2012年4月2日月曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/11

1111日(木) キングス・キャニオン国立公園

・今日はLAに帰る日である。朝は早くに散歩もせずに9時前にフレズノを出発した。LAは夜に着けば良いのだが、その前にキングス・キャニオン国立公園に寄って行きたかった。もしも巧く事情が許せば1時間位は、ハイキングもしたかった。国立公園の入り口までは、フレズノからは殆ど真東の方向にR180を登って行くのである。途中までは、道幅の広い日本では高速道路と云う感じの道が続いているが、途中からは山道となり道幅も狭くなりそして坂道とカーブが延々と続く。アメリカの広大さを感じる時はこんな時である。本当に何時になったら、このカーブから解放されるのかと思うほど同じ様な光景が続く。ただし、道路の状況はとても良くて、日本で云うと山の中の有料道路と云った感じである。

・段々と高度が増して来るに従って、道路脇に積もった雪が増えて行く。天気はとても良いのだが、社外の気温がぐんぐんと下がって行き、車についていた温度計が2Cになっている。車の外に出て見たが、とても寒くて、初めに考えていたハイキングなどとてもする気にはならなかった。何て軟弱なのかと自分でも思うが、今までにハイキングなどしている人は一人も見かけなかったし、いたとしたらかなりの変わり者に違いない。道路上には、まだ雪はないが、雪が解けた水で全面が濡れた状態になっている。現在に時間が午前11時なので、これから気温が上がって行くと思うが、夕方になって凍ってしまうという不安もあった。何よりも、他に車を見かけないと云う事が、不安感を増長させる。
・しばらく行くとR198に行く分かれ道が有り、そこに大きな標識が掛っていて、ここから先への道路は「スノータイヤ&チェーン持参を要求する」と書かれていた。尤もだと思ったが、自分は両方とも持っていなかったので、もしも天気が悪化した場合には困った事になると思った。不安は有ったが天気も良いので前進することにした。しかし、しばらく行くとMusinの少し手前の処で、Delayがあると云う看板があって、それから直ぐに車が10台位停車している後につけたまま、前進できなくなってしまった。要するに、道路工事をしていて片側通行の規制をしている様だった。その内、通行が少ないと思っていた道路だったが、自分の後にもどんどんと車の列が繋がって行く。中には大型のキャンプ車も数台含まれていた。その内、ドライバーが外に出てきて、互いに暇つぶしに話を始めた。自分も丁度、退屈していたので、あえて会話をするというストレスをしようと外に出た。
・1時間位も待っている間に、反対方向から来た車が次々にすれ違って行く。そしてやっと前進できる事になった。そして分かった事は、ここは峠でここを通り過ぎると下りになると云うことだった。果たして、一方通行になっている部分は、道幅が狭く小型車では良いが、大型車には随分危険な道である。狭いだけではなく、曲がりくねっていて、処どころで大きな岩が飛び出しているのである。しかし、眺めは峠のこちら側の方が良く、紅葉と岩山がとても綺麗な対比を見せている。
・しばらく下って行くと道の両側に大きな木が突っ立っている処に出た。即ちこの道は、ここを潜り抜ける事が出来る車しか通行が出来ないのである。といっても、ギリギリで大型のキャンピング・カーが通行できる様である
・山から下りる途中のピザ・ファクトリーで昼食にハンバーガーを食べて少し休憩をしてから、ベーカー・フィールドへ出るまでは、高速道では無くて地図で見て単純に一番近い普通の道を選んでしまった。お陰で長い退屈なドライブを強いられた。地図で見ると高速道が並行しているのだが、高速道に出るまでに数十キロは有ったので、ついつい現状を続けると云う道を選んでしまったのだった。

・そして、LAの北に広がっている山脈を越えるとやっとLAに入る事が出来るのだった。LAの標識が出てくる事には、既に周囲は真っ暗になっていて丁度帰宅時間に重なっているためか、高速道が渋滞していた。カフェで休んでから後は、途中のガソリン・スタンドでトイレ休憩を取っただけで5時間位も連続で運転した事になる。朝から数えると10時間位の運転になるのだろうか、腕の辺りが疲れてきて時々震えが来る。特に渋滞した高速道路での車線変更等が荒っぽくなってきたので少し危険を感じる。

8時頃になって、やっと目当てのLAXが見えてきた時は、とても疲れを感じた。それで早々とモーテル・スーパー8に決めてしまった。やはりLAは値段が高めでここは90ドルだった。近くのシティ・バンクで金を下ろしてから、夕食はDine inで食べた。

・モーテルに帰った後で、YK1と連絡を取り合った所、来週、彼女は大学時代の友人と二人で一緒にSEDONAとグランドキャニオンに旅行する事が分かった。自分も次週はデス・バレーからSEDONA方面に行く計画を立てていたので、SEDONAで落ち合って3日間は一緒に行動することにした。要するに車で案内すると云うだけの足の役だったが、それでも複数での旅行もまた良いものだと思ったからである。そこで、INでホテルを調べた処、中程度の宿はスーパー8を含めて4か所有る事が分かった。その中で一番手頃な価格だったスーパー83泊すると云う予約を入れた。164.5ドルだった。

                         
この旅の一応のおわり

アメリカ西海岸ドライブ旅行日記11/10

1110日(水) 再びオイスター・ファームで美味い生牡蠣を食う

・朝早くモーテルを出発した。サンタ・ローサはサンフランシスコの直ぐ北側にあって、しかも太平洋の直ぐ近くにある街である。そこで海に向かって住宅地を走った。丁度、前を走る大きなトラックが生ごみを集めていた。アメリカでは、何処へ行ってもこの様なゴミ収集車を見かける。感心する事は、日本の様に人手を介さない事である。家の前に出された大きな、しかも形が統一された生ごみ用のバケツの前にトラックを止めると、大きなアームがゴミ箱をつかんで持ち上げて、それをトラックの荷台の処でひっくり返してその中身だけを集める。そして、ゴミ箱をもとの位置に戻すという作業を自動で行うのである。

1位時間もトコトコと走った頃、突然、海辺に出た。ここはTomaless Bayに面したマーシュと云う処で、往路に通過した所だ。牡蠣の養殖をやっている所が近くにあり、生牡蠣を食べさせる所が数軒あった。中でもHOG ISLAND OYSTER.CO書かれた大きな看板のある木造のしっかりした建屋が目に付く。駐車場に車を入れてから裏に廻ると、大きなトレイに大きさが異なる4種類の牡蠣を山の様に並べて売っていた。その横には海を見下ろす広い空き地があって、ベンチとテーブルが7-8個も並んでいるピクニック・エリアがあった。13ドルで大きい種類や小さな種類の牡蠣を13個皿に入れて貰った。そして厚手のゴム手袋とドライバーの様な工具、それにレモンとタバスコの小瓶を受け取って、野外のテーブルで試食した。生臭さが有るのではないかと心配していたが、そんな事は全くなく牡蠣の甘さがとても美味かった。ただし、牡蠣の貝をこじ開けるのは、若干のコツと力が必要だった。ここの牡蠣は最高だったし、ピクニック・エリアも海に面して眺めも良かった。しかし、写真を撮ろうと思ったら、残念ながら電池切れだった。それで携帯電話の小さなカメラで、記録用に数枚の写真を撮っただけ。
・直ぐそばのテーブルでは、カップルや数人でやって来た観光客が楽しそうにビールを飲みながらワイワイやっている。
・ここからは右手に海を見ながら、サンフランシスコまで南下する。その途中には、うねうねと曲がりくねった坂道が続く海沿いのドライブ・コースが続く。この道路は海岸線に沿ってはいるが、かなり高さの高い処を通っているのでとても眺めが良い。そして丘の上から遠くにサンフランシスコの街並みを眺める事が出来る辺りは、二人連れのドライブ・コースとして有名な処である。崖の上にあるビュー・ポイントに車を止めてしばしの休憩をとった。素晴しい天気、気持ちの良い海の眺めと風。この辺りから南方の所謂、南カリフォルニアに入ると、殆ど背の高い樹木はみられなくなってしまうが、この付近にはカリフォルニアらしい天気と共に、緑に包まれた森や林があってアメリカの風土の良い部分が皆揃っていると云う感じがする。そんな素晴しい場所であるにもかかわらず、車はほとんど通らないし、もちろん歩いて居る人影も見る事が出来ない。そこで心地よい風を受けながら、大きな岩の陰で用を足した。もしもサンフランシスコのビルの屋上から、大きな望遠鏡で見ている人がいたら、多分、犯罪行為をバッチリと見られてしまったかもしれない。
・ここからはサンフランシスコの街中を含めて、全て高速道路で一気にフレズノまで走り続けた。フレズノに着いた時は、既に薄暗かったので高速道路の直ぐに近くに有ったMotel 6に荷物を預けた。ここは一泊、59ドルであった。明日はKings Canyon NPへ行くことが目的だったし、フレズノには一度、泊った事が有ったので今日は早めに休んでしまう事にした。
・その前に明日は久しぶりにLA行くので、宿泊場所の確保と、LAに滞在中に会いたいと思う人達にメールを書いて、昼食と夕食を一緒に食べると云う約束をした。特に会いたいと思ったのは、YRMeiYK1MINAYK2TK等である。YK2は、UCLAの授業に飛び入りで参加してみないかと誘ってくれた。もちろんOKだった。YRとは取りあえず一日会う約束を、Meiも同様、YK1は何人かを集めて昼食会をやってくれると云う。TKは自室でパーティをやると云うでの自分も参加することにした。その他、LAにあるジャズ・クラブを幾つかピックアップしてみた。Meiは車の運転を練習していると云うので、夕食の前に2時間位車の運転を教えてやる事になった。

