイズ型式のモーテルで、簡素であるが部屋が広く自分に必要な物は全て揃っている利用しやすいモーテルである。レストランもモーテルの中に併設されていた。中々雰囲気の良い所だった。

9月18日(土)サンフランシスコの街の風景

・今日も朝早く起きだして、サンフランシスコの町を散歩する。ロンバード通りを東に歩いてロシアン・ヒルから海に向かって坂を駆け下りる。途中にバラがとても綺麗な庭が有って、しかも公開されている所があった。そこでひと休みしながら、しばらく読書をした。


・フィッシャーマンズ・ワーフまで足を延ばしてから、公園を突っ切り、そして再び坂を登る。この周辺はンフランシスコを代表する観光地の一つだが、時間が早いせいか人が少ない。本当に寂しくなるほど人が少なかった。


・帰り道には例のイタリア人が経営するストアで軽い朝食をとった。今日は何時ものロースとしたバター付きパンとコーヒーと、他にミルク、小さなピザ、トマト、リンゴ、バナナをそれぞれ一個ずつ店で買って、外のテーブル席で食べた。今日も美味かった。


・午前中の遅い時間になってから、再びサリナスに向けて出発した。サンフランシスコからサリナスに向かうのは二度目なので、今回はずっと高速道を走ることを選んだ。それにしてもアメリカの大地を移動している時はいつも思うのだが、町と町の間にはそれこそ何も無いスペースが延々と続く。日本の童謡に「今は山中、今は浜、今は鉄橋・・・」という歌があるが、日本ではそれ程めまぐるしく車窓の風景が変化するしかしここでは、同じような風景が延々と続くのである。荒野なら荒野ばかり、ぶどう畑ならぶどう畑ばかり。自分は時速130kmで移動しているのに、ずっと風景が代わり映えしない。この広さがもたらす麻酔効果が、とても心地よい時間に感じられる。


・一昨日に過ごしたばかりの町に再びやってきた。まずは先回泊まったところより、もっと安いところを探そうと思った。何しろ金を節約する所が泊まるところだけだし、一人旅では大きな部屋、テーブルや椅子の品質が多少高くてもあまり安らぎへの効果が感じられないからだ。とりあえず、先回とは違って今度は市内で幾つかのモーテルに当たってみた。最初に声をかけたところは、郊外価格が$75で部屋が古くて今一つ暗い感じだった。駐車場に、他の車が見当たらなかった。フロントのおばさんもインド系で言葉が分かり難い。


・更に旧市街の方に行ってみると、商店街や気の利いたレストランが幾つかあった。その近くで、まず建物が綺麗で大きなモーテルを覗いてみると、何と価格が$50だという。部屋を見せてもらったが、さっきの所より数段綺麗だった。これなら朝食も部屋で食べても良さそうだったので、直ぐに決めてしまった。チョット探しただけでも、誰にでも分る程の違いがあるのはどういう訳だろうか。これでは儲からないダメな所は、ますますダメになっていく事が容易に理解できる。少なくとも金のない旅行者は、必ず自分の目で確認して、少しでも良いところを探すべきだと思った。


・ディナーは町の旧市街へ行ってみた。はじめは酒が飲める様に歩いて行こうと思っていたが、夜は危険な感じもしたのでやはり車で行くことにした。広い道の両側に商店やレストランが並び、その前の道路が駐車スペースになっている。その一角に車を止めてしばらく歩いてみた。とても明るい良さそうなイタリア・レストランが有ったので中に入る。田舎町のレストランのせいかイタリア・レストランというのに、中は昔懐かしいアーリー・アメリカン調の飾り付けで、プレスリーの写真が何枚か壁にかかっていた。


・迷わずビールとオードブルを頼む。ウェイターが気を効かせて色々と話しかけてくる。こんな時にこちらから目線を合わせて、「私は日本人でアメリカを知るために車で旅行している」と話仕掛けると、大抵の人は次々と質問をしたり、また、向こうからも色々と話しかけて来る。アメリカ人は、能動的に何かをしようとしている人間に対して好感を持つ国民なのではないかと思ってしまう。兎に角、何かをやろうとしていると言えば、必ず沢山のコメントが返って来るのである。


9時になって片付けを始めたので、帰ろうとしてテーブルの上に車のキーを出した。それを見て、アメリカは酒酔い運転はやめた方が良いとまた話しかけてきた。確かに何をやっても自由な国だが、一旦捕まると大変な事になる。自分は学生ビザできているので、二度とアメリカに来ることができなくなってしまう。しかし、モーテルは車で3分の所にあり、ポリスカーも夜は街中では見かけたことがないので、自分ははじめから車で帰るつもりだった。


・所が3分で着く筈だったのだが、頭に描いていた道順が一方通行で通れない事から、別の角を曲がっている内に道に迷ってしまった。夜だし、地図を持っていないし、道を聞く人も見当たらないし、同じ所を回っていると不審がられるだろうし困ってしまった。今、自分がどこに居るのか、方角はどっちが北なのか、町の様子はどんな風になっているのか、考えてみたら何も分からなかった。しばらくして、知っている道に出たので助かった。

9月17日(金)サンフランシスコでジャズ・クラブ巡り

・朝起きて、今日やることをメモに書き出す。真っ先にやるやるべきことは、ホームステイ・ブロバイダーに連絡して催促することである。しかし、先方からの連絡も来ないので、UCLAに連絡して、そこからも催促してもらうように頼んだ。この、二三日中に連絡が取れない場合は、新しい不動産屋に依頼した方が良さそうだったが、その場合には、現在、依頼しているところから手数料$250を返してもらうという手続きが待っている。


10時頃にサンフランシスコに向けて出発した。高速道ばかりでは移動だけになってしまうので、サンタクルズを回ってパルアルト辺りまで、地図を見ながらゆっくりと一般道路で行くことにした。しかし、それでも街中でないところは、大体、時速90kmで走ることができた。


・サンタクルズ市街地は、建物や道路がとても綺麗に手入れされた静かな郊外都市だった。道路脇にある、銀行やファミリィ・レストランの作りが綺麗で、横の広い駐車場にも大きな木が沢山植えられている。そのような日陰を選んで車を止めて、直ぐ隣のガソリン・スタンドで用を足してから、そこで買ったスナックとジュースを飲み休憩する。たまたま、隣に真っ赤なスポーツカーが止まったので、運転していた女性に道を確認しようとして話しかけた。所が彼女の横に男性がいて、二人で丁寧に教えてくれたのだが、彼らもドイツから来た旅行者だと言っていた。しかし、ドイツから来た人だけではなく、一般に町で話しかけると皆、本当に時間を掛けて丁寧に教えてくれる。それだけではなく、日本から来たと一言言っただけで、しばらくたわいもない話が続く。考えて見れば、こんな会話は日本では経験がなかった。




