2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/4

114日(木) 探し求めていた露天の温泉に始めて入った!

・朝7時頃起き出して散歩をした。一階に部屋を取っていたので、ドアを開けると直ぐ目の前に自分の車を停めているのだが、車の窓や屋根が凍りついていた。バンパーの所には何箇所かつららができていた。冷たい空気を感じながら、ダウン・タウンに向けて歩く。

・散歩の途中で腹が空いてしまったので、何回か通って馴染みになった大きなスーパー・マケットに行った。いつものように、本日のスープと手頃なパン、それに持っていったバナナとりんごを食べる。朝食を食べながら、地図を頼りに、今日一日でやりたいことや行きたい所をチェックした。そして、必要になる筈のバスタオルを探して歩くが結局は売っていなかった。






・宿に帰ってから荷物をまとめて9時頃に出発した。今日の予定は、まずは街の西側にそびえ立つ山の周囲の観光用の山岳道路を走ることだった。昨日の青年たちが川下りをした川は、地図によるとこれらの山の間にある湖から始めっている。そこの所を実際に目で確認しておきたかった。そして次には、昨日、手に入れた温泉ブックの案内に従って、是非とも男女が自然な姿で入っているという、原始的な露天風呂の温泉の幾つかを、実際に経験することが今日の目的である。

・いよいよ山に入っていくR45に入る。入口の付近には、まるで別荘の様な洒落た綺麗な家や景色が続いている。やはり、川下りの青年たちが言っていたことは正しかったと思った。

・道はドンドン登っていくが、途中から両サイドに雪が積もっているのが見えるよう
になった。今回のドライブではタイヤ・チェーンを持ってきていなかったし自分一人なので、もしも車がスタックしてしまったらどうしようかと云う不安が頭をよぎる。しかし、できるだけ日の高い内は、行ける所まで行ける筈と考えた。





・しかし山岳道をしばらく行くと、Mt.Bachelorスキー場についてしまい、此処から先は雪のため道路が閉鎖されていた。結局、予定した周遊コースは車で走ることは出来なかった。そこで、スキー場の周囲をウロウロしながら、写真を取るのに良いと思われる場所を探した。しかし、どんなに工夫しても、小さなカメラだったので山がよく映らない。全く盗まれてしまった一眼レフカメラが惜しかった。

・山を下る途中でふと下界の方を見ると、山々の間に雲が雲海の様に佇んで見えた。山に囲まれた、まるで日本を思い起こさせるような光景だった。

・写真を取るためにあちこち移動している内に一時間以上が過ぎてしまい、既に午後になってしまっていた。できるだけ来た道を通らないように道路を選んで走っていると、小さなしかし小奇麗なカフェが見つかった。迷わずそこに入って、ピザ・ピースとペプシを頼む。前部で3ドルだった。

・店の中で地図を広げて見ていると、中にいた客の何人かが話しかけてきた。ユージーンに住んでいるらしかったが、この近くの山の中で3週間も滞在しながら何かの工事をやっていて、今日、これから家に帰る所だと言っていた。温泉のことを聞いてみたら、そんなものがあるという事自体聞いたことがないと言っていた。やはりアメリカでも、温泉に入る人は物好きなのか。

R97から山の中を抜けてR5沿いにある街ユージーンに向けて通っている道路R58に入る。両側には背の高い木が密集していて、暗い道であったが自分にとっては、木の香りがとても気持ちの良い山の景色だった。この様な景色は、南カリフォルニアでは見ることができない、まるで日本を思い起こさせるような、良い眺めだと思った。

・ガイド・ブックによるとほぼ峠の近くに目指す温泉が有る筈だった。注意していたが通りすぎてしまいOakridgeという名の小さな村まで行ってしまった。そこで何人かに聞いてみると、場所を知っている人がいたので、それを頭に叩きこんで戻っていく。言われたように道路脇に広い駐車場、といっても自然のままのただの大きな空き地だが、があった。しかしながら、温泉とか露天風呂などという案内に標識は何処にもない。しかし、何台か車が止まっていたので、先客がいるに違いない。

・駐車場から約100m位、川の方に斜めにゆっくり降りていくと、河原に小さな池のように水が溜まっている所が幾つもあった。あちらこちらの池の中に、既に何人かの人が体を沈めているのが見えた。素早く数えると、若い女性が数人、若い男性も数人、老人が数人という感じだった。

・自分は何処に行って良いのか一瞬迷ったが、既に若い一組の男女が入っている、一番大きな池に近づいていった。見ると若いカップルは二人共水着をつけている。しかし辺りは全くの原始的な河原で、視界を遮るものは何も無い。囲いも無ければ、ランプも何も無い所であった。皆が見ている所でパンツを脱ぐことはとても恥ずかしかった。そこで、下にはパンツ=水着をつけて入る事にした。

・自分が入っていくと、若い男性の方が話しかけてきたので、なんてことはない世間話をしていた。するとしばらくして、一人の老人がやってきて何も身につけない姿で入ってきた。すると、若いカップルがそわそわし出して、帰り支度を始めた。しばらくして、女性は濡れた水着の上からそのままジーパンを履きシャツを着てしまった。そして、二人でサヨナラと言って帰ってしまった。

・しかしながら回りを見渡すと他の池には、若い女性達が何人かいて、そちらの方は皆が何も身につけずに そして如何にも堂々としていて湯から出て歩き廻ったり、岩の上に座っていたりしていた。当然、アメリカでは手ぬぐいや小さなタオルを湯の中に持ち込む習慣はないので、全てが丸見えであった。カリフォルニアでよく見るような、太った女性ではなく、素晴らしい美しい体をしていた。

・この季節ではあったが、昼間のせいか濡れたパンツと上半身裸で石の上に座っていても、全く寒さを感じることはなかった。実に爽快な気分だった。心が軽くなってリラックスして来たので、先客のご老人に話しかけてみた。はじめは当たり障りない話をしていたのだが、この老人がとても話し好きだったので、結局、2時間位二人で湯に浸かりながらいろいろな話をしてしまった。


