2011年7月7日木曜日

9月26日(日):旅の終わりとホーム・ステイ先のホスト・ファミリーの家に行く

・ホーム・ステイ先に戻ったのは、既に夕方であった。ホスト・ファミリーは70歳位の元気な黒人の夫婦だった。イメージとしては、ビジネスでやっている様だった。XXXという国から、若い時に移民で来たという。ここは、アメリカでも中流の下という感じで、どの家も200坪位の芝生の庭がある住宅地なので、キット成功した人なんだろうと思う。ホーム・ステイは奥さんが切り盛りしており、彼氏は家具などを製作する木工工場を経営しているという。後で案内すると言っていた。4週間で、部屋代が$600、食事代が$200、インターネット代が$15で、最初に支払うブロバイダーへのサービス料が$200だった。その前に事前に登録料として$200が必要だった。彼氏が、今度来るときは直接電話をくれれば、一日当たり$21で泊めてやると言っていた。



・既に二人の学生が泊まっていた。一人は25歳の中国人の女性で、身長が170cm位でとてもスタイルの良いオシャレな美人であった。名前はM.Lと言い、中国で短大を卒業した後に、ベイジンの日本企業で働いていたという。自分でマンションに投資して儲けた金で、アメリカ留学を自費で賄っているというしっかりものだった。一ヶ月前にアメリカに来たばかりと言っていたが、残念なことに彼女は英語だけではなく日本語も上手だった。もう一人は男性で日本人だった。東北大学を卒業後に、企業に勤めること無くそのままアメリカに来て、既に二つの大学で8年も勉強しているという。名前はK.Tと言った。どちらも少し喋っただけだが、とても頭の良い人達であるということがすぐに分かった。それだけではなく、とても人生に対して真摯で前向きな気持ちを持っている気音が伝わってくる。特に彼女の方が、自分の親は最高ですと話すのを聞いた時にはなぜか泣けてしまった。聞くとその親の方が自分よりもずっと若い。日本では、例えば自分の娘がこんなことを話すだろうか?



・夜7時頃に、三人で顔を合わせた後で、ホーム・ステイ先で一緒にホスト・マザーの作ってくれた夕食を食べた。食事は、ホスト・ファミリーと我々は別々に食べる様になっていた。我々が食べ終わった後で、同じキッチンで彼らが食事をするようにしているらしかった。恐らく、彼らはイスラム教徒なので、食事は手で食べるということで、以前ここに泊まったイギリス人と生活習慣の違いからトラブルを起こした為だという。



・学生なんだし、もしも酒を飲むならば部屋ではなくて、キッチンで飲んでくれと言われていたが、夜、部屋で酒を飲むのは自分の絶対の条件であるとして認めて貰った。兎に角、奥さんは気の強い人だった。我々は夕食を食べた後に、酒を飲みながら12時過ぎまで、いろいろと話しをした。半分は英語で、半分は日本語だった。



・彼らは、今度、この家に60歳過ぎの爺さんがやって来ると聞いて、とても嫌だったという。それはそうだろう、若い留学生なら誰だって60歳を超えた人とはあまり友達にはなりたくないと思うだろう。しかし、結果として認めてもらったのかどうか分からないが、明日の日曜日には、同じロスアンジェルスに住んでいる別の中国人の女学生のアパートでやるパーティに、一緒に参加することを勧められた。ホーム・ステイ関係のルーム・メイトや彼らの大学の友人達が何人か集まって来るらしい。彼らにとっては、年齢の離れた自分は、多分、異色の存在と思うが、自分も行ってみることにした。





・明日から学校の予定なので、今まで借りていたレンタカーを、今日は帰しに行かなければならない。それにしても今日はとてもビックリしてしまった。初めての経験をした。そしてどっと疲れてしまった。午前中、快調にサポールブダ通りを通って、ダウンタウンにあるユニオン駅まで行った。レンタカー・オフィスが駅の構内にあるからである。しかし、オフィスが契約しているカー・プールへの入り口が見つからないので、電話でもしようとしてどこか道の脇に車を止めようとした。しかし、どこも駐停車禁止のペンキが塗ってあった。少し位は大丈夫に違いないと思って、曲がり角の近くの安全な場所に車を止めて、携帯を取り出していたら、窓を叩く人がいた。何だろうと思って窓を開けると、バス代がないから$1くれという。忙しいのでポケットから$1札を出していたら、向こうからパトカーがやってくるのが見えた。そして、いきなり、ドでかい音でサイレンを鳴らされてしまった。自分かなと思っていたら、直ぐにUターンをして戻ってきて、自分の車の前で止まったのである。捕まったのは自分だった。





・拳銃を取り出すような動作をすると撃たれてしまうことがあると聞いていたので、両手を上げたら、いきなり大きな声で両手と顔をステアリングにつけろと言われた。警官は二人いたが、二人とも本気で身構えている。そして免許証を見せろという。補助席に置いていたザックから出そうとしたら、両手はステアリングに載せろという。思わず、「そんなことは出来るわけがないだろう」と日本語で叫んでしまった。違反切符を切ろうとするので、自分は旅行者で今からレンタカーを返しに行くところだが、道が分からないから調べようとして止まっただけだと説明した。なんのかんのと説明していたら、何と「Can you speak English?」と聞いてきた?? 仕方がないから、「Only a little.」と答えたが。



・結局、「Be careful!」と言いながら許してくれた。それだけではなく、「自分は道が分からないのだから教えてくれと。」と言うと、「Follow me.」と言ってパトカーで先導してくれた。実はとても優しいお巡りさんだった。





・今日、レンタカーを返してからバス乗り場まで歩いてみて分かったこと。それはロスアンジェルスの9月は、とてつもなく暑いということだった。日差しの強さが半端ではない。本当にここは、かって砂漠だったということが実感できる。見たところでは、現地人は比較的平気な顔をしているので余計驚いてしまう。自分は頭に日が当たらないようにして、雑誌で覆いながら歩いているのだが、そんなことをしている人はどこにもいない。



