2011年10月21日金曜日

10/18(Mon)--10/23(Sat)

10月18日(月)何人かのクラス・メートの紹介
・今日はホーム・ステイ関係の友人ではなくて、毎日通っている語学学校のクラス・メートについて、少し整理しておこうと思う。これは学校で知り合った人達の中の数人を選んだものだが、特に仲が良いという訳ではなく、印象に残ったメンバーを一方的にまとめたものだ。
・キーサンカン・・韓国人の男性で40代の後半。韓国のナショナル・セミコンダクターでバイス・プレジデントをしていたが、今度、サムソンに移籍したらしい。語学に磨きを掛ける為に、3ヶ月のサバイバル休暇をとって単身でUCLAに数ヶ月滞在している。英語はかなり上手だし、アメリカに関するいろいろな知識や話題が豊富である。親日家で日本にも頻繁に来ており、日本語もかなり話すことが出来る。自分とは他のメンバーより年齢が近いこともあり、気安く話ができるメンバーの一人である。
・ハイシャ・・韓国人の女性で40歳代、歯医者さんらしいが英語を身に付けて、今後はアメリカに住むことを考えている。現在の処では、英語があまり得意ではないように見えるが、とても積極的である。かつ、経験が豊富でキャリア・ウーマンと言う感じがする女性である。
・ミナ・・21歳の韓国人で、とても人懐こく、そして素晴らしい女性である。一緒に話をしていると、相手にも優しくて温かい心が伝わってくる。話していると自分も心が明るくなってくる女性である。
・YUK・・日本の立命館大学の4年生で同様に21歳の若い女性である。大学で学びながら、既にイギリスやオーストラリア等でホーム・ステイをして英語を学んだ経験を持っている。どんな環境でも積極的に行動する事ができる、明るくてチャレンジ精神の旺盛な女性である。
・YR・・日本の同志社大学でマネージャーとして働いている、英語がかなり出来る女性である。この語学学校には英語を学びに来ている他に、自分でも学校の授業方法を改善していくというテーマを持っており、その調査を兼ねてやってきている。とても積極的で活動的な聡明な女性である。一人でカリフォルニア大学や東部の大学等、アポイントを取って全米を動き回っている。
・スハ・・やはり韓国人の女性で22歳。YUKIの話では、親が大変な金持ちらしい。とても物静かで、それでいてとても恥ずかしがり屋の女性である。
・ジュリー・・25歳の日本人女性である。美人でオシャレな独身女性であるが、既に日本に結婚を予定した彼氏がいるらしい。この暑いLAでもブーツを履いていることが多いが、それがとても様になっている。ファッショナブルな女性である。帰国後は彼氏と中国に行って、ビジネスをする予定だと言っていた。
・ヨンターク・・日本生まれで日本に住んでいる20歳の男性である。一年位ここにいる予定らしい。趣味がダンスで、とっても行動的である。既にUCLAの学生と多数知り合いができており、UCLAのダンス・サークにも出入りしているらしい。彼等が住む学生寮にも時々寝泊まりしている様であった。英語はあまり得意ではない様だったが、授業中に良く発言する積極的な若者である。一年後には相当英語が上達している筈である。
・ジェー・・同様に日本で生まれて、今は親と高円寺に住んでいる韓国人の男性である。年齢は22歳で、やはり一年位はここにいる予定らしい。車で通っているが、とても背が高く、もの静かでオトナシそうな青年である。一方では、とても芯が強そうな処がある。
・ジェニー・・何時でもとても明るくて、人懐こくて、お茶目なタイ人の22歳の女性である。誰とでも直ぐに友達になれるという特技を持っている。
・YK・・26歳であるが、既に結婚している美人の日本人女性である。既に6ヶ月位LAに滞在しているようだった。とても美人であるが、自分のスポーツ・カーで通っている裕福そうな女性である。しかし、話をしていると、とても物静かでしかもしっかりした考え方を持っており、自分の信念を貫いていくという芯の強さが感じられる素晴らしい女性である。
・モハメッド・・ドバイからアメリカの大学に通う目的で来ている22歳の男性で、その為に必要な語学を学んでいる。話を聞いた限りでは、本国には日本人より相当豊かな人が多いらしい。彼は苦労を全く知らない、貴族の様なナイスガイである。
・バキ・・同様にドバイからアメリカの大学に通う目的で来ている22歳の男性で、その為に必要な語学を学んでいる。強者の様に見えるが、実は思慮深い一面がある。