アメリカ西海岸ドライブ旅行日記11/9

119日(火) いよいよカリフォルニアで有名な温泉をハシゴした

・朝、いつものように村の中を散歩してから、少し早目に宿を出発した。まず、ガソリンを
15ドル分入れてから、東の方角に山が連なっているのが見えるのだが、その山の方へドンドン進んでいく。他には殆ど他に走っている車が居ない。この地域はワインで有名な所と思っていたが、今、走っている所にはワイン畑など無く、山が近いせいか、殆どが荒れた荒野の様だった。もともと幹線道路とは言えない田舎道を走っているのであるが、途中からもっと田舎道である舗装されていない田舎道に入った。途中で車を止めて用足しをしたが、日差しを浴びながら誰にも気兼ねしないで用を足すということは、久しぶりでとても良い気分だった。
・デコボコ道を、ホコリを巻き上げながらゆっくりと進んでいくと、途中の道路に鉄柵の大きな扉をつけたゲートがポツンとあるのに出くわした。その横に看板が立ててあって、それには”Wilbur Hot Spring,
private”
と書いてあった。それでゲートを自分で開けて中に入った。


・しばらく進んでいくと、小奇麗な木造のホテルのような建物があったので、横の駐車場に車を止める。駐車場には他に1台が止まっているだけである。何とも静かで人の気配がしないホテルである。周位の景色は、完全に山に囲まれた自然だけの風景であり、恐らく周囲はこの建物の所有者の私有地であるに違いないと思った。自然のようでもあるが、何処か手入れが行き届いているようにも感じられた。当然、何もゴミの容易なものは落ちていない。それどころか、自然の風景に思われるのだが、よく見ると植樹されたような木々や、イングリッシュ・ガーデンに使われるような植物が植えられている。
・建物の中に入ると、都会で見掛ける様な豪華さとは正反対であるが、しっかりした木製の柱や梁、古いが本物に見える絨毯が敷いてあって、雰囲気は昔のアーリー・アメリカン調の高級な別荘地にあるような優雅なホテルを思わせる造りであった。レジストレーションには誰も居なかったが、ベルを鳴らすと感じのよい年配の婦人が現れた。

・今日は一泊しないが日帰りで温泉に入りたいというと、夜まで自由に使って良いという一日券の価格が何と税金を含めて53.5ドルだという。(50ドル+税金が3.5ドルだという) 確か日本で見たガイド・ブックでは15ドルと書いてあった筈だが、ここに来ることが目的の一つでわざわざ日本から来たのであるから金を支払う。この年配の助成がとても綺麗な英語を話すので聞き取りやすかった。また相手も相当暇らしく、それでいろいろな話をした。ここで分かったことは、受付の上に掛かっていた大きな古い時計が、自分の腕時計と一時間もずれていたので、それを指摘すると、何と先週の土曜日から冬時間に戻っているのだと教えてくれた。時計が1時間遅くなる(針を進める)のである。何もしないのに一気に1時間過ぎてしまった。

・風呂の場所や風呂の入り方等の注意事項をひと通り聞いてから、建物の中や庭を散歩して何枚か写真を撮った。そうそう、風呂にはいる時は水着等を一切着用しないこと、タオルもなかに入れないこと、中では話をしてはいけないこと、写真を持ち込んではいけないことなどをとても強調していた。少しワクワクするが、もしかしたら、今回は温泉を独り占めすることになるかも知れないという予感がした。周囲に誰もいないので。

・さて、中に入ってみると、脱衣場などはなく板製の壁に突き出ている木のフックに掛けるようになっている。靴はビニールの袋に入れてその辺に置いておく。回りを見渡すと幅が2m、長さが5m深さは60cm位のコンクリート製の湯船が3つ並んでいる。それぞれ湯の温度が違うという。そしてこれらの湯船の上には大きな屋根があって、両サイドが板壁で囲われていたが、一方の両サイドは全くのオープンになって、外のデッキにそのまま繋がっている。そして外には、大きな露天風呂があって、周囲に木製のベンチが幾つか並んでいた。

・肝心の先客は前部で6人いた。それぞれがカップルで来ており、一人でやってきたのは自分だけである。全員が年の頃は20歳台の後半から30歳台の後半位の様に見えた。年寄りは一人も居なかった。LA等の南カリフォルニアで良く見かける太った人達はここには一人も居ず、6人ともとても均整のとれた綺麗な体つきをしていたので、貧弱な体型の自分が少し恥ずかし感じだった。

・女性陣は3人とも、胸もおしりもとても綺麗だった。一人のドイツ人らしき女性は、特に胸の形が格好良かった。しかし、皆がうつ向いたまま、静かに考え事をしながら湯に浸かるのである。湯船の中は一段の階段のステップのようなものが置いてあって、そこに腰掛けると丁度膝から上が湯の上に出る感じだったので、少し恥ずかしかったが自分は殆ど半身浴で通した。すぐ隣に女性が入ってきたので、思い切って話しかけてみたが、話は長くは続かなかった。


・前を見て座っていると、時々、男女ともぶらぶら、ゆらゆら体を揺らしながら目の前を通り過ぎるのが何故か楽しい。自分は外のベンチに座って裸で日光浴をした。日差しが強く寒さは全く感じなかった。その内、二人の男女がワザワザ自分の目の前にあるベンチに並んで、大胆にも上を向いたまま足を開いた状態で横になってしまった。1mも離れていな所から、しかも真横から二人の寝姿を見守る感じである。まるで意識的に自分に見せつけているような気がしたので、彼らの全身をそれとなく、しかし注意深く観察してしまった。


Wilbur Hot Springを出てからは、ずっとなだらかな山の道を登ったり下ったりしながら、ワインディング道路を高速で走り抜けた。途中でFosters Freezeと書かれた、山のコテジの様な雰囲気のハンバーガーショップで昼食を取った。7.8ドルだった。


・さて、次に目指すはHarbin Hot Springであるが、これが思いの他、分かり難い所だった。何故かというと、ガイド・ブックに書いてある場所にカーナビをセットしたにも関わらず、そこについたら何も無かった。近くのレストランで温泉は何処と聞いても、そんなものは聞いたことが無いと云う感じで、温泉の事はその存在も誰も知らないようだった。目指す村は、ここから大分離れたところにあるらしかった。しかも、その内に雨が降ってきた。結局、その後にコレでもかというくらい急なカーブの続く山道を長い間、走り抜けたのだった。


・山の下に降りて街についた時は、既に4時を廻っていた。山を降りてきた所に大きな街があって、そこで人に道を尋ねると目的地である温泉は、ここではかなり有名であるようであった。スマートフォンを出してきて、地図を見ながら親切に行き方を教えてくれた。そして、温泉は別の道を少し山の中に登っていった所にあった。


Harbin Hot Springは素晴しく手入れの行き届いたリゾート地であった。入口にゲートが有って、そこに大きな小屋があった。長い髪の毛を首の後ろで束ねた若い男性が中にいたが、ここで入園料や駐車場を支払うのである。ここはメンバー制になっていて、メンバーは15ドルで入場できるという。しかし、自分の様な一見の客も30ドルを支払うと、一時的に会員になる事が出来て中に入る事が出来る。


・ゲートから駐車場までは数百mも走る感じであったが、駐車場についてビックリしたことは、大きな駐車スペースに既に車が100台位止まっていたことである。車を降りてからタオル等の必要最低限のものを持って風呂のあると云う場所に向けて、自然公園の様に造られた庭園内の坂道を登って行った。しばらく行くと、右前方に何棟かの感じの良い宿泊施設があって、日帰り客以外の多くの人達はここに泊ってゆっくりと温泉を楽しんでいるらしかった。


・そしてしばらく歩いて行くと、いきなり本当に不思議な光景に出会った。何かと云うと自分の目の前を、何も来ていない裸の女性が横切って歩いて行ったのだった。彼女は太ってはいなかったが、少しお腹のあたりが出ている様な気がした。気がついてみると、この寒い戸外に全くの裸の人達が、あちこちに何人も歩き廻っているのが見えた。直ぐ左前方には戸外にシャワー・コーナーがあって、そこで裸のままシャワーを浴びている人がいた。もちろん、ドアなどついて居ないので、目のやり場に困ってしまった。そのシャワー・スペースの横にシックな建物が有って、入口のドアには更衣室 (Dress Room) と書いてあったので、服を脱ぐ為にその中に入って行った。すると30畳位のスペースの部屋に、いきなり数十人の裸の男女がぎっしりと集まっている光景が目に入ったので、本当にビックリしてしまった。部屋の奥の壁面は一面鏡が張ってあり、その前で裸の女性が日本のラジオ体操の様な柔軟体操をしていた。その横では、同じく長い髪の毛をした女性が、ドライヤーで髪を乾かしていたのだが、手早くやれば良い物を何時までもダラダラと裸のままである。鏡には、女性の前の方が映っている。部屋の中央には、シンプルな背もたれの無いベンチがズラッと並んでいる。ベンチの横で着替えをしているのがいる、あるいは裸のままベンチに座りこんでいる人がいる等、それこそ空いているスペースを見つけることが困難な位大勢の人がいる。部屋の一方の片側には、キーのついたロッカーが並んでいて、その反対側は一面がガラス張りの窓がついて居る構造になっていた。何故か、肌の色の黒い人は一人もいなかった。


・自分は裸の集団にただ圧倒されてしまって、茫然としてベンチに座ったまま、目の前でこれから服を着ようとしていた若い女性を見ていた。彼女はこれからタイツを履こうとしていた。女性がタイツを素肌の上に直に履くのだということを自分は初めて知ったのだった。そして日本と同様に、アメリカでも多くの女性がタイツを履いている。中には堂々と、下半身の体のラインがそのまま見える様なタイツ姿のまま、街を歩いている女性もいたことを思い出した。多くの女性が、下着を履いていないと云う事に気がついた。


・次にGパンを履いている女性がどんな下着を着ているのか知りたいと思ったが、ここに来る人達は結構オシャレで、たまたま、その様な光景は見当たらなかった。タイツを履こうとしていた女性の横では、年を取った男性が服を脱いでいたが、自分はどういう訳か若い女性の姿ばかりに目が行ってしまう。多分、外国人が初めて日本の銭湯に行ったと時には、こんな感じのカルチャー・ショックを受けるのではないだろうか。


・ここは更衣室なのだから、服を脱いだり着たりするだけだと思っていたが、多くの人達はそうではなく、ここで裸のままずっと立ったり歩いたり座ったりしながら寛いでいて、なかなか部屋から出て行こうとしない。良く見ると、女性がその大切な部分にピアスをしている人がいた。ここでは、老いも若きも裸が最高のイデタチなのだ。皆、自分の裸を見せあって、開放感を味わっている様な気がした。