・はじめて此処に来たときには、太っている人が大勢いるのでビックリしたのだが、理由が分かるような気がする。要するに全く歩かないのだ。ロスアンジェルスという街は、車で移動することを前提にして設計されていると言って良い。というより有り余るスペースの余裕に任せて、ドンドン横に街を拡げていった結果こうなったのだろう。道路も巾が広いので、1ブロック先に移動するだけでも大変だ。歩いている人は、貧乏人だけだと言われているらしい。



・40分も待ち続けてやっとバスに乗った。しかも、自分は一つのバス路線だけで家に帰れるが、乗り換えるとなると何分待つことになるのかも分からない。しかし、このバスは全線乗っても$1なのである。しかも、優遇パスが沢山発行されていて多くの人達が無料で利用出来るようになっている。車のない人達のための、社会福祉事業のような位置づけだと思った。



・バスに乗り込んでくる乗客は、殆どが黒人である。たまに白人のホームレスのような荷物を抱えた人が乗ってくることもあるが、そんな時は特有の匂いが何とも強烈にする。降りるべき場所を見失わないように、バスの通る道をよく観察しようとしたが、何回も角を曲がるうちにすっかり分からなくなってしまった。乗り込んでから40分位して、やっと行き先表示が出てきたのとアナウンスがあった。





・夕方、家に帰ると、学生達が既に皆が家の前で待っていた。というより家の前で立ち話をしていた。何人か初めての顔が見える。全員が日本人のような顔をしていたが、一応、英語で挨拶をする。やはり日本人だった。これが話しに聞く留学先の日本人コミュニティのようなものかと思った。



・一人はTさんで20代の前半、もう一人はKさんで20歳、どちらも前途有望な若者だった。しばらく話をしていると、M.Lが玄関から出てきたので、そのままK.T氏とTさんの車に乗って出発した。メンバーはもう一人のM.Lを入れて5名だった。





・日頃、全く日本語を話す機会がないという生活を送っていると、時にとても寂しくなったり、落ち込んでしまう事がある。たまに日本語を話すと、実に心が落ち着く感じがする。昨日がそうだった。こちらに来てから、はじめて日本語で話しをしたのだった。しかし、留学生がこれにハマってしまうと、何年滞在していても英語があまり上達しないとも聞いていた。しかし、無理をして日本人を遠ざけるのもどうかと思う。要はできるだけ英語を話す機会を持ち、外国の友人を沢山つくると同時に、日本人の友人も沢山得るということが正解だろうと思う。





・目指す中国人女性の家は、XXX通りから1ブロックあまり奥に入ったところにあった。彼女はXXといい、まだ18歳の若さであるがサンタ・モニカ大学に通っているという。きっと親が金持ちで中国ではとっても裕福な暮らしをしているのではないかと思う。部屋は8畳位のスペースで、その他にキッチン・バス・トイレがあって、もう一つある部屋の住人とシェアしているという。



XXXが一生懸命に作ってくれた、マーボ豆腐や鶏肉の炒め煮、それと美味しいご飯とジュースで乾杯した。差し障りの無い話から、情報交換、それから若者特有の話題、学校のこと等、いろいろな話が弾んだ。自分は言いたいことを、英語でうまく表現できないもどかしさを経験した。そんな時に、直ぐに日本語が通じてしまう気楽さがきっと上達の妨げになるのだろうと思う。





・ここに来て自分は、アメリカに学びに来ている若者達が、実は学校やその後の仕事を含めて、言葉の問題だけではなく色々な障害にぶつかり、悩みながら生活を送っているという当たり前のことが分かった。その用な話に加わって、彼らから見れば少しは多い自分の経験を活かしながら、彼らをできるだけ励ましてやることができそうだと思った。何しろ今や明日からは、自分も上から目線ではなく彼らと同じ立場の学生なのだ。少なくとも、ここでは英語に関しては彼らの方が数段上だし、向上意欲も体力も自分より上だし、実績以外に彼らに誇れる物がないのだから。ただし、コメントを付けたり、アドバイスをしたりして、説教調になることだけは絶対に避けようと思った。





9月25日(土):ゲッティ・センター

・ロスアンジェルスの西北の郊外、UCLAの近くにあるゲッティ・センターに行った。この辺りから、周囲は山というか丘になっていて、道が登ったり下ったり、しかも真っ直ぐな道が殆ど無く、カーブが多く見通しも効かない。すぐ近くまで来ており、しかも山の上の方にモダンな建築が見えているのに、入り口が見つからず周囲をぐるぐると回ってしまった。

・この辺りは、ロスアンジェルスでも高級な部類の住宅地だった。一軒辺りの敷地が大きくて、しかも山の起伏を利用して広い庭のある家が続いている。ガレージにはポルシェやBMWTOYOTAL)等が並んでいる。歩いている人など全く見かけることが無いので道を聞くことも出来ない。あちこちの家で、それぞれ数人の黒人の庭師が働いているのを見掛ける。ある家から中年の女性が出てきたので道を尋ねると、綺麗な英語で本当に丁寧に教えてくれた。


・ゲッティ・センターは本当に凄い所だと思った。建築物や庭に贅沢にカネがかかっているのが分かる。アメリカで個人の金持ちが、金をふんだんに使って何か後世に残そうとするとこんな感じになるのだろう。建家はとてもモダンである。入場料は無料だった。ただし、駐車料金を$15払うので、一家で一台の車で来ると割安である。通常は二人連れなので一人$7.5である。駐車場からは、専用のモノ・レールで山の上に登っていく。途中、眼下に見えるUCRAや高速道路、ロスアンジェルスのダウンタウンの眺めが素晴らしい。


・この美術館は、個人が集めた美術品を陳列するために作られたものである。大きな建物が4つに分かれていて、それぞれのテーマ毎に絵や集められた品が置いてある。はじめに入った所は、キリスト教にまつわる書や絵のコレクションで、それぞれが大事そうにしかも膨大な量が綺麗に並べてある。そして、それらの一つ一つに説明書きが添えてある。幾つかの有料のツアー・コースがあるようだった。


・実はキリスト教的な関係の作品は、地味だし宗教的な価値はともかく美術的な感動はあまり感じられなかった。ただ、スケールの大きさに圧倒される。ひと通り急ぎ足で見て歩いただけで疲れてしまった。早速、カフェでツナ・サンドとジュースを買ってひと休みする。


・外は日差しが強くしかも暑いが、建物の中は冷房が効きすぎて寒い。しかしその分、カフェの戸外の日陰のテーブルは、自然な風がとても涼しく爽やかで心地良かった。隣のテーブルに陣取った中国人の女性が、大声で喋る中国語がいやに耳障りで煩かったが。大体、彼ら中国人や、何処でも見掛ける韓国人はグループで来ていることが多く、声がやたらに大きくて しかもお喋りである。エネルギーの量には感心してしまう。そして、ここでも日本人を全く見掛けることがなかった。


・広い庭をカップルやファミリーが歩いているが、皆、お喋りに夢中で楽しそうだ。良く話すことがあると思ってしまう。東洋系の若い男に白人の若い女。黒人の女と白人の男の家族。ここには色々な国籍や人種を見ることが出来る。ただし、やっぱり殆どは同じ民族の組み合わせが多い。そして相対的に、ここでは黒人はあまり見かけない。年寄りの二組のカップルで来ている人が多い。しかも、前を歩く二人連れは女でお喋りに夢中で、その後ろを男達が大抵は黙ってついて歩いている。どう見ても男は単なる添え物なので、女同士で来た方が楽しいのではないかと思ってしまう。しかし、女同士というカップルは全くと言って良いほど見ることが出来ない。


・大きな白黒の写真で面白いのを見つけた。止まった電車から大勢の人がホーム降りてきた所を撮った写真である。ホームは人で溢れている。近くにいる人達は、動いているのでピントがボケテいる。近くにたった一人ピントの合っている人が立っている。遠くの人並みは、ピントのズレが小さく映っている。もちろん、列車や建物はクッキリと写っている。動と静の組み合わせが、妙に不思議な感情を呼び起こす。

9月24日(金):Near LA

・マリブに差し掛かったので、このままR1を降りて更に海に近い方に行ってみる。この辺りの家々は、先程の山の上の家よりはずっとこぢんまりとしているが、海の側なのに十分な広さの庭と小奇麗な家が並んでいる。日本で言えば湘南海岸というトコロか。大小のモーター・ボートが家の横に並んでいる家も多い。ここら辺のビーチは、全てプライベート・ビーチになっている様だった。ビーチは見えるのに、ビーチに出る道が見つからなかった。家からまるで車にでも乗るような感じで、船に乗って海に出ることができる。家の外のビーチで海水浴もできるのである。



・しばらくすると、ステート・ビーチ入り口という看板があった。気が付いてみると、このような看板は、他にも幾つか見つかった。


・それにしても、アメリカという国は、金持ちの多いところだと思う。家も庭も綺麗に手入れがされているし、手入れをしているのは住人ではなく使用人だし。日本も収入で比較すると随分豊かになったが、ベースが圧倒的に違う感じがする。


・当然のことながら、ロスアンジェルスの町で見かけたように、一方では多くの貧しい人達がいる。その収入の差が何としても縮められないで、格差がとても大きいことが実感で分かる。それにしても、圧倒的な富の大きさが分かる。一体、日本と比較した場合の、この経済力のベースの違いは何処から来るのだろうか。

・再びR1に戻って更に南下する。全く久しぶりに、ハイウェイが渋滞で、車が止まってしまった。信号はないがマリブの中心地の近くらしかった。この辺りは、やはり海を感じさせる所だと思ったのは、道の両側を歩いている人が急に増えたことと、彼らの中に水着姿が何人もいることだ。

・しばらくR1を走っていると再び大きなビーチが見えてきた。サンタモニカ・ベイ・ビーチだった。駐車場に車を停める。広い砂浜、心地良い風、ここでは年寄りも若者も、違いが分からない。散歩している者、ローラー・スケート、サイクリング、卓球台まである。平日の午後だというのに、なにかやりながら楽しんでいる。たった一人だったが、近くになにもしないでただ座ったままの黒人がいた。多分、一日中ここに座っているのだろう、日焼けして真っ黒だった。

・今日は何処に宿泊しようか迷った結果、R1を海沿いに更に南下してLAとサンチャゴの中間辺りまで来てしまった。R1の両側に安いだけが売りのモーテルがたくさん並んでいた所に出たので、数軒をチェックして中の一つに決めた。このモーテルでは、クレジットカードを受け付けてくれなかった。現金で払って欲しいということだったので、直ぐ側にあったコンビニで金を下ろして、チェック・インした。時間が少し早い時間だったので、久しぶりにモーテルのコイン・ランドリーを利用した。


・この街で夕方散歩をした。見掛ける人の多くは、背の低髪の黒い、しかも太ったスペイン語を話す人々である。サンフランシスコの下町で見掛ける、インド系や黒人系より親しみが感じられる。一歩、R1から奥に入ると彼らの住む住宅地が広がっている。平屋建てが多いが、庭も結構広くてきれいな感じである。道路脇に停まっている車を見ても、比較的綺麗で新しい車が多い。




・モーテルは、場所によって内容と価格が大きく違う。もちろん、大都市では狭くて汚くても高く、田舎では安くて広くて綺麗である。地方都市では大都市の1/2位の価格になる。また、週末はどこでも20%位価格が上がる。田舎で$100出すと、キッチンやリビングがついた広い部屋が選択できるが、大都市では$100では暗く汚い所が多い。また、大都会でも、中心地から離れたところでは、30%位安くて、かつ綺麗な所が選択できる。


・しかし、モーテルの探し方にはすっかり慣れてしまった。直接的に最も役に立ったのは、あちこちのサービス・エリア等に置いてある、無料のモーテル・ガイド・ブック(冊子)である。A5サイズの大きさで50ページ位のものであるが、その場所が所属する州での1000件以上のモーテルが紹介されている。住所や価格、連絡先はもちろんだが、地域ごとに分けて詳しい地図まで載っている。更に割引のクーポン券まで付いている。この情報から大体の相場が分かるので、これらの中から数件を絞り込んで、一つ一つ電話をして価格と空き情報を確認しておく。そして、何件かを実際に自分の目で見てから交渉するのが良いようだった。例えばシニア割引というのもある。