・パルアルトはXEROXの研究所のある所で、昔、出張で来たことのある懐かしい場所だったこともあり、周囲を少しうろついてみようと思った。場所が全く分からなかったので、カフェで遅い昼食をとった時に尋ねたら、台湾人の店長が色々と雑談を含めて相談に乗ってくれた。オフィスの中に一緒に入って、PCのグーグル・マップで調べ、プリントアウトまでしてくれたので大助かりだった。処でここのトイレは、使用する時はカウンターで一言ことわってから鍵を借りて使用するシステムになっていた。


・サンフランシスコの町で気がつくことは、歩きながら携帯で話をしている人が多い。それも話が長く、延々と続く。一人で歩いている人の20%は、電話で話をしているようだ。アメリカ人は話好きが多く、皆、疲れを知らずに早口で喋りまくっている印象だ。メールを見ている人も多いが日本ほどではない。ただしこちらは、ブラックベリーや最近急に増えてきたらしいアイフォンが目に付く。日本とは少しだけだが、システムが違うようだ。ただし、日本のように高校生が多く使用しているかどうかは分からなかったが。


・サンフランシスコに着いて、ユニオン広場の近くのパブリック駐車場に車を止めた。道を歩いていたら、簡単な明るいカフェのような所で、日本の寿司を安く食わせる店があった。夕食の前に少し食べようと思い中に入る。店のオーナーも使用人も韓国人の様だった。日本のスーパーで売っているような簡単な寿司の他に、焼きそばやら色々なものがメニューに乗っている。客は少なかったが、東洋系は見当たらず白人系ばかりであった。しかし、彼らにはこの味は口に合わないらしく、自分の横にいた二人の男性も「幕の内弁当」を箸で食べていたが、半分位残して出て行った。やはり彼らには、味が濃くてしつこい食べ物でないと、満足できないようだった。近くには、ハンバーガーを食べさせるカフェがやたらと沢山目に付くが、みなそれぞれ満員に近い客が入っている。


・人の味覚には、味や食感や香りや色形といろいろあるが、その味覚を極限まで単純化して分けていくと、どれもこれも「辛くて、甘くて、シツコイもの」だけが生き残ってしまうのだろうと思う。アメリカ人は、その様に単純化された分り易い味でないと、我慢できなくなってしまったのだろうと思う。彼らに薄味の野菜の煮物を食べさせても、旨さが分かる筈がないと思う。寿司の人気は、単なるダイエット食から来ているのであって、多くの人に人気があるようには思えない。




・さて、モーテルを探していて、今日は週末であるということに気がついた。何処へ行っても満員で、しかも値段を聞くと馬鹿高い。あちこち探したが見つからず、結局、ロンバート通りに面した小汚い所が一室見つかった。しかもメキシコ人のような年取った男性が、カードでなくて現金で払えという。一泊、$110だった。しかも、部屋に入ってビックリした。今まで止まった中では最低で汚かった。田舎町なら$30でも高いと思えるような所だった。壁紙が剥がれており、それをガムテープで止めていたし、洗面所では水を使うとぽたぽたと絨毯に垂れるので、そこへ近づいただけで靴下の裏が濡れる。ベッドも綺麗とは言い難かったので、ダニがいたらどうしようかという不安が頭をかすめた程だった。




・夜、再びヨシズにナベサダを聴きに行く。バスでフィルモア・イーストのジャズ・クラブの近くで降りて、歩きながら探したタイ料理レストランで食事を取った。さていよいよジャズ・クラブ、ヨシ’ズへ! 普通アメリカでジャズ・クラブというと、主にアルコールを中心にしたバー・タイプと、食事を食べながら演奏を楽しむタイプに二分される。ヨシ’ズは大きなジャズ・クラブで、ミニ・コンサート・ホールにテーブル席を並べた演奏スペースからなる部屋と、主に食事を楽しみながら演奏を聞くスペースと、酒を飲みながら演奏を楽しむバー・スペースの三か所に部屋が別れている。どこの部屋でも同じ料理や飲物を注文できるのだが。 前回来た時はバーだったが、今回はチャージ$30を払って、分厚いドアでキッチリと分けられた、演奏中心としたスペースの会場(部屋)に入る。正面に少し高くなった舞台があり、その手前側が客席というか丸テーブルが沢山並んでいる。どのテーブルにも椅子が二つ付いているが、互いのテーブルは驚く程狭い。東京は表参道にあるブルーノート東京と似た感じの作りと雰囲気である。


・客の殆どは白人で黒人も1/5位、日本人もちらほらいた。演奏はクァルテットで日本人演奏家はナベサダだけだった。演奏は大好評で、自分はナベサダとは何の関係もないのに、同じ日本人としてとても気分が良かった。自分の隣にとても目立つ、センス良く着飾った美人の黒人女性がいたが、どの曲でも手を振り回して踊るような格好でのりにノッテいた。ナベサダも彼女のリアクションには大満足の様子で、彼女と時々何か反応しながら演奏していた。


・ナベサダが曲目やメンバーの紹介、そしてその合間にチョットしたジョークを挟むのだが、とても自然な英語を話すので感心してしまった。そう言えば彼はニューヨークの音楽大学を出ていたのだった。異国の町で、日本人同士が久し振りに出会って日本語を話すことを頭に描いていたが、現実は全くそんな感じとは程遠かった。自分が心配することはないよね。


・十分に満足して外に出ると、時計は既に12時を回っていた。近くの他のジャズ・クラブの看板が掛かった店からは、ジャズではなくロック。ミュージックがガンガン響いてくる。ここサンフランシスコでも平日と週末の夜と言う違いは大きいが、アメリカの普通の街では夜も10時を過ぎると、一部の店を除き店が閉まってしまい辺りが暗くなってしまう。しかし、ここでは大勢の大学生のようなグループが、酒によって奇声をあげながら騒ぎ踊りながら歩いていた。そう言えばアメリカに来てから、外で酔っぱらいを見るのは今回が初めてだ。しかも、男女のカップルか男性の二人組が多いアメリカで、不思議なことにここでは、7-8人の若い男女のグループがあちこちで騒いでいる。最近は日本でも、酔っぱらいを見掛けることは大分少なくなったが、この通りは自分の記憶にわずかに残っている、日本の新宿の夜のような雰囲気だった。自分もその昔、経験したことがある懐かしい光景が、アメリカで見られるとは意外だった。もちろんバスなどはなかったが、タクシーが沢山走り回っていた。

9月16日(木)カーメル・バレーを行く



・今日は朝からカーメル・バレーに行く。今日の目的の一つは更に奥に入り込んで、噂に聞いたTassaja Springという温泉宿を目指すのだ。何でも自然な露天風呂と素朴な木の湯船が幾つかあるらしい。男女が一緒になって、しかも全員が日本のように裸で入るらしい。本当にそんな所があるのだろうか。


・カーメル・バレーへの道のりは、正に私が頭に思い描いていたカリフォルニアがあった。低いがどこまでも続くなだらかな丘。山にはあまり高い木々が見当たらないが、所々、白っぽい葉のオリーブのような木が密集している。木の植えてない部分は枯れた草山であるが、所々は禿げている。森の横にはここにも枯れ草の草原があって、牛が寝転んでいたりする。