・彼は既にリタイアしているが、今でも時々美術の仕事をしていて、時折、学校で教えていると言っていた。自分はリタイアの人生の過ごし方が、まだ良く決められないし今のままでは満足できない上、良いモデルとなるような先輩も見当たらないという話をしたら、彼は自信を持って今の生活は最高だという。人生はできるだけ仕事を減らして、自由きままに暮らしたほうが良いという考え方を持っているようだった。これは良い先生を見つけた。だったら、過ごし方を教えて頂戴という様な、師弟の関係になってしまったからであった。

・しかし、はじめは仕事を止めてしまったことに後悔はないと言っていたのだが、70歳を超えた今でも実は仕事に少しみれんが残っている様な気がした。逆に言えば、70歳を超えた今でも好きな仕事が出来る所が素晴らしい。途中、犬を連れた男の二人連れと、その後からは腕に刺青をした男性が入ってきて、この池は男ばかりになってしまった。全員が丸裸で、パンツを履いているのは自分だけだった。


・最後に別れる時に二人で記念写真を撮ってもらっ
た。もちろん、周囲は全く写さないように注意してもらった。ご老人はこの後も、まだ、湯に浸かっているといった。写真を撮ってくれたのは、その後に来た40歳位のオッサンで、トラックの運転手であった。良くこの温泉を利用するらしい。やっぱり、日本人だけではなく誰だって風呂はゆっくり浸かってこそ良いものなんだ。そういえば、イタリアの方には、大昔から市民の憩いの場所は風呂だったのを思い出した。

・温泉に入った後は、ユージーンまで行って、今夜の泊まる所を探した。あれこれ悩んだが、結局、高速道のICの近くにあったモーテル6に落ち着いた。ここは、街の中心地ではないが、そもそもユージーンの街の中を高速道が通っているので、その中心部に近いICなので何処に行くにも便利な所であった。部屋は十分に広く綺麗で、価格は44ドルだった。(価格は全て税込)

・今夜の夕食はユージーンの市街地に行く途中で見つけた、シーフードを全面に出した中華レストランに決定した。久しぶりにキチンとした料理を食べた気がしたが、価格は安く前部入れて9ドルで上がってしまった。アメリカに来てから食べた料理の中では、この料理は美味しいランクに入れることが出来る。しかし、日本ではこの位が当たり前であるが。何でワザワザまずく作ることが出来るのか、本当に不思議だ。

・(最近日本では、日本の料理がアメリカの間で人気があると云う様な報道を耳にする事があるが、実際に体験した限りではアメリカ人の口にはあまり合わないようである。何回か日本料理店で食べてみたが、多くの人が食べ残したまま出て行ってしまう所を目撃した。彼らは味が濃くて辛くてしかもしつこい料理を山のように食べることが好きらしいという気がした。)
















アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/3

113日(水)オレゴンのBendという街に行く

・朝、ショッピング・センターの中にあった大きなスーパー・マーケットで、店を広げていた惣菜売り場でスープとサンドイッチを買ってフードコートで朝食を食べながら、今日一日の行動計画を検討した。 南に向かって高速道路ではない道、できるだけ田舎道を走りたいと思いR216を選んだ。何処までも果てしなく続く大平原。その中を、たった一本のカントリー・ロードが延々と続く。回りに丘があって道がカーブしている所が多い。また、坂道が有ったりするので、道路も先が見えたり見なくなったりして変化していく。僕の前に走る車はいない。後ろにもいない。


・家がたまに一軒有ったりするのだが、驚くことにスクールバスが走っているのが見えた。ここで育つ子供は、日本の狭くて密集した都会暮らしの子供と同じである筈がないと思った。何が違うのかは分からなかったが、時間や距離の尺度は全く異なると思う。もしかしたら、こちらの方がスピード感はあるかも知れない。日本のように歩いて生活することができないので、何処に行くにしても車を使い、そして普通に走るときでも、時速100km/hで走る生活だからだ。何せ土地の広さが半端ではない。
・更に田舎道の方に入っていく。Warm Spring方面と書かれた看板があったので、迷わず更に奥へと向かう。全体としては南に向かっている筈だった。途中、Simonashoという名前の所に出た。しかし、ガソリン・ステーションと萬屋の店が一緒になった家が一軒あるだけである。その家の前にベンチが合って、一人の老人が座っていた。人が座っていた。

・誰かと話がしたかったので、近くに車を止めて近寄っていく。顔に深いシワが刻まれて、随分と年がいっているように見えた。多分、80歳は超えていると思った。彼はインディアンで、昔はミドル級のボクサーだったという。年を聞いてビックリしてしまった。何と自分と同じ63歳だという。

Warm Spring方面に行くと言ったら、自分も行きたいという。しかし、帰りはどうするのだ? 本当に行きたいのかどうか分からなかったので、早々に引き上げることにした。

Warm Springは確かにこの辺りでは大きな村だった。中心の近くにこの辺りでは大きなスーパー・マーケットと言うより、下町の仲見世の様な暗い売り場が幾つかグループで固まっていて、そこで何でも売っていた。

・周りにいる客を観察していると、ここで出会う人は殆どがインディアンの血を引いているように見えた。色が浅黒くて、髪が真っ黒で、背も低かった。顔は東洋系でふっくらしているが、鼻の形が日本人とは違っている。もしかしたら、ここには彼らの独自の文化の名残があるかも知れないと思い店の中に入った。

・店の中で、揚げたチキンとフライド・ポテトとコーヒーを買う。2.15ドルだった。何とここで売っているものは、値段は安いが中身は他の街の大型スーパー・マーケットで売っているものと同じである。彼らもその昔は自分達の固有の文化を持っていたに違いないが、今では完全にアメリカ人と同じ生活をしている様だった。大体、昔のインディアンがフライド・ポテトを食べていたとは思えない。

・店の人が、フライド・ポテトはここではボジュレというと教えてくれた。店の横の駐車場は舗装されていなかったが、端っこの方に大きな石が幾つかあったので、そこに座ってランチを食べた。

Warm Springを出てしばらく田舎道を走っていると、綺麗な清流に沿って小さな公園が見えた。一休みしようと思って公園の駐車場に車を止める。直ぐ近くで、白人の男ばかりの大学生らしき若者が45人集まって、車から大きなボートを下ろして何やら準備に忙しそうだった。近寄って話を聞いてみると、ここからコロラド川に出て、更に河口まで4泊で川下りをするという。チョット時期的に寒くないかいと思ったが、彼らはTシャツに半ズボン姿であり、裸足で水の中に移動しながら荷物を積み込んでいた。

・これから今日はBendに行くと言ったら、自分達もその近くから来たという。Bendはとても綺麗な良い街だよと言っていた。そしてこの川はBendから流れて来るのだといった。確かにここから南のほうへ行くと、川は段々と急流になる。地図を見るとBendの近くにCranePrarieという名の大きな湖が見つかった。

Bendは比較的に大きな町だった。つまり国道沿いに家が並んでいるだけではなく、所々、銀行などの建物が見えた。そして、国道から少し離れたところには、住宅地が広がっているようだった。車を今夜の宿としたMotel 6において、取り敢えず、町の中を散歩することにした。ちなみに宿代は49.5ドルだった。

・大きな町だったがまずは比較的、家や店が有りそうな大通りを行く。すると若くて知的な顔をした、金髪の女性ホームレスに出会った。「私はホームレスです・・・」 と書かれた紙を持って、この寒い中をずっと歩道の脇に座り込んでいた。家がないということは、今夜は何処で過ごすのだろう。今まで、随分沢山のホームレスを見たが、若い白人の女性を見るのは始めてだった。見たところ、五体は満足のようだったが、いろいろな事情があって仕事をしていないのだろう。本人も下を向いて寂しそうにしているように感じた。

・自分は何をしてあげられるのか? そもそも、中年過ぎの黒人の男性ホームレスには、あまり何も考えずにコインを入れたりできるのに、そしてLAのようにその数も半端ではない場合には、こんなに色々なことを考えずに通りすぎてしまうのに、何故、若い白人の女性ホームレスには、こんなにも複雑な思いを感じてしまうのだろう。自分が何も出来ないことを見透かされているようで、何となくその道を通ることが怖かった。

・川で有った青年が「Bendは川の始まりに近い美しい町だ」 と言っていたが、ダウン・タウンの近くは決して美しい感じはしなかった。キット、近くの自然が綺麗なのだろうと思う。日本でも田舎の方には、こんな感じの町が結構あるように思った。

・しばらく行くと、比較的大きな本屋があったので覗いて見ることにした。本屋といっても、アメリカでは初めて入る古本屋であった。旅行ガイドの棚を探していると、何と探していた温泉ガイドの本が有った。この本はアメリカでは温泉好きの間ではチョット有名な本である。中をめくってみると、有るは有るは、日本以上に原始的な露天風呂の場所と地図と詳しい案内が載っている。しかも、殆ど全てに写真が付いている。その中の多くの写真は、老若男女の全身が裸のままの姿で写っている。これは行かなければと思って直ぐに購入した。発行が少し古くて写真が白黒だったが、値段は7.5ドルだった。

・嬉しい買い物をした。何故ならば、インターネットでは幾つかの温泉情報が見つかっても、多くは場所などがはっきりしないブログ記事であり、この様な案内に徹した情報は見つけることが出来なかったからである。しかもカリフォルニアではアテが外れてしまい、行く所がすべてスパや水着着用の温水プールであった。どう考えても日本の山にある温泉の雰囲気とはかけ離れていたからである。

・途中にあったシティ・バンクの支店でATMから金を下ろした。ATMが使えるという事は、多額の現金を持ち歩く必要がないので便利なのだが、20ドル単位でしか下ろすことができない。一日の最大の額は600ドルである。しかも、どんなに少額であっても一回あたり3ドルの手数料が掛かる。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/2

112日(火)Dallesとポートランド

Dallesからポートランドまでは、地図で見ると約100km位の距離があったが、コロラると約100km位の距離があったが、コロラド川沿いの景色の良いハイウェイが通っているので、約1時間位で着く筈だった。昼前にポートランドの街に着くと、そこには数日前に見たおなじみの景色があって、何となく落ち着く感じがした。嫌な想い出のある街であったが、よく見ると周囲に山が見えて、大きな公園があって、綺麗に手入れされた公園のような通りがあって、とても良い街だった。川沿いの大きな公園では、遠くに、とても形の良い富士山のような雪山が見えたりした。
・早速、ポーランド警察を探したが、それは直ぐに見つかった。しかし、道路脇に沢山並んでいるパーキングが一杯で車を停めることができない。今までの経験から、アメリカの大きな都市では、駐車禁止の所に車を停めると、かなりの確率で切符を切られる事が分かっていた。また、多くの車は日本と違って、このようなルールをキチンと守っている様だった。グルグルと近くを走っていると、警察からは少し離れている所に数台の空きがある所を見つけた。迷わず車を寄せて、15分当たり25セントだったので、コインを8枚(2時間分)入れた。そして警察に向かった。

・警察に来た理由は、事故証明書(盗難証明書)を発行してもらうためである。盗難が発生した時に申告した被害届は、盗難物すなわち一眼カメラやGPSの型番が正確には分からなかった。そこで、昨日調べた型番を追加で記入することで、何が盗まれたのを正確に証明する事ができるようにしておきたかった。クレジット・カードには盗難保険が付いていることが分かったからである。

・手続きは呆気無いほど短時間で済んでしまった。これでは後から、盗まれていないものまでも、簡単に記入できてしまうと思うが、警察官は全く自分を疑うことなしに、記入し直した書類にハンコを押してくれた。・さて、警察を出てきたものの、駐車時間にはまだ大分余裕があったので、川沿い近くの公園に行ってみた。天気が良かったので、ベンチか芝生で少し昼寝でもしてみたかった。しかし、日当たりの良いベンチでは、先に男が一人座っていた。綺麗な服を着ていたが、少し浮浪者に特有の匂いがしたので、仕方なく芝生の方に行ってそこに寝転がった日差しが暖かくて気持が良かった。

・しばらくして、駐車した場所に戻ってみると、あろうことか駐車違反の切符が貼ってあった。何時間もオーバーする程、寝てしまったのかと自分の記憶にすっかり自信をなくしてしまった。しかしながら、駐車券の時刻を確認すると、明らかに時間内である。そこで、すっかり頭に来てしまい、電話をかけようとして番号を探していると、近くをパトカーが通った。

・そして一生懸命にこの仕打ちについて説明すると、乗っていた警官も直ぐに分かってくれて、これは明らかに間違いだと言ってくれた。しかし、その後で、「ちょっと待て」 と言われてしまい、ここは電気自動車優先のパーキング・エリアだから、ハイブリット・カーは良いが普通の車は止めてはいけないのだと言う。何でもハイブリット・カーを普及させるための、市の処置らしい。「そんな馬鹿な法律があるか?」 と怒鳴ったら、「俺もそう思うよ」 と言って目配せして行ってしまった。

・結局、駐車違反の罰金は60ドルだった。自分は二度とポートランドには来てやらないと強く思った。どうも好きに離れない嫌な街だった。

・その後、メイシーズ(デパート・ストア)で秋冬に着られるジャンパーを購入した。この時期のポートランド周辺は、まだ、真冬のジャケットは必要なかったが、やはりシャツやトレーナーの上に羽織ることができる薄手のものが欲しかったからである。LAはとても暖かい街だったので、なかなか秋用のジャンパーが店に置いてなくて、自分のようにワンサイズ小さなものは探しにくかったからである。この時期のアメリカの西海岸では必需品であった。しかし、60ドルの値札がついていたのに、金を払おうとしたら40ドルだという。だったら、始めから40ドルの正札をつけておけよ。


・次にカフェで昼食を食べて、昼間はライブをやっていないが開いているジャズ・クラブを覗いたりしている内に、帰り道はすっかり暗くなってしまった。


・秋の夜はつるべ落としというが、まだ時計は夕方なのに本当に真っ暗になってしまった。こちらのハイウェイには、郊外では道路に照明がついていないので、全く車のライト以外には明かりがなかった。そして、高速道にあるようなIC等も、なくて、降りるためには斜めにつけられた側道に入っていくシンプルな造りになっている。(高速道同士の交差点が無い所では当たり前か。) 困るのは側道に入るための道路標識が、暗くて全く読めないことであった。

・しかし、自分はカーナビを買っておいて本当に良かったと思った。シアトルで雨の中を走った時も、その有り難さを実感したが、今回もカーナビが無かったらどうすればよかっただろう。自分は行き先の所に、市の名前である「Dalles」と入れておけば、適当な所で降り口を指示してくれる筈だった。

・しかし、指示通りに降りた筈だったが、降りた所は全く見覚えのない街だった。街の中をグルグルと廻ってみたが、メイン商店街は古ぼけて暗かった。かなり歴史のある西部劇に出てくるような街だった。少なくとも自分が宿泊している所だと云う記憶は全くない。

・慌てて、ハイウェイに戻って隣の降り口に行ってみたが、ここも全く記憶になかった。再びハイウェイに戻って、しばらく走っていたら、昨日、シアトルからコロラド川に来た時に、ガソリンを入れた記憶のある街まで来てしまった。辺りは真っ暗だったが、ここで気を取り直して何を何処で間違えたのか検討した。恐らくカーナビが誤動作したに違いないと思ったが、頼りはこれだけなので、もう一度、地図とカーナビをしっかり確認して、再びDallesに向かった。

Dallesに着くと、しかし、そこはさっき通過した記憶のある街だった。気が狂ってしまったのかと思いながら、そのまま街中の旧道らしき所を走っていると、しばらくして町の郊外らしき所に出た。そしてそこには、明るい大型ショッピング・センターが立ち並ぶ、見覚えのある我が街が急に出現したのである。考えてみたら、カーナビのDallesと云うディストネーション・ポイントは、どうやら市庁舎のある場所らしく、自分が宿を取った所はそこから随分外れた郊外にできた新しい街だった様である。予めカーナビにインプットしておくべき、住所や通の名前をメモしておかなかったいい加減さに自分で自分をすっかり振り回してしまった。

・モーテルに戻る前に、安い量販店で松下の安いデジカメを買った。155ドルだった。それから、いつもの通りガソリンを20ドル分入れてからご帰還。夕飯の前に、インターネットで罰金を振り込んだ。何時までもゴネテいると悪質な罪人と見なされて、学生ビザも取り消されてしまうという。何でも金で解決できる、シンプルな社会であると思った。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記11/1


111日(月)Seattleを抜け出してコロラド・リバーに向かう


・今日は朝から土砂降りだった。気分が憂鬱で、何処に行く気も起きない。そうかと言って暗くて小汚いモーテルにずっとじっとしているのも心地良くはなかった。ここへ来る前は、あんなに来たいと思っていたシアトルであるが、思いがけなく良いことが起こる気配は全くなかった。また自らそれを探しに出かける気力も湧いて来なかった。この時期には、アメリカの各地で大雪が降っているようだったので、北西海岸一体が雪ではなく雨であるだけ運が良かったと考えることにした。確かに冬でもそれ程寒くはなさそうだったことは、素晴らしいことだと思った。


・しかし、大雨のために何処にも行くことができないので、昨夜、一晩、迷いながらも考えて買うことを決めたカーナビを、ステープルに行って買うことにした。カーナビは今まで使っていたものと全く同じ型番のTomTomXL430Lを買った。税金が込みで180ドルだった。


・このカーナビは思い切って買って良かったと思う。日本ではカーナビが180ドルで買えるとは思えないが、旅行者にとってアメリカの道路では必要な存在である。今日のような大雨の日には、これがないと複雑に入り組んだ都市内の高速道を昼間でも走ることは難しい。何せ道路標識が、霧で全く見えないのであるから。夜は自分が何処にいるのかさえ分からないだろう。車がチャント流れているこの現実自体が、自分には信じられないことである。


