2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/1


111日(月)Seattleを抜け出してコロラド・リバーに向かう


・今日は朝から土砂降りだった。気分が憂鬱で、何処に行く気も起きない。そうかと言って暗くて小汚いモーテルにずっとじっとしているのも心地良くはなかった。ここへ来る前は、あんなに来たいと思っていたシアトルであるが、思いがけなく良いことが起こる気配は全くなかった。また自らそれを探しに出かける気力も湧いて来なかった。この時期には、アメリカの各地で大雪が降っているようだったので、北西海岸一体が雪ではなく雨であるだけ運が良かったと考えることにした。確かに冬でもそれ程寒くはなさそうだったことは、素晴らしいことだと思った。


・しかし、大雨のために何処にも行くことができないので、昨夜、一晩、迷いながらも考えて買うことを決めたカーナビを、ステープルに行って買うことにした。カーナビは今まで使っていたものと全く同じ型番のTomTomXL430Lを買った。税金が込みで180ドルだった。


・このカーナビは思い切って買って良かったと思う。日本ではカーナビが180ドルで買えるとは思えないが、旅行者にとってアメリカの道路では必要な存在である。今日のような大雨の日には、これがないと複雑に入り組んだ都市内の高速道を昼間でも走ることは難しい。何せ道路標識が、霧で全く見えないのであるから。夜は自分が何処にいるのかさえ分からないだろう。車がチャント流れているこの現実自体が、自分には信じられないことである。


・そうしているうちにも雨が一段と激しくなってきた。天気予報では二三日降り続くらしかったので、自分の心は既にシアトルにはなかった。以前本で読んだ、コロラド渓谷に行ってみたかった。コロラド川に沿った有名なオレゴン・トレイルは、秋がとても素晴らしいらしい。そこで、高速道で来た道をそのまま南下してしまうのではなく、R90を一度、東に向かって走って見ることにした。R90は高速道と言っても、途中からは何の変哲もない普通の山岳道路になってしまった。しかし、周囲が山ばかりだし、標高が比較的高い所を走っているという実感がある。気温はそれ程低くはないのだが、何時、雨が雪に変わるかも知れないという不安があった。特にEastonからRoslyn辺りは山が道路に迫っている。


Ellensburg当たりの村にまで辿り着いた時に、急にトイレに行きたくなったことと、同時に空腹を覚えたこともあるので、直ぐ道路脇にあった大きなスーパー・マーケットに入った。中のイート・イン・コーナーで、スープとサンドイッチを買って食べる。それに例によってリンゴやバナナ等の果物等を約10ドルで買った。


・この田舎のスーパー・マーケットで売っている商品は、他の地域のものと比べて特別大きな違いは感じられなかった。こんなに遠くに来たのに、そして幾つかの州を南から北へと移動してきたのに、更に都会や田舎のスーパー・マーケットを幾つも見てきたというのに、店の商品からはアメリカ人の生活習慣に大きな違いを見つけ出すことができなかった何処でも同じような商品を同じような売り方で売っている。多分、アメリカの中部や東部地方、及び南部の方へ行くと異なるのかも知れないが。


・店の中の食品売場で買うものを物色していると、近くにいた店員が話しかけて来たのでしばらく話をする。もしもこのようなことがなかったら、買い物や交渉以外のどうでも良い日常会話をすることもなく、一日中誰とも話さない事になってしまう。店員の親切な行為がとても嬉しかった。最も、相手にとっては、このように知らない人に話しかけることは、どうやら普通の行為のようだった。


・誰とでも声を掛け合うという習慣は、日本とは大きく異なっている。これは自分の予測に過ぎないが、多分、アメリカでは自分の知らない人と声を掛け合うということは、自分の身を守るという意味があるのではないだろうか? そのような事が習慣として、小さな時から意識することなしに身についてしまったのだろうと思う。最近の日本では、小さな子供達は恐らく、知らない人とは話してはいけないと教えられて育つのだろうと思う。


・車を使ってアメリカを一人で旅をしていると、一人だけの時間がどうしても長くなる。その時に一番辛いことは、話し相手がいないことなのだ。車の中でずっとやっていることは、英語のヒアリングの練習とスピーキングの練習である。大きな声を出すということは、気分を紛らわすには格好の方法だった。外へ出ると、雨は大分小降りにはなっていたが、相変わらずの天気だったので早々とシアトルを出てきてしまったことに後悔はなかった。


R90R82の分岐点でR82に向かい、そのままずっと走り続けているとやがて眼下に大きな川が見えてきた。川には大きな橋が掛かっているのを見下ろすことが出来る。道が急な下り坂になって大きくカーブしながら橋に向かって進んでいる。川の向こう岸は、切り立った断崖が続いている。断崖と言っても岩ではなく土のようにも見える。綺麗な地層が重なって見える。これがコロラド渓谷だと思った。