・自分は旅行者と言っても一人で移動しているので、安いことは大きな条件であるが、綺麗ではない所は敬遠したい。価格的には、一泊 $45-$70 位の所で予算を立てていた。絶対の条件はこの他に、無料のインターネットができることと、テーブルか机があること。冷蔵庫があること等であった。できれば書きものやPCで使うために、テーブル専用の電気スタンドも欲しかった。アメリカのインテリアは、間接照明が多く手元が暗いからである。


・交渉では別に躊躇することなく、ここのモーテルは気に入ったし価格もリーズナブルだが、念のため別の所も見たいと言えば、相手も嫌だと言わない。そして、やはり前の方が良いと思ったら、車を戻せばフロントの係の顔に笑顔が浮かぶのである。この笑顔が重要である。多くの安いモーテルでは、インド系やメキシコ系の人が、一人でフロントの番をしている。そして、彼らは絶対に笑顔を見せないのが普通であるからである。


・どんなに簡単なことでも、経験してみないとはじめは上手くいかないで戸惑うことがある。それが出来るようになったからと言って、別にスキルが上がる訳でもないが、一応、何でも出来た方が生活は便利になる。これは旅行者にとっては、良いことに違いない。


・朝飯はR1沿いにあるドーナッツ屋で、ベーグルwithハム&玉子にコーヒーにしたが、$4で結構美味かった。この後で、歩きながら持参したリンゴをかじる。それにしてもR1は車の通りが多い所だ。夜通し、ひっきりなしに車が通る。それも殆どがひとり乗りの乗用車である。皆、何処から来て何処へ行くのだろう。


・実は、アメリカに来て初めて洗車をした。それもコイン洗車場で。車を乗り入れても、機械が何時まで経っても作動せず、後ろに並んだ車にいろいろ教えて貰って、やっとやり方が分かったというものである。自分の車を止めた位置が、少しセンターからズレテいただけであった。当たり前だが、位置を修正したらチャント作動した。


・アメリカでは、日本のようにガソリン・スタンドに洗車場がある所は少ない。$3位のコインを入れて自分でやるところと、$7位の料金で、手洗いでやってもらう所があるが、一般的には後者の方が多い。それもワックス入りを選択するなどグレードを上げていくと$20位にUPするのが普通である。アメリカは完全なクラス社会なので、自分でやってしまったりして、黒人系やメキシコ系の仕事を奪ってしまうのは良くないというイメージであ



る。従って、日曜日の昼下がりに日本の住宅地で良く見掛けるような、自分で車を洗っている人には ついに一度もお目に掛かることが出来なかった。


・今日の計画は、来週から厄介になるホーム・ステイ先の確認、同様にUCLAのキャンパスの見学、有名な美術館であるゲッティ・センターの見学等である。


・昼飯をバーガー・キングで食う。トイレがいつ言ってもFULLになっているので、聞いたらキーを開けるための専用のコインをくれた。


・ロスアンジェルス市内の一般道路の走り方:運転そのものは、東京やその周辺の街を走っている人であれば、全く問題はない。多分、イタリアを除く世界中のどの都市であっても通用する筈である。(イタリアはどこも道が狭く、しかも全てのドライバーが高速で走りたがる。普通に走っていると、狭い道で必ず追い抜かれる。しかも若い女性である。)


・アメリカの道路と日本それとの最大の違いは道路標識にある。道路自体は、東西・南北に所謂、碁盤の目のようになっている。メイン道路は広くて何車線もあるが、一本裏通りに入ると、そこは多くが一方通行になっている。そして必ず、どんな小さな道路にも、全ての道路には名前が付いていて、交差点の所にその名前を書いた看板がつけてある。これによって、自分が今、何処にいるかは正確にわかるようになっている。しかし、行き先標示がないので、知らない道では、どの方向に行ったら良いかが、全く検討もつけられないのである。事前に地図を良く見たつもりでも、必ずどこかで道に迷ってしまうことになる。そして、車を道の脇にとめて、地図を見ながら走ることになる。ただし、道路の殆んど全ての場所が、停車・駐車禁止になっているので、車を停車させる場合には絶対にルールを守る必要がある。日本の数倍のパトロール・カーが走りまわっており、一瞬でも見つかったら$50-$70位の罰金を払うことになるらしい。しかし、レストランやストアには必ず大きめの無料駐車スペースがあるので、車を停める場合はそこに入れる。実際に、多くの車が街中を高速で走っているので、駐車禁止区域に車を停めることは危険である。


・従って、初めてアメリカの都市を走りまわるには、カーナビ(アメリカではGPSと言う。)があると便利であると思う。


・結局、UCLAに行くのに何回も道に迷ってしまい、午後になってしまったので、ゲッティ・センターは明日行くことした。そのままホーム・ステイ先の家に行って、今日からそこに泊まることにした。取りあえず電話をしてその旨を伝える。

9月23日(木)美しいオーハイと云う街(日本の旧軽井沢)



・昨日、泊まったオーハイという街は素晴らしい所である。ガイド・ブックを見ると、避暑地として、ロスアンジェルスからも多くの人が訪れるらしい。日本で言うと、軽井沢か那須高原の別荘地のような雰囲気である。街並みや家並みがとっても綺麗である。今はまだ9月だが、周りの山は既に紅葉が始まっていて素晴らしい眺めである。ただし、街の中はメイン・ストリートでも人の数は少なく、家々の数もそれ程多くはない。しかし、大きなスーパー・マーケットから郵便局まで、大抵の物が揃っている。もちろん洒落たカフェやレストラン、ブティック等の高級店が散見される。


・オーハイで自分が泊まったモーテルは素晴らしい所だった。料金は少し高めだったが、中にはいってみるとキッチンがついた、大きな部屋で一泊しか泊まらない客には少々勿体無いが、二人で一週間位過ごすには十分な広さである。




・来週からは語学学校が始まるので、その前に予定していたホーム・ステイ先を、早めに確認したかった。今日になってメールが入って来てその詳細が分かった。場所はLAX(ロスアンジェルス飛行場)の近くであった。この家には、既に30代の日本人男性と20代の中国人に女性が居るらしい。UCLAまではバス一本で乗り換えなしに行けるとのことだったが、学校までの距離は20km位有りそうだった。でも、たった一人のドライブ旅行と違って、若い美人の話し相手が居るということは、何となく嬉しい感じだった。予定を早めて、早くロスアンジェルスに行きたい気がしてきた。


