2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/28


1028日(木)Gualala、及びEurekaの町で見て考えたことなど

・何時もスーパーを覗いた時に思うことは、カリフォルニアの西海岸では何処へ行っても不思議なくらい同じようなものばかりを売っていることである。ここのスーパーもご多分にもれず、この地方に特有なものは少なくとも食品に関しては見つけることが出来なかった。逆に言うと、ここで売っているようなものは、何処に行っても手に入れることができる。


・これらの料理はレストランで食べる料理よりも、一般的に味がさっぱりしていて自分の口にあっており、とても食べやすい。少なくとも、シツコすぎて食べられないという味付けのものは見当たらない。ただし、カリフォルニアだからかも知れないが、一般的に少しスパイスが効き過ぎている用な感じがあるようである。


・場所によって、メキシコ系の人たちや黒人が多く住んでいる所や、白人系の裕福な階層が多い所では、品質や値段が若干違う気もするが、扱っている料理が全く異なっているということはないようだ。その昔は独特のものを食べていたに違いない、インディアン系の人が数多く住んでいる村を通過した時でも、そこの土地の個人経営の様なマーケットの中で見掛けたものに、特別なものは見当たらず、彼らが特別なものを食べている様子はなかった。ただし、今まで通り過ぎてきた町は、すべてカリフォルニアだけなので、まだ、このように言い切るには早過ぎるという気もする。


・更に、「何故カリフォルニアでは、種類が同じようなものばかりで、また味付けも似ているものばかりを売っているのだろうか」、ということについて考えてみた。恐らくどの品物も、最初に売りだされてから それなりに時間を経ているものと仮定できる。多くの人達にとって、これがベストであると感じるものに仕上がっているのだろうと思う。問題は、アメリカにはいろいろな人種の人間が住んでいるにも関わらず、種類や味付けの尺度が似ているのかという事である。


・恐らくその理由は、彼らが物事を判断する際に、最初に最も重要視することが、その感覚や印象などではなくて論理であるからではないか。例えば「美味いハンバーグ」ときたら、「こんなスパイスの効き具合」で、「この程度のシツコさ」が必要でというように、その要因系を一つ一つ最適化していった結果が、今どこでも売られている商品担ったのではないか。そして、それを少しでもはみ出したような商品は、多分、価格が高くなってしまい結局誰も買わなくなってしまうという事ではないだろうか。


・そうだとすると、特別な味付けのものは、個人の家庭に行かなければ御目にかかれないということになりそうだ。そして、この考え方にあまり当てはまらないような、新しい食品の一つが日本食なのではないか。ただし、日本食はそれ程買い手が多くないこともあり、現時点ではローカルである。(日本食は、日本で考えられている程、広くアメリカ(カリフォルニア)で、強い人気と地位を勝ち取っているようには見えない。日本食のレストランは多くは韓国人オーナーの経営であるし、客の入りもそれほど多くはない。また、客も料理を食べ残したまま出て行ってしまう姿も多く見受けられた。)


・そうそう、実は今までの話に当てはまらない経験をしていたことを思い出した。それはLAのモンタレーという町にある、中国人街のマーケットに行った時のことであった。そこには、恐らく日本のマーケットよりも多種・多彩の見たこともないような食材が多数売られていた。だから、中国人だけはアメリカでは特別な存在だろうと思う。彼らがアメリカに来た時から今までずっと、彼らは自分達だけで集まって暮らしていることに原因があるのだろうと思う。だから自分達の考え方や習慣をあまり変えることなく、独自のものをいまだに保ち続けているのだろうと思う。


・中国人マーケットは、恐ろしく活気にあふれていたし、また特徴としては「生の素材の量り売り」が多い。魚や肉などが日本のようにパックされていないのである。アメリカの他のマーケットでは、逆に多くのものがパックされて安く得られているのだが、特徴は一つ一つが兎に角 巨大であることである。


・さて、今朝は9:50にGualalaの宿を発って1時間半ばかり走り、11:20にFort Braggという村についた。どちらも地図で見ると、北カリフォルニア州にあって太平洋に面したR1に沿った所にある村である。従って、この辺りのメイン・ルートであるR101からは遠く離れた所にあり、普通の環境客が多数訪れるというような所ではない。北カリフォルニアは砂漠を思わせる南カリフォルニアと大きく異なり、とてつもなく大きな森に覆われた所である。太平洋に面していることから、冬でも比較的暖かくて、雪もあまり積もらないようだ。


・この太平洋を直ぐ左側に見ながら、海に面した道であるルート1を北上していると、まず感じることは信じられない程の美しさである。広大に何処までも続く海岸線は切り立った土の絶壁になっていて、回りには人家も少なく荒涼としている。もちろん、行き交う車も少ないというよりも殆ど無い位である。道の両側に所々で見られる家は、LAやサンフランシスコの住宅街でよく見掛けるものとは大分異なっており、アーリー・アメリカかまたはイギリス調である。家とその周りを取り巻く丘や森が良く調和している。殆どが木造であるが、日本で見かけるアメリカン・ハウスよりもかなりサイズが大きい。