・麓を走っている道路の両側には大木が茂っていて木陰を作っており、カリフォルニアの強い日差しを遮っているので、窓を開け放って走るのがとても心地良い。これが所謂、ビスタというものか。しかも山道に入ると、なだらかなカーブの連続なので、久しぶりに運転が楽しい。この辺りまで来ても、まだ家々が多く建っている。どの家もキチンと手入れされているし、家の周りにゴミもなく、また見苦しい生活道具が立てかけられていることもない。看板も見当たらない。電柱はあったが。



・そうこうしている内に、気が付いてみると道幅が狭くなってきた。カリフォルニアのど田舎の奥地に来たという感じがしてきた。行き交う車は全くない。その内に更に舗装道路が切れてしまった。自分の後ろにはもうもうとした砂ホコリが立っており、全く後ろが見えない。しばらく行くと、丁度良い木陰が有ったので、車を止めてランチにした。


・地元の車らしい小型トラックがすれ違いに通って行った。ここは田舎らしく互いに挨拶を交わす。やっぱり田舎の人達は観光客とは違うよなと思っていたら、さっきの車が戻ってきた。どうやら、見慣れないのが居るということで、不審に思ったのだろうと予測する。しかし、自分の側に寄ってくるのではなく、50m位離れた所にトラックを止めたと思ったら、しばらくして降りてきて更に犬を下ろして一緒に遊び始めた。どうやら、本当に不審者を監視しているような感じがした。



・随分とダートコースを走ってきたので、本当に道が正しいのだろうかと少し不安になっていた所だったので、彼と犬の方に向かって歩いて行った。今日はあまり人と話をしていなかったので、随分といろいろな話をした。分かったことは、つい4日前にこの先の温泉宿はクローズされたということであった。しかも、ここから更に20mlも先に有るらしい。


・どうしたものかと考え込んでいると、前から工事用の小型トラックがやってきた。様子を聞くと、彼は行ったことがないらしかったが、今からでは夜になってしまうので止めた方が良いという。ここまで来たのだし、中に入れなくても良いからと行くことにした。


・更にダートを行く。自分の後ろは砂ホコリ。車が真っ白になってしまった。このまま町を走るのは余りにも恥ずかしい。カリフォルニアの土地が実は雨の降らない砂漠地帯だと云うことが実感できる。道幅は十分に有るのだが、凹凸が激しくて上下にバウンドするだけではなく、時々、車体やバンパーをこする音が聞こえる。カーブの所で少しハンドルをきつく切ると、簡単にドリフトする。道の片側は谷になっているので、夜暗くなってから脱輪したり、谷に落ちたりしたら誰も助けてくれないだろうと思った。携帯電話のアンテナも出ていないし。レンタカーはダート走行では、保険が効かないと言われていたことを思い出した。こんな調子で往復4時間も走ることを思うとうんざりとしてくる。一体、自分は何をしに来たのかと考えてしまう。


・結局、戻ることにした。R16に戻ると、また先程の心地良いワインディング・ロードだった。はじめはゆっくりと走ろうと心に近い50kmで行くが、すぐにスピードが90km位に上がってしまう。道がカーブの所でバンクになっているせいだ。前を行く車が2台も、道路脇に車を寄せて自分に先に行けと道を譲ってくれた。そんなに自分の走り方が、せかせかとしているのだろうか。しばらくしてから、反省して少し休憩することにした。巨大なオリーブの木が2本植えてある民家の門の日陰のところで、車を止めてトマトをかじった。


・途中で腹が減ってきたので、並行して走っている筈のR101の方角に向かった。時計は午後430分で中途半端だったが、高速道のICの近くには高速道の外ではあるが所によっては大きなサービス・エリアがある。ここも他と変わらず、色々な店が沢山並んでいる。タコベル、マック、スターバックス、等、アメリのどこにでもあるブランドばかり。何処にも入りたいと思わなかったが、トイレもあるしバーガー・キングに入った。


・多くの客がいた。皆、大きなカップでコーラを飲み、一生懸命に考えて決めた筈の、しかし似た様なものを頬張っている。どの人も、男も女もデカイ体をしている。アメリカって、食生活に関しては少しさみしい感じがする。自分もバーガーとコーヒーを買った。



・年寄り夫婦とそのどちらかの母親である更にお年寄りの3人組が入ってきた。アメリカでは珍しい光景だ。お婆ちゃんがクーポン券と2ドル紙幣を握っていた。夫婦は決して貧しそうには見えなかったが、3人で楽しそうにバーガーをカジッている。とても羨ましい。


・子供2人を連れた若い女性が入ってきた。見ると車の中にことらもお婆ちゃんが座って待っている。ここは地元の人達の楽しみの場でもあるらしい。


・考えた末、モンタレー・ジャズ・フェスティバルには行かないことにした。そのかわり明日、再びサンフランシスコに戻って、幾つかのジャズ・クラブを梯子しようと思う。さて、サリナスでの今夜のディナーは何にするべきか。


P.S.:大分、車の運転には慣れた筈だったが、サリナスの町の中で左折する時に、対向車から激しくホーンを鳴らされ、守るべきルールを教えられた。交差点で左折する場合は、曲がった時に一番中央寄りの車線に入らなければならないということだ。アメリカの街中の道路は、どこでも3車線位あるので、考えて見れば当然なのだが、外側の車線はトラフィック・フリーで右折してくる車が優先の車線だからだ。





2011年7月6日水曜日

9月15日(水)9月15日(水)モンタレーのジャズ・フェスティバルを目指す



・今日は日本でも有名になった、モンタレー・ジャズ・フェスティバルに行こうと思う。ガイド・ブックによると、モンタレーは小さな町でこの時期には観光客で溢れてしまうと書いてあった。インターネットで見たブログによると、毎年この時期に行われるこの祭りは盛大なもので、ジャズ・フェスティバル会場の近くに駐車場を確保するのも難しいと書いてあった。なかなか宿が取れないとのことなので、直ぐ隣にある大きな町、サリナスに向かった。サリナスに2泊してモンタレーまで通う予定を立てた


・高速道101線に乗ってまずはサンホセを目指す。SFを離れると直ぐに湾沿いに景色の綺麗な所を突っ走る。相変わらず道路は車で一杯だが、しかし十分な速度で流れている。この辺りは都市の中だというのに、色々な車が走っている。意外とピックアップが多い。トヨタやホンダのマークをつけた車が目に付く。トヨタはレクサスが多い。日産は少なくむしろスバル(レガシー)を良く見かける。そして、日本の都市部と同様にBMWやベンツが沢山走っている。そしてどの車も大抵は一人しか乗っておらず、そして皆決まってサングラスをしている。


・大体は綺麗な車が多いが、アメリカに来る前から勝手にイメージしていた古くて綺麗とは言えない車も沢山見かける。殆どの車は窓を閉めきってエアコンを効かせているようだが、中には窓を一杯に開け、カーステレオをドシンドシン言わせながら走っている車もいる。そのようなウルサイ車や綺麗とは言えない車を運転している人を見ると、大抵、多くは黒人である。かかっているのはラップがたいていラップ音楽である。


・サンホセを過ぎてしばらく行ったところで休憩したくなったので、途中で高速道を降りて適当なカフェを探した。チョット小振りなマーケットがあったので駐車場に車を停める。店ばかりではなく、個人のオフィスのような建物が並んでいるが、寿司屋のような店もあった。角にある小さなカフェに入って、昼食をとりながら今夜の宿泊先を探す。(アメリカのカフェは何処でもインターネットが無料でつながるのでとても便利だと思う。日本のように、予めプロバイダと契約することもなく、その場でつなげることができる。)いずれもR101ICの近くにあるという、エコノロッジがハワード・ジョンソン・インかローレル・イン当たりが安くて良さそうである。前もって電話する方法もあるが、やはり予約は現物を確認してからにしたい。サリナスは大きな街なので、沢山あるモーテルが全て一杯になることは考えられなかった。


・高速道路のICからは近いが、サリナスの街の中心地からは離れた所に幾つか大きなモーテルがあった。部屋と値段を確認しようと思って、それらのうちの一つに入ってみた。聞くと、税込で$80位、部屋もとても広くて綺麗だったので、あちこち探すことはやめてその場で2泊を予約した。このモーテルは(どこでもそうだが)二階建ての建家がコの字型に並んでいて、その周りに駐車場があって中央にプールがある。建物もチョットスペイン封でオレンジ色の屋根が綺麗である。敷地の中には大きなレストランもある。


・少し時間が早いせいか駐車場には車が少なかった。多くの部屋が空いているように見えた。チェック・インの時間にはまだ早かったが、当然のように部屋に入ることができた。そこで部屋に荷物を置いて、冷蔵庫に買ってきたビールを入れて、早速、下見を兼ねてモンタレーに向けて出かけることにした。


・モンタレーまでは、良く手入れされた高速道で、時速130kmで飛ばすと20分もしない内に着いてしまった。町のメイン・ストリートへ行くと、リゾート地のようなこぢんまりとまとまった綺麗な町である。しかし、何と急に霧が出てきたのである。所でアメリカでは州法や市の条例が色々有って、車を運転する人は注意が必要である。例えば、高速道ではライトをつけなければならないし、普通の道路を走っていても霧や雨等でワイパーを動かす時は必ずライトも付ける事になっている等である。今、走っている町の道路もそんな決まりが有るらしく、地元のドライバーがお節介にも窓を開けて手で対向車に対して、ライトをつけろと知らせてくれる。クラクションを鳴らす車もある。日本では考えられないことだが、それも殆どの車がそうするのである。自分は直ぐにライトをつけたが、後ろの車が頑張ってつけないので、もう何十台ものドライバーが自分に合図をしているようだ。気になって仕方がなかった。


・ただし、ショッピングセンターの駐車場であるドライバーに道を聞いたら、店の中まで聞きに行ってくれた。ついでにジャズ・フェスティバルの会場を聞いたら、そんなモノは聞いたことがないという。店の店員が出てきて、フェスティバルはもう終わった筈だと自信を持って言った。




・しかし、少し走っているとフェスティバル会場の案内が見つかった。チョット名前の売れたミュージシャンの演奏は、モンタレー・ベイ水族館の近くにある講堂の様な建物の中で、コンサートのようにしてやるらしい。$50だった。そして、広大な公園の一角に出来ている無料の会場は、入場料だけでOKらしい。何か看板が見える。「JAZZ FESTE 2000Fairground Rd, Garden Stage, The West Lawn Stage, The Courtyard Stage, Café・・・」

ParkingMonterey Peninsula College (P.M.5:00-)$10 シャトルバス利用の事


・しかし、青空の下で、あまりにも広すぎる所で聞くジャズ演奏というのも何となく気が乗らない。このフェスティバルに期待して、ここまで来たと言うのに、実物を見てみると自分の期待していたものとはかけ離れた別世界のものに思える。


・一人きりのせいか、昼間からジャズを陽気に楽しむ感じもしない。このまま有名な観光スポットである17マイル・ドライブやペブル・ビーチに行って見たいとおもった。こちらへは、夜、再び来ても良いし。


・モンタレー・ベイは多くのアメリカ人がとても美しいと絶賛する所である。自分も直接そう聞いたことがあったし、ガイド・ブックにもそう書いてある。ガイド・ブックには、車を止めて走りだすと、直ぐにまた次に車を止めて写真を撮りたくなるスポットがあるので、通り抜けるだけでも時間がかかってしまうと書いてあった。実際に訪れて見ると、アメリカ人の美意識や憧れがどのような基準なのかが良く分かる。



・海に出ると、雄大で美しい景色が広がる。北海道の景色が少し近いが、こちらの方が雄大だ。そして、一番の違いは日本のように町が自然で素朴な感じではなく、もっとずっと高級な感じがすることである。雄大さの意味は、良く手入れされた公園や綺麗な家並みと庭が、海岸線に沿ってどこまでも果てしなく、途切れることもなく延々と続いていることだ。周囲の建物も庭も綺麗に手入れされており、電線も広告の看板もなく、もちろんゴミも落ちていない。磯の匂いもせず、太陽が照りつけているが、気温は高くなく風がとても爽やかだ。いや、のんびりするには風が少し冷たすぎる。歩いている人達の多くは観光客だと思うが、彼らの服装も綺麗である。何か美しくて綺麗すぎてしまう。見ていると一人きりの自分が寂しくて、段々感情が高ぶってしまい、思わず涙が出てくる。本当に何か寂しい。


・海辺には綺麗な家が並んでいる。その内の幾つかは、とても高級そうなモーテルのようだ。B&Bかも知れない。どの家も海が見える位置にリビングが有って、いながらにして海が眺められる様になっている。外から覗くと、家の中では父さんらしき人が海も見ないで新聞を呼んでいるのが見えた。


・自分もたまにはこのような場所で、毎日「ぼーっと」して過ごすのも良いかも知れない。しかし、いつまでも「ぼーっと」している訳にもいかないし、


・周りには人が群れている程ではないが、それでも多くの観光客が車を止めてぶらついている。しかし、気がついたのだが、しかも当たり前だが、訪れる人に一人で来ている者はいないようだ。若いカップルか、年寄りのカップルか、または男同士のカップルばかりである。年寄りのカップルは、ここまでやってきても車から降りようとせず、車の中から海を見つめている。中には椅子を倒して寝ているのもいる。


・駐車している車を見ると、地元の車はいないようだった。ナンバープレートには、色々な週の名前が書いてある。「NEVADA」「IDAHO」「ARIZONA」・・・


・夜はモーテルに戻って地図をもらい、サリナスの街に食事にでかけた。だ広い町で、大きなショッピング・マーケット街が四か所も見つかった。その内の一つの大きな駐車場に車を止めて店を探した。店は沢山あったが、デニーズやスターバックスやマック等、何処で食べても同じものしか出てこないチェーン店には、他の店より沢山の客で溢れていた。アメリカ人は、喜んで行くようだが私はどうしてもそのような店には足が向かない。入る前から既に味が分かっているからである。ちゃんとしたレストランもあるが、夜の7時だというのに客の姿が殆ど見えない。