・朝の散歩をしてキッチンで朝食をとった後、早めに9時に出発する。まず向かった行き先は郵便局で、ここで切手を購入($8.2@20枚)、この切手を3枚貼りつけて日本にハガキを出した。


・そして、この3週間の旅行では最後の温泉地探訪である、W.Hot.Springsに期待を掛けて行ってみることにした。そして、大いに期待したのだったが、行ってみると何故かCLOSEの札が掛かっていた。



・仕方が無いので、このまま車で山道を登って行き紅葉見物をすることにした。何時までも綺麗に舗装された道を走り続けていてもしようがないと思っていたら、峠に差し掛かる手前に林道があったのでそちらの方に入っていく。林道と言っても、ここまで上がってくると、この辺りは草原が多く高い木は少ない。しかし、斜面は既に紅葉が始まっている。草は枯れているが、なかなかそのコントラストが綺麗だと思った。近くにはキャンプ場が有ったり、こんな所なのに牧場があったりする。


・全く車が通らないし人の気配もしない。日向は日光が暑いので、日陰に車を止めて少し小高い所まで歩いて登ってみた。誰もいないので、一度腹の底から声を出してみようと思って、思い切り叫んでみた。何も返って来なかった。




・山道を黙々と一人でリアカーを引いて歩いている人を見かけた。アメリカに来て、この様な人を今までに何人も見た。



・ベンチュラからR101に入りロスアンジェルスに向かうことにした。相変わらず、6車線位の広いハイウェイを走るが、段々とその単調さに旅行気分が薄れて来る感じだった。まだ、3週間は経っていなかったが、走行距離だけは3,500km近く行っているはずだった。少なくともハイウェイはやめて、できるだけ海の近くの普通の道路を走ろうと思い、T.OakからR23に出て海を目指した。



・この辺りはLAの近くであるにも関わらず、本当に山というか広大な丘がずっと続いている。上り下りの激しい山道である。ただし、今までとは大きく違っていることは、道の両側に多くに結構な数の家が建って、しかもそれが何時までも続いていることである。もちろん、家が密集している訳ではなく、一軒一軒が広大な庭を持った大邸宅が並んでいるのである。金持ちの別荘なのか本宅なのか分からないが、とても綺麗に手入れされた庭が続く。それも芝生に囲まれた庭ではなく、あくまでも自然を活かした趣が感じられる。


・何回か庭の手入れをしている所を見かけた。もちろん、家の住人などではなくて、一目見てそれと分かる職人風の格好をした、メキシコ人か黒人が多かった。他の家では、職人は見えなくても、彼らが乗ってきたと思われるピック・アップ・トラックが、家の横の道路にぴったりと並んで止められているので、何人の人が働いているかが分かる。周りの風景のイメージを、日本の風景で例えると湯河原のような感じがする。


・直ぐに太平洋岸に沿って走っているR1に出た。全く珍しくサンタ・モニカ方面という標識が見えたので、ここを左折してロスアンジェルスを目指す。右側がもちろんパシフィック・オーシャンである。

9月22日(水)海あり山あり畑ありの田舎を行く

・朝、7時頃に起きだして近くを散歩した。この辺りは綺麗な住宅地が続いていて、家の前は芝生や生垣が続いている。どこの家でもスプリンクラーが設置してあって、歩いているといきなり水が出てくることがある。大体、周囲が濡れているところは要注意である。道端の開いているスペースに植えられた草や花にまで、自動的に水が掛けられるパイプが付いていた。周囲を見回すと、同じような光景がずっと続いている。


・しばらく行くと、普通の民家のような家を建築中である空き地があった。アメリカの中流の家は、どんな感じで家を建てるのかが気になったので、しばらく立ち止まって工事現場を見ていた。朝の8時チョット前だというのに、既に数人の労働者が全開で働いていた。工事はまだベタ基礎の段階であったが、日本のツーバイ・フォーの場合と大差ないように見えた。


・近くにいたオバサンが話しかけてきた。例によって、一般的な話をした後で、オバサンの話が止まらなくなってしまった。いろいろと話題を見つけてくれて、面白い話をしてくれた。


・この家を立てているのは、新婚さんらしい。家を建てているのは買う予定のある客で、工事を自分でも手伝うと費用が安くなるシステムがあるらしい。土地が100坪位で家は40坪位の二階建て。価格は土地と家で2000万円位だという。周りを見ると、二階建てはむしろ珍しく、平屋の家が多かった。分かれる時に、「地球は狭いからキットまたどこかでお会いしましょう」と言う決まり文句が出て握手を求めてきた。何となく嬉しい気分だった。




・朝、9時半に出発、高速道路のR101には乗らないで、A.Grandeまでは田舎道であるR227を行く。町を抜けるとそこは再び、相変わらずのカントリー・ロードが続いている。しばらく走ると本当に小さな田舎の村に出た。メイン・ストリートの両側に店やらガソリン・スタンドやら民家が並ぶ。多くは平屋であるが、イメージが統一されていてとても綺麗家並みである。日本のように電信柱があったり、鉄くずが積みあげてあったりする雑然さが少ないので奇妙な安心感がある。

・一度、間違ってR101に乗ってしまったが、サンタ・マリアで降りて今度はR135に入る。殆んど車の通らない道なのに、片側2車線もある広い道路である。速度は120km/h出ているのにまるで停まっているような気がする。日差しが暑いのだが、とても冷たい風が入って来て、気分が最高のドライブだった。CDから流れるキース・ジャレットのピアノ曲が心地良い。走っている車は少ないのに、車より数段数が多い自転車族を時折、そして何人も追い抜く。彼らは何時も単独で走っている。凄い体力だと思う。大きな荷物を両側につけて、かなりのスピードで走っているようだ。追い抜いてしばらくしてから、途中の原野で車を止めて用を足していたら、ぐんぐん近づいて来た。


