2011年10月21日金曜日

10/11(Mon)--10/17(Sun)

10月11日(月)再びUCLAの授業方法について
・授業が終わった後にYRがやって来たので、二人で近くにあるコーヒー・ビーンに行く。この街にもスター・バックスやコーヒー・ビーン等の気楽に入ることができるカフェがあちこちにあるが、少なくとももっと数の多いスター・バックスよりは、コーヒー・ビーンの方が、空いているだけでなく雰囲気も良い。店の中はアーリー・アメリカン調で少し暗いがとても落ち着いた感じである。
・自分達はまず最大の課題である英語の勉強法について議論した。そして、今、二人が通っているUCLAの語学教室が果たしてその授業料に見合ったものかどうかについて意見を交換した。YRはUCLAの教え方には納得が行かないという。彼女は来月も授業を取るつもりで既に費用を払い込んでいるのであるが、このままUCLAで授業を受けるよりも、来月からは街の語学学校に通った方が良いのではないかと悩んでいた。そこで、直ぐ近くにある学校に行って、見学をする予約をとってあるという。語学を中心に考えるのであれば、その方が良いと自分も想った。

10月12日(火)雨の中のキャンパス散歩
・この所、本当に良く雨が降る。こんな事はLAではめったにないことらしい。しかし、雨と言っても、日本のようにザーっと降ってくるわけではなく霧雨なのだ。こちらの人は皆、 これが雨だという。確かに雲ひとつなく、透き通った様な青い空が当たり前のカリフォルニア(LA)で、霧雨といえども何日も続くと気が滅入ってしまい嫌になってくる。雨と入っても道行く人を見ると、傘をさしている人は少ししか居ない。成るほど、自分も霧雨と言ってもたいしたこともなさそうなので、空を見上げてから面倒くさい感じがしてしまい、結局、傘をささずに出かけることにした。
・授業が終わってから、広大な(本当に広い!)UCLAの構内を散歩しようと外に出た。しかし、はじめはたいした事のない霧雨が、段々と激しくなってきた。帽子はかぶっていたが、レイン・コートも着ていなかったので、はじめはそれ程ではなかったシャツが段々と濡れてきて、しまいには肌寒いほどに成って来た。CAといえども、雨の中を傘も持たず歩きまわるということは、とても惨めな気分になることが分かった。しかも途中で道に迷ってしまい、どこを歩いているのかも分からない。段々と疲れが出てきてしまった。シャツも随分と濡れてしまい、考えてみたらバスの中でこんな惨めな格好をしている人も少ない。車で移動している人以外は、やはり濡れると格好悪いと感じた。
・向こうから金髪の女性が、大きなバッグに本を抱えながら一人で歩いてきたので、道を聞こうとしたら、逆に、先に道を聞かれてしまった。相手が「今日が二日目なんです。」と言ったので、自分の方が少し先輩ヅラをできると思いながら、少し話をしながらいろいろ知っていることを教えてあげた。
・そのあとで図書館に行き、宿題を少しと来月からの旅行のために、少しガイド・ブックなどの資料を探して読もうと想った。実際には、専門書のような本ばかりで、なかなか良い資料は見つけられなかったので、街の本屋で買うことになったのだが。