・何故、家の建て方がこうも違うのか? 普通の車で一日も走れば来ることが出来る距離であるし、住んでいる人種が全く異なるとは考えにくい。走りながら少し考えた結果、それはコストから来るものと思われた。LAで良く見かける何の変哲もないフラットな建物は、とても合理的な設計になっていてコストが安いものであると考えられる。しかしながら、ここで見掛ける多くの家は、豊かな緑に囲まれていることもあり、人々が美しさを気にしながら建てたものではないか。どの家もその周囲は、綺麗な庭が付いている。LAでは手入れの行き届いた庭のある家は、高級住宅地だけであり、しかもそれは住人が自ら手入れしたものではない。(メキシコ系の黒人があちこちの家で作業をしていた。) ここでは住人が自分達で作業をしているのだろうと思う。


・そんなことを考えながら走っていると、道は海からだんだん遠ざかっていき、両側を馬鹿でかい木々が取り囲むように生い茂っている山道に入った。そして、急に大雨になったのだが、この辺りはずっと前から雨が降っていたらしい。この周辺は背の高いRED WOODが生い茂っていることで有名である。周囲の風景を見ながらゆっくりと走りたい気分だったが、実際は全く逆の結果になってしまった。と言うのは、後ろから追いかけてきたピックアップが自分の後ろにぴったりとついてくるので、引き離してやろうと思いスピードを上げたからである。しばらく、二台の車でカー・チェイスのような事を続けている内に、あっという間に何車線かあるR101に出てしまった。


・それにしても、日本ではおとなしく運転していることが多いのに、何故こんなスピード競争をする様な気分になってしまうのか。自分でも嫌になってしまう。山道はアップダウンがはげしいし、きついカーブも多いので、何回もフロントのバンパーを道路にこすりつける音がした。こちらの道路は、日本と違ってカーブの所がかなりのバンクになっているので、高速で走り抜けることが出来るのだが、カーブの出口の所で前のバンパーが路面にこするのだ。それにしても、今乗っているのは韓国製のKIAという普通のオートマ車であるが、レバーを二速にシフトダウンした時のエンジン・ブレーキの効きが良い。つまり、何もしなくてもヒール・アンド・トウができるので、OUT to INと組み合わせると、その後で加速しながらで高速で走り抜けることが出来る。欠点は、タイヤとサスペンションがプアーなことで、ブレーキを強く踏んだ時に車がふらつくことである。


・山の中を走っているR101Free Wayと言いながら、道幅が狭くカーブでの速度のリミットが35mil/hになっている所もある。アメリカのFree Wayでは珍しい道路である。そんな山の中でぽつんとカフェ兼お土産屋が現れた。トイレ休憩にコーヒーとドーナッツでもあるかなと思い中を伺っていると、入り口のテラスの所で70歳位の男性に声を掛けられた。


・ハッキリと聞き取れる美しい英語を話す人だったので、教養のある人に思えた。そして、とても暖かみのある穏やかな人だったので、話が弾んだ。男性の出身はサンタ・クルズだが、今はLAのパサディナに住んでいると言っていた。長期の予定でここに滞在していると言う。しばらく二人で話をしていたら、彼の友人という男性と、更にしばらくして彼らの奥さん達が話しに加わった。そして、しばらくすると、その店の女主人が出てきて、やはり話しの輪に加わった。


・色々な話ができてとても嬉しい気分だった。そして、その時になっていきなり何かが分かった気がした。つまり、結局の所、人生の楽しみの目的の一つは、人との交わりや繋がりだったのだ。こちらに来て、一人で旅行していることもあり、何時間も誰とも話さないことも多い。そんな孤独の時間を沢山経験していると、それがよく分かるのだ。自分は今まで、二十代の若者と友人と言える様な付き合いをする機会がなかった。しかし、こちらに来て何人もの若い友人と呼べるような人と知り合うことができたのも、そんな経験をしているからだったのだということに、今になって気がついた。もちろん、彼らを上から目線ではなく、学生同士と言う同じレベルの目線で付き合えるという環境に飛び込んだと言うこともあるだろうと思う。そして、自ら経験した結果、やっと分かったのだった。そのことを、身をもって分かったことが、今回の旅行の収穫であるといって良いのではないか。


・このカフェを出てから、またしばらく走った後で急に空腹を覚えたので直ぐ次のICで降りた。時計を見たら、既に午後3時だったが、気が付いてみると、まだちゃんとした昼食を食べていなかった。ICの横の森の中に小さなうらぶれたカフェがあった。そこへ入ると、二人の若者が話をしていたのだが、全く自分に関心を示さない。コーヒーとアップルパイを注文して外に出て、車の中で昼食を取った。外は雨が降っているのに、何故だろう傘もささずに大きなリュックサックを担いで、一人で歩いている若者を見た。一体何なのだろう、何故、そして何処へ行くのだろう?既に体中が濡れているように見えた。