・こうして見てくると、多くが若い日本人と韓国人・タイ人の女性、及び韓国人ばかりである。社会人の経験者も多い。東洋系以外では、ドバイから来ている若い男性が3人、チョット人種が偏ったクラスである。初級クラスなので、上級クラスのようにヨーロッパ人がいないし、皆、人間的にもどこか静かな所がある人ばかりなのが面白い。
・一昔前と比べると日本人の数が随分と減って、その代わり韓国人が増えているようだ。日本の影がアメリカからどんどん薄くなっていること、そして代わりに韓国人が実にエネルギッシュにアメリカという国にアプローチしていることが際立って感じられる特徴である。この事は学校のクラス編成だけではなく、アメリカ中を旅行していても、そこかしこで強く感じることである。良いものを作ろうとしているが、逆にモノづくりの精神から抜け出せないで、日本の中だけでモガイテいる日本が透けて見える。このままでは、10年後の日本が大きく飛躍することは難しいと感じた。

10月19日(火)僕のプレゼンについて(2)
・今日のトピックは、自分がクラスでプレゼンテーションをしたことである。上がることもなく、落ち着いて話すことができたが、英語をうまく喋ることは残念ながらできなかった。
話の内容は、アメリカに来てから行った3週間のドライブ旅行で感じた、日本とアメリカの道路事情の違いを述べたもの。その観察結果から事実を整理して、その違いの根本的な原因に焦点を当てた仮説を立て、原因分析を行い、結論として自分の意見を整理した。
・聴衆からの反応・評価はまあまあで有ったと思う。プレゼン後の質疑応答も活発にあったが、しかし、講師の評価は厳しいものであった。
・まずは原稿に書いてあることを、そのまま読むようなことは絶対に避けるように言われた。皆の目を見ながら、必要なことを口頭で説明していくこと。その進行上の順番や説明のためのロジックを間違えないようにするために、スライドを使いなさいとのアドバイスを受ける。その為には、スライドは前後関係を明確にして、箇条書きにした目次のようなもので十分であると云う。図とかグラフとか写真のように、スライドでなければ分からないようなものを見せることは良いが、その説明はスライドには書かないで口頭でやること。もう少し、実践的な話すためのトレーニングを積んでいくことが必要であると想った。


10月20日(水)再びバスとLAの携帯事情
・本当に月日のたつのは早いもので、そろそろバス通学も残す所、後、3日となってしまった。これからはLAでバスに乗る機会も減ってしまうと思うので、もう一度、バスに関して気がついたことや考えたことを書いておきたいと思う。
・日本の都会で生活している人が、LAに行って暮らしても殆んど大きなギャップを感じること無く生活をすることができるということは、逆の意味で自分にとって一つの驚きであった。しかし、そこにはやはりカルチャー・ショック程ではないが、やはり、日本との違いのようなものが幾つかある。つまり予想と少しだけ異なった経験である。携帯電話がその一つであった。こちらの人は最近の日本と違って、携帯電話で話しながら歩いている人がとても多い。しかも、大きな声で長々とやっている。バスの中でも同様である。それに対して、日本では(東京では)既に携帯は、メールを見ることや、ゲームをする姿を多く見かけるだけで、話をしている姿を見掛けることは少なくなった。周りの視線がそれを拒絶しているからである。
・また、最近こそ日本でもスマート・フォンが大流行しているが、LAでは多くの人が既に使っている。特にUCLAの学生街に行くと、そこには裕福な人達が多いせいもあるが、ほとんどの学生が持っているといって良い。ただし、こちらでは最新式のスマート・フォンだけではなく、昔からあるブラック・ベリーを使っている人も多いようである。こちらも含めて、多くの人が右手を使ってアプローチしている姿が普通になっている。チョット道を尋ねただけでも、グーグル・マップを見せてくれる事が多い。
・アイポッドを使っている人も多い。日本でも若者は多くが使っているが、LAでは良い年をした大人が、イヤ・フォンやヘッド・フォンをしながら歩いているのを見かけ事が多い。

10月21日(木)英語を学ぶ目的と勉強方法について