10月13日(水)食事の話
・YRとはワインかビールを飲みながら、もっといろいろな話がしたかった。夕食を一緒に食べようとYRに話をするとOKが出たので、以前、ミナがとても良いレストランだったと言っていた、ウェスト・ウッドの中華レストランに行くことにした。しかし、夕方までにはまだ時間が十分あったので、大学の中央図書館に行って勉強をすることにした。
・我々は、クラスは違うがどちらもプレゼンテーションの課題を持っていたので、それをどうやるかについて、少し時間を掛けて考えたかったからである。そしてその後で、アッカーマンズ・ショップ(大学の生協)をぶらついて、Tシャツやコンピュータを物色した。結局、何も買わずに外に出た。
・レストランのオヤジはとても愛想よく迎えてくれた。豆腐料理とえび料理、ヌードル系等を頼んでビールで乾杯した。所がYRはあまり酒を飲まないらしい。しかし、すっかり自分だけは気分が良くなってしまい、舌がとてもなめらかになってしまった。ただし、日本語である。オヤジに声を掛ける時も、つい日本語が出てしまった。(実はアメリカではレストランでは声を出して、人を呼ぶ習慣は無い。普通に有りそうなことだが、実は全く見掛けることはなかった。あくまでもアイ・コンタクトと手振りが普通である。でも自分は近くをウェイターが通りかかったせいもあるが、クリアな声で「スイマセン」と声をかけてしまったのだ。しかも日本語でやったので、彼女に笑われてしまった。)
・アメリカに来てから、外食を中心に色々な料理を食べてきた。しかし、大体がしつこすぎるのと、味付けが辛すぎることもあって、あまりうまい料理に出会うことはなかった。このレストランの中華料理も似たようなものだった。店の雰囲気や作りは金がかかっていてとても良い感じなのだが、肝心な料理の味が如何にもいい加減で投げやりな感じである。ヌードルはまるで、こねましたスパゲティのようだったし、味が濃くダシも利いていない。しかも量だけはやたらと多いのである。二人で食べても半分位を食べるのが精一杯だった。
・店を出た時は遅い時間ではなかったが、夜風が顔にあたって気持が良かった。まだ、そのまま別れてしまうには、心残りがあったので近くにカフェを探した。別に家まで押しかける気はないので、コーヒーを飲みながらお喋りをしてから別れた。彼女はここから歩いて帰ることができるらしい。

10月14日(木)雨漏りとテーブル騒動
・ここのところ、本当に毎日のように雨が続く。しかも、昨夜は雨音が聞こえるくらいチャンとした雨が降った。朝、いつものように起き出して学校に行き、そして夕方、部屋に帰ると何だか部屋の様子が変わっていた。今まで大きな机が置いてあった場所が移動し変わっていて、90度方向が変わっていた。ホスト・マザーに聞くと、雨漏りがしてテーブルを濡らすので、位置を移動させたと言う。契約には書いてないことが起こったためか、随分と言い方だけは低姿勢で、如何にも申し訳なさそうに謝る。別にどうってことはない話なので、さっさと引き下がってもらう。
・所がその後で彼女から文句を言われた。何かというと、部屋にはホコリにまみれた小さな籐製のテーブルが片隅においてあって、その上に小型のブラウン管式のテレビが載っていたのである。私が勝手にテレビをテーブルから降ろして、テーブルの位置を少し移動させておいたのだった。彼女がこれを見つけて、もとに戻せと言ってきたのである。自分はこのテレビを見ることはなく、邪魔なテーブルだったので、皆が部屋に来た時にテーブルだけでも利用できないかと思って移動させたのである。
・所が彼女はテーブルの位置を絶対変えてはらないと言う。そんなことは契約書に書いてないというと、ここでは全てのことを私が決めるのであって、私がダメなものは絶対に認めないと言うのだった。小さな話ではあるが、一方的な言い方に対してついに自分の声も段々と大きくなってしまった。「もうイイからさっさと出て行ってくれと」と言ったのだった。これに対して彼女が怒り狂ってしまった。部屋を出てからも、自分には何を言っているのか分からなかったが、一人で、大声で何か不満そうなことを叫んでいた。
・小さな事だが、さてっ。これからどうしようかと考えながらも、出来ればカネを返してもらって、そして別のホーム・ステイ先を探したかった。しかし、契約書のどこを読んでも、トラブルがあった時に金を返すとは書いてなかった。ここに滞在する予定も後10日位なので、今から別の所を探すのは得策ではなかった。そこでこのまま居続けることにしたが、その間、彼女と喧嘩したままであるのは如何にも気まずいので、明日の朝、顔を合わせた時に自分から謝ろうと想った。
・翌朝、「何であんなことを言ったのか、自分でも分からない。」と言って謝った。一緒にいたホスト・ファーザーが、間を取り持ってくれて、一応、落着することができた。事実、その後は、相手も自分も今までのように、気軽に話をして楽しく生活することができたので、まあ良いかと思った。しかし、心の中では、ここをLAにおける自分のホーム・グラウンドにしたいという気持ちは無かった。もしも、もう一度、LAを訪れる機会があったら、別の所を探すつもりである。