・再び高速道に戻って暫く行くと、何と渋滞にぶつかった。何事かと思いながらのろのろと走っていると、車がひっくり返って降り既に警官が事故現場の検証中だった。珍しいこともあるとおもったが、考えてみれば事故は何処でも起こりえることだし、まして今は雨なので下手にスピードを出して言うとカーブを曲がり切れないこともありうると感じた。そこを通り過ぎリト呆気無くまた、一人だけのドライブになった。


・夕方近くになって、Eurekaの街についた。地図を見ると、太平洋に面した外れの方にあるので、勝手に寂れたそして懐かしくも美しい光景を予想していた。所が町の中に入ってみると、ここはとても大きな街(といよりは大きく広がった街)だということが分かった。メイン通りはとても広い道幅があるのに、途中から二つに分かれて街の中はそれぞれが一方通行になっている。


・ここでいつもの通り、ガイド・ブックと電話とカーナビを使って幾つかのモーテルに当たりをつけてから、実際に行ってみて眺め、そして話を聞いて確認するという方法でモーテルを探した。そして結局、中クラスのフランチャイズ・チェーンのモーテルであるアメリカン・ベスト・バリュー・インに決めた。一泊が税込で$62.15であった。部屋は二階にあり中は、可もなく不可もなく一人旅にはまあまあの感じであった。


・早速、近くのスーパーに散歩を兼ねて買物に出かけた。町は確かに大きくて、レストランや商店もそれなりにあったが、やはり田舎の町という感じだった。と言うのは、メイン・ストリートの数百メートル以外は、殆どすべての建物が木造の二階建てで、家と家の間も十分な空間があり、住宅地の中にポツンポツンと商店やレストランが有るような感じであった。しかし、一軒一軒のレストランは決してみすぼらしい感じではなく、とても粋なアーリー・アメリカン調の建物であり、綺麗な飾り付けなどがあったりして感じが良かった。


・ただし、町全体の雰囲気は、郊外の綺麗に手入れされた住宅街とは違って、チョットうらぶれた感じの家もあったりする。そして、これがアメリカの平均的な田舎町なのだろうと一人で勝手に納得した。通りには歩く人の数もあまりなく、平坦にだだっ広く広がった、とても静かな町だった。


・モーテルに帰ってから、久しぶりに町で一番のイタリア料理店で、美味いイタリア料理を食べようと思い、PCとカーナビで情報を集めた。モーテルの近くに3軒程見つかったので、今度は車でレストラン見学に出かけて、良さそうな所を絞り込んだ。選んだ店の名前は、Ray’s Club Italian Rest.であった。


・そして、この街は暗くなってから一人で歩いても危険は少ないだろうと感じたことや、ワインを飲みたかったこともあって今度は歩いて出かけた。レストランの中は暗かったが、ローソクの明かりがともされていてとても落ち着いた上品な雰囲気だった。アペリチフを注文しようと思ったが、メニューだけではよく分からないので、オーナーの様な雰囲気の中年の女性が来た時に色々聞いてみた。そして結局、いろいろな種類のチーズやハムの盛り合わせと、テリーヌ、野菜サラダ、スープ等を頼んだ。ワインも良かったし、料理がとても美味くてとても心地よい感じであった。


・しかし、メイン料理を何にするか悩んでしまった。前菜で十分な量があったので、簡単にスパゲティを頼むことにした。そしてテーブルに運ばれた皿を見てビックリし、一口食べてまたビックリしてしまった。まずは、大きな更に山の様に積まれた量の多さに対して。そして、食べてみてあまりの不味さに対してである。まず、極細のソーメンのような麺が使われていたのは良いが、ぐちゃぐちゃに茹でてあり、しかも冷たくて巨大な塊になっていた。刻まれた玉ねぎの大きな破片が、殆んど生の様に硬くてシャキシャキ音がする様に固かった。しかも一人ではとても食べきれる量ではなかった。持て余しながらやっと1/3位食べた。


・この麺が細くて柔らかくて固まったスパゲティは、同じようなものを何処かで食べた記憶があった。思い出した。LAで宿泊したホーム・ステイ先の奥さんが、良く作ってくれたスパゲティと同じだった。あの時、MeiKazと文句を言っていたことを思い出した。もしかするとこのようなグチャグチャに固まったスパゲティは、アメリカのカリフォルニア近辺では、アメリカ・ナイズされた極、普通の料理なのかも知れないと思った。


・そして店を出る時になって、値段の安さにまた驚いてしまった。チップを入れて、〆て$20でした。でも、スパゲティはホントに不味かった。自分で作った方が100倍は美味いのができる。


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