・川を渡った所にあるガス・ステーションで一休みすることにした。マクドナルド・ショップの横には、比較的大きな雑貨やスナックを売る店がドアを通してつながっていた。コーヒーを飲んで用を足した後、店の中を少しぶらつく。その後、車の中で少し仮眠した。


・ここからは川に添った道を海の方に向かって下っていく。地図で見るとどうやらR84らしい。この川はポートランドを経て、太平洋に河口を持つ大きな川である。ガイド・ブックによると、オレゴン・トレイルと呼ぶらしい。途中、Dallesという街を通過する時に、比較的大きくて綺麗な街並みが見えたので、今夜はその街に泊まることにした。ガイド・ブックによると街は比較的古い歴史を持った市街地があるようだった。しかし、実際に走ると今まで見てきた海沿いの街並みとは明らかに違う、古ぼけた中世の趣があるところだった。


・ゆっくりと市街地を走っている内に、ドンドン街はずれの方に出てしまった。そしてそこには、今まで見てきたのと同じような、大きな共通の駐車場を持つショッピング・センターが出現したのだった。大きなスーパー・マーケット、ホームセンターやステープルの大きな店もある。中には食事のできる店もあるようだった。その他、道の両側にはマックやタコベル等の何処に行っても必ず見掛けるドライブ・インが幾つか点在している。


・カーナビとガイド・ブックで調べると、近くにスーパー6がある筈だった。実際に行ってみると、豪華とは言えないが、適当なスペースと清潔さ、そしていろいろ便利な設備が揃っていた。スーパー6は何処へ行っても、自分が最低限必要とするものは、冷蔵庫以外は大体揃っていた。宿泊登録を済ませた所、金額は一泊あたりで49ドルだった。


・明日は再びポートランドにある警察に行って調書を書き換えてもらうことを考えていたので、その意味でもポートランドに近いこのDallesが気に入ってしまった。また、この風情は全くないが新しくできた便利な街とこのモーテル、及び近くの大型のショッピング・センターも気に入ったので、今回はここに2泊することにした。


・ただし、夕食はデニーズの様な何処に行っても同じものがあるような俗なレストランではなく、街の由緒あるアメリカン・レストランか、案内書に乗っていた日本食レストランで久しぶりに本格的な日本料理を食べようと思った。しかし、街中をさ迷いながら探した所、辿り着いた日本食レストランはとうの昔にクローズされ、寂れた様に取り残されたまま建っていた。実はこれと同じ経験は、今までに何回かしていた。


・何処に行っても韓国人や中国人はそれ程珍しくはないし、韓国や中国のレストランは直ぐに見つけることができる。韓国人は人口が日本の約半分位だったはずであるが、アメリカの西海岸では何処に行ってもとても目立つ。彼らは何時も集団でいて、そして大きな声を出して我が物顔で喋っている。しかしながら、日本人が何処にもいない。ポートランドやシアトルでは、ビジネスマンにも観光客にも会わなかった。


・そして、あちこちにあった筈の日本食レストランは、その多くがクローズになっている。ということは、かつては流行っていたこともあるのだろう。しかし、現在のアメリカ西海岸の各地方に於いては、日本の影は確実に薄いものになっている。街で見ることが出来る日本独特のものと言えば、それは車ばかりである。日本人の影も見つけることができない。


・ついでに言えば、新しいモーテルでは部屋に置いてあるテレビの多くが、LGとかサムソン等の韓国製である。ウラビレタ安モーテルでは、テレビにソニーの文字を見つける事ができるが、それは画面が小さくて図体が大きなブラウン管テレビである。


・日本にいる時は、アメリカの経済に対する日本の影響の衰退を、肌で感じる機会は少なかった。しかし、今回の旅行でハッキリと感じることは、日本の影響の明らかな衰退であった。


・夕食はアメリカン・レストランに行った。しかし、メニューを見ても、デニーズと大差なかった。量が少なくてそれほどしつこくなく、安心して食べることの出来る料理は、ステーキかハンバーグだけだった。そこでハンバーグを頼んだ。ドミグラス・ソースはOKかと聞くのでOKだと言ったら、巨大なハンバーグが見え無いくらい山になってかかっていた。そして、そのソースが結構、しつこいものだった。ただし、値段は安く、チップ込みで14ドルだった。しかも、広い店内には客は自分が一人だけだった。帰りにデニーズを外から覗くと、10カップル以上は客が入っていたようだった。


0 件のコメント:

コメントを投稿