10月15日(金)レンタカーとカーナビの手配について
・10月24日の午前中に、このホーム・ステイを引き払って、再び車でアメリカ西部を縦断する予定である。今までのカリフォルニア旅行では、地図は持っていたが道路が全く分からなくなってしまうことが何回もあった。そんな時は走りながら誰かを探して車を止め、地図を見せながら道を聞くしかない。しかし、誰も居ないことも良くあったし、夜などは人が居ないだけではなく、全く自分がどこにいるかもわからない状態で、立ち往生してしまうのだった。そこで、思い切って中古のカーナビを買うことにした。
・アマゾンで中古品を調べると、アメリカでは最もポピュラーなTomTomの代表的なポータブル型が、何と70ドルで手に入ることが分かった。日本円では6000円もしない位の値段である。そこでインターネットで注文して、ホスト・ファミリーの家に配達してもらうことにした。配送料は$5だった。受け取りはホスト・マザーに依頼した。クレジット・カードを使うと、当たり前だが日本にいる時と全く同じで、簡単に注文が出来る。配送されるまでに4日を見ておけば良いので、一週間位同じ場所に滞在している場合であれば、全く問題なく安い物を手に入れることができる。
・このカーナビはポータブル型で、サイズが5インチ位の小型で使い安い感じのものである。持ち運びが問題なく出来る軽さである。画面が付いている本体の他は、12V電源用のコードが出ているだけである。以前、ステープルやビッグ電気で現物を見たのだが、展示されているものは、殆んど同様のものばかりだった。最も有名なメーカーは、“TomTom”と言う会社で、テレビでもよく宣伝を見掛ける。この辺りでは、最も多く使われているようだった。
・アメリカでは始めからカーナビが付いている車はまだ少ないようだ。そして後から車に取り付ける場合には、この持ち運びができるという点が、アメリカでは必須の条件である。何故ならば、外からカーナビが付いているのを見られたら、駐車中に窓を壊されて盗まれてしまう確率が高いと言われている。(なにせホームレスがあちこちにいるのである。)
・しかし、何でこんなに価格が日本と比べて安いのだろう。新品で同じ物を購入しても$180で手に入れることができるのである。実はこのカーナビ(アメリカではGPSと言わないと通じない)日本では同様な品は手に入らない。何故かというと、機能が全くシンプルなのである。行き先をインプットすると、曲がる場所を指示してくれるだけで、細かな地図は表示されない。しかし、全米とカナダの全域がカバーされているスグレモノであると思う。しかもそれでいて、随分沢山のホテルやモーテル、気の利いたレストラン等の情報がいっぱい詰まっているのである。必要な機能はチャンとカバーされているのである。日本では、カーナビというと、普通は10万円位する筈だった。自分が日本で使っているカーナビは、テレビが見られたり、細かな地図が見られたりと、いろいろ豊富な機能があるが本当に扱いにくい。アメリカ人の合理性が、何とも自分には嬉しい。
・次にレンタカーを予約した。先月、バジェット・レンタカーで借りた車は、日本で予約したのだが、小型車、保険付き、期間が3週間で、丁度10万円だった。それでも、ハーツやエイビスよりは割安だったが。こちらで会った友人の何人か(高さん等)の意見では、やっぱり随分と高いという話だった。
・そこでインターネットの最安値を中心に、チャンと保険が付いている事を確認して、同様の小型車で5週間という条件で探してみた。そして、8万6千円(1$83円)で見つけたものを予約した。一番の決め手は、レンタカー・オフィスが、ホーム・ステイ先から歩いて行けることと、オフィスから空港まで送迎してくれることであった。
・レンタカー・オフィスはホーム・ステイ先から歩いて15分位の所だったので、夕方、散歩がてら見に行ってみることにした。(行ってみると、その辺りは他にもハーツやエイビス等の大きなカープールとオフィスがあった。) 何故なら、値段が安いのは大いに助かるのだが、何と行ってもインターネットでは車の状態が確認できないので、変な車だったら心配だからである。ポンコツ車を借りてしまったら、もしも万が一にも、誰もいない荒野で車が故障した場合にどうなるか? 考えただけでもリスクが大き過ぎる様に感じられたからである。
・レンタカー・オフィスに行って見てビックリした。予約した会社は
”THRET”という名の小さな会社の筈だったが、扱っているクルマや保険等の手続き業務は、すべて ”Doller”が取り扱っているフランチャイズだった。車もダラーの自社工場で十分に手入れがされている様だった。オフィスの隣に大きな修理工場があった。しかもLAXの近くにあるということで、旅行者の借り手も多いのだろう、とても活気に満ちていた。車は韓国製の ”KIA”か、フォードの“XXX”等の数種類から選択ができた。いずれも見た所では、新車に近い新しさである。ただし、日本と違って走行距離は1ヶ月で5千Km位は当たり前の国なので、相当走っている様だった。取り敢えず車は来週取りに来るのだから、今日は下見を終えて満足し、既に暗くなって誰もいない夜道を、一人とぼとぼと歩いて帰宅した。