・今日は学校へ通う残りの時間も少なく成って来たこともあり、語学(英語)の勉強法について考えたことをまとめておこうと思う。その前に、「何で英語をやるのか」について、少し考えて見ようと思う。
・自分がUCLAで面接を受けた時に、同様のことを聞かれたが、その時に答えた事は以下のようであった。自分が英語を学ぶ目的は3つある。一つは①自分の残りの人生の楽しみとして、海外の文化や歴史を学びたいと思っている。ただ単に外国のガイド・ブックを日本語の翻訳書で読むことや、観光旅行等で、実際に自分の目で見て経験して楽しむだけではなく、その国の言葉で書かれたあらゆる本を読んで理解し、その国に住んでいる人と実際にコミュニケーションをとって、外国人の友人を増やしていくと共に、実際にその地で起こっていることやその背景を含めてより深く理解したいと思っている。その為に、世界で最も広く使われている言語として英語を学び、自分の視点を広げていきたいと考えていること。2つ目は②自分は中学校から大学まで英語を学んできた。しかしそれは英語を「読んで理解する」ことに重きを置いた教育であった。従って、英語を「聞いたり、書いたり、話したりする」、所謂、コミュニケーションの道具として使うには、余りにもレベルが低い状況にある。今まで学んだ英語によって、ある程度は外国の文化や技術を学ぶ事は出来るが、自分の考え方を外国人に知らせることや、自分に優利な結果を交渉によって得る事ができるレベルには程遠い。今までの様に日本の国内だけで生きていくのではなく、残りの人生を、世界を舞台としてチャレンジ出来るような人生にしていくために、よりコミュニケーションに重きを置いたスキルを磨きたいと考えている。そして最後に3つ目として③英語をマスターすることに寄って、楽しみだけではなく自分が現在やっている事業のスパンを、少し広げていくことを考えている。
・以上の考え方は今でもあまり変わっていないが、少し追加をしたい点が出てきた。それは自分という切り口だけではなく、現在の日本がその将来に向け活動を十分にできているかどうかを考えた時に、英語力に関して考えてみたときには大きな問題を抱えていると感じることだ。自分の残りの人生を、この点を変えていく行動を少しでも進展させていくことにも費やしていきたいと考えるようになった。
・問題点とは何かというと、日本の教育は明治時代の初期からずっと「外国から如何に学ぶか」という点を目標にして、そして大きな成果を上げてきた。しかし、既に外国から学ぶだけではなく、日本の考え方を世界に発信し日本の考える戦略に沿って、日本を優利にしていくような活動を行なっていくべき時期に来ている。にもかかわらず、相変わらずと言うよりもますます日本は内向きになっていて、日本の考え方を外国人に理解させることはあまりできているとは言えない。これを少しでも改善していく教育方法を、自分が実践すると共に、その方法を国内に発信することや、ボランティを通して日本に住む外国人の役に立ちながら、少しでも日本の英語教育の改善に対して貢献したいと思う。
・その為に、英語の有効な教育方法を考えて、色色な活動を実践していくことを4つ目④として加えたい。
・以上をもう一度まとめて見ると、自分にとっての英語を学ぶと云う目的は以下である。
・趣味や楽しみの一つとしてとして、外国の文化や歴史を学び、それを実際に見たり、聞いたり、読んだり、話をしたり、翻訳文では得られないダイレクトなコミュニケーションを取りながら、彼らの目的や方法、理由や影響の大きさ等を理解することによって、自分の視野や考え方の幅を広げていき、また、外国の友人を得ることによって自分が楽しむことも満足させていく一つの手段として英語を習得したいと思う。
・日本の優れた点を中心に、自分自身の感じたことや考え方を世界に発信することによって、自分自身と外国との結びつきを強め、外国をも豊かにし、結果として、自分やしいては日本の優位性を保っていく。その為の一つの手段として英語を習得したいと思う。
・日本人同士の中だけの議論に留まるのではなく、広く世界の中での日本のポジションを知った上で、種々の価値観や多様な考え方を理解し共有したいと思う。その為に、自分が行動し、自分の仕事や影響力を拡大させていく為の一つの手段として英語を習得したいと思う。
英語の勉強方法について:
・話す能力、書く能力(作文力)、正しい発音・・・オクスフォードのテキストを使用してこれをマスターすることを目標にする