・自分はサッサと裸になって外に出た。妙な開放感と違和感を、同時に感じた。既に夕方だったので、外は寒かった。しかし温泉の設備と云えば、屋根もついて居ない戸外に、コンクリート製の約123m四方の大きな四角いプールのような風呂と、直径が7m位の丸い風呂が二つと合計3つの浴槽が有るだけである。どの風呂にも老若男女の大勢の人達が話もせずに静かに湯に浸かっている。50歳位のカップルが、裸で抱き合ったままピタッと体を寄せ合って全く動かないのが目に入った。


・まず、四角いプールに入ってみた。この寒い季節なのに、湯温がぬるくてとても寒く、あまり居心地が良くなかったが、寒いので一度入ると外に出る事が出来ない。温泉につきモノである暖かそうな湯気の立っていない。湯船の深さは1.6m位あって、身長が1.7mの自分でもやっと首を出している事が出来る位である。多くの人達は、プールの淵の処に静かに突っ立ってプールの中央を見つめているだけである。プール全体としては、肌を触れるのではないかと云う位、大勢の男女がひしめいている。湯は透明なのだが、深さが深いのでそして全員が経ったままなので、互いに顔しか見る事が出来ない。ここは風呂とはまったく違って、あまり居心地の良い処では無かった。


・次に丸い方の風呂に入って見た。ここは先のプールより更に湯温が低くて、しかも深さが浅いので、寒くて自分はとても中に入っている事が出来ない。しかし、不思議な事に、風呂から上がって裸のまま風呂の周囲に座っている人達や、横のコンクリートの床に寝ころんでいる人達がいた。自分は寒いので、慌てて手刷りに掛けたタオルを取りに行って、体を拭いてから、先程の更衣室に戻った。


・ここは暖房が効いていてとても温かであり、気持ちが良かった。自分は再び風呂に入るために外に出ることは諦めて、ここで自分も全くの裸のまま周囲の裸の人種をじっくりと観察することにした。入れ墨をした男性や、相当年齢がいっていると思われる女性も何人かいた。そしてそれ以上に、若い女性も大勢いた。ただし、ここでは会話はしてはいけない事になっているので、とても静かなそして何となく楽しい所だと思った。ここは温泉場というよりも、裸になることで、ストレスを解放するヌーディスト村と云った方が良い処であると思った。


・今日の宿泊場所は、さっきの温泉場に程近い処にある大きな街であるSanta Rosaに決めた。いつもの様に幾つかの部屋を確認した結果、中級クラスのモーテル・チェーンである“Traveloge” に決めた。料金は57.5ドルだった。本当に大きな市街地の真ん中付近に合って、近くにはステープルやビッグバイ等の何処ででも見かける大きなショッピング・センターが、歩いて行ける距離にあるとても便利な所だった。店の中を覗いてみたが、ここでも売っている物は、全く代わり映えのしない同じ様なものばかりであった。どうしてアメリカでは、何処へ行っても同じものしか売って居ないのか、同じものしか食べる事が出来ないのか、とても不思議だった。


・夕食はショッピング・センターの横に合った、これもどこででも見かけるフランチャイズ・レストランである「パンダ・イクスプレス」で、テイク・アウトした。料金が6.17ドルで買った料理をつまみにして、自分の部屋でビールを飲みながら、そしてデジカメで撮った写真をPCで整理しながら食べた。





アメリカ西海岸ドライブ旅行日記11/8

118日(月) 次の温泉を目指してサクラメントの近くまで高速道をひた走る

・朝、起き出してからいつものように宿の近くを散歩してから、昨日スーパー・マーケットで買っておいた食料を食べる。部屋が一階でロビーの近くだったのでコーヒーはフロント横の朝食エリアまで取りに行った。宿に備え付けの甘ったるいパンは食べず、お決まりのシリアル&ミルクとコーヒーを紙のカップに入れて部屋に戻る。そして、地図を見ながらバナナやトマトやリンゴを食べた。

・さて今日はサンフランシスコの北のエリアに広がる、温泉地帯まで一気に南下する予定だった。このエリアは、ナパやソノマというカリフォルニア・ワインで有名なエリアの近くであるが、実は知る人ぞ知る温泉地帯が広がっているのである。その多くは、スパや泥んこ美容等の健康を目的にやってくる観光客が相手の施設らしいが、この中に異色の存在である温泉があるということだった。今回、アメリカまで温泉探しを一つのテーマとしてやってくる気になったのは、あるガイド・ブックを読んだからであった。それによるとこれらの温泉では、基本的に服は着用しない方針という。そして、湯に入るだけではなく、座禅やチームで行う幾つかの修行コースのようなものがあるという。自分は座禅や修行と温泉を結びつける必要性は全く感じなかったが、客同士で裸の付き合いができる露天風呂の温泉施設には大いに興味をひかれた。


・モーテルを出ると直ぐに
R5に乗って、そして走り続けた。2時間くらい経ってから気がつくと左前方に雪山が見えてきた。道路脇に車を止めて地図を確認すると、どうやらMt.Shesta(4317m)という山のようであった。他に高い山が無く、そこだけ真っ白な雪を抱いている山を見るのは本当に清々しかった。この辺りに住んでいる人は、毎日会の山を見て育った筈であるが、キットそのことで特別な感情や思いを持って大人になった筈である。それがどんな影響を及ぼすのかは分からないが、アメリカにはそのようなとてつもない場所が多くある。この山だって、一般的にはそれ程有名ではないと思うが、それでもこの追力の大きさは何だろう。確かにアメリカの自然はスケールが大きいと感じた。
・山の近くにあるICで降りて、多分、村への入り口の近くであると思うが、サービス・エリアの様な約を果たしている一帯の中に、山が良く見えるピザ・ハウスを見つけてそこで昼食を食べた。小さなピザとコーヒー、それにサラダを付けて前部で9.3ドルだった。安くはなかったが、窓から見える山の眺めが素晴らしく、それを勘定に入れれば十分に元が撮れた感じだった。
・昼食を食べてから一休みして、トイレに行って、そして何枚か写真を撮ってから出発した。更に数時間走り続けて、当たりが薄暗くなってきたので、無料で配布されているモーテル案内とカーナビで目をつけておいた街、Williamsで高速道を降りた。ここには数軒の大きなモーテルがあったが、それらはいずれも村の中心から離れたICの近くに固まっていた。自分は迷わず中級ブランドで有名な、フランチャイズ・チェーンであるモーテル6に落ち着いた。47ドルだった。

・さて、夕食を何処で食べるかが問題である。何しろモーテルを探す時にチョット車で走った感じでは、このモーテル街には繁華街どころかお店やバー等が見当たらない。気の利いたレストランなど全く有りそうもなかった。それでもモーテルで餓死する訳にも行かないので、出かけて見ることにした。歩いて店を探すことは諦めて、車でレストランのようなものがなにかないかと探しに出かけることにした。そして分かった事は、この街には日本で良く見かけるような飲み屋の類が一軒もない。八百屋も肉屋も電気屋もない。もちろんパチンコ店もない。音を立てるような施設は皆無であり、とても静かな所であった。大体、明かりが付いている所が殆ど無いのである。この街に住んでいる人達は、一体全体、どうやって暮らしているのか。何処でどのようにしてストレスを発散させるのだろうか? 都会に住んでいる日本人がここに住むとしたら、気が遠くなる様な退屈さを味わうに違いない。いや、もしかしたら大分離れた別の所に、旧市街地が有るのかも知れない。

・結局、この近くではホテル以外には目ぼしい店がなかったが、大きなスーパー・マーケットが一軒あった。中には行ってみると、ガランとした殺風景な広さだけは何処にも負けないが、売っているものはポテトチップスの袋や、ミネラル・ウォーターや缶詰等の日持ちしそうなものばかりで有る。この広い店の中に客が数人しか居なかったが、しかし、惣菜売り場に行くと、そのまま持ち帰って食べることが出来るような、いろいろな種類の食品が想像以上に沢山あった。それに果物やこの地域で取れたのかも知れない様な野菜が積まれていた。今夜のディナーは、ここで仕入れよう。

・惣菜を物色していると、威勢の良いおばちゃんが声をかけてきた。売り場に出ていなくても、作ってやるよというので、ポテトフライを頼んだら、大きな袋から冷凍の刻んであるポテトを出してきて油であげてくれた。いつもながら、その他には、鳥のモモ肉を焼いたものと、重さで売っている、何種類かのサラダをそれぞれ少しずつ、同じプラスティック容器に混ぜていれてもらったものを買った。更に具沢山のスープ、それに何種類かの果物、ハイネッケン・ビールを半ダース買った。値段は忘れてしまったが、20ドル位だったように思う。その内、半分はビール代であるが。



アメリカ西海岸ドライブ旅行日記11/7

117日(日) 山の中をさ迷い雪道でスタック、そしてついに崖の上にある露天風呂を発見!

・朝、起き出してからいつもの様に散歩をして、途中のカフェでスープとパンで、簡単な朝食を食べた。そして、荷物をまとめてから、朝の10時にBendを出発した。はじめにスーパー・マーケットで食料を少し仕入れて、ガソリンを補給し、それから銀行で203ドルを引き出した。3ドルは手数料である。そして今日、目指すはDiamond Lakeの近くにあるという温泉である。

R97からR138に入って山の方に登っていく。すると道路の両側に積もっていた雪の量が段々と増えてくるのが目で見ても良く分かった。道路上の雪は除雪されていて、全く問題が無いようだった。段々と登りがキツくなってきて、ガスも立ち込めて来た。そして、ついにそれが雪に変わってしまった。このまま進むべきか、戻った方が良いのか不安になりながらも、進んでいくことにした。自分はチェーンを持っていなかったので、いざと云うときは自力で脱出できない。しかも山の中なので通る車の数は少なかった。

・しかし、この時期にLAに住んでいる人には、雪など想像することもできないことなので、一つ記念に写真でも取ろうと思って、道路脇の舗装された道路の上に積もっている雪の上に、車を寄せて止まった。しかし、その筈だったのだが、外に出て少し歩いて見ると何か足の裏の感触がおかしいのに気がついた。何となく足が潜ってしまうのだ。慌てて車に戻って、前に進もうとしたが、タイヤが滑ってしまい発信できない。バックしようとしてもダメだった。車を降りて調べてみると、右側の前輪が雪の中に沈み込んでいて、既に車軸にこすっているのが見えた。そこで初めて気がついたのは、道路脇の部分は舗装されていなくて、雪の下はグズグズの火山灰出会ったのだった。既に車は雪と火山灰に沈んでしまい、押しても引いても全く動かなかった。

・道路脇で待つこと15分位。2台の車が通過していこうとしていた。そこで車を止めて助けを求めると、後ろの車は大型の4輪駆動車だったので、もう一台はOKだねと言って行ってしまった。さすが4輪駆動車である。車軸にロープを引っ掛けて引っ張ると難なく元に戻ることができた。運転していたのは、20歳位の地元の若者だった。とても明るくて礼儀正しい青年だったので、自分の気分まで明るくなってしまった。

・さて、それからは温泉のある場所に入っていく道がどうしてもわからない。R58から舗装されていない林道に入っていく筈なのであるが、林道がいくつか有って、それらしい標識もないのでどの道を行けば良いのかが分からないのだ。道を訪ね様にも人も家もない山の中である。当てずっぽうに林道に入っていく。砂利道でガタガタ道なので走りにくいが広い道路なので、ギアを落としてゆっくり進んでいく。大分、走った所で、どうやら道が違うようだと思って、引き返す。

・今度は次の林道にトライする。同様に林道をドンドン上がっていくが、やはり違うようだった。引き返そうとしていたら、山で作業しているトラックが降りてきたので、道を尋ねた。すると近くに温泉があるということは知っていたが、何処にあるか走らないという。そこでまた元に戻る。



・そして、その内に峠を超えてしまった。山のこちら側(東側)はあまり雪もなく西側とは大違いだった。さて、次の林道では行くべきか中止するべきか迷っていると、何となくこの道がそうであるかのように思えてきた。何の裏付けもないのに、自分の期待していることが実際に起こると信じてしまうという、日本人特有の論理のなさに自分も陥ってしまったのか。何はともあれ、行って見ることにした。するとしばらく林道を進んでいくと、右手の方に温泉場への入り口を示す看板が見えてきた。実はここからが分かり難かったのである。行きつ戻りつしていると、途中で道路工事をしていたオッサンが道を知っていて教えてくれた。

・林道をかなり登っていった所に大きな看板が建っていた。近くに駐車場があって、車が5台位止まっていた。駐車場から川に向かって進んでいくと、幅が1mも無い位の木の橋があって、それを渡っていくと、急に山道に入って登っていく。普通、温泉場は川の近くまで降りていくものだが、ここではドンドン登っていく。10分位歩いて行くと、果たして屋根と柱だけの建物があってその下に数人の男女が湯に浸かって話をしていた。直ぐ近くに別の温泉池も見えた。しかし、脱衣場はどこにもない。丁度、小雨が降ってきたのだが、大きな石を見つけてそこに荷物やカメラを置いて、服を脱いだ。ただし、今日も水着を着て入ることにしたのである。


・水着を着たまま、裸の人ばかりが集まっている所を歩いて行くのは、逆になんとなく恥ずかしい。驚いたことに、これらの温泉池は崖の真上にあったのだ。従って眺めがとても良い。更に驚いたのは、崖ぷちまで行ってみると、その下の崖の所に更に池が3つ位あって人がいるのが見えたことである。大自然のしかも崖の上に、全くの自然の温泉があって、しかも熱くなくヌルくもなく、しかもこの時期なのに全く寒さを感じない所が良い。



・湯の中で隣にいるオジサンと話が弾んだ。何でも
10年位前のことであるが、東京の府中の高校生が20人位、この温泉に来たことがあるという。その時にここを案内したのが、このオッサンだといって、当時のことをいろいろと話しをしてくれた。何でも、高校生は英語を殆ど理解できなかったらしいが、高校が派遣した留学体験とその林間学校のヒトコマらしく、直ぐに帰っていったと言っていた。

・そして、この湯で驚いたのは、若い高校生の様な男女のカップルの他に、女性だけの数人のグループがいたことである。女性も男性も皆、裸であった。若い女性が、あんな山の中を何の不安もなく走ってくるのだろうか。そして、この温泉は今までに訪れた中では最高であった。そして、帰り道はR58をそのまま進んでいくと、再びユージーンに出た。ユージーン側から登ってくると、雪道など全く関係のない気易い道であると思った。

・ユージーンの街の近くまで来た時に、とても腹が空いたのと疲れで眠くなってしまったので、道路沿いにあった中華レストランの駐車場で30分くらい眠ってしまった。そして、目が覚めてから、ここで夕飯を食おうと思って中に入った。店の親父に温泉の話をしたら、彼は温泉など全く聞いたことがないと言っていた。料理はまあまあであった。

・今日の宿は、America’s Best Value Inn で料金は54.5ドルだった。やはり大動脈R5ICの近くだった。似たような大きなモーテルが幾つも点在していた。近くにはドデカイ、スーパー・マーケットやショッピング・センターがあったが、周囲には人家などあまりなかったような気がする。全く、この様な所には住みたくないと思うような場所だった。





アメリカ西海岸ドライブ旅行日記11/6

116日(土) また昨日の温泉に行く

・朝起きだしてから散歩でもしようと外を見ると雨が降っていた。しかし、その内に止む事を願いながら、昨日と同じ道を山に向かった。今日は別の温泉を探すつもりだったが、時間があったので昨日の温泉をチョット覗いてみようと思った。昨日は一人で舗装されていない山道を走る事がとても心細かったが、今日は同じ道なのに知っているということもあって全く普通の道だった。どのくらい走れば何処に何があるのかが、わかっているのだから当たり前であるが。温泉場に着く頃には、山の上なのにスッカリ雨が上がってしまった。

・今日も自分だけが水着を着ているようだった。温泉場では大学を卒業してから25年目だという男性に会った。最初に会ったこの男性に、自分の写真を撮ってもらった。それにしても目の前にいる若い女性の白い肌が美しいと思う。ボディ・ラインの美しさと言うよりも、存在自体が美しい。何故ならば、目の前に二人の女性がいて、一人はかなり太っている。しかし、同様に美しいと思った。セザンヌの水浴を思い出す。だらしなく開いた足を開いている。やはり、見るともなしに目が行ってしまう。

・何故か分からないがアメリカの温泉場には、肌が黒い人がいないのが不思議である。温泉好きになる要因として考えられることは、一つは気候温度よりは湿度の影響が大きいように思う。そう考えると、ヨーロッパ系の民族より南方系が多い筈であるが、現実は全く違っている。

・イタリアには古代の昔から、都市の中に大きな浴場施設があって、多くの人達が日常的に楽しんでいたと言われている。そこでは、多分、日本のように体を洗う事よりも、裸になってリラックスして時間を過ごすことが目的だったのではないか。そういう意味では、ここオレゴンの様に温泉が沢山ある地域ではもっと沢山の人達が訪れても良いのかも知れない。でも多くのアメリカ人は温泉の存在すら知らない人達が多い。(道を聞いても温泉を知らない人達が多い。) 訪れる人がそれ程多くないので、アメリカの山の中にある温泉場は何処でも原始的で大自然のなかにヒッソリとある。

・そうそう思い出したが、カリフォルニアには禅と結びついた温泉場があった。ここは値段が高かったので、実際には中を覗かなかったのであるが、ここを訪れて人のレポートを読むと、皆、荘厳な雰囲気の中で男女が混浴やセミナー(集団座禅)を楽しんでいるらしい。そういう所は、自分にはチョット堅苦しくて嫌だね!

Terwilliger Hot Springでユックリしてから、今度は山の中のドライブを楽しんだ。R126を走りながら、更に山の奥へ入っていく林道を見つけて進んでいくと、そこは他に車の陰が全く見当たらない所だ。鬱蒼とした樹林帯や枯果てた林等が延々と続く。そうかと思うと、自分が持っている縮尺の大きな地図には出ていない、小さな湖に出たりする。その湖の向こうに富士山そっくりの山が見える所に車を止めて、しばらく休みながら考えをまとめようと思った。



Bendの街に再び戻ってきたのは、既に夕暮れに近かった。今度は先日泊まった所からそう遠くない場所にあった、EconoLogeに泊まることにした。53.5ドルだった。部屋の出来は、昨日とほぼ同格だった。

・夕食の場所についてカーナビで探した所、幾つか良さそうな所が見つかったが、それらの店はいずれも殆ど同じ地域に固まっていた。ナビに従ってその近くに行くと、ここがどうやらBendの街の中心地らしい。今泊っている場所はR97沿いの開けた所であるが、そこにはどこにでもあるドライブ・イン、マックやタコベル等のフランチャイズの店が多く並んでいるだけである。しかし、旧市街地の方はしっとりとした雰囲気の建物が並んでいて、歩いている人の数も多い。そして、洒落た綺麗なブティックやレストランが沢山ある。

・そのようなレストランの中から、Bosa assign bistro と言う所に決めた。中に入ると、広々とした薄暗い木製の床の室内に、若い人がグループで来て話し込んでいるのが見えた。少なくとも気取った高級レストランではなく、若者が集まるところという感じだった。室内のインテリアも、アーリー・アメリカン調と、ギンギラ・モダーンの中間的な感じで落ち着いたものだった。

・しかしながら、こんな田舎の街にこんな洒落たレストランがあって、しかも若者がこんなに沢山いるということが信じられないことであった。料理はそれ程のものではなかったが、ここで出てくる料理は他で見られるようなシツコイものではなく、多くはアジアン系の料理が売りのようだった。自分の口にはとても良く合ったので良かった。




アメリカ西海岸ドライブ旅行日記11/5

115日(金) 今日は複数の露天温泉をはしごするぞ

・朝食はデニーズで食べた。デニーズではいつもコーヒーとソーセージとバターが付いたホットケーキのモーニング・セットである。これで9ドルだった。食べながら、昨日、買ってきた温泉ガイド・ブックを見ていると、オレゴンには実に沢山の施設があって、それらが写真入りで紹介されていた。全ての入浴者達が、全くの裸の姿でしかも狭い浴場に入っている写真が多かった。しかも、若い女性もたくさんいる様だった。昨日、はじめて見つけて入った露天風呂の雰囲気が実に良かったので、その経験を思い出しながら、何処へ行くべきか地図とにらめっこしながら詩をつけていった。ユージーンの近辺だけで4か所位あったが、できるだけ雰囲気の良さそうな所を幾つかあたりをつけた。