10月16日(土)韓国人街と韓国料理
・高さんが呼びかけ人になって何人かを集めて、数人で韓国街に焼肉を食べに行くことになった。韓国人街がどの辺にあるかは、自分もLAの地図を調べていたので大体は分かるのだが、車で飛ばしていくと改めてLAの広さが実感できる。何せ普通の道路が高速道路のようなスピードで走れる位、広い。つまり東京の街を、建物をそのまま残して、土地空間だけを20倍位広げた感じの景色である。途中には石油を採掘している場所まであり、昔ながらの機械式のクランクを使った油田用の組上げポンプが何十基と立ち並んでいる所もある位である。本当にここはLAなのかと思う。それを見かけたのは、確かLAのほぼ真ん中あたりに位置するストッカーと言う場所で、LAXから北方向に向かうラ・シェネガと云う名前の幹線道路の近くであった。
・LAで一番大きな韓国人街は、地図で見るとウェスト・ウッドとダウン・タウンを直線で結ぶそのほぼ中央にあった。その通りは、確かウィルシャーと云う名前の通りだった。ここは路線バスで何回も近くを通った所であるが、実は自分の足で歩くのはこれが始めてだった。兎に角大きな街で、この街から一歩も外にでないで暮らしているお年寄りも多いという話だった。つまり、生活に必要なものは、何でもここだけで手に入るらしく、本格的な韓国料理の食材も直ぐ近くで売っているらしい。
・しかし、高さんがINで調べた数軒のレストランに実際に行ってみると、あまり活気があるようには見えず、最初に行った店はドアが閉まっていた。街中であったが、近くの道路にも人の気配がなく、何となく寂れた感じがした。二軒目に行った店も同様な感じがしたが、ドアを開けて中に入ってみると、そこには大勢の人で溢れていた。多分韓国人ばかりだろう、皆、髪の黒い若者ばかりだった。テーブルには食べ残した皿やナプキンが山のように残されたままだし、通路にもゴミが落ちていたりビール瓶が置いてあったりして、お世辞にも綺麗な感じはしなかったが、料理は期待できそうな感じだった。何しろ、アメリカに来てから既に6週間以上になるのだが、旨い料理を食べた記憶があまり無いのである。少なくとも、日本で食べる韓国焼肉と同じ位の味が、更に安く食べられるのではないかと期待した。
・料金は確か$15位で料理は食べ放題ということであった。味は予想通りで美味かったし、値段も日本で食うのと比べて、はるかに安かったと思う。未成年のKaorとドライバーの高さんは酒を飲めなかったが、自分とKazはビールをジョッキに2杯も飲んで満足した午後だった。

