2011年7月7日木曜日

9月17日(金)サンフランシスコでジャズ・クラブ巡り

・朝起きて、今日やることをメモに書き出す。真っ先にやるやるべきことは、ホームステイ・ブロバイダーに連絡して催促することである。しかし、先方からの連絡も来ないので、UCLAに連絡して、そこからも催促してもらうように頼んだ。この、二三日中に連絡が取れない場合は、新しい不動産屋に依頼した方が良さそうだったが、その場合には、現在、依頼しているところから手数料$250を返してもらうという手続きが待っている。


10時頃にサンフランシスコに向けて出発した。高速道ばかりでは移動だけになってしまうので、サンタクルズを回ってパルアルト辺りまで、地図を見ながらゆっくりと一般道路で行くことにした。しかし、それでも街中でないところは、大体、時速90kmで走ることができた。


・サンタクルズ市街地は、建物や道路がとても綺麗に手入れされた静かな郊外都市だった。道路脇にある、銀行やファミリィ・レストランの作りが綺麗で、横の広い駐車場にも大きな木が沢山植えられている。そのような日陰を選んで車を止めて、直ぐ隣のガソリン・スタンドで用を足してから、そこで買ったスナックとジュースを飲み休憩する。たまたま、隣に真っ赤なスポーツカーが止まったので、運転していた女性に道を確認しようとして話しかけた。所が彼女の横に男性がいて、二人で丁寧に教えてくれたのだが、彼らもドイツから来た旅行者だと言っていた。しかし、ドイツから来た人だけではなく、一般に町で話しかけると皆、本当に時間を掛けて丁寧に教えてくれる。それだけではなく、日本から来たと一言言っただけで、しばらくたわいもない話が続く。考えて見れば、こんな会話は日本では経験がなかった。




・パルアルトはXEROXの研究所のある所で、昔、出張で来たことのある懐かしい場所だったこともあり、周囲を少しうろついてみようと思った。場所が全く分からなかったので、カフェで遅い昼食をとった時に尋ねたら、台湾人の店長が色々と雑談を含めて相談に乗ってくれた。オフィスの中に一緒に入って、PCのグーグル・マップで調べ、プリントアウトまでしてくれたので大助かりