2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/3

113日(水)オレゴンのBendという街に行く

・朝、ショッピング・センターの中にあった大きなスーパー・マーケットで、店を広げていた惣菜売り場でスープとサンドイッチを買ってフードコートで朝食を食べながら、今日一日の行動計画を検討した。 南に向かって高速道路ではない道、できるだけ田舎道を走りたいと思いR216を選んだ。何処までも果てしなく続く大平原。その中を、たった一本のカントリー・ロードが延々と続く。回りに丘があって道がカーブしている所が多い。また、坂道が有ったりするので、道路も先が見えたり見なくなったりして変化していく。僕の前に走る車はいない。後ろにもいない。


・家がたまに一軒有ったりするのだが、驚くことにスクールバスが走っているのが見えた。ここで育つ子供は、日本の狭くて密集した都会暮らしの子供と同じである筈がないと思った。何が違うのかは分からなかったが、時間や距離の尺度は全く異なると思う。もしかしたら、こちらの方がスピード感はあるかも知れない。日本のように歩いて生活することができないので、何処に行くにしても車を使い、そして普通に走るときでも、時速100km/hで走る生活だからだ。何せ土地の広さが半端ではない。
・更に田舎道の方に入っていく。Warm Spring方面と書かれた看板があったので、迷わず更に奥へと向かう。全体としては南に向かっている筈だった。途中、Simonashoという名前の所に出た。しかし、ガソリン・ステーションと萬屋の店が一緒になった家が一軒あるだけである。その家の前にベンチが合って、一人の老人が座っていた。人が座っていた。

・誰かと話がしたかったので、近くに車を止めて近寄っていく。顔に深いシワが刻まれて、随分と年がいっているように見えた。多分、80歳は超えていると思った。彼はインディアンで、昔はミドル級のボクサーだったという。年を聞いてビックリしてしまった。何と自分と同じ63歳だという。

Warm Spring方面に行くと言ったら、自分も行きたいという。しかし、帰りはどうするのだ? 本当に行きたいのかどうか分からなかったので、早々に引き上げることにした。

Warm Springは確かにこの辺りでは大きな村だった。中心の近くにこの辺りでは大きなスーパー・マーケットと言うより、下町の仲見世の様な暗い売り場が幾つかグループで固まっていて、そこで何でも売っていた。

・周りにいる客を観察していると、ここで出会う人は殆どがインディアンの血を引いているように見えた。色が浅黒くて、髪が真っ黒で、背も低かった。顔は東洋系でふっくらしているが、鼻の形が日本人とは違っている。もしかしたら、ここには彼らの独自の文化の名残があるかも知れないと思い店の中に入った。

・店の中で、揚げたチキンとフライド・ポテトとコーヒーを買う。2.15ドルだった。何とここで売っているものは、値段は安いが中身は他の街の大型スーパー・マーケットで売っているものと同じである。彼らもその昔は自分達の固有の文化を持っていたに違いないが、今では完全にアメリカ人と同じ生活をしている様だった。大体、昔のインディアンがフライド・ポテトを食べていたとは思えない。

・店の人が、フライド・ポテトはここではボジュレというと教えてくれた。店の横の駐車場は舗装されていなかったが、端っこの方に大きな石が幾つかあったので、そこに座ってランチを食べた。

Warm Springを出てしばらく田舎道を走っていると、綺麗な清流に沿って小さな公園が見えた。一休みしようと思って公園の駐車場に車を止める。直ぐ近くで、白人の男ばかりの大学生らしき若者が45人集まって、車から大きなボートを下ろして何やら準備に忙しそうだった。近寄って話を聞いてみると、ここからコロラド川に出て、更に河口まで4泊で川下りをするという。チョット時期的に寒くないかいと思ったが、彼らはTシャツに半ズボン姿であり、裸足で水の中に移動しながら荷物を積み込んでいた。

・これから今日はBendに行くと言ったら、自分達もその近くから来たという。Bendはとても綺麗な良い街だよと言っていた。そしてこの川はBendから流れて来るのだといった。確かにここから南のほうへ行くと、川は段々と急流になる。地図を見るとBendの近くにCranePrarieという名の大きな湖が見つかった。

Bendは比較的に大きな町だった。つまり国道沿いに家が並んでいるだけではなく、所々、銀行などの建物が見えた。そして、国道から少し離れたところには、住宅地が広がっているようだった。車を今夜の宿としたMotel 6において、取り敢えず、町の中を散歩することにした。ちなみに宿代は49.5ドルだった。

・大きな町だったがまずは比較的、家や店が有りそうな大通りを行く。すると若くて知的な顔をした、金髪の女性ホームレスに出会った。「私はホームレスです・・・」 と書かれた紙を持って、この寒い中をずっと歩道の脇に座り込んでいた。家がないということは、今夜は何処で過ごすのだろう。今まで、随分沢山のホームレスを見たが、若い白人の女性を見るのは始めてだった。見たところ、五体は満足のようだったが、いろいろな事情があって仕事をしていないのだろう。本人も下を向いて寂しそうにしているように感じた。

・自分は何をしてあげられるのか? そもそも、中年過ぎの黒人の男性ホームレスには、あまり何も考えずにコインを入れたりできるのに、そしてLAのようにその数も半端ではない場合には、こんなに色々なことを考えずに通りすぎてしまうのに、何故、若い白人の女性ホームレスには、こんなにも複雑な思いを感じてしまうのだろう。自分が何も出来ないことを見透かされているようで、何となくその道を通ることが怖かった。

・川で有った青年が「Bendは川の始まりに近い美しい町だ」 と言っていたが、ダウン・タウンの近くは決して美しい感じはしなかった。キット、近くの自然が綺麗なのだろうと思う。日本でも田舎の方には、こんな感じの町が結構あるように思った。

・しばらく行くと、比較的大きな本屋があったので覗いて見ることにした。本屋といっても、アメリカでは初めて入る古本屋であった。旅行ガイドの棚を探していると、何と探していた温泉ガイドの本が有った。この本はアメリカでは温泉好きの間ではチョット有名な本である。中をめくってみると、有るは有るは、日本以上に原始的な露天風呂の場所と地図と詳しい案内が載っている。しかも、殆ど全てに写真が付いている。その中の多くの写真は、老若男女の全身が裸のままの姿で写っている。これは行かなければと思って直ぐに購入した。発行が少し古くて写真が白黒だったが、値段は7.5ドルだった。

・嬉しい買い物をした。何故ならば、インターネットでは幾つかの温泉情報が見つかっても、多くは場所などがはっきりしないブログ記事であり、この様な案内に徹した情報は見つけることが出来なかったからである。しかもカリフォルニアではアテが外れてしまい、行く所がすべてスパや水着着用の温水プールであった。どう考えても日本の山にある温泉の雰囲気とはかけ離れていたからである。

・途中にあったシティ・バンクの支店でATMから金を下ろした。ATMが使えるという事は、多額の現金を持ち歩く必要がないので便利なのだが、20ドル単位でしか下ろすことができない。一日の最大の額は600ドルである。しかも、どんなに少額であっても一回あたり3ドルの手数料が掛かる。


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