10月17日(日)中国人街とナタデココ&再びホスト・ファミリー家でのパーティ
・日曜日の午前中に、先週と同じように一週間分の洗濯をしているとKazが中国人街に一緒に行かないかと誘ってきた。聞くと若い中国人留学生のXXXが、中国の食材を買うためにモンタレー・パークに行きたいので運転手として一緒に行くように頼まれたと言う。自分は、直接関係はなかったが、中国人街に少し興味があったので、今まで言ったことのないその街に一緒に行って見ることにした。モンタレー・パークはダウンタ・ウンから少しだけ東に行った処にある市の名前で、LAの中では最も大きな中国人街があるらしい。
・LAXの近くにあるホーム・ステイ先からXXXの住んでいるPIKOへ行く。XXXとは近くのドライブイン・レストランの駐車場で待ち合わせているので、そこに車を止めて待っていた。すると、しばらくして店の裏の調理場から人が出てきて、店に用がないのならばここに車を止めないでくれと言われてしまった。広いLAでも、駐車場は一応、私有地なので仕方なく横の道路脇に車を移動させる。しばらくすると、見覚えのある女性が向こうからとことこやってくるのが見えた。彼女は大学1年生とのことだが、まだ18歳なので本当に若い。若いがKazを運転手として確保するあたり、かなりのしっかり者との印象を受けた。
・YYYはLAの北東の方へ、かなり走った所にあった。LAの中心街にあるダウン・タウンの直ぐ側にも中国人街があるが、そこと比べても格段に大きな街だった。街というより町全体に中国人や韓国人が住んでいるような印象を受けた。あちこちに東洋系の髪の黒い人達が歩いている。
・いくつか大きなマーケットがあるようだったが、その中の一つでホスト・ファーザーに描いてもらった場所を探した。そこはさすがに大きな駐車場がある、食材ばかり扱っている大きなマーケットだった。中に入ると、日本では見たこともない野菜や魚やその他色々なものを売っていた。魚にしても何十種類もの魚が氷の上に並べられていて、それぞれ英語で名前が書いて有る。一つ一つ覚えようとして頭に刻んでいったが、最後のところまで来ると全部忘れていた。
・色々と目新しい物を見ていたが大分時間も経ったので、そろそろXXXは買い物が終わったのかと思って姿を探してみた。所がどでかいカートには、まだホンの少ししか買うべきモノが入っていなかった。世界中どこへ行ってもそうだが、そして老いも若きも同じなのだが、男に比べると女性は買い物に掛ける時間が桁違いに長いと思う。さっさと決めれば簡単なものでも、一度手にとってじっくり見てから、また元に戻したりしている。そろそろ、自分は疲れが出てきた感じがするのだが、女性は買い物で疲れてしまうと云う事が無いのだろうか。
・やっと、買い物が済んだ。今度はナタデココの美味いカフェがあるので、そこに行きたいと彼女が言い出した。自分も甘いモノが嫌いではないので、良かった。しかし、肝心の店の場所がわからないという。カーナビを使って、また、色々と聞いて回って探し当てた店は、さすがに長い行列が出来ていたのでビックリしてしまった。その店には20種類位のいろいろなナタデココがあった。
・自分はナタデココの他に、きなこ餅の様な一品を頼んだ。しかし、店で食べるのにアメリカの他のカフェでも良くあるように様に、お持ち帰り用の透明で薄いプラスティックでできたケースに入れてくれるのだ。使い捨てのスプーンやフォークと太いストローを貰って、わずかに空いているテーブル席で食べる。
・店の中なのに、自分達のテーブル席の前には、店の外から続く長い行列の最前部分にいる人達が並んでいる。見ると、皆、若い男女か女性のしかも東洋系の人達のグループばかりである。アメリカの町では、どこに行っても男同士のグループというのは見かけない。大抵は男女のカップルか、子供連れのファミリーである。しかし、ここだけはまるで日本のように、髪の毛の黒い人達が大勢いて、まるで日本にいる様な感じを受けた。
・しかしながら、目の前の一組のカップルだけは、さっきから人目を意識した感じの濃厚なキスを繰り返している。イタリアやフランスでは良く見かけるこの光景も、ここアメリカでは今まで全く目にしなかったものだ。実は今回の旅行で、街中でキスをしているのを見たのはこれが二回目だった。
・兎に角、ナタデココは少し甘すぎる気もしたが、まあまあ美味かった。YYYが “今度、日本に行ったら家に行く“ からと言ってメール・アドレスを聞いてきたので、やむなくアドレスを交換する。
・帰り道は、少し完全燃焼出来なかった感じが残っていたので、わざわざKAZに頼んでダウン・タウンに寄ってもらい降ろしてもらった。ブロードウェイの近くで映画でも見てから、バスで帰るつもりだった。
・夜、8時近くにホーム・ステイ先に帰ると、そこにはKazとMeiの他にYYYが色々な中華料理を作って待っていた。というより、自分が帰るとすぐに丁度、皆で食事が始まったのだった。聞くとホスト・ファミリーは月に一度の教会の集まりがあって、帰りが遅くなるらしい。ホスト・ファミリーは、ホーム・ステイをしているメンバーの友人達が家の中に入ることを極端に嫌っていた。しかし、今日だけは皆、自由に羽を伸ばして、キッチンを長時間占領出来るという訳だった。食事の後はビールを飲みながら、ゆっくりと話しができたのだった。兎に角、料理が大好きだというホスト・マザーの作る料理は、手抜き料理ばかりで、お世辞にも美味いとは言えなかった。また、アメリカに来てから何軒かのチャンとした中華レストランで食事をしたことがあるが、ハッキリ云って旨い料理にお目にかかれなかった。しかし、彼女達は素人であるが、彼女たちが作る中華料理より美味い食事は今まで無かった。それ程に本当に料理が美味いと想った。

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