・この町は田舎の町なので、日本人や日本食の店は見当たらなかった。しかし、しばらく行くと中華料理屋や韓国料理の店は見つかった。迷わずに中華料理店に入る。中華料理ならば、野菜が沢山食べられる様な気がしたからである。車なので残念ながらビールが飲めないが。そこで、「スチーム・ベジタブル・ウィズ・チキン」(五目野菜炒め)を頼んだ。$12だった。($10.3TIP$1.7) 味はまあまあだったが、とても量が多く一目見て、全部は食べられないと確信した。頼んだご飯は、パラパラでこれも全部はとても食べることが出来ない。捨てられてしまう事を考えると、何か申し訳ないきがするが体が量を受け付けない。一言謝ってしまったが、ため息が出た。結局、客は他に誰も来なかった。中国人のような店番が、二度ばかり例によって形だけの挨拶に来たが、愛想がないのであまり話をしなかった。日本人と言うよりも自分が、精神力と体力が十分ではないことを実感した。

9月14日(火)サンフランシスコと云う街

・朝起きて散歩した。サンフランシスコの朝は、シャツだけでは寒いほどであった。あわててジャケットを取りに戻ってから街歩きをした。一番の収穫は、イタリア人の年寄りが経営する小さな萬屋のような店だった。一見すると中が薄暗くてチョット入りにくい雰囲気だったが、朝からやっていて入り口の横には小さなテーブルと椅子が二つ並んでいた。奥の方はボトルに入った飲み物や、どこにでもあるスナック売り場だったが、入り口の近くには何種類ものパンや、その他に色々なウマそうなイタリアの食材がケースに入って並んでいる。どうやら量り売りのようだった。一瞬、売れ残りの古いものではと思ったが食べてみることにした。まずパンをローストしてバターを塗ってもらう。店番は子供だったが、ハムとソーセージ、ピクルスとチーズが入ったオリーブ漬けを、ほんの少しだけ入れてもらう。イタリアン・コーヒーは自分でカップに注ぐ。全部で$6位だった。外のテーブルで食べたところ、正直、病みつきになるとおもうほど美味かった。隣のテーブルでは、常連らしいおっさんが新聞を読みながら店主と話をしている。パンが香ばしくコリコリとして、パン自体が美味しいと思ったのはアメリカに来て初めてだった。サンフランシスコにいた3日間、朝食は必ずここで食べた位だった。帰り道は既に日が登って暑いくらいだった。


・アメリカ人はよくもまあ、皆、毎日、同じようなものばかり食べて、同じようなスタイルの生活を送っているように見える。それでいて良く飽きないものと思う。売り物は、時間を掛けて進化を続けた結果だと思うが、それぞれが一つの究極の理想に到達してしまったかのようだ。従って、店が違ってもどこでも同じものを売っている。そしてそれを皆が買っていくのである。それ以外の物では、満足できなかいの様である。どこのスーパーストアを覗いても、同じようなものを売っている。何処の雑貨屋さんを覗いても、同じような趣味の悪い原色の造花を売っている。少なくとも食事に関しては、日本人には楽しみが少ないような気がするが、家庭の中では違ったものを食べているのだろうか。


・今日、はじめてコイン・ランドリーを利用した。本当にいろいろな人が利用しているので驚いてしまう。洗剤$1、柔軟剤$1、洗い$2、乾燥40$2で、大量に洗っても全部で$6位だった。24枚と大量のコインが必要だが、入り口に側に両替機がある。客の中には、洗剤を自前で持ってくる人が多いので、旅行者らしくないのだが何者かは不明である。皆、当たり前だが車に乗ってやってくる。しかし、着るものを入れてセットすると、さっさと行ってしまう。店の前には、10分位しか駐車出来ないようだった。

9月13日(月)サンフランシスコのロンバード通り

・朝、少し寝坊してゆっくりと朝食をとってから、10時頃になってモーテルを出た。少し走ると、直ぐに高架の高速道が三方に見えるところに来たが、どちらに行けば良いか訳がわからない。頭の中に大体の地図が描けているので、とにかく高速道に乗ってしまえば後は何とかなると考えて、SF方面の標識を目指す。そうやって、一度はのったのだが、目の前にサクラメント方面という標識が見えたので、どうやら方向が逆なことが分かった。直ぐに次のICで降りて、反対側に回って乗り直す。アメリカの高速道はフリーなので、何度でも気軽にやり直しが効く。直ぐ目の前にサンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジが広がる。ただし、8車線位ある道路が全て車で埋まっておりしかも渋滞している。この時間では下り方向は流れているが、SF市内に向かう道は大渋滞であった。

・しばらくの間のろのろと走っていると、大きな吊り橋の手前のところに料金所のゲートが見えてきた。この辺りで急にトイレに行きたくなってしまったが、どうにもならない。$3の通行料を支払って、のろのろと橋を渡った。直ぐに出口が有ったので、降りて市内を少し走りながら、パーキング・メーターのあるスペースを探す。たまたま、ヒルトン・ホテルの近くに、空いているパーキング・メーターがあったので車を停める。


・見ると$1.5/30min onlyと書いてある。時間が中途半端だがとても安いと思ったのだが、生憎とクォーター・コインが無い。自分のクレジットカードは読み取ってくれない。トイレに行きたくてしょうがなかったので、そのままコインも入れずに、すぐ側にあった大きなホテルに飛び込む。係の人に聞いたら、その人がトイレまで案内してくれて入口の鍵を開けてくれた。ここでは外部の人は勝手にトイレを使うことは出来なかったのだ。


・そんなこんなで、身も心もすっきりした所で慌てて車に戻った。すると、車に何やら封筒が挟んである。中を見ると駐車違反の切符だった。罰金が$50とある。しかも、中を読むと、あなたは文句をつけることが出来ないと書いてあった。10分間止めただけなのに、$50は高いと思ったが、ここでブラックリストに載ってしまうと学生ビザが取り消されてしまうので即刻支払いをしなくてはならない。駐車違反だけは日本の感覚でやらないことと、肝に命じた。


・はじめにモーテルを確保しようと、ジャズ・クラブが沢山あると言われている、ロンバード通りに行く。この道路はSFの街を東西に走っているメイン有名な道路らしいが、市内の中心を少し離れると沢山のモーテルが並んでいる。有名なゴールデン・ブリッジに近い公園とロシアン・ヒルを結んでいる通りである。公園の近い方にアメリカ???、エコノロッジ、スーパー8等があったので、それぞれ空きがあるかどうか、部屋の内容は、価格は等を調べて回った。結局、部屋が大きくてきれいだったこともあり、スーパーに決めた。料金は2泊で$180(税込)だった。ただし、まだ、時間が午前中だったので、部屋の掃除をしていないという。午後の1時には入れるようにすると言ってくれた。


