2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/31

1031日(日)PortlandからSeattle

・翌朝、壊された車を別の物と替えて貰う為に、昨日、PCで調べておいた街中にあるダラーのオフィスへ行った。保険がきく筈なので、その場で直ぐに替えてくれるものと思っていたら、自分が借りた車は、ダラーとダイレクトに契約したものではなく、ダラーを通した別の小さなフランチャイズ業者なので、その業者のオフィスに行かなければダメだと言われてしまった。そこで色調べて貰ったら、幸か不幸かその業者のオフィスがこの地区にもあるという事だった。ただし、一番近くにあるオフィスは、エアポートの事務所だと云って、そこまでの地図を書いてくれた。


・高速道をエアポートに向けて走った。しかし、窓が開いているので冷たい風が入ってきて寒くてしょうがない。外は零度C位の気温だった。高速では走る事が出来ないので、ゆっくり走っていると後続の車がイライラしているのが分かる。やっとエアポートについて着いて、近くのカープールにあるオフィスで聞くと、ここでもその業者の車は扱っていないという。近くにあるその業者のオフィスに行かなくてはいけないと言われた。地図を書いて場所の説明をして貰ったのだが、しかし、カーナビもないし、しばらく走っている内に方向感覚がなくなってしまい、すっかり道に迷ってしまった。全く自分がどこにいるのかも分からない状態になってしまった。


・そして、気落ちした気分である角を曲がった処で、いきなりサイレンを鳴らされた。見るとパトロールカーがスピーカーで、どうやら止まれと言っているようだった。うーん、またやってしまった。パトロールカーに止められたのは二回目である。日本では5年間に一度くらいの割合なのに、こちらでは一ヶ月に一回の頻度であった。警官に聞かれることは、日本と同じであるが、いろいろと云い訳をしていたら、どうやら許してくれる事になった。ことについでにレンタカーのオフィスを聞くと、ついてこい云われパトロールカーで先導してくれた。この経験も二度目である。つまり、焦っている時は何らかの違反をしており、捕まる可能性が高くなるのである。


・代車の手続きは直ぐに終了した。結構新しい年式(二年目)で程度の良いフォード車だった。年式は新しいが、距離計は随分進んでいた。(値は忘れてしまったが) 韓国車の様にキビキビと走る軽さはなかったが、どっしりと戦車のような重量感があった。そして、高速道を走り続けるには、この車のほうが安定感がり運転しやすいと思った。アクセルペダルが重くて、しかもエンジンの回転がペダルに直ぐには追従しないようにわざと作られている様な気がした。


・こうなったら、一刻も早くポートランドを離れて、シアトルに行ってみたかった。事前に調べた所では、シアトルは大変美しい街のようだった。ガイド・ブックだけではなく、そこに住んでいる日本人の書いた本や、シアトルでロングステイの案内をしている日本人が書いた本を何冊か読んでいた。それを読んでいたこともあり、今回のアメリカ旅行では、シアトルを訪れる事が目的の一つと考えていた。出来ればシアトルに5日間位滞在したいと考えていた。


・自分が持っているアメリカ西海岸をカバーしている地図では、ポートランドからシアトルまでは大した距離ではなかったのに、実際に高速道R5を飛ばしていると、とても長い距離であることが実感できる。しかも、始めてカリフォルニアの大地をドライブした時の感激は、今はあまり無く代わり映えのしない風景が続く。しかし、右前方の遠くの方に富士山よりも高そう雪を頂いた山がそびえているのを見た時は、率直に美しいと思った。後で地図を調べたら、Mt.Rainier 4392mと出ていた。


・その内に雨がふりだしてきたのだが、見る間に激しい雨になってしまい、高速道の標識が何も見えなくなってしまった。標識だけではなく、自分が走っている車線まで見えなくなってしまった。怖いので、自分は速度を落として走っているのだが、回りの車がドンドン追い抜いていくのがとても不思議だった。何故、前がよく見えない所でスピードを出して走ることが出来るのだろうか? しかも、一台や二台の車がそうしているのではないのだ。


・夕方になって、シアトルについた。例によって、市の中心地区を車で走ってみた。ついでにガス・ステーションで給油したのだが、ここでノズルの使い方が分からずに困ってしまった。近くにいた若い女性に聞いてやっと分かったことは、シアトルの給油装置は旧式な機械式のノズルで、ハンドルの切り替えを手動でやる必要があることだった。遅れているというか、最新式であることに顧客があまり拘らないのだろう。旧式なものが結構目に付く。


・早めに今夜の宿を決めておこうと思って、探し始めてまた困ってしまった。持っていたガイド・ブックには、ワシントン州が載っていなかったし、カーナビも既になかったカラである。街中を走りまわっても、大きなホテルがあるばかりで、モーテル等どこにも見当たらない。あちこちのガス・ステーションやコンビニ店の店員に聞いてみたが、良い返事が得られない。コンビニにいた客の一人が、それなら俺が良い処を知っていると言って、自分の車で先導して連れていってくれた。しかし、行った所は確かにモーテルだったが、崩れかかった古い幽霊屋敷のようなところだった。


・徒歩にくれてしばらく雨の中を走っていると、全く突然に道の両側にモーテルが連なっている所に出た。しかも、この通りには大きなスーパー・マーケットやファーマシーやステープル等の大型店舗、レストランなどが沢山あって、品が良くはなかったがとても便利そうなところだった。自分はSeals Motelと云う所に泊まることにした。一泊55ドルだった。夕食は近くの韓国レストランで、石焼カルビを食べた。チップを含めて10ドルだった。


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