・ユージーンの中心部からR242に入ってしばらく進むと、BigLotsと言う名の大きな衣料品店があったので、車を止めて中に入いる。安い使い捨てできそうなバスタオル(5ドルだった)を探し、その他に安いDVDを英語のヒアリング練習用に幾つか買った。こちらは二つで4ドルだった。

・市の中心部から東に向かって進んでいくとまもなく山道に入り、大きくて綺麗な清流が流れる川に添って、ドンドンと登っていく。この景色は何処かにほん敵のようでもあるし、何となくイギリス風の印象も受けた。川の横に車を止めて、しばらく川の写真を取った。


段々と川幅が小さく険しくなっていくのが分かる。ほぼ峠近くまで来た時、とても感じのよい小奇麗な小さなホテルがあった。見ると露天温泉があると書いてあるので、駐車場に車を止めて中に入る。受付には若い女性が二人いたので、その一人に話しかけると彼女は日本語を少し話した。聞くと日本に研修で行ったことがあると言って、とても親切に色々と教えてくれたりして気遣ってくれた。

ホテルの売店で、サンドイッチを買って、外の川沿いのキャンプ施設に備えてあったテーブルとベンチで、温かい日を浴びながら昼食を食べた。その後で温泉施設を見学させて貰ったが、ここはカリフォルニアでよく見かけたプール状の施設で近代的なスパがあるような所だった。プールでは年のいった女性が数人とその子供達が水着を着て泳いでいたり、プールの中を歩いているだけで、風呂に入ってくつろぐという感じには程遠かった。しかも値段を聞いてみると安い値段では無かったので、はしご湯をすることを諦めて、目的地であったTerwilliger Hot Springへの行き方を聞いてみた。付近の地図を出してきてくれて、説明をしながら丁寧に教えてくれた。

Terwilliger Hot Springへの入り口はとても分かり難かった。何故なら、道路が何処かの工務店が開発した別荘地への入り口のような感じで、道路がやけに整備されている割には、温泉の標識が見当たらなかったからである。しかし、この道が、登るに連れてだんだん狭くなり、ついには舗装されていない道になってしまった。前からも後ろからも車の陰を見ることがなかったので、本当にこんな所に温泉が有るのかと心配になって来た。時間は既に午後3時を廻っていて、早く行かないと真っ暗になって道に迷いそうだった。自分がやっていることが、何か普通ではない事のような気がしてくる。本当に物好きな連中しか来ないと思っていると、不意に前から車が走ってきた。

・途中で川をせき止めて作った湖があったので、車を降りて写真を撮った。本当に山の中で人影も見えないところだった。それからしばらく走っていくと、いよいよ温泉入口の看板があり、近くに駐車場が見えた。驚いたことに駐車場には10台位の車が止まっていた。

・駐車場から橋を渡って少し戻った所に掘っ建て小屋があり、そこに元気なオジサンが一人で番をしていた。温泉はフリーのようであったが5ドルの駐車場代をとるという。殆んど人のこないような所で、本当に駐車場や温泉場の管理をしているのだろうと思い気持よく払って門をくぐる。


・そこから温泉場までは全くの山道を10分位、歩いて行くらしかった。そしてしばらく歩いて行くと、脱衣場らしい小屋が建っていて、その中で数人の男女が座っており、服も着ないまま裸で話をしていた。自分も中にはいったが、そこでパンツを脱ぐのは何となく落ち着かなかった。何故かというと、日本で良くやるようにタオルで前を隠す様なことをすると、逆にひどく目立つような気がしたからである。意を決して服を全部脱いでと思ったが、やはりふん切りがつかずパンツを履いて降りて行く。上から温泉池を見下ろすと、全員が全くの裸で水泳パンツを履いているのは自分だけで、何となく逆に恥ずかしさを感じた。しかし、温泉池は小屋から10m位自然石で作ってある階段を降りた所にあって、自然界の中をそこまで裸で歩いて行くと、パンツを履いていても妙に開放感があった。



・さて、温泉池は前部で4つあり、1m位の段差がついて上から並んでいた。一番上が一番熱くて、下へ行くほど川の水を取り込んで温度が下がるように調整してあるらしかった。既に、若い人から老人まで、それぞれ男女が20人程の人達がいるのが見えた。幾つかの数人のグループ、話に夢中になっている二人連れ、そして一人で静かにしている者等。そうかと思うと、風呂から上がって数人が裸のままで、それがあたかも自然であるかの様に話をしているのを見ていると、何かとっても不思議な気がしてくる。

・日本では多くの人達が温泉を好むようである。しかし、現代では混浴は殆ど無いし、有っても若い女性は水着を着る人がいるらしく、返って男達がきまり悪い思いをする。普通は男達だけしか、目にすることがない。それを思うとここは素晴らしい所だった。そして皆、自然に振る舞えることが、とても大きな驚きだった。




・ヨーロッパの絵画で、裸の女と服を来た男たちが、川原でピクニックや水浴をしているのを見たことがあるが、その時に感じたものと同じような気がする。大自然の中で、真っ白い肌をした若い女達が、裸のまま目の前にいることがとっても不思議な感じだった。しかし、とても美しいと思った。既に夕方に近づいているというのに、全然寒さを感じない。湯も熱すぎずヌルすぎずとてもリラックスできる。1時間程、湯に浸かったり外に上がって休んでいる内に、近くにいる人と自然と会話が進んでいく。

・はじめは日本から温泉を探してやってきた話など、当たり障りない話をしている内に、段々と口がなめらかに成って来て、年金制度や教育制度などについて話が進んでいく。殆どの人達が常連らしかった。そして、回りが暗くなってきたので、そろそろ帰り支度をした。帰る前に自分だけが映るように注意してもらいながら、写真を一枚撮ってもらった。

・湯から上がって服を着てから、来る時歩いてきた道を戻っていった。しかし、気がついたことは、自分の前を歩いて行くオッサンが裸のままだったことである。肩と背中に刺青がしてあるのが良く見えた。今しばらく、裸のままの開放感を味わっているようだった。それで気がついたことがある。実はカリフォルニアの話であるが、カリフォルニアでは今年から今まであったヌーディスト・ビーチが禁止され、公衆の前で裸になることが禁じられた。そこで、今まで裸になることで開放感を味わっていた人達が、今度は山の中の温泉に来るようになったではないかと思った。

・それにしてもアメリカ人は、裸になるとこんな人がと思われる様な人でも、刺青をしている人を良く見かけた。今までは、アメリカ軍のキャンプでは軍人が腕などにしているのを見かけたが、将校などは全く目にすることがなかった。多くは服を着てしまうと見えなくなってしまうので、今まで気が付かなかったのだ。それにしても、ここでは男の場合20%以上いるのではないだろうか。話をしている限り、普通のサラリーマンの様に見えるのだが。

・湯の中で話をした人達は皆、ユージーンから来た人だったので、違う気もしてきたが、裸の付き合いをすることで、妙に開放感を感じるということは、良く分かる気がする。男達も女達も、自由に振る舞うと云うよりも、自分(私)に対して、自分(彼ら自身)の裸をワザと見せているのではないかと云う気がする位だからだ。若い女達が、わざわざ人の前でバンザイをしてみたり、足を広げてみたりするだろうか? 

・兎に角、自分はスッカリここが気に入ってしまった。フリーだし。そして、露天風呂に入るのは、何も日本人だけではない事がよく分かった。まあ、アメリカでも一般的とは言えないが、温泉好きは結構存在することが分かった。


・風呂から上がって駐車場でゆっくりしていると、先ほどまで一緒だった人達とまた話が弾む。しかし、そして皆とお別れした時は、既に回りは暗くなっており、急にお腹がすいてきた。しかしここは山の中で、今夜の宿が有るかどうか不安だった。


・しばらく走っていると、ロッジのようなものが二三有ったが、本当かどうか分からないがいっぱいだったり、空いていても値段を聞くとあまり安いとは言えなかったりして、なかなか決めることができない。道路を100kmで走っている内に、ユージーンの街の中に来てしまった。

・道路脇に比較的安そうなMitchell Motelと書かれたモーテルがあったので中に入る。本当に粗末な部屋だった上に、値段が65ドルと昨日のモーテル6と比べると、狭くて汚くてそして値段も高かった。レジストレーションをやっていた東欧系の顔つきをした女性は、信じられないことに胸が汚れたままのトレーナーを着ていた。(実は翌朝、鍵を返す時に会った時も同じ服装だった。) アメリカで安いモーテルで働いている人達は、そんなに低いレベルの労働なのだろうか? そう言えば、今まで黒人には会ったことはないが、インド人が帳場にいることは多かった様に思う。

・夕食はまたまた昨日とはもちろん別の、近くの中国レストランで食べる。10.5ドルだったが、他のレストランで食べるよりも、中華料理の方が味的にも栄養的にも優れているように思う。ただし、化学調味料を沢山使っているような気もした。















2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/4

114日(木) 探し求めていた露天の温泉に始めて入った!

・朝7時頃起き出して散歩をした。一階に部屋を取っていたので、ドアを開けると直ぐ目の前に自分の車を停めているのだが、車の窓や屋根が凍りついていた。バンパーの所には何箇所かつららができていた。冷たい空気を感じながら、ダウン・タウンに向けて歩く。

・散歩の途中で腹が空いてしまったので、何回か通って馴染みになった大きなスーパー・マケットに行った。いつものように、本日のスープと手頃なパン、それに持っていったバナナとりんごを食べる。朝食を食べながら、地図を頼りに、今日一日でやりたいことや行きたい所をチェックした。そして、必要になる筈のバスタオルを探して歩くが結局は売っていなかった。






・宿に帰ってから荷物をまとめて9時頃に出発した。今日の予定は、まずは街の西側にそびえ立つ山の周囲の観光用の山岳道路を走ることだった。昨日の青年たちが川下りをした川は、地図によるとこれらの山の間にある湖から始めっている。そこの所を実際に目で確認しておきたかった。そして次には、昨日、手に入れた温泉ブックの案内に従って、是非とも男女が自然な姿で入っているという、原始的な露天風呂の温泉の幾つかを、実際に経験することが今日の目的である。

・いよいよ山に入っていくR45に入る。入口の付近には、まるで別荘の様な洒落た綺麗な家や景色が続いている。やはり、川下りの青年たちが言っていたことは正しかったと思った。

・道はドンドン登っていくが、途中から両サイドに雪が積もっているのが見えるよう
になった。今回のドライブではタイヤ・チェーンを持ってきていなかったし自分一人なので、もしも車がスタックしてしまったらどうしようかと云う不安が頭をよぎる。しかし、できるだけ日の高い内は、行ける所まで行ける筈と考えた。





・しかし山岳道をしばらく行くと、Mt.Bachelorスキー場についてしまい、此処から先は雪のため道路が閉鎖されていた。結局、予定した周遊コースは車で走ることは出来なかった。そこで、スキー場の周囲をウロウロしながら、写真を取るのに良いと思われる場所を探した。しかし、どんなに工夫しても、小さなカメラだったので山がよく映らない。全く盗まれてしまった一眼レフカメラが惜しかった。

・山を下る途中でふと下界の方を見ると、山々の間に雲が雲海の様に佇んで見えた。山に囲まれた、まるで日本を思い起こさせるような光景だった。

・写真を取るためにあちこち移動している内に一時間以上が過ぎてしまい、既に午後になってしまっていた。できるだけ来た道を通らないように道路を選んで走っていると、小さなしかし小奇麗なカフェが見つかった。迷わずそこに入って、ピザ・ピースとペプシを頼む。前部で3ドルだった。

・店の中で地図を広げて見ていると、中にいた客の何人かが話しかけてきた。ユージーンに住んでいるらしかったが、この近くの山の中で3週間も滞在しながら何かの工事をやっていて、今日、これから家に帰る所だと言っていた。温泉のことを聞いてみたら、そんなものがあるという事自体聞いたことがないと言っていた。やはりアメリカでも、温泉に入る人は物好きなのか。

R97から山の中を抜けてR5沿いにある街ユージーンに向けて通っている道路R58に入る。両側には背の高い木が密集していて、暗い道であったが自分にとっては、木の香りがとても気持ちの良い山の景色だった。この様な景色は、南カリフォルニアでは見ることができない、まるで日本を思い起こさせるような、良い眺めだと思った。

・ガイド・ブックによるとほぼ峠の近くに目指す温泉が有る筈だった。注意していたが通りすぎてしまいOakridgeという名の小さな村まで行ってしまった。そこで何人かに聞いてみると、場所を知っている人がいたので、それを頭に叩きこんで戻っていく。言われたように道路脇に広い駐車場、といっても自然のままのただの大きな空き地だが、があった。しかしながら、温泉とか露天風呂などという案内に標識は何処にもない。しかし、何台か車が止まっていたので、先客がいるに違いない。

・駐車場から約100m位、川の方に斜めにゆっくり降りていくと、河原に小さな池のように水が溜まっている所が幾つもあった。あちらこちらの池の中に、既に何人かの人が体を沈めているのが見えた。素早く数えると、若い女性が数人、若い男性も数人、老人が数人という感じだった。

・自分は何処に行って良いのか一瞬迷ったが、既に若い一組の男女が入っている、一番大きな池に近づいていった。見ると若いカップルは二人共水着をつけている。しかし辺りは全くの原始的な河原で、視界を遮るものは何も無い。囲いも無ければ、ランプも何も無い所であった。皆が見ている所でパンツを脱ぐことはとても恥ずかしかった。そこで、下にはパンツ=水着をつけて入る事にした。

・自分が入っていくと、若い男性の方が話しかけてきたので、なんてことはない世間話をしていた。するとしばらくして、一人の老人がやってきて何も身につけない姿で入ってきた。すると、若いカップルがそわそわし出して、帰り支度を始めた。しばらくして、女性は濡れた水着の上からそのままジーパンを履きシャツを着てしまった。そして、二人でサヨナラと言って帰ってしまった。

・しかしながら回りを見渡すと他の池には、若い女性達が何人かいて、そちらの方は皆が何も身につけずに そして如何にも堂々としていて湯から出て歩き廻ったり、岩の上に座っていたりしていた。当然、アメリカでは手ぬぐいや小さなタオルを湯の中に持ち込む習慣はないので、全てが丸見えであった。カリフォルニアでよく見るような、太った女性ではなく、素晴らしい美しい体をしていた。

・この季節ではあったが、昼間のせいか濡れたパンツと上半身裸で石の上に座っていても、全く寒さを感じることはなかった。実に爽快な気分だった。心が軽くなってリラックスして来たので、先客のご老人に話しかけてみた。はじめは当たり障りない話をしていたのだが、この老人がとても話し好きだったので、結局、2時間位二人で湯に浸かりながらいろいろな話をしてしまった。


・彼は既にリタイアしているが、今でも時々美術の仕事をしていて、時折、学校で教えていると言っていた。自分はリタイアの人生の過ごし方が、まだ良く決められないし今のままでは満足できない上、良いモデルとなるような先輩も見当たらないという話をしたら、彼は自信を持って今の生活は最高だという。人生はできるだけ仕事を減らして、自由きままに暮らしたほうが良いという考え方を持っているようだった。これは良い先生を見つけた。だったら、過ごし方を教えて頂戴という様な、師弟の関係になってしまったからであった。

・しかし、はじめは仕事を止めてしまったことに後悔はないと言っていたのだが、70歳を超えた今でも実は仕事に少しみれんが残っている様な気がした。逆に言えば、70歳を超えた今でも好きな仕事が出来る所が素晴らしい。途中、犬を連れた男の二人連れと、その後からは腕に刺青をした男性が入ってきて、この池は男ばかりになってしまった。全員が丸裸で、パンツを履いているのは自分だけだった。


・最後に別れる時に二人で記念写真を撮ってもらっ
た。もちろん、周囲は全く写さないように注意してもらった。ご老人はこの後も、まだ、湯に浸かっているといった。写真を撮ってくれたのは、その後に来た40歳位のオッサンで、トラックの運転手であった。良くこの温泉を利用するらしい。やっぱり、日本人だけではなく誰だって風呂はゆっくり浸かってこそ良いものなんだ。そういえば、イタリアの方には、大昔から市民の憩いの場所は風呂だったのを思い出した。

・温泉に入った後は、ユージーンまで行って、今夜の泊まる所を探した。あれこれ悩んだが、結局、高速道のICの近くにあったモーテル6に落ち着いた。ここは、街の中心地ではないが、そもそもユージーンの街の中を高速道が通っているので、その中心部に近いICなので何処に行くにも便利な所であった。部屋は十分に広く綺麗で、価格は44ドルだった。(価格は全て税込)

・今夜の夕食はユージーンの市街地に行く途中で見つけた、シーフードを全面に出した中華レストランに決定した。久しぶりにキチンとした料理を食べた気がしたが、価格は安く前部入れて9ドルで上がってしまった。アメリカに来てから食べた料理の中では、この料理は美味しいランクに入れることが出来る。しかし、日本ではこの位が当たり前であるが。何でワザワザまずく作ることが出来るのか、本当に不思議だ。

・(最近日本では、日本の料理がアメリカの間で人気があると云う様な報道を耳にする事があるが、実際に体験した限りではアメリカ人の口にはあまり合わないようである。何回か日本料理店で食べてみたが、多くの人が食べ残したまま出て行ってしまう所を目撃した。彼らは味が濃くて辛くてしかもしつこい料理を山のように食べることが好きらしいという気がした。)
















アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/3

113日(水)オレゴンのBendという街に行く

・朝、ショッピング・センターの中にあった大きなスーパー・マーケットで、店を広げていた惣菜売り場でスープとサンドイッチを買ってフードコートで朝食を食べながら、今日一日の行動計画を検討した。 南に向かって高速道路ではない道、できるだけ田舎道を走りたいと思いR216を選んだ。何処までも果てしなく続く大平原。その中を、たった一本のカントリー・ロードが延々と続く。回りに丘があって道がカーブしている所が多い。また、坂道が有ったりするので、道路も先が見えたり見なくなったりして変化していく。僕の前に走る車はいない。後ろにもいない。


・家がたまに一軒有ったりするのだが、驚くことにスクールバスが走っているのが見えた。ここで育つ子供は、日本の狭くて密集した都会暮らしの子供と同じである筈がないと思った。何が違うのかは分からなかったが、時間や距離の尺度は全く異なると思う。もしかしたら、こちらの方がスピード感はあるかも知れない。日本のように歩いて生活することができないので、何処に行くにしても車を使い、そして普通に走るときでも、時速100km/hで走る生活だからだ。何せ土地の広さが半端ではない。
・更に田舎道の方に入っていく。Warm Spring方面と書かれた看板があったので、迷わず更に奥へと向かう。全体としては南に向かっている筈だった。途中、Simonashoという名前の所に出た。しかし、ガソリン・ステーションと萬屋の店が一緒になった家が一軒あるだけである。その家の前にベンチが合って、一人の老人が座っていた。人が座っていた。

・誰かと話がしたかったので、近くに車を止めて近寄っていく。顔に深いシワが刻まれて、随分と年がいっているように見えた。多分、80歳は超えていると思った。彼はインディアンで、昔はミドル級のボクサーだったという。年を聞いてビックリしてしまった。何と自分と同じ63歳だという。

Warm Spring方面に行くと言ったら、自分も行きたいという。しかし、帰りはどうするのだ? 本当に行きたいのかどうか分からなかったので、早々に引き上げることにした。

Warm Springは確かにこの辺りでは大きな村だった。中心の近くにこの辺りでは大きなスーパー・マーケットと言うより、下町の仲見世の様な暗い売り場が幾つかグループで固まっていて、そこで何でも売っていた。

・周りにいる客を観察していると、ここで出会う人は殆どがインディアンの血を引いているように見えた。色が浅黒くて、髪が真っ黒で、背も低かった。顔は東洋系でふっくらしているが、鼻の形が日本人とは違っている。もしかしたら、ここには彼らの独自の文化の名残があるかも知れないと思い店の中に入った。