・道の両側にぶどう畑が続く所に出た。何と数十メートル置きに、綺麗に咲いているバラが植えてある。いつかテレビでこんな風景を見たことがあった。その時は確か、虫除けか交配のどちらかが目的であった気がする。誰も観る人がいないと思うが、手入れが良く行き届いている。しかし、働いている人を全く見かけないのだ。


・大量の水がスプリンクラーで撒かれて霧の様に見える。世界で何が起きたって、ここでは関係の無い、のどかな風景である。この一本道を行く車は、皆100km/h以上で飛ばしているのでよそ見はできないが。120km/hの速度がとてものんびりと感じられる。地図に印をつけてみたが、さっきからほんの数センチしか移動していないのだ。地図の縮尺と実際の広さがいまだに一致しない。地図を見て移動計画を立てると、特に田舎道では感覚がずれてしまい、ガソリン・メーターと時間ばかりがドンドンはかどっていく。風景もあまり変化しないのだ。


・走っていたら道路標識が急に35マイル/時と出てきて、あっという間にきついカーブに突入してしまった。この車では今まで掛けたことのない急ブレーキを踏むと、タイヤの鳴く音がするとともに車体がフニャとしてヨロメイテしまった。危うくオーバー・ランする所だった。この車は韓国製であるが、エンジンは実に良く回る。加速感も悪くないし、故障の不安感もない。ただし、ステアリングが軽すぎて、ロスアンジェルスの街中をキビキビ走るのには向いているが、高速道路を走り続けるには適さないようだ。そして何よりサスペンションがしっかりしていない事が分かってしまった。細かい所まで使い易さに気を配っている事が分かるが。高速で走り続けるので、急にタイヤが心配になってチェックをする。特に問題は無いようだが、名前を知らない韓国製のタイヤだった。



・昼飯は昨日と同じハンバーガー。マックのようなドライブ・チェーンではなくて、普通のカフェ・レストランで注文した。こちらでは何処で食べても、肉がばかデカクてしかもパサツイテいる。ボリュームは十分である。その上、付け合せのポテトと、野菜サラダ、ピクルスが山のようについてくる。玉ねぎやレタスもたくさん付いてくる。チキン・スープとコーヒーを頼んで$8.1+Tip$1.0だった。


・温泉を探してGaviotaという町にやってきた。ガイド・ブックには、この公園の中に確かにあると書いてあるのに、そのような案内はどこにもない。公園の有料駐車場に$8払って入ったのだが、ただのビーチで遊ぶための駐車場のようだ。近くにいたマイクという男性に聞いてみた。とても話好きの男性で、自分も温泉が大好きで良く行くと言っていた。いろいろと情報を教えてくれたが、肝心の温泉はここにはないと断言した。この先のXXXという所に良い温泉があると言って地図を書いてくれた。また、彼が今までに行ったことがある温泉の中では、デス・バレーの近くにあるコパという所が最高だと言って、コパの温泉の案内用の名刺をくれた。信用できるかどうか分からないが、とってもいい奴だったので握手をして別れた。



・マイクに教えられた通り、R101をサンタ・バーバラまで行き、そこからR3154に入って急な山道を上の方に向かってドンドン登っていった。素晴らしい観光用の山岳道路だった。カーブが続くが90km/hのスピードで走り続けるが、目的地が出て来ない。少し不安になったので、近くにあった大きな公園の管理人に聞いてみたが、温泉の存在を知らなかった。


・色々聞いて回った結果、Cold Spring Tovernという一軒宿があるらしいということが分かる。早速、行ってみたがここは昔、日本でいう鉱泉が湧いていたが、今は名前だけで、レストランを主体とした宿だという。山の中にあって、山小屋風の、そして中はとてもシックなアーリー・アメリカン・スタイルの小屋だった。


・宿の女性主人に聞くと、この近くに確かに有るらしいが、普通の車ではとても行ける所ではないという。しかも、場所が良く分からないとのことだったので、私のリスト・メモにまだ残っている場所の方を優先することにした。



・まだ、明るい内に今日の宿泊予定であるオーハイに向かった。オーハイまでは、素晴らしい景色が続く山道のドライブだった。今までのドライブに加えて、新たに沢山の湖の眺めが加わる。ただし、後ろから付いてくる車が自分の車にピッタリ付いてくる。何時もならば、そのままやり過ごすのだが、今回は自分も急いでいたので、そのまま2台が繋がって走り続ける。繰り返し現れるカーブをクリアしている内に、段々速度が上がってきた。これはチョットヤバイかなという気がしたのと、大人げない感じもしたので抜かせることにした。しかし、そのような場所も見当たらない。そうこうしている内に、オーハイ近くの村についてしまった。この村にある交差点の信号で終わらしてしまった。自分は交差点の側にあるレストランのパーキング・エリアで、最後の地図の確認を行った。


・今回のドライブで一番困ったことは、ルートの探索である。地図を見ながら走るのであるが、肝心の地図に書いてある文字が小さすぎて良く見えないのである。そこで、大きな街ならどこの街にもあるステープルで、ライト付きの小さな拡大鏡を購入した。どこかで車を停めるたびに、拡大鏡で地図を調べることが習慣になってしまった。

9月21日(火)ワイナリーの村、パソ・ロブレスを抜けて



・坂を登って下ってまた登っていく。右に曲がって左に曲がって、また坂を登って下って、どこまでも続く道。道の両側には、大きな木が等間隔でずっと植えられている。周囲は山というよりなだらかな丘になっていて、所々がはげた枯れた草地と、背の低い藪のような林が点在している。そうかと思うと、道に沿った広い平地から奥にひかえている山の斜面まで続く、しかも手入れが行き届いている様に見える大きなぶどう畑が一面を覆っている所があったりする。また、次には何も無い草地に出る。そしてまた、今度は道の両側に広がるぶどう畑。


・この繰り返しの風景が、如何にもこれがカリフォルニアだと言っているような気がする。こんな景色を体験するのは初めてなのだがこれが、自分が頭に描いていたカリフォルニアだと思う。所々に家へと続く入り口があるが、そこにはXXワイナリーと書いて有る札を見掛ける。入り口から家まで続く道は、その家の敷地らしい。赤や緑の色をした綺麗な布で飾ってあって、何となく入ってみたい気がする陽気さがある。大きな家が見え隠れするが、道路から少し離れたところにある。当然、隣の家まではかなりの空間がある。感覚的だが1km位はありそうである。このような景色は、日本では九州でも北海道でも見ることが出来ない。こんなばかでかい土地でも、チャント私有地を示すための鉄条網の囲いが見える。