 ・ネイティブが読む英語を聞くこと。その英語の関する質問に声を出して答える。
 ・その英文を英語の構文に沿って日本語に訳し、それを見て英語を話すこと。
 ・出来なかった所を復習し、結果として英語の文章と重要な構文を覚えること。
復習のやり方としては、まず口頭で声を出して読み、次に文書を書いて頭に入れる。
 ・書けないスペルは5回書いて覚える。
 ・書かれた文章の大意を英語でまとめる。更に自分の感じた感想を英語で書き加えるとともに、それらを口頭で発音し頭に入れておく。
 ・発音練習を独立させて実施する。
・読む力、ヒアリング力、単語力・・・S.シェルダンの本を日常的に読みそして聞く。
 ・まずは適切なレベルの本を選んでたくさん読むこと。繰り返し読むことで、単語や文章の意味を想像できるようにするとともに、単語の数も増やす。
 ・読んだ本の内容が英語で録音されたものを繰り返して聞くことにより、発音が聞き取れるように耳をならすこと。
・その他の実践や文法、背景となる知識
 ・自分の日常の経験や考えたことを小さなテーマとして設定して、250語位の英語の文章でまとめること
 ・英語を話すサークルに参加して、色々な人の話し言葉を聞くと共に、できるだけ自分の意見を発言する機会を持つこと。
 ・英語について書かれた本を読むこと
 ・DVD映画やユーチューブ、ラジオの英語ニュース等を見たり聞いたりする。

10月22日(金)修了式
・今日は早いもので、語学学校では今月の修了式の行われる日である。と言うのはこのスクールでは、授業は一ヶ月単位で進行しており、多くの人は3ヶ月位で終了し、次の段階の進むようである。大学を目指しているのであれば、次はアカデミック・コースへ行き、進学に必要なスキルを中心に更に数ヶ月を費やす事が多い。自分の周りにいる社会人の場合であれば、やはり3ヶ月位の休暇を終えると、元の仕事に戻っていく。遊びで来ている人も、多分、同様だろうと思うが自分には良く分からない。
・午前中は、シンシアの最後の授業だった。マーケティングの話を中心に、グループでディスカッションをしたりした後は、ゲームをして遊んだ。どんなゲームかというと、各人が適当な言葉を考えてそれをカードに書き、隣の人の背中に貼り付ける。その後で二人一組のペアで、それぞれの背中を確認してから、相手に簡単なヒントを与える。そして背中の言葉が何なのかを当てる。もしも当たらなかった場合には、別のペアを探し同様にヒントと答えを当たるまで次々に繰り返すのである。
・或いは同様に背中にある言葉を書いたカードを貼り付けた一人が前に出て、その人が皆に質問し、それに対してヒントになる言葉を誰かが返すことで教えて上げる。このような質問を次々に行い、最も少ない質問数で答えを当てることを競い合う。もちろん、ヒントの出し方には、幾つかのやってはいけないルールがあるのであるが。
・そんなことをやっている内に、11時になると、今日のために皆で一品ずつ持ち寄ったお菓子や飲み物で簡単なパーティが始まった。それぞれ親しい仲間と写真を撮り合い、互いに親しい仲間とお話をしている内に時間が来てしまうという訳である。
・そして、昼飯の後は講堂に集まって修了式が行われた。クラス毎にメンバーが集まって前に出て、一人ずつ修了証を貰って一言何かを喋ってお仕舞い。
・修了式の後は何人かで、UCLAの中にある美術館に行くことになった。メンバーは自分の他は、YRとイタリア人のエリカとXXX,コリアのキムの5人であった。ただし、その前に全員が今日で授業を終了するため、学生ビザ手続きを行った。どういうことかというと、学生ビザは5年間有効であるが、授業を連続して同じ学校で受けない場合には、その学校の授業が終了した時点でそれを証明するための手続きが必要なのである。そして、次に別の学校で再び授業をうける場合には、授業を開始することを証明する手続きが必要になる。これはアメリカの政府が、学生ビザをもって入国する人は必ず、政府から認可を受けた学校で授業を受けたことを確認できるようにするための措置である。これはどこの国でもやっていることだが、特にアメリカでは9.11のテロ事件の後で、厳格に管理されるようになった。