・モーテルの受付にいる人は、今までの経験ではメキシコ系かインド系が多い。モーテルの仕事は、ホテルと違ってあまりレベルが高いとは言えないと感じた。そう言えば、今まで白人だったのは、LAのスーパー8とエルポータルのクリスティーナだけだった。しかし、サンフランシスコで泊まったモーテルは、何となくホテルの従業員を感じさせる服装のキチンとした白人だった。モーテルの宿泊料に比例して、彼らの服装が異なっていることがよく分かる。料金が安い所は、働く人が黒人系で身なりも何となくみすぼらしいのである。


・受付が白人系で服装がきれいだと、何となく親しみを覚えていろいろと些細なことでも聞いてみたくなる。また、暇なときは雑談をしに行きたくなるのが自分でも不思議である。相手もそのように対応してくれるのである。


・時間が少し早かったが、昼食はモーテルの隣にあった韓国レストランで、久しぶりに野菜のたっぷりはいった料理を食べることができた。味は少し辛さが強かったが、とても口にあったしビールも美味かった。


・近くにシティ銀行が有ったので、クォーター・コインに両替をしてもらった。$10でコインが40枚、さすがにズボンのポケットに入れておくには少し重量があった。


・午後、しばらく辺りをぶらついて、街を観察してからから部屋に入いる。荷物を整理してからベッドで寝転び、どうやって違反金を払ったら良いかを調べた。切符に警察のHPURLが有ったので、アクセスすると名前とメールアドレスとクレジットカードのNo.を入れるだけで有ることが分かった。支払いのキーを押すと直ぐに、サンフランシスコ警察から、自動返信メールが来た。内容は支払ってくれて有難うというものだった。


SFにはパーキング・メーターが沢山あるが、同時に取締り専用のミニカーが走っているのをよく見かける。運転しているのは、白い制服を着たおばさんであったが、よく見ると警察官ではなさそうだった。見たところでは権限を委託された民間業者のようだったが、金さえ払えばOKで全て終了。日本のように罰点のポイントが加算されるということもなく、合理的といえば合理的と思う。


・酔を覚ますために少し昼寝をしてから、車でSFの中心部分の地理を確認するために出かけることにした。フィッシャーマンズ・ワーフやロシアン・ヒルから、ユニオン・スクウェア辺りを走ることで、地理的な様子はほぼ理解できた。FW等は有名な観光地であるが、平日のためか観光客が少なく、何となく物悲しい感じがする。観光地巡りが目的ではないので、かねてから行きたいと思っていた、宇宙博物館か美術館に行こうとおもった。


SFの街は、一部ユニオン・スクウェアの近くを除くと、道路が綺麗な碁盤の目のようになっているのでとても分り易い。それにメイン通りのほかは、殆どが一方通行になっているので、曲がり方さえ間違わなければとても走り易い。




・ユニオン・スクウェアの周辺まで来ると、周りの環境が一変する。歩いている人や走っている車の数が格段に多いのである。LA等の今までのアメリカの道路と比べると、信じられないほど沢山の車と隣り合わせで走らなければならないが、それでも東京の道路から比べたら全く運転に不安を感じることはなかった。


・ユニオン・スクウェアの近くにあった大きなPublic Parkingに駐車させる。料金は、$3.5/hで、少しでも時間を超えると$3.5が加算されると書いた看板が掛かっていた。


・ユニオン・スクウェアは、観光客も多く含まれると思うが人が群れている。ロンバート通りには綺麗な洒落た店も多かったが、何か人を寄せ付けない雰囲気があった。人の数が少ないことと、ほとんどの店が閉まっていることもあって、とても閑散としていて少し寂しい。気軽に一休みするようなカフェもあるが、数は少なく中が薄暗い。しかし、ここユニオン・スクウェアの辺りはとても活気に満ちており、東京は銀座か六本木の周辺を歩いている様な安心感がある。街の様子がとても明るくて綺麗で、観光客が気軽に入れるような所が沢山ある。何となく若者の街のような気がしたし、自分にはこちらの方が落ち着くことができる。


9月なので爽やかと言っても、やはり午後の日差しが強く暑さを感じる。しかし、昼間からコートを着ている人がいる。夜はかなり寒いのだが、昼間半袖だった人は、夜も半袖で過ごしている人が多いようである。何故なら、夜なのにジャケットなしに半袖で歩いている人が、昼間と同じくらいいるので驚いてしまう。


・午後の遅い時間に、「サンフランシスコ近代美術館」に入った。大人は$18とあったのでチケットを買おうとしたら、シニアは$12と書いてあったので変えてもらう。パスポートも何も要求されなかった。ピカソやマチスの絵は好きなので、それなりに良かったが、一番印象に残ったのは、テラスのカフェであった。外のベンチが陽光を浴びて清々しかった。ここで持ってきたリンゴをかじりながら、ガイド・ブックを読む。六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛のオブジェと同じ形のものが中央に置いてあった。


・夕方、モーテルに戻ってシャワーを浴びて着替えた。レジストレーションで市内マップとバスマップを貰う。ここで貰ったバスマップは、とても見やすくて使いよかった。バスは色々な系統が縦横に走っており、一回乗り換えれば殆ど何処へでも行けることが分かった。料金は系統によって違うようだが、大体は一回あたり$1.5なのでとても安い。しかも、時間表はないが大体15分待つ覚悟があれば必ず乗れるし、夜も10時過ぎまで運行しているようだ。ただし、バス停のサインが無いところもあり、本当に泊まってくれるのか不安になる所もある。大抵は交差点を横切った先の角の所に、小さなサインが書いてある。バスを待っていると、たいてい何回かは観光客に乗り場を聞かれるので、親切に教えて上げる。




・夜はまずチャイナタウンへ行って中華料理を食べた。さすがにチャイナタウンは大きな街なので、良さそうなレストランが沢山ある。そんな中の一つに当たりをつけて中にはいった。中は驚くほど広い処だったが、しかも丁度、夕食時だったが、他に客が誰もいなかった。料理は美味かったが、量が多いので、たった一人で黙々と食べてビールを飲む。ウェートレスが暇なのか、あるいは気を利かしてくれたのか、側に来ていろいろと話し相手になってくれた。


・目指すはジャズ・クラブ「PEAR’S」であるが、それは直ぐに見つかった。しかし、インターネットの情報は宛にならず、近くにいた人に聞いたら既に店を閉めてしまったらしい。


・ただし、チャイナタウンは日本人が夜遅くに、一人で通りを歩くような街ではない。街はチャイナタウンに入った途端に、街全体がとても汚いし暗い。道がゴミ箱の様になっている。何故かジャズ・クラブというと、このような危険そうな場所に有ることが多いようだ。しかも、交差点で信号を待っている間に、通りすぎて行く車のドライバーが、自分に向かって何か叫んでいる。何を言っているのか聞き取れないのだが、おそらく危険だと教えてくれているような気がした。タクシーを拾って、次の候補である、YOSHI’Sへ行く