・たまに車とすれ違うが、彼らは観光客ではなく土地のものだろう、ピック・アップ・トラックが多い。また、タンク・ローリーを二つ連結した馬鹿長いトラックとは二度もすれ違った。中にはワインが詰まっているのだろう。観光客らしい乗用車には殆ど会わない。人も歩いていないのどかな道を、高速で走り抜けるのは気分が良いが、急いでいるように見えるのは自分だけ。



Paso Roblesを出てから、山の中をずっと続くルート46を走る。小さな村であるAdelaidaHarmonyCayucosを通ってM.Beyに出た。広いビーチには店などないようだったので、少し戻ってCayucosICでハイウェイを降りた。海に向かって少し走ると、ここにも小さなビーチと桟橋が見える。桟橋の横には、珍しく公衆トイレがあった。チャンと手拭き用の紙まであって、全く汚れていなかった。


・直ぐ近くにカフェがあったので、昼飯にと入ってみた。サラダ付きのミニ・バーガー(普通のバーガーはでかすぎるので)が$4、サラダはトマトと紫玉ねぎのスライスとサニー・レタスが山盛りのように入っていた。それとホワイトソースにあさりがどっさりと入ったクラムチャウダーを頼む。($3.5)チップを入れて$9.2でした。クラムチャウダーは、普通はボール$5に入っているが、小さなカップの方にするこれだけで腹が一杯になってしまった。


・ここからはできるだけ海岸に沿った道路を走って、Los OsosS.L.ObispoAvira Beachに向かう。Avira Beachの近くに有るはずのヌーディスト・ビーチとAviraHotSpringを探すつもりである。ヌーディスト・ビーチはともかく、温泉探しは、今回の旅行の目的の一つである。


・結果としてヌーディスト・ビーチは見つからなかった。分かり難いところにあると聞いていたが、車で通るだけでは見つからず。INで調べると、今年からカリフォルニア全州で、そのようなビーチが禁止になったらしい。




・温泉は直ぐに見つかった。ICの直ぐ横の広大な敷地の中にあった。早速、中を案内して見せてもらう。温泉というよりも、ただの四角い大きなコンクリート製のプールであった。中には確かに39度位のお湯が入っており、何人かの男女が水着を着て浸かっていた。聞くと、本物の温泉で、確かに成分表が事務所の壁に貼ってあった。


・ただし、日本で良く見かける効能書きは見当たらない。聞くとそのようなものは、法律で書いてはいけないことになっているという。アメリカでは学会がない領域では、公に書くことは禁じられているらしい。


・その他には休憩スペースと、飲食のできるスペース、それと人気があると言っていたスパ、マッサージ・ルームがある。価格は$8/dayで何時間いても良いと言う。ただし、プールは屋根がなく午後の強い日差しが照りつけているので暑くてしょうがない。探し求めていた温泉ではないので、ここは素通りして、次の温泉を探すことにする。



・温泉場の隣は大きな芝生と、大きな木が木陰を作っている涼しい場所があった。その木陰のテーブルとベンチには4人の日本人らしいお年寄りが集まって、英語で駄べっている。大きな魔法瓶とカセット・コンロが置いてあった。チョット年が行っているように見えたので、仲間に入れてもらうことは遠慮することにした。


・その隣が大きなファーマーズ・マーケットになっている。丁度、ハロウィンの前だったので、大きなカボチャが山のように積まれていた。自分はリンゴ、モモ、バナナ、トマト、ジャムなどを山のように買った。料金はTot $9だった。


・モーテル・ガイドをめくりながら、大学があるという綺麗な町らしいサンルイス・オビスポに行くことにする。町の中をあれこれ迷って、大学から少し離れた所にあったモーテルに落ち着いた。



・少し車で町を走ったので、幾つかのレストランや大きなスーパー・マーケットが有る場所が分かった。モーテルはそのどちらにも歩いていける距離にあり、静かで値段も安かった。アメリカの田舎では、モーテルの料金が都会に比べると断然安い。







9月20日(月)誰にも会わない山の中を走る

・朝、10時に出発した。今日の予定は、まず近くにあるHarst城を見学、それからゴーダまで昨日、走ってきた道を再び逆に北上してそこでガソリンを入れる。そして、ゴーダの更に先のLucia近くにあるナショナル・パークで少しハイキングを楽しみ、その後で海を離れて山越えして、Jolong辺りまで山の中をドライブしてから、何処かその近くの村に一泊しようと考えた。


Harst城は丘の上にそびえ立つ姿が、下の海沿いの道路から良く見える。ハイウェイを降りて、田舎道を10分、城に向かって走ると大きなゲートがあって、これまた1000台は駐車できると思われる巨大な駐車場がある。できるだけ日陰を探して車を停める。大きなビジターセンターが入り口になっている。既に大勢の観光客で一杯だった。そこで6種類あるツアーのチケット(どれも$24)を購入する仕組みになっている。城はここに有るのではなく、ツアー毎に大型バスに乗って出かけるのである。


Harst城は実は皇族の住む城ではなく、アメリカの金持ちの作った悪趣味の象徴の様な別荘である。広大な建物と手の凝った庭が有名で、どのガイド・ブックにも乗っている。使ってある材料は、すべて本物で模造品ではないとのことで、それなりの風格が有るらしい。ヨーロッパの城よりも金と時間が掛かっているとのことであった。アメリカ人はこのようなドリームを受け入れるばかりか、そのようなスケールの大きいことが好きな民族である。


しかしながら、次に出発するツアーは午後だと言うので、結局、ツアーに参加することは止めてしまった。


・代わりに昨日は見ることができなかった、ゴーダへ行く途中にあるアザラシの浜に行く。ここも既に多くの人が来ていた。しかし、野生のアザラシの数は、人の数よりも多いくらいだった。ただ寝転がったまま、少しも動かなかったが。海から吹き付ける水を含んだ強い風が冷たく、ジャケットを着込んでも寒いくらいだった。他の観光客の多くは半袖のTシャツ姿が多かったが、車から降りて記念撮影をして、また直ぐに行ってしまった。