・店の中で、揚げたチキンとフライド・ポテトとコーヒーを買う。2.15ドルだった。何とここで売っているものは、値段は安いが中身は他の街の大型スーパー・マーケットで売っているものと同じである。彼らもその昔は自分達の固有の文化を持っていたに違いないが、今では完全にアメリカ人と同じ生活をしている様だった。大体、昔のインディアンがフライド・ポテトを食べていたとは思えない。

・店の人が、フライド・ポテトはここではボジュレというと教えてくれた。店の横の駐車場は舗装されていなかったが、端っこの方に大きな石が幾つかあったので、そこに座ってランチを食べた。

Warm Springを出てしばらく田舎道を走っていると、綺麗な清流に沿って小さな公園が見えた。一休みしようと思って公園の駐車場に車を止める。直ぐ近くで、白人の男ばかりの大学生らしき若者が45人集まって、車から大きなボートを下ろして何やら準備に忙しそうだった。近寄って話を聞いてみると、ここからコロラド川に出て、更に河口まで4泊で川下りをするという。チョット時期的に寒くないかいと思ったが、彼らはTシャツに半ズボン姿であり、裸足で水の中に移動しながら荷物を積み込んでいた。

・これから今日はBendに行くと言ったら、自分達もその近くから来たという。Bendはとても綺麗な良い街だよと言っていた。そしてこの川はBendから流れて来るのだといった。確かにここから南のほうへ行くと、川は段々と急流になる。地図を見るとBendの近くにCranePrarieという名の大きな湖が見つかった。

Bendは比較的に大きな町だった。つまり国道沿いに家が並んでいるだけではなく、所々、銀行などの建物が見えた。そして、国道から少し離れたところには、住宅地が広がっているようだった。車を今夜の宿としたMotel 6において、取り敢えず、町の中を散歩することにした。ちなみに宿代は49.5ドルだった。

・大きな町だったがまずは比較的、家や店が有りそうな大通りを行く。すると若くて知的な顔をした、金髪の女性ホームレスに出会った。「私はホームレスです・・・」 と書かれた紙を持って、この寒い中をずっと歩道の脇に座り込んでいた。家がないということは、今夜は何処で過ごすのだろう。今まで、随分沢山のホームレスを見たが、若い白人の女性を見るのは始めてだった。見たところ、五体は満足のようだったが、いろいろな事情があって仕事をしていないのだろう。本人も下を向いて寂しそうにしているように感じた。

・自分は何をしてあげられるのか? そもそも、中年過ぎの黒人の男性ホームレスには、あまり何も考えずにコインを入れたりできるのに、そしてLAのようにその数も半端ではない場合には、こんなに色々なことを考えずに通りすぎてしまうのに、何故、若い白人の女性ホームレスには、こんなにも複雑な思いを感じてしまうのだろう。自分が何も出来ないことを見透かされているようで、何となくその道を通ることが怖かった。

・川で有った青年が「Bendは川の始まりに近い美しい町だ」 と言っていたが、ダウン・タウンの近くは決して美しい感じはしなかった。キット、近くの自然が綺麗なのだろうと思う。日本でも田舎の方には、こんな感じの町が結構あるように思った。

・しばらく行くと、比較的大きな本屋があったので覗いて見ることにした。本屋といっても、アメリカでは初めて入る古本屋であった。旅行ガイドの棚を探していると、何と探していた温泉ガイドの本が有った。この本はアメリカでは温泉好きの間ではチョット有名な本である。中をめくってみると、有るは有るは、日本以上に原始的な露天風呂の場所と地図と詳しい案内が載っている。しかも、殆ど全てに写真が付いている。その中の多くの写真は、老若男女の全身が裸のままの姿で写っている。これは行かなければと思って直ぐに購入した。発行が少し古くて写真が白黒だったが、値段は7.5ドルだった。

・嬉しい買い物をした。何故ならば、インターネットでは幾つかの温泉情報が見つかっても、多くは場所などがはっきりしないブログ記事であり、この様な案内に徹した情報は見つけることが出来なかったからである。しかもカリフォルニアではアテが外れてしまい、行く所がすべてスパや水着着用の温水プールであった。どう考えても日本の山にある温泉の雰囲気とはかけ離れていたからである。

・途中にあったシティ・バンクの支店でATMから金を下ろした。ATMが使えるという事は、多額の現金を持ち歩く必要がないので便利なのだが、20ドル単位でしか下ろすことができない。一日の最大の額は600ドルである。しかも、どんなに少額であっても一回あたり3ドルの手数料が掛かる。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/2

112日(火)Dallesとポートランド

Dallesからポートランドまでは、地図で見ると約100km位の距離があったが、コロラると約100km位の距離があったが、コロラド川沿いの景色の良いハイウェイが通っているので、約1時間位で着く筈だった。昼前にポートランドの街に着くと、そこには数日前に見たおなじみの景色があって、何となく落ち着く感じがした。嫌な想い出のある街であったが、よく見ると周囲に山が見えて、大きな公園があって、綺麗に手入れされた公園のような通りがあって、とても良い街だった。川沿いの大きな公園では、遠くに、とても形の良い富士山のような雪山が見えたりした。
・早速、ポーランド警察を探したが、それは直ぐに見つかった。しかし、道路脇に沢山並んでいるパーキングが一杯で車を停めることができない。今までの経験から、アメリカの大きな都市では、駐車禁止の所に車を停めると、かなりの確率で切符を切られる事が分かっていた。また、多くの車は日本と違って、このようなルールをキチンと守っている様だった。グルグルと近くを走っていると、警察からは少し離れている所に数台の空きがある所を見つけた。迷わず車を寄せて、15分当たり25セントだったので、コインを8枚(2時間分)入れた。そして警察に向かった。

・警察に来た理由は、事故証明書(盗難証明書)を発行してもらうためである。盗難が発生した時に申告した被害届は、盗難物すなわち一眼カメラやGPSの型番が正確には分からなかった。そこで、昨日調べた型番を追加で記入することで、何が盗まれたのを正確に証明する事ができるようにしておきたかった。クレジット・カードには盗難保険が付いていることが分かったからである。

・手続きは呆気無いほど短時間で済んでしまった。これでは後から、盗まれていないものまでも、簡単に記入できてしまうと思うが、警察官は全く自分を疑うことなしに、記入し直した書類にハンコを押してくれた。・さて、警察を出てきたものの、駐車時間にはまだ大分余裕があったので、川沿い近くの公園に行ってみた。天気が良かったので、ベンチか芝生で少し昼寝でもしてみたかった。しかし、日当たりの良いベンチでは、先に男が一人座っていた。綺麗な服を着ていたが、少し浮浪者に特有の匂いがしたので、仕方なく芝生の方に行ってそこに寝転がった日差しが暖かくて気持が良かった。

・しばらくして、駐車した場所に戻ってみると、あろうことか駐車違反の切符が貼ってあった。何時間もオーバーする程、寝てしまったのかと自分の記憶にすっかり自信をなくしてしまった。しかしながら、駐車券の時刻を確認すると、明らかに時間内である。そこで、すっかり頭に来てしまい、電話をかけようとして番号を探していると、近くをパトカーが通った。

・そして一生懸命にこの仕打ちについて説明すると、乗っていた警官も直ぐに分かってくれて、これは明らかに間違いだと言ってくれた。しかし、その後で、「ちょっと待て」 と言われてしまい、ここは電気自動車優先のパーキング・エリアだから、ハイブリット・カーは良いが普通の車は止めてはいけないのだと言う。何でもハイブリット・カーを普及させるための、市の処置らしい。「そんな馬鹿な法律があるか?」 と怒鳴ったら、「俺もそう思うよ」 と言って目配せして行ってしまった。

・結局、駐車違反の罰金は60ドルだった。自分は二度とポートランドには来てやらないと強く思った。どうも好きに離れない嫌な街だった。

・その後、メイシーズ(デパート・ストア)で秋冬に着られるジャンパーを購入した。この時期のポートランド周辺は、まだ、真冬のジャケットは必要なかったが、やはりシャツやトレーナーの上に羽織ることができる薄手のものが欲しかったからである。LAはとても暖かい街だったので、なかなか秋用のジャンパーが店に置いてなくて、自分のようにワンサイズ小さなものは探しにくかったからである。この時期のアメリカの西海岸では必需品であった。しかし、60ドルの値札がついていたのに、金を払おうとしたら40ドルだという。だったら、始めから40ドルの正札をつけておけよ。


・次にカフェで昼食を食べて、昼間はライブをやっていないが開いているジャズ・クラブを覗いたりしている内に、帰り道はすっかり暗くなってしまった。


・秋の夜はつるべ落としというが、まだ時計は夕方なのに本当に真っ暗になってしまった。こちらのハイウェイには、郊外では道路に照明がついていないので、全く車のライト以外には明かりがなかった。そして、高速道にあるようなIC等も、なくて、降りるためには斜めにつけられた側道に入っていくシンプルな造りになっている。(高速道同士の交差点が無い所では当たり前か。) 困るのは側道に入るための道路標識が、暗くて全く読めないことであった。

・しかし、自分はカーナビを買っておいて本当に良かったと思った。シアトルで雨の中を走った時も、その有り難さを実感したが、今回もカーナビが無かったらどうすればよかっただろう。自分は行き先の所に、市の名前である「Dalles」と入れておけば、適当な所で降り口を指示してくれる筈だった。

・しかし、指示通りに降りた筈だったが、降りた所は全く見覚えのない街だった。街の中をグルグルと廻ってみたが、メイン商店街は古ぼけて暗かった。かなり歴史のある西部劇に出てくるような街だった。少なくとも自分が宿泊している所だと云う記憶は全くない。

・慌てて、ハイウェイに戻って隣の降り口に行ってみたが、ここも全く記憶になかった。再びハイウェイに戻って、しばらく走っていたら、昨日、シアトルからコロラド川に来た時に、ガソリンを入れた記憶のある街まで来てしまった。辺りは真っ暗だったが、ここで気を取り直して何を何処で間違えたのか検討した。恐らくカーナビが誤動作したに違いないと思ったが、頼りはこれだけなので、もう一度、地図とカーナビをしっかり確認して、再びDallesに向かった。

Dallesに着くと、しかし、そこはさっき通過した記憶のある街だった。気が狂ってしまったのかと思いながら、そのまま街中の旧道らしき所を走っていると、しばらくして町の郊外らしき所に出た。そしてそこには、明るい大型ショッピング・センターが立ち並ぶ、見覚えのある我が街が急に出現したのである。考えてみたら、カーナビのDallesと云うディストネーション・ポイントは、どうやら市庁舎のある場所らしく、自分が宿を取った所はそこから随分外れた郊外にできた新しい街だった様である。予めカーナビにインプットしておくべき、住所や通の名前をメモしておかなかったいい加減さに自分で自分をすっかり振り回してしまった。

・モーテルに戻る前に、安い量販店で松下の安いデジカメを買った。155ドルだった。それから、いつもの通りガソリンを20ドル分入れてからご帰還。夕飯の前に、インターネットで罰金を振り込んだ。何時までもゴネテいると悪質な罪人と見なされて、学生ビザも取り消されてしまうという。何でも金で解決できる、シンプルな社会であると思った。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/1


111日(月)Seattleを抜け出してコロラド・リバーに向かう


・今日は朝から土砂降りだった。気分が憂鬱で、何処に行く気も起きない。そうかと言って暗くて小汚いモーテルにずっとじっとしているのも心地良くはなかった。ここへ来る前は、あんなに来たいと思っていたシアトルであるが、思いがけなく良いことが起こる気配は全くなかった。また自らそれを探しに出かける気力も湧いて来なかった。この時期には、アメリカの各地で大雪が降っているようだったので、北西海岸一体が雪ではなく雨であるだけ運が良かったと考えることにした。確かに冬でもそれ程寒くはなさそうだったことは、素晴らしいことだと思った。


・しかし、大雨のために何処にも行くことができないので、昨夜、一晩、迷いながらも考えて買うことを決めたカーナビを、ステープルに行って買うことにした。カーナビは今まで使っていたものと全く同じ型番のTomTomXL430Lを買った。税金が込みで180ドルだった。


・このカーナビは思い切って買って良かったと思う。日本ではカーナビが180ドルで買えるとは思えないが、旅行者にとってアメリカの道路では必要な存在である。今日のような大雨の日には、これがないと複雑に入り組んだ都市内の高速道を昼間でも走ることは難しい。何せ道路標識が、霧で全く見えないのであるから。夜は自分が何処にいるのかさえ分からないだろう。車がチャント流れているこの現実自体が、自分には信じられないことである。


・そうしているうちにも雨が一段と激しくなってきた。天気予報では二三日降り続くらしかったので、自分の心は既にシアトルにはなかった。以前本で読んだ、コロラド渓谷に行ってみたかった。コロラド川に沿った有名なオレゴン・トレイルは、秋がとても素晴らしいらしい。そこで、高速道で来た道をそのまま南下してしまうのではなく、R90を一度、東に向かって走って見ることにした。R90は高速道と言っても、途中からは何の変哲もない普通の山岳道路になってしまった。しかし、周囲が山ばかりだし、標高が比較的高い所を走っているという実感がある。気温はそれ程低くはないのだが、何時、雨が雪に変わるかも知れないという不安があった。特にEastonからRoslyn辺りは山が道路に迫っている。


Ellensburg当たりの村にまで辿り着いた時に、急にトイレに行きたくなったことと、同時に空腹を覚えたこともあるので、直ぐ道路脇にあった大きなスーパー・マーケットに入った。中のイート・イン・コーナーで、スープとサンドイッチを買って食べる。それに例によってリンゴやバナナ等の果物等を約10ドルで買った。


・この田舎のスーパー・マーケットで売っている商品は、他の地域のものと比べて特別大きな違いは感じられなかった。こんなに遠くに来たのに、そして幾つかの州を南から北へと移動してきたのに、更に都会や田舎のスーパー・マーケットを幾つも見てきたというのに、店の商品からはアメリカ人の生活習慣に大きな違いを見つけ出すことができなかった何処でも同じような商品を同じような売り方で売っている。多分、アメリカの中部や東部地方、及び南部の方へ行くと異なるのかも知れないが。


・店の中の食品売場で買うものを物色していると、近くにいた店員が話しかけて来たのでしばらく話をする。もしもこのようなことがなかったら、買い物や交渉以外のどうでも良い日常会話をすることもなく、一日中誰とも話さない事になってしまう。店員の親切な行為がとても嬉しかった。最も、相手にとっては、このように知らない人に話しかけることは、どうやら普通の行為のようだった。


・誰とでも声を掛け合うという習慣は、日本とは大きく異なっている。これは自分の予測に過ぎないが、多分、アメリカでは自分の知らない人と声を掛け合うということは、自分の身を守るという意味があるのではないだろうか? そのような事が習慣として、小さな時から意識することなしに身についてしまったのだろうと思う。最近の日本では、小さな子供達は恐らく、知らない人とは話してはいけないと教えられて育つのだろうと思う。


・車を使ってアメリカを一人で旅をしていると、一人だけの時間がどうしても長くなる。その時に一番辛いことは、話し相手がいないことなのだ。車の中でずっとやっていることは、英語のヒアリングの練習とスピーキングの練習である。大きな声を出すということは、気分を紛らわすには格好の方法だった。外へ出ると、雨は大分小降りにはなっていたが、相変わらずの天気だったので早々とシアトルを出てきてしまったことに後悔はなかった。


R90R82の分岐点でR82に向かい、そのままずっと走り続けているとやがて眼下に大きな川が見えてきた。川には大きな橋が掛かっているのを見下ろすことが出来る。道が急な下り坂になって大きくカーブしながら橋に向かって進んでいる。川の向こう岸は、切り立った断崖が続いている。断崖と言っても岩ではなく土のようにも見える。綺麗な地層が重なって見える。これがコロラド渓谷だと思った。


・川を渡った所にあるガス・ステーションで一休みすることにした。マクドナルド・ショップの横には、比較的大きな雑貨やスナックを売る店がドアを通してつながっていた。コーヒーを飲んで用を足した後、店の中を少しぶらつく。その後、車の中で少し仮眠した。


・ここからは川に添った道を海の方に向かって下っていく。地図で見るとどうやらR84らしい。この川はポートランドを経て、太平洋に河口を持つ大きな川である。ガイド・ブックによると、オレゴン・トレイルと呼ぶらしい。途中、Dallesという街を通過する時に、比較的大きくて綺麗な街並みが見えたので、今夜はその街に泊まることにした。ガイド・ブックによると街は比較的古い歴史を持った市街地があるようだった。しかし、実際に走ると今まで見てきた海沿いの街並みとは明らかに違う、古ぼけた中世の趣があるところだった。


・ゆっくりと市街地を走っている内に、ドンドン街はずれの方に出てしまった。そしてそこには、今まで見てきたのと同じような、大きな共通の駐車場を持つショッピング・センターが出現したのだった。大きなスーパー・マーケット、ホームセンターやステープルの大きな店もある。中には食事のできる店もあるようだった。その他、道の両側にはマックやタコベル等の何処に行っても必ず見掛けるドライブ・インが幾つか点在している。


・カーナビとガイド・ブックで調べると、近くにスーパー6がある筈だった。実際に行ってみると、豪華とは言えないが、適当なスペースと清潔さ、そしていろいろ便利な設備が揃っていた。スーパー6は何処へ行っても、自分が最低限必要とするものは、冷蔵庫以外は大体揃っていた。宿泊登録を済ませた所、金額は一泊あたりで49ドルだった。


・明日は再びポートランドにある警察に行って調書を書き換えてもらうことを考えていたので、その意味でもポートランドに近いこのDallesが気に入ってしまった。また、この風情は全くないが新しくできた便利な街とこのモーテル、及び近くの大型のショッピング・センターも気に入ったので、今回はここに2泊することにした。


・ただし、夕食はデニーズの様な何処に行っても同じものがあるような俗なレストランではなく、街の由緒あるアメリカン・レストランか、案内書に乗っていた日本食レストランで久しぶりに本格的な日本料理を食べようと思った。しかし、街中をさ迷いながら探した所、辿り着いた日本食レストランはとうの昔にクローズされ、寂れた様に取り残されたまま建っていた。実はこれと同じ経験は、今までに何回かしていた。


・何処に行っても韓国人や中国人はそれ程珍しくはないし、韓国や中国のレストランは直ぐに見つけることができる。韓国人は人口が日本の約半分位だったはずであるが、アメリカの西海岸では何処に行ってもとても目立つ。彼らは何時も集団でいて、そして大きな声を出して我が物顔で喋っている。しかしながら、日本人が何処にもいない。ポートランドやシアトルでは、ビジネスマンにも観光客にも会わなかった。


・そして、あちこちにあった筈の日本食レストランは、その多くがクローズになっている。ということは、かつては流行っていたこともあるのだろう。しかし、現在のアメリカ西海岸の各地方に於いては、日本の影は確実に薄いものになっている。街で見ることが出来る日本独特のものと言えば、それは車ばかりである。日本人の影も見つけることができない。


・ついでに言えば、新しいモーテルでは部屋に置いてあるテレビの多くが、LGとかサムソン等の韓国製である。ウラビレタ安モーテルでは、テレビにソニーの文字を見つける事ができるが、それは画面が小さくて図体が大きなブラウン管テレビである。


・日本にいる時は、アメリカの経済に対する日本の影響の衰退を、肌で感じる機会は少なかった。しかし、今回の旅行でハッキリと感じることは、日本の影響の明らかな衰退であった。


・夕食はアメリカン・レストランに行った。しかし、メニューを見ても、デニーズと大差なかった。量が少なくてそれほどしつこくなく、安心して食べることの出来る料理は、ステーキかハンバーグだけだった。そこでハンバーグを頼んだ。ドミグラス・ソースはOKかと聞くのでOKだと言ったら、巨大なハンバーグが見え無いくらい山になってかかっていた。そして、そのソースが結構、しつこいものだった。ただし、値段は安く、チップ込みで14ドルだった。しかも、広い店内には客は自分が一人だけだった。帰りにデニーズを外から覗くと、10カップル以上は客が入っていたようだった。