・YRはやはり3ヶ月の予定でやって来ていたが、UCLAの授業には失望しており、このままUCLAでの授業を継続するか、他の学校に移るかで、この二三日悩んでいたのだった。しかし、結局、他の学校に行くことに心を決めて、今日はこれから既にUCLAに払い込んでいた授業料を返してもらうために交渉に出かけたのだった。エリカとキムとは外で待ち合わせることにして、YRと自分だけがUCLAのオフィス棟に出かけていった。結局、事前の契約とは異なり、YRは払い込んだ授業料の全額を取り戻すことができたのだった。
・UCLAの美術館は、一般人は$10位の入場料がかかるようだが、学生は無料であった。学生証は今日まで使用可能なので我々は無料だった。美術館はキャンパスから少し離れた町の中にあるのだが、大きなモダンな建物で中に入ると大きな中庭があり、気持ちの良さそうな庭に繋がったオープン・カフェとシックなレストランが庭に面してあった。値段は特に高いと言う訳ではなさそうなので、都会の中の穴場の一つだと想った。
・美術館の中は、特に名前の知られた作品は見当たらなかったが、現代美術に力をおいた力作ぞろいで、自分にはダウン・タウンにある有名なMOCA(カリフォルニア州立現代美術館)よりも立派であった。
・美術館を見た後、中には皆で記念撮影をした。自分以外のメンバーは、明日の昼にサンタ・モニカに遊びに行こうという約束をしていた。自分も形だけ誘われたが残念ながら行くことが出来なかった。月曜日からはLAを離れて再びドライブ旅行に出かける予定だったので、明日の午後は別のホーム・ステイのメンバーが、同じサンタ・モニカで送別会をやってくれることになっていた。

10月23日(土)お別れパーティ@サンタ・モニカ
・今日は夕方からサンタ・モニカに出かけて、イタリア・レストランで自分の送別会を行なってくれるということになった。送別会とは、もちろん皆が集まる口実なのだが、一応、自分の他に、Mei、XX、KZ、KOR、TAKAが集まってくれることになった。夕方、まだ日の高い内に、MEIと自分がホスト・ファミリーの家の前の広い庭にでて彼女の写真を沢山撮った。何時もはジーパンかスラックス姿なのだが、今日は彼女も少しだけオシャレをして黒いスカートを履いている。
・それからKAZの運転する車でKORの家に向かいに行く。KORの家はLAでもLAX空港の近くで、しかも太平洋に面した海辺にあった。ドライブ気分で避暑地に来た感じがする所だった。海辺で再びMEIの写真を撮った後、サンタ・モニカに向かう。一方、TAKAは自分の車で、途中、ピコ・ストリートにあるXXXに寄ってくることになっていた。
・メイン・ストリートと海沿いの道路の間にある、公共駐車場位に車を止めようとしたが、あいにく日曜日ということで一杯だった。この駐車場は二時間までは無料だった。実は自分はこの時が、サンタ・モニカのメイン・ストリートを訪れた初めての時だった。しかも夜だったので、他のLAとは大きく異なって、街のネオンがとても綺麗だった。久しぶりに東京の街を思い出してしまった。少し寒かったが、まだ明るい内に海辺を少し散策した。綺麗な街並みときれいな海があるという点では、東京でこの街に匹敵する所は見当たらない。
・暗くなってから、メイン・ストリートに戻って、良さそうな店を物色して歩いた。MEIが今日は自分(つまり私です)が王様だから、自分が好きな所を見つけるべきだと言ってくれたが、どの店も人で一杯だった。しばらく通りをブラブラ歩いて行くと、歩道までテーブルと椅子を持ちだして、しかもとても賑わっているイタリア・レストランがあった。中を覗くと丁度テーブル席に空いたところが有ったので、すかさずここにしようということに決まった。
・今日のメンバーは自分の他は学生ばかりなので、皆の財布に合わせて注文をすることにした。定番のスパゲティやピザの他に、幾つかのディッシュとパンを控え目に頼む。さすがに学生だけ有って、多分、何回頼んでも同じ料金の筈であるパンは、合計で何回もお代わりを頼んだような気がする。酒は、はじめはビールで、後からはワインを飲んだ。大いに盛り上がって、勘定は一人当たり$15位だった様に思う。
・その後は、しばらく通りをぶらついたり、アップル・ショップを覗いたり、本屋で買い物をしてから、スター・バックスの野外の席で長々とお喋りをした。基本的には割り勘なので、随分と安いコストで、気分がこれまた随分と若返った気がした。

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