・サンフランシスコは夜遅くまで、タクシーが道路上で拾える所が良い。他の地域だと、電話番号を調べて、いちいち呼び出さなければならないので時間がかかりそうである。フィルモア・イーストにあるヨシズへ向かったタクシーの運転手は、自分がクロス・ストリートを告げただけで、「ヨシズへ行くのか?」と聞いてきた。ジャズがとっても好きだと言っていた。チップを入れて$10だった。


・ジャズ・クラブは通常では、チャージ料金と2ドリンク以上が約束になっているらしい。しかし、日本の暴力バーと同じで、法外な料金を請求される所も中にはあるらしい。しかし、ヨシズは本当に良心的な店らしくて客が沢山いた。オーナーはYoshiと呼ばれている女性で、バークレーの学生だった時から開いているという。そのせいか、酒のつまみは日本の居酒屋のようなメニューも多かった。「瀬戸内海の塩をかけたエダマメ」とか。レストランが中に別にあって、こちらの方では、とても料理に工夫を凝らしているらしい。その夜の演奏は、残念ながらメンバーの名前を忘れてしまった。


4日後には、渡辺貞夫が来ると書いてあったので、都合をつけてまた来ようと思った。何故ならば、日本人プレーヤーの名前を聞いて、不意に懐かしさが込み上げてきたからだ。まだ、わずか10日しか経っていないというのに、この間に気が付いてみれば全く日本語をしゃべっていなかった。少し前までは世界中の何処にでもいたと言う日本人は、ここサンフランシスコにはいるかもしれないが、今回の自分の旅行ではいなかった。誰でもいいから、無性に日本人に声をかけてみたい気持ちだった。


・帰りは12時も過ぎている時間だったが、ロンバート通りに向かって歩いていたら、後ろからタクシーが来たので直ぐに呼び止めた。やはり、$10だった。サンフランシスコはロスアンジェルスと違って、街が夜中まで明るい事とタクシーが拾えるので、アメリカでは他にない本当に良いところだと思う。タクシーは行き先の交差点(クロス・ポイント)を言えば直ぐに分かって貰える。

9月12日(日):オークディールからオークランドと云う街へ

・翌朝、10時頃にオークランドに向けて出発した。しかし、直ぐにセブンイレブンが有ったので、ATMから$100を引き出した。それにしてもシティ・バンクの使えるキャッシュ・ディスペンサーがあちこちに有って便利である。(そう云えばチャンと一回当たり¥210の手数料が掛かっていることを忘れていた。)

・田舎道とはいえ、例によって平均速度は90km/h以上である。このスピードで流れている。たまにこのスピードより遅い車がいる場合は、その後ろに長い行列ができている。速度制限は、遅い所で80km/h、速い所で96km/hである。「絶対に追い越しをするな」とのサインも良く出てくる。良くしたもので、片側一車線だけではなく、ところどころでかなり長い距離の間、片側二車線になっていて追い越し用の車線があるので、無理な追い越しをする車は見当たらない。


・アメリカ人は思いの外、ルールはキチンと守るようである。違反の路上駐車をしている車も殆ど見かけない。少し行けば、必要な所には、必ず安い料金の駐車場もある。それに、何回もルール違反をしていると、たまには捕まって高い罰金を払うことになるということを、アメリカに来る前にガイド・ブックで読んだことがある。


・しばらく走ると直ぐに片側2車線のフリーウェイに出た。(車線が少ない道をフリーウェイと言うようだ。片側5車線以上ある道路は高速道路というらしい。)フリーウェイは、どんな田舎に行っても、網の目の様に縦横に走っている。もちろん高架ではなく、要するにチョット良い普通の道なのであるが、車線が少ないだけで、道路の作りは高速道路と全く同じである。(ガソリン・スタンドで買った道路地図は、相当細かい地図だったが、フリーウェイまでは載っているが、所謂、もっと普通の田舎道は載っていない。)フリーウェイに出ると、とたんに平均速度が130km/hになってしまう。廻りを走っている車も同様である。多分、この環境における人間のスピードへの欲望と、それを制御しようとする感覚、及び車の性能がバランスした速度が丁度この位なのだと思う。(法的な制限速度は90km/h位である。)


・高速道やフリーウェイを快適に走っていると、必ず目につくのが道端に突っ込んでいくタイヤのスリップ跡である。それも、あちこちに有る。更に道の両側には、バーストしたタイヤの破片が、あちらこちらに転がっているのを目にする。明らかに日本で見かけるよりずっと多い。平均スピードが上がった結果だろうが、このスピードはアメリカの広さが要求すると思うので、どちらが安全なのかについて、日本とそのまま比較することはできないと思った。事実、自分自身の運転感覚の変化がそうである。こちらでは、高速で走る方が、普通であると感じる。


・マンテカまで来るとサンフランシスコやオークランドに繋がる高速道が現れた。その高速道で流れている速度は、一般のフリーウェイと変わらない。しかし、ずっとこのまま高速で走っていては、ただ走っているだけで何の変化もなく、すぐにオークランドについてしまう距離なので、また、田舎道をドライブすることも今回の目的の一つなので、トレーシーと言う小さな町で高速道を降りた。ここは素朴な田舎町というより、大きな工場が幾つか並ぶだけの面白みのない町である。


・田舎道は地図に載っていないし、カリフォルニアの田舎道はフリーウェイと違って道が真っ直ぐではなく、丘に沿ってアップダウンを繰り返しながら曲がりくねっている。案の定、直ぐに方角が分からなくなってしまった。そうこうしている内に、完全に道に迷ってしまった。右も左も同じような風景が、ただ、延々と続いている。単調な風景だが、これぞまさに頭に描いていたカリフォルニアだと思った。


・まず、人の住む家が見当たらないし、もちろん人も歩いていない。どこまでも続いている丘は、牧草地と言っても枯れた草ばかりで、どちらかというと砂漠のような感じがする。背の高い木々は殆ど無く、まばらに低木が所々固まって見える。時々、むき出しの電線と電信柱が立っているのが見える所が、唯一日本に似ている。街の中には電信柱は見当たらないが。


・太陽だけが頼りだが、自分が何処にいるかが全く分からない。ここから抜け出すのが、サバイバルゲームとしての面白さだと思ったが、見渡す限りの牧場地で広い荒野に人が全くいない。たまに家が有っても、道路からかなり引っ込んだ所に有って人影がまったく見えない。これで夜になってしまったら、目的地に向かって走るのではなく、ただあてもなく走るだけになってしまう。太陽と持参したコンパスと、たまに見掛ける地名が掛かれた地図だけが頼りだが、他には殆ど何の手掛かりも得られない。