・自分は少し離れた所を歩いてみようと、草原を少し行く。そこは後ろを振り向かなければ、正に大自然の中にたった一人きりだった。海を見れば、あちこちで二頭ずつのアザラシが奇声を発しながら追いかけっこをしている。此の様な風景を観ている人は他にだれもいなかったが、考えて見ればアメリカ人の積極的な保護が有って、このような景観が維持できているのだろうと思う。皆、きちんとルールを守っているところは、偉いと思った。ゴミが何処にも落ちていないし。


・一方では、トイレに行けば、こんな僻地でもチャンと水が出てきて、ペーパータオルが置いてある。途方も無いエネルギーの無駄遣いをしている国である。アメリカ人の考える省エネとは、まず自分が使いたいだけ使う量を確保してから、それ以上はムダにすることは止めようと、言っていると実感する。最近はペーパーではなくエア式乾燥機も多くなってきたが。


・さて、ゴーダに来た時に大変な事に気がついた。ガス・ステーションが有ることはあったが、有人の事務所が有る訳でもなく、機械で読むクレジットカードしか使えない。普通のキャッシャーではもちろんカードは使えるのだが、無人の処ではアメリカでは多くの機械が日本の国際カードを読み取ってくれないのである。ガソリンの残りはかなり少なく、次のガス・ステーションまで持つかどうかも自信がない。さてどうするべきか。ゴーダからS.シメオンまでは片道で100km位の距離がある。(これでも一番近いG.ステーションである。)


・考えられる手は二つ有った。一つはここでガソリンを補給する車が来るのを待って、その人のカードを使わしてもらい代わりに現金を支払う方法。もう一つは、S.シメオンの更に先のカンブリアまで戻って入れる方法である。計算するとそこまではギリギリだがガソリンは持ちそうである。結局、厚かましく頼むことは嫌だったので、来た道を再び戻ることにした。カンブリアにガス・ステーションが有るということは、昨日、泊まったモーテルの受付の人が教えてくれていたのである。それなのに、ゴーダで入れることばかり考えていたので、モーテルを出る時にその町で補充してくる案はすっかり忘れてしまったのだった。


・カンブリアという小さな町でガソリンと昼食を補充すると、すっかり身も心も満たされて疲れてしまった。リンゴを齧りながら、しばらく予定変更を考えたが、この分では当然ながら、ハイキングはカットするか、近くに一泊するかだろう。と言っても、その近くの宿泊場所といえば、温泉付きの禅道場であるエサレンしかないが、昨日来る途中で中を見せてもらいついでに価格を聞いた所では、禅セッション付きで$240だったので少し考えてしまう。ただし、エサレンの温泉はオールヌードで混浴だと言っていた。色々悩んだが、結局、温泉は他に沢山ありそうだったので、次の機会に別の所に行くことにした。


・再度、ゴーダに向かってドライブをする。不思議なことに濃い霧が出てきた。道路が濃い霧で良く見えないのでゆっくりと進む。この霧は海の上だけにかかっていて、道路の所は少し薄くなっている。そして道路の山側の崖に沿った所で、何と霧が急に消えているのである。とても幻想的な、しかも広範囲に渡る霧の世界だった。


・ゴーダを通り過ぎてLuciaに向かう途中にJolongへ行く入り口が見つかった。狭い道である。いよいよここからはあまり車の通らない山岳道路である。激しいきついカーブの上り坂が続く。カーブにはもちろんガードレール等の人工物は何も無いので、いきなり絶壁と、その向こうに海が広がって見える。眺めが最高の道路である。


・その内に海が見えなくなってしまい、完全な山道となる。段々と道が狭くなってくるが、TAJAHARAと違って、舗装してあるので全く不安がない。しかし、道路が砂で覆われているようで、タイヤが盛んに砂を巻き上げる。砂で滑るので30km/h位のスピードで走る。何もここでドリフトの練習をして死ぬことはないと考えていたら、急にカーブの所で前方から車が飛び出してぶつかってきた。自分は上りだから直ぐ止まったが、対向車がぐんぐん近づいてくる。スリップする音が激しく聞こえる。運転していたのは、若い男女のカップルだった。とっさに「バカヤロウ、ラリーヤッてんじゃないよ」と日本語で叫んでしまった。ぶつからずに済んだが、本当に1mも無かった。相手は何も言わず行ってしまったが、きっと次のカーブで震えが止まらない筈だ。本当に事故になる所だった。


・途中でトイレが近くなってしまい、2度もタイムを取る。いずれも山の中で、夕方5時だというのに眩しい太陽を背に受けて。この辺には、家もなければ対向車も見かけない山奥だ。体長が10cm位の小さな無数のリスが、ひっきりなしに道路を走って横切っていく。10m毎にリスが現れる。初めの内は注意をしていたが、それではとても走り続けることが出来ない。


・山の中を下って行くと、今度は平坦な道路になった。Jolonの村らしいのだが、家がまばらに何件かあるだけなので、休まずにそのまま通り過ぎる。道路には自分の他には全く車が走っていない。この道路にはたまにカーブがあるのだが、そこを曲がるとまっすぐに一直線にどこまでも道路が続いている。そこを時速130kmで走り抜けていく。もう夕方の6時を過ぎているので何となく急いでしまうのだ。


・そしてRXXXの近くまで来るとICのそばに、Paso Roblesという町が見えた。今夜はそこに泊まることにする。

・夕食はまだ7時だというのに明るいので、ブラブラと散歩しながら町の中心地に向かう。中心地と言っても、店が4軒ばかりあるだけだが、その中からピザ・ハウスに入ってディナーを食べた。もちろん歩いてきたので、ハイネッケン・ビールを二杯飲む。広い店は何処から客が来るのか、殆どいっぱいだった。のどかな雰囲気などではなくて、周囲の壁に据え付けられたテレビが、フットボールの試合をやっており、煩いノイズを出していた。ビデオかも知れない。