2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行10/24

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記
10月24日(日)サンフランシスコへ向けて出発する
・約一ヶ月の間、ホーム・ステイをしながら学校に通ったことで、随分色々なことがあり結構楽しい生活だった。常に周りに人が沢山いて、一緒に食事に行ってワインやビールを飲みながら話をしたりすることができた。しかし、それらも終わってしまい、今日は以前から計画していた約5週間という長期間の旅行にこれから出かけようとしている。朝、ゆっくりと10時頃に起き出したのだが、隣の部屋のMEIはまだぐっすりと寝ているようだった。部屋を片付けて荷物をパッキングしてから、ホスト・ファミリーに会って最後のお別れを言う。今度、LAに来たら食事付きで、一晩25ドルで何日でも泊めてやるから連絡をくれ、と最後までビジネスが頭から離れない様だった。

・荷物を車に積んだりして、庭でホスト・ファミリーのスルジさんと最後の別れ話をしていると、Meiが出てきた。そして、寝ぼけ顔で挨拶を交わした後、自分の車を見送ってくれたのが嬉しかった。ホーム・ステイの家から直ぐ近くにあるGSでガソリン$20分を入れた。

・取り敢えず、行き慣れたWest Filedショッピング・センターの駐車場に車を入れた。このセンターはカリバーシティの中心地にあって、有名なデパートのメイシーズを始め、とても大きな店が幾つも入っている。何となく直ぐに高速に乗り入れてしまうのは心残りだったので、ここで昼食をゆっくり食べてから出発しようと想った。食事の後、駐車場で取りあえずカーナビをサンフラスンシコより少し手前にあるサン・ホセにセットした。

・いよいよ再び孤独な旅が始めるのだと心に決めて、やっと出発できた時には、既に午後を大分廻っていた。ショッピング・センターの直ぐ脇にあるICから高速道路Route1に乗り入れた。直ぐに時速130km/hまで加速し、そのまま走り続ける。今回は西海岸コースを取らないで、直ぐに大動脈であるR405に入り、それからR5に移動。そしてサンフランシスコの東までそのまま走ることにした。兎に角、できるだけ明るい内にできるだけ走行距離を稼いでおきたかった。

LAの北側は山岳地帯である。高速道(R405)はゆっくりとした傾斜ではあるが、かなりの高い地点にめがけてずっと上りが続くのである。道路は狭い所で5車線、広い所では7車線ある。一番右側はトラックの専用道路になっていて、ここだけは大きなトラックが列車に付いているような大きな煙突を突き出して、時速70km/h位のゆっくりとした速度で列を作って並んで走っている。しかし、その他の車線では殆んど切れ目なしに車が続いているのである。自分は一番内側の高速車線をキープする。この道路を走っている車だけでも、相当な数である。7車線とも車がひしめき合い、そしてそれがどこまでも延々と続いている。このような壮観な風景を実際に自分の目で見ると、本当にアメリカの経済の大きさを実感できた様な気がする。

・この何千台という車がアメリカの大動脈の一つを流れている血液のような気がしてきた。アメリカの大統領が例え、どんなに偉大であったとしても、彼がこの経済を直接動かしている訳ではない。直接、この経済を支えているのは、末端まで血液を運んでいる、この一台一台の車、すなわち一人一人のアメリカ人なのだろうと思う。彼ら自身がエネルギーを生み出していると感じた。そして自分もその一人なのだろうと思う。自分は金を使うだけで稼いでいる訳ではないが、随分アメリカ経済には貢献している筈だ。確かにアメリカの都市部には多くのホームレスがいた。しかしここには、そのホームレスの数の何千倍もの数の車が、全速力で流れている。実に壮観な眺めだ。

・途中の分岐点で道を間違えてしまい、R5をそのままベーカー・フィールド方向に進んでいる事に気がついたがそのまま走り続ける。ベーカー・フィールドからフレズノ方向に少し行った所に、珍しくサービス・エリアが見えたので立ちよる。回りには荒野が続き、殆んど他には家が見当たらない所だ。何となく気がせくので、10分もしない内に出発した。この後はかなりの長い間、ずっと続いている平地の上を、殆んどカーブなしに真っ直ぐと道が続く。それをどこまでもただひたすら走り続ける。

Los Banosの近くの山の中で、道をサンフランシスコ方面に戻るため進路を変更する。San Luisの近くに来た時に、気がつくとまわりは山道で上り下りのあるカーブが続く。しかも激しい雨が降ってきた。そしてしばらくすると、あたりが薄暗くなり、そしてついには真っ暗闇になってしまった。アメリカの高速道路には、日本のように何処を走っても明かりが付いているわけではない。明かりのない所は沢山あるし、もちろん日本のようにガードレールもない所が多い。日本と比べると道路状態はかなり悪く、舗装が剥がれてガタガタになっている所がとても多い。そして道の外側には至る所に、バーストしたタイヤの破片が転がっている。そして、あらぬ方向へタイヤのスリップ痕が、あちらこちらにクッキリと残っている。

R101を廻ってサン・ホセに着いたのは夜の7時頃で、辺りは真っ暗だった。自分がどのあたりにいるのかさえ全く分からなかった。コンビニの駐車場に車を止めて、ランプ付きの虫眼鏡を使って地図を確認する。自分はこの拡大鏡がないと、広大なアメリカをカバーする細かい地図が見えないのだ。ここでも、カーナビがとても有効なことが分かった。当たり前だが、現在地点が分かるからである。ここまでで、何km走ったのだろうか、ガソリンを約25ドル分使った事になる。随分長い距離を移動した割には、安いのでお買い得感があると感じた。

・ここから、カーナビをパロアルトにセットして、更に真っ暗な道を走りだす。本当に先月に行ったドライブ旅行と違って、今回はカーナビのお陰で大変なエネルギーを節約できたと思う。真っ暗で道路標識も全く見えない道路を、ただ、カーナビの指示に従って走り続ける。何処をどう走っているのか、さっぱり分からないが、カーナビが指示してくれる。アメリカのシンプルなカーナビの使い方にもかなり慣れてきた。そして7:30にパロアルトに到着した。

・パロアルトはとても美しい町だが、それだけにゴチャゴチャした通りにあるような安そうな店など全く無い。綺麗なレストランばかりである。大きな駐車場のあるレストラン街に車を止める。少し歩いてみたが、綺麗に着飾った地元民で賑わう綺麗な店ばかりであった。そんな中でカリフォルニア料理店を選んで中に入る。店の名前は、Calafia caféであった。中は大勢の客で込み合っていたが、殆どが男女のカップルばかりである。自分は店の一番奥にあったカウンターに席をとってもらう。そしてスープとCafelinaを注文する。米のような物が入っている、メキシコの郷土料理らしい。

・ウェイターが形通り時々話しかけてくるのだが、相手の言っていることが全く聞き取れない事に気がつく。相手も自分の英語が良く分からない様だった。回りを見渡して、そして聞き耳を立ててみたが、やっぱり聞き取れない。一人きりの孤独なディナーになってしまった。悲しい!

・席がカウンターで調理場の前だったので、作っている様子が良く見える。何というべきか、あらゆる国の料理をMIXした感じの、そして盛り付けだけは素晴らしく豪華ディッシュばかりだった。それも必要以上に大きな陶器の皿で、これは日本風だと分かる。皿の上のサラダを敷いて、その上に綺麗に飾るのである。逆にヌードルの上にサラダを乗せたり、サラダの上にバカでかいギョーザを載せたり、テリ焼きチキンを刻んで載せて出している。いまここではこれが一番NOWなのだと言っていた。確かにオシャレなレストランである。

・自分の頼んだものは、今日のスープとカレー料理。カレーと言ってもアメリカでは汁気は全くない。ドライカレーにしたスクスクの上に、キノコとスピナチを刻んだものを載せただけのもの。兎に角、飛び上がるほどに辛い! スープも辛い! これで$17は高くないか? TIPは$3(Tot$20)。 先週末、自分のお別れパーティの時にサンタモニカで食べて、そして飲んだイタリア料理の時と同じ値段だった。

・9時半頃に店を出た。次の大仕事は今夜の宿泊所を探すことと、夜に嗜むビールを購入することだった。車にガソリンがあまり残っていないので、あまり走ることなしに早く決めたかった。カーナビでモーテルを調べると、この付近には3軒あることが分かった。いずれも、今いる通りに面している筈だったので、まずは現物をチェックして比較しようと思った。途中、道路沿いでまだ開いていたリカーショップでハイネッケン・ビールをハンダース購入する。

・しかし、どういう訳か一軒目は満員だと断られた。駐車場には、それなりの車が止まってはいたが、とてもそれ程多くの客が予約を取っているようには見えなかった。試しに値段を聞くと$80とかなり高い! ガソリンを気にしながら、次の所に行く。隣には大きなシーフード・レストランがある、結構綺麗なモーテルだった。値段は気に入らなかったが、パルアルトは高いのだと言い聞かせて、夜も遅くて運転に疲れてしまったこともあり直ぐにそこに決める。

・早速、シャワーを浴びる。そしてビールを飲みなが、YRにメールを出した。YRは明日の朝にサンフランシスコに来る筈だったので、明日は会いたいと想った。二本目のビールに移る頃に、彼女から返信が来た。とっても懐かしい気がした。ヒルトン・ホテルで夕方7時に会う約束をする。



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