・そんな時に道端にポツンと、ホーム・クッキングと書かれたカフェ・レストランがあった。車は何台か止まっていたが、とても人がいるという感じではなかった。しかし、誰かしらはいるだろうから、道を聞こうと思い車を止めた。中に入ってみて驚いた。丁度、昼時だったせいか中は客で一杯だった。皆、知り合いのようで、ワイワイガヤガヤ楽しそうにしゃべり食べている。ウェートレスの女性と近くのテーブルにいた客の一人が親切に教えてくれた。今まで、現在位置の予想と太陽とコンパスの方角情報から、当たりを付けて走って来たのだが、結局、分かった事は、そんなに大きな狂いはなかった。


・カフェで昼飯を食おうとも思ったが、再びそのまま出発した。しばらく走ると、とてもきれいな家ばかりが立ち並ぶ町に出た。一見して素朴では有るが今まで見て来た家並みより、数段綺麗な家ばかりである。全ての家の庭が良く手入れされているし、何処にもゴミが見当たらない。庭では小さな子どもが何人か遊んでいたので、住んでいる住民は若い人が多いのだろうと思う。多分、アメリカの中流クラスの人だけが集まって住んでいる町だろうと思う。アメリカでは、大きな都市の近くには、此の様なクラスが違う人達が集まって住んでいる所が有るようである。キット、もっと凄い金持ちはまた別の処に住んでいるのだろう。それにしてもここは別天地というか、都会に大勢住んでいる普通のアメリカ人より所得が多そうな感じである。そして、気がついたことは、今まであちこちで見かけた黒人やメキシコ系の人達が何処にも見当たらない。しかし、何と言っても刺激のない町である。


・しばらく走ると、街のメイン・ストリートなのか、銀行やレストランが何軒か並んでいる処に出た。その中で、入り口にカフェと書かれた一軒を選んで中に入った。カフェならば、一人旅にあったカジュアルな所だろうと思ったので。しかし、中は整然と白いクロスの掛けられたテーブルが並んでいた。客の多くが綺麗に着飾った服を着た家族連れの様だった。若い家族と上品な感じのお爺さんお婆さんが一緒の席についているのが目に付く。どうやら、話しあって、一緒に食事を食べているらしい。皆、スープ等のコース料理らしきものを、静かに行儀良く食べている。そう言えば、今日は日曜日で午後なので、家族で教会へ行った帰り何だと分かる。ここは珍しく、ウェートレスやウェイターも白人である。しかし、キチンと給仕して貰って食事をするのも良いが、自分には話し相手がいないことに気がつく。自分は汚れたズボンを履いて、Tシャツを着ている客は他にいなかった。何となくその場の雰囲気に合っていない感じがする。自分は軽くピザ($10)とジュース($5)を頼んだ。TIP($2)を含めて$17の昼食は、決して高くはなかったが(メニューを見ても高額の料理は無かったが、多分、ピザも皿ばかり豪華だが冷凍だろうと思った。)、もっとフリーな感じの処の方が良かった。ピザを半分食べて、テイクアウトにしてもらった。


・帰りに隣のレストランを覗いてみた。こちらはグリルカフェとかいてあり、テーブルクロスはなしで、客の服装もラフだった。多分、価格は大きく違わないと思うが、地元民はチャント店を使い分けているのだろう。


・今回の旅行では、アメリカの生活と文化を体験することも一つの目的だった。それも中の下、中の中、中の上を体験したいと思っている。それにしても、アメリカでは沢山のホームレスが目に付くし、もっと高級なところはいくらでも有りそうである。アメリカの光と影の部分を、早くも実際に見てしまった気がした。


・レストランで道を教えて貰い出発した。少し走ると今度は住宅地ではなく、アメリカで普通に見られる街並みの所に出た。要するに片側二車線の広い道路が縦横に走り、通りにはドライブインが並んでおり、ガソリン・スタンドがある。ガソリン・スタンドで$20分を給油した。ここのオフィスは閉鎖的で、金網越しに料金を払ってお釣りを貰う。フロントガラスをゴムベラで洗ってから出発した。


・程なく進むと高速道が見つかり、サンフランシスコやオークランドの標識が見えた。今度は迷わずオークランドへ直行した。



・オークランドではあちこち聞きながら、モーテルを探したが、結局、ダウンタウン近くの、チャイナタウン・ブロードウェイと言う通りにある安いモーテルに決めた。ここは税込で$49であり、下のクラスではあるがその中でも少しは上の所で、これ以上はレベルを落としたくないというぎりぎりの所だった。しかしながら、思った程、部屋は汚くはなく、設備内容も、昨日の処と大差ない。むしろ大きなテーブルがあるのが嬉しかった。


・他にも客が結構いたが、殆どが黒人かメキシコ系の様に見えた。やっぱり都会だからか、途中で会っても、互いに挨拶をするという感じではなかった。私の方にも、うまく説明できないが、何のかんの言っても自分に偏見や差別の心があることを実感した。また、彼らの方だって、自分に対して白人と同じような愛想の良さがあるとは決して言えない。カリフォルニアに住む白人のアメリカ人は、皆、とても愛想が良さのだから、これは大きな違いだと言える。何故なのだろう。気質の違いなのか、単なる過去の歴史の問題に原因があるのか、今のところ全く不明である。来月、学校に行ったら、黒人の友達を作ってそれとなく聞いてみようと思った。


・このモーテルに泊っている他の人達は、どう見ても旅行者ではなく、ここに長く住みついている様な感じだ。近くには中国人が多く、中華レストランも幾つかあった。今日の夕食は久しぶりに中華料理にしようと思った。


・まだ、大分明るかったので、街を2時間位掛けてあちこち散歩した。通りを散歩していると、一見してシュナウザーのような犬を連れている若い女性がいた。とても懐かしい感じがしたので、つい、声を掛けて犬と遊んでしまった。犬の名前は忘れてしまったが、犬のオーナーと話ができたのは良かった。


・街を歩いていて気が付くことは、まず、日本人が何処にもいないこと。オークランドばかりか、この一週間で日本人には殆ど出会っていないのである。一見して日本人に似ているかと思うと、大抵は韓国人か中国人ばかりである。この街にも、中国語と韓国語(ハングル語)の店の看板などが随分と目に付く。通りを歩いている人の話し声が、日本語と韓国語は違うのですぐに分かる。大体、韓国人はグループで見掛けることが多いせいか、日本人より声が大きくエネルギッシュな感じがする。そして、どこにでもいる。しかし、街の中に日本人や日本語の文字は、全く見掛けることはなかった。


・オークランドを宿泊地に選んだ理由の一つは、ジャズが盛んだということを何かの雑誌で読んだからである。今回の旅行の目的の一つが、ジャズハウス巡りだったので。チョット前までブルースが盛んだったらしいが、しかし、その面影は街の中では全く感じることが出来ない。散歩の時に探したが、この近くには無い様だった。帰ったらインターネットで検索してみようと思った。結局、INで探しても近くには無かった。飲んだ後に、タクシーを手配することは何となく面倒だし、夜道を遠く歩いて帰るのも、車で出かける気にもならなかったので、ジャズ・クラブ巡りは明日のサンフランシスコにかけることにした。サンフランシスコは湾の向こう側にあり、海沿いの公園からは直ぐ近くに見ることができる。