・そうしているうちにも雨が一段と激しくなってきた。天気予報では二三日降り続くらしかったので、自分の心は既にシアトルにはなかった。以前本で読んだ、コロラド渓谷に行ってみたかった。コロラド川に沿った有名なオレゴン・トレイルは、秋がとても素晴らしいらしい。そこで、高速道で来た道をそのまま南下してしまうのではなく、R90を一度、東に向かって走って見ることにした。R90は高速道と言っても、途中からは何の変哲もない普通の山岳道路になってしまった。しかし、周囲が山ばかりだし、標高が比較的高い所を走っているという実感がある。気温はそれ程低くはないのだが、何時、雨が雪に変わるかも知れないという不安があった。特にEastonからRoslyn辺りは山が道路に迫っている。


Ellensburg当たりの村にまで辿り着いた時に、急にトイレに行きたくなったことと、同時に空腹を覚えたこともあるので、直ぐ道路脇にあった大きなスーパー・マーケットに入った。中のイート・イン・コーナーで、スープとサンドイッチを買って食べる。それに例によってリンゴやバナナ等の果物等を約10ドルで買った。


・この田舎のスーパー・マーケットで売っている商品は、他の地域のものと比べて特別大きな違いは感じられなかった。こんなに遠くに来たのに、そして幾つかの州を南から北へと移動してきたのに、更に都会や田舎のスーパー・マーケットを幾つも見てきたというのに、店の商品からはアメリカ人の生活習慣に大きな違いを見つけ出すことができなかった何処でも同じような商品を同じような売り方で売っている。多分、アメリカの中部や東部地方、及び南部の方へ行くと異なるのかも知れないが。


・店の中の食品売場で買うものを物色していると、近くにいた店員が話しかけて来たのでしばらく話をする。もしもこのようなことがなかったら、買い物や交渉以外のどうでも良い日常会話をすることもなく、一日中誰とも話さない事になってしまう。店員の親切な行為がとても嬉しかった。最も、相手にとっては、このように知らない人に話しかけることは、どうやら普通の行為のようだった。


・誰とでも声を掛け合うという習慣は、日本とは大きく異なっている。これは自分の予測に過ぎないが、多分、アメリカでは自分の知らない人と声を掛け合うということは、自分の身を守るという意味があるのではないだろうか? そのような事が習慣として、小さな時から意識することなしに身についてしまったのだろうと思う。最近の日本では、小さな子供達は恐らく、知らない人とは話してはいけないと教えられて育つのだろうと思う。


・車を使ってアメリカを一人で旅をしていると、一人だけの時間がどうしても長くなる。その時に一番辛いことは、話し相手がいないことなのだ。車の中でずっとやっていることは、英語のヒアリングの練習とスピーキングの練習である。大きな声を出すということは、気分を紛らわすには格好の方法だった。外へ出ると、雨は大分小降りにはなっていたが、相変わらずの天気だったので早々とシアトルを出てきてしまったことに後悔はなかった。


R90R82の分岐点でR82に向かい、そのままずっと走り続けているとやがて眼下に大きな川が見えてきた。川には大きな橋が掛かっているのを見下ろすことが出来る。道が急な下り坂になって大きくカーブしながら橋に向かって進んでいる。川の向こう岸は、切り立った断崖が続いている。断崖と言っても岩ではなく土のようにも見える。綺麗な地層が重なって見える。これがコロラド渓谷だと思った。


・川を渡った所にあるガス・ステーションで一休みすることにした。マクドナルド・ショップの横には、比較的大きな雑貨やスナックを売る店がドアを通してつながっていた。コーヒーを飲んで用を足した後、店の中を少しぶらつく。その後、車の中で少し仮眠した。


・ここからは川に添った道を海の方に向かって下っていく。地図で見るとどうやらR84らしい。この川はポートランドを経て、太平洋に河口を持つ大きな川である。ガイド・ブックによると、オレゴン・トレイルと呼ぶらしい。途中、Dallesという街を通過する時に、比較的大きくて綺麗な街並みが見えたので、今夜はその街に泊まることにした。ガイド・ブックによると街は比較的古い歴史を持った市街地があるようだった。しかし、実際に走ると今まで見てきた海沿いの街並みとは明らかに違う、古ぼけた中世の趣があるところだった。


・ゆっくりと市街地を走っている内に、ドンドン街はずれの方に出てしまった。そしてそこには、今まで見てきたのと同じような、大きな共通の駐車場を持つショッピング・センターが出現したのだった。大きなスーパー・マーケット、ホームセンターやステープルの大きな店もある。中には食事のできる店もあるようだった。その他、道の両側にはマックやタコベル等の何処に行っても必ず見掛けるドライブ・インが幾つか点在している。


・カーナビとガイド・ブックで調べると、近くにスーパー6がある筈だった。実際に行ってみると、豪華とは言えないが、適当なスペースと清潔さ、そしていろいろ便利な設備が揃っていた。スーパー6は何処へ行っても、自分が最低限必要とするものは、冷蔵庫以外は大体揃っていた。宿泊登録を済ませた所、金額は一泊あたりで49ドルだった。


・明日は再びポートランドにある警察に行って調書を書き換えてもらうことを考えていたので、その意味でもポートランドに近いこのDallesが気に入ってしまった。また、この風情は全くないが新しくできた便利な街とこのモーテル、及び近くの大型のショッピング・センターも気に入ったので、今回はここに2泊することにした。


・ただし、夕食はデニーズの様な何処に行っても同じものがあるような俗なレストランではなく、街の由緒あるアメリカン・レストランか、案内書に乗っていた日本食レストランで久しぶりに本格的な日本料理を食べようと思った。しかし、街中をさ迷いながら探した所、辿り着いた日本食レストランはとうの昔にクローズされ、寂れた様に取り残されたまま建っていた。実はこれと同じ経験は、今までに何回かしていた。


・何処に行っても韓国人や中国人はそれ程珍しくはないし、韓国や中国のレストランは直ぐに見つけることができる。韓国人は人口が日本の約半分位だったはずであるが、アメリカの西海岸では何処に行ってもとても目立つ。彼らは何時も集団でいて、そして大きな声を出して我が物顔で喋っている。しかしながら、日本人が何処にもいない。ポートランドやシアトルでは、ビジネスマンにも観光客にも会わなかった。


・そして、あちこちにあった筈の日本食レストランは、その多くがクローズになっている。ということは、かつては流行っていたこともあるのだろう。しかし、現在のアメリカ西海岸の各地方に於いては、日本の影は確実に薄いものになっている。街で見ることが出来る日本独特のものと言えば、それは車ばかりである。日本人の影も見つけることができない。


・ついでに言えば、新しいモーテルでは部屋に置いてあるテレビの多くが、LGとかサムソン等の韓国製である。ウラビレタ安モーテルでは、テレビにソニーの文字を見つける事ができるが、それは画面が小さくて図体が大きなブラウン管テレビである。


・日本にいる時は、アメリカの経済に対する日本の影響の衰退を、肌で感じる機会は少なかった。しかし、今回の旅行でハッキリと感じることは、日本の影響の明らかな衰退であった。


・夕食はアメリカン・レストランに行った。しかし、メニューを見ても、デニーズと大差なかった。量が少なくてそれほどしつこくなく、安心して食べることの出来る料理は、ステーキかハンバーグだけだった。そこでハンバーグを頼んだ。ドミグラス・ソースはOKかと聞くのでOKだと言ったら、巨大なハンバーグが見え無いくらい山になってかかっていた。そして、そのソースが結構、しつこいものだった。ただし、値段は安く、チップ込みで14ドルだった。しかも、広い店内には客は自分が一人だけだった。帰りにデニーズを外から覗くと、10カップル以上は客が入っていたようだった。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/31

1031日(日)PortlandからSeattle

・翌朝、壊された車を別の物と替えて貰う為に、昨日、PCで調べておいた街中にあるダラーのオフィスへ行った。保険がきく筈なので、その場で直ぐに替えてくれるものと思っていたら、自分が借りた車は、ダラーとダイレクトに契約したものではなく、ダラーを通した別の小さなフランチャイズ業者なので、その業者のオフィスに行かなければダメだと言われてしまった。そこで色調べて貰ったら、幸か不幸かその業者のオフィスがこの地区にもあるという事だった。ただし、一番近くにあるオフィスは、エアポートの事務所だと云って、そこまでの地図を書いてくれた。


・高速道をエアポートに向けて走った。しかし、窓が開いているので冷たい風が入ってきて寒くてしょうがない。外は零度C位の気温だった。高速では走る事が出来ないので、ゆっくり走っていると後続の車がイライラしているのが分かる。やっとエアポートについて着いて、近くのカープールにあるオフィスで聞くと、ここでもその業者の車は扱っていないという。近くにあるその業者のオフィスに行かなくてはいけないと言われた。地図を書いて場所の説明をして貰ったのだが、しかし、カーナビもないし、しばらく走っている内に方向感覚がなくなってしまい、すっかり道に迷ってしまった。全く自分がどこにいるのかも分からない状態になってしまった。


・そして、気落ちした気分である角を曲がった処で、いきなりサイレンを鳴らされた。見るとパトロールカーがスピーカーで、どうやら止まれと言っているようだった。うーん、またやってしまった。パトロールカーに止められたのは二回目である。日本では5年間に一度くらいの割合なのに、こちらでは一ヶ月に一回の頻度であった。警官に聞かれることは、日本と同じであるが、いろいろと云い訳をしていたら、どうやら許してくれる事になった。ことについでにレンタカーのオフィスを聞くと、ついてこい云われパトロールカーで先導してくれた。この経験も二度目である。つまり、焦っている時は何らかの違反をしており、捕まる可能性が高くなるのである。


・代車の手続きは直ぐに終了した。結構新しい年式(二年目)で程度の良いフォード車だった。年式は新しいが、距離計は随分進んでいた。(値は忘れてしまったが) 韓国車の様にキビキビと走る軽さはなかったが、どっしりと戦車のような重量感があった。そして、高速道を走り続けるには、この車のほうが安定感がり運転しやすいと思った。アクセルペダルが重くて、しかもエンジンの回転がペダルに直ぐには追従しないようにわざと作られている様な気がした。


・こうなったら、一刻も早くポートランドを離れて、シアトルに行ってみたかった。事前に調べた所では、シアトルは大変美しい街のようだった。ガイド・ブックだけではなく、そこに住んでいる日本人の書いた本や、シアトルでロングステイの案内をしている日本人が書いた本を何冊か読んでいた。それを読んでいたこともあり、今回のアメリカ旅行では、シアトルを訪れる事が目的の一つと考えていた。出来ればシアトルに5日間位滞在したいと考えていた。


・自分が持っているアメリカ西海岸をカバーしている地図では、ポートランドからシアトルまでは大した距離ではなかったのに、実際に高速道R5を飛ばしていると、とても長い距離であることが実感できる。しかも、始めてカリフォルニアの大地をドライブした時の感激は、今はあまり無く代わり映えのしない風景が続く。しかし、右前方の遠くの方に富士山よりも高そう雪を頂いた山がそびえているのを見た時は、率直に美しいと思った。後で地図を調べたら、Mt.Rainier 4392mと出ていた。


・その内に雨がふりだしてきたのだが、見る間に激しい雨になってしまい、高速道の標識が何も見えなくなってしまった。標識だけではなく、自分が走っている車線まで見えなくなってしまった。怖いので、自分は速度を落として走っているのだが、回りの車がドンドン追い抜いていくのがとても不思議だった。何故、前がよく見えない所でスピードを出して走ることが出来るのだろうか? しかも、一台や二台の車がそうしているのではないのだ。


・夕方になって、シアトルについた。例によって、市の中心地区を車で走ってみた。ついでにガス・ステーションで給油したのだが、ここでノズルの使い方が分からずに困ってしまった。近くにいた若い女性に聞いてやっと分かったことは、シアトルの給油装置は旧式な機械式のノズルで、ハンドルの切り替えを手動でやる必要があることだった。遅れているというか、最新式であることに顧客があまり拘らないのだろう。旧式なものが結構目に付く。


・早めに今夜の宿を決めておこうと思って、探し始めてまた困ってしまった。持っていたガイド・ブックには、ワシントン州が載っていなかったし、カーナビも既になかったカラである。街中を走りまわっても、大きなホテルがあるばかりで、モーテル等どこにも見当たらない。あちこちのガス・ステーションやコンビニ店の店員に聞いてみたが、良い返事が得られない。コンビニにいた客の一人が、それなら俺が良い処を知っていると言って、自分の車で先導して連れていってくれた。しかし、行った所は確かにモーテルだったが、崩れかかった古い幽霊屋敷のようなところだった。


・徒歩にくれてしばらく雨の中を走っていると、全く突然に道の両側にモーテルが連なっている所に出た。しかも、この通りには大きなスーパー・マーケットやファーマシーやステープル等の大型店舗、レストランなどが沢山あって、品が良くはなかったがとても便利そうなところだった。自分はSeals Motelと云う所に泊まることにした。一泊55ドルだった。夕食は近くの韓国レストランで、石焼カルビを食べた。チップを含めて10ドルだった。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/30

1030日(土)Florenceの町からEugene、そしてPortland

いつもの様に朝の10時頃になってから、フローレンスで宿泊したモーテルを出発した。フローレンスと云う街は地図で見ると、西側は太平洋に面しており、そして東側は背の高い気に覆われた小高い丘が続く狭い処にある。今日はそこからほぼ直角に東に向かって、大きな川に沿って進んだ。途中から登りが急になり、カーブが続く山道となるが、そこをどんどん登っていく。しかし、山の中を走るのは数時間だけで、しばらく走ると峠を越して、平らな平原に出る。木や草原等の広大な自然が続く所は、南カリフォルニアとは大違いである。紅葉している木々もかなり見る事が出来る。しかも、赤一色か黄色一色と云うのではなく、色々な色が混じり合っている処は、何処か日本の風情に似ている。


1時間ほど走り続けると、大きな町の郊外にあるショッピング・センターと云った感じの処に出た。思いだせばまだ朝飯前だったので、トイレ休憩も兼ねて、ドでかい駐車場に車を止めた。


・マーケットの中はとても広い食品売り場有って、しかもいろいろな種類の出来上がった惣菜(デリ)を売っていた。とても陽気で元気な店員の叔母さんが話しかけて来たので、色々と話をしながら少しずつ何種類かの料理をパックして貰った。ラーメンとスパゲッティ・マカロニ・サラダ、スープ等である。それを車の中で食べながら、分厚いガイド・ブックを見ながら今日、行くべきところを探した。


・それからユージーンの中心街の方に車を進め、まずは土地勘をみにつける為に、街の中心市街を、あちこちを走った。この街はとても美しい街だった。広い通りには必ず大きな古い木が立ち並んでいて、そして大きな公園があちこちにある。街全体が公園の中にある様な感じがした。中心街から少し離れると、こじんまりしているが、やはり美しい住宅地が続いている。中心街には、幾つかのモーテルが有ったので、降りて値段を調べたり、銀行で預金を下ろしたりした。何と銀行では一度に40ドルしか下ろす事が出来なかった。しかも、一回につき手数料が3ドル掛ると云う。200ドル下ろしたら、手数料が15ドルと思うとバカバカしくなり、40ドルでやめてしまった。


・大きな図書館が有ったので、ユージーンやシアトルの見所を調べて見ようと思い中に入る。とても大きな図書館で、設備も近代的だった。沢山のPCがズラッと並んでいる処が有ったので、自分のGメールが読めるかと思っていじって見たが、よそ者がこれを使うには特別の許可がいるらしかった。


・若いカッコいい男性が座っていたインフォメーション・テーブルの処に行って聞いてみると、何故か彼氏の奥さんは日本人だと云う事で、普通の世間話になってしまった。今日はマーケットで叔母さんと少し話をしただけだったので、自分はやはり話し相手が欲しかった。買い物などの会話を別にして、一日に5人位の人と話すようにしないととても寂しいのだ。図書館のお兄さんはよそ者に対してとっても気を使って、色々話してくれたのでその優しさが本当に身にしみて嬉しかった。


・この街に暮らす日本人の女性が書いた本を、以前、読んだことが有り、ユージーンに対してとても素晴らしいイメージを持っていたので、この街に泊ってもう少し観察をしてみたい気がした。しかし、別の本で読んだポートランド、そしてシアトルの街のイメージがより強かった事もあり、取りあえず明るい内にポートランドに行ってみようと決めた。そして、早々に車に戻って出発する。


・ユージーンからは高速道路を使ったので、特に強い印象もないままポートランドに着いてしまった。そして、ここでもユージーンでやったように、街中をぐるぐる来るまで回って見た。ポートランドはとても大きな都会であった。都会の騒々しさと、所所はユージーンで見たような美しさを保っている処が入り交ざったような大きな町である。幾つもの高速道路が入り組んでいるので、地図を頭の中に入れることはできなかったし、第一、移動に思ったより期間が掛るので、途中でやめて今夜の宿泊場所を当たる事にした。今回は4件を覗いて話を聞いてみた。中程度のモーテルは7090ドル位の範囲であったので、その中から市の中心に近く中心地を往復しているトロリー電車の駅の前にある70ドルと云われたモーテルに決めた。そして駐車場に車を止めた。


・宿泊の手続きをしてから、夕食に久しぶりに寿司でも食べようと思った。既に夜の7時を過ぎており、辺りは真っ暗だったので、部屋に入る前に出かけることにした。まずは車の中を外から覗かれても、何も見えない様に荷物やカメラをトランクにしまって出かけた。


・街の中心部は綺麗な店や、マーシー等のデパートが立ち並ぶ通りが有り、人は少ないが東京の銀座通りの様なイメージだった。とても寒いせいか、ロスで良く見かけるような、ホームレスや物乞いをする人達は殆どいなかった。少し行くときれいな「さくら」と書かれた寿司屋が有ったので、中に入ると回転寿司で有った。しかし、今までに良く見かけた、カリフォルニア寿司ではなく、日本と全く同じ感じの本格的な握り寿司が廻っている。客に日本人は全くいなかったし、店員や板さんも日本人では無く、どうやら韓国人の様だった。ここで、寿司とビールを飲んで、支払いは14ドルでした。


・さて、モーテルに戻って、荷物を部屋に入れようと車の処に行った時に、自分にとって今まで全く経験した事のない大事件が起こった。


・運転席の窓が壊されていたのである。調べて見ると、大きな旅行バッグやその他の荷物はそのままだったが、カーナビと一眼レフのカメラが無くなっていた。運転席につみあがったガラスの大きな破片を取り除いていると、一組の若いカップルが近付いてきてそれを手伝ってくれたが、自分には彼らの仕業の様な気がした。しかし、何も証拠が無いので自分で荷物を取り返す事は、早々と諦めて、警察に電話をした。モーテルの掛りの男性がいろいろ相談に乗ってくれたが、パトロールカーは直ぐにやってきた。警官は恐ろしく形式的に調べただけで、盗難届用紙と登録NO.を記入して自分の名刺を渡すと、詳細は後で警察に来るか郵送でやってくれと云って直ぐに帰ってしまった。盗まれたものを後で書きかえることもできるではないか? 実際に自分は盗まれたカメラの型番が分からなかったので、その場ではおおよその買値を記入しただけだった。


・兎に角、運転席から大きなガラスを取り除いて、床のコンクリートの上に落とした。ガラスの始末はモーテルのオッサンガやってくれた。今日はもう遅いので、明日何をするべきかを書きだしてから、酒でも飲んで寝ることに事にした。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/29

1029日(金)EurekaからFlorenceの町へオレゴン州を走る

Eurekaで宿泊したモーテルを早々と朝の9時頃出発する。Eurekaはカリフォルニア州の北端にある海沿いの町であるが、いよいよ北カリフォルニアと別れて北上し、これからオレゴン州に行くことになる。しばらくは昨日に引き続いて、景色の良い海沿いの道を北に向かって走り続ける。そして左に広大な太平洋を、右にはフレッシュ・ウォーター・ラグーンという名前の潟に挟まれた、細長い土手の上をR101が走っている。この辺りではレッド・ウッド・ハイウェイという名前が付いている。潟を離れる所から急に山道に入っていく。直ぐに海が見えなくなってしまい、その代わりに鬱蒼としたとてつもなく高くそびえ立つレッドシダーの森に入っていく。本当に壮観な眺めであった。


・地図で確認すると、このあたりは「レッドウッド国立公園」と「プレーリー・グリーク・レッドウッド州立公園」が繋がっている大きな公園で、ハイキングコースが幾つかあるようだった。車から降りて少しでも歩いてみたかったが、チャンとした駐車場を備えた本格的なコースしか無い様で、気軽に道路脇に車を止めて入っていけるような雰囲気の所はなかった。なので、止める場所を探しながら、走っている内に公園を通り過ぎてしまった。


・しかし、しばらく突っ走っていると再び、海の見える所に出てきた。そしてやがて大きな町に出たのだが、そこはクレッセント・シティという。ここを過ぎる直ぐにカリフォルニアとオレゴンの州境になる。しかし、地形的にはただ道路を走っている内に、いきなりオレゴン州ということになる。国境ではないのだから、当然かも知れないが、あっけない。


・しかしながら、オレゴン州に入った途端に大きな違いに気がつく。オレゴンはカリフォルニアと比べると雰囲気が一変するのである。幾つかの小さな街を通り過ぎたのだが、家の建て方が北カリフォルニアによく見られる風情のある木造建築の代わりに、ただの箱のような家が目立つのである。全体のイメージでは、昔の西部劇に出てくるテキサスの街並みの様な雰囲気である。今までは見られなかった、色とりどりの看板が目立つ。全体としては少し貧しくなった感じがする。


・もう一つ大きな変化は、街中を走る車の速度である。今までは広い道を街中といえども時速50-60マイルでは知っていたが、ここではどの車も時速30マイルを守っている。町の中を農業用のトラクターが走っているようなイメージで、皆、ノロノロと走っているのである。どうしても自分だけ群れから独走する体制になってしまい、慌ててブレーキを踏むことの繰り返しであった。


・フローレンスの近くで昼食を食べようとして、サブウェイに入る。しかし注文を使用としたのだが、どうしても相手の言葉聞き取れなかった。その上、相手もまた自分の英語が分からない様だったので、とても苦労すると共に自信が崩れていく。更にガソリン・スタンドでは、$25と頼んだのに$55ドルのクレジット請求が来た。


・今日は久しぶりに午後の早い時間であったが、フローレンスの町で泊まることにした。シルバー・サンド・モーテルという地元のモーテルで、価格は42.9ドルだった。今日は一週間分の溜まった洗濯物を持って、コインランドリーに行った。そして洗濯をしながら、スーパー・マーケットでかいものをする。と言っても、殆んど食料品とビール等であるが。


・フローレンスの街は、西に太平洋と、東は日本でもよく見かけるような低い山に囲まれた、静かなのんびりとした雰囲気の所である。ガイド・ブックを探しても、これといって有名な見所は見つからないが、自分は何となく落ち着いた気分になれる。


・宿に戻って、ビールを飲みながら写真の整理や文章を少し書いた。後は知り得る限りの友人にメールを書くことや、フェースブックで応答をしている内に時間がドンドン過ぎていく。夜は近くの中華料理屋(チャイナ・ベイ・レストランと言う名前の大きなドライブ・イン)でディナーを食べる。玉子ときくらげと幾つかの野菜が入った炒め物の一皿の料理と、後はスープとご飯だけで、払ったのは、チップを入れて$12だった。しかし、兎に角、量が多い。運んでくる娘さんもお母さんも中国人だったが、味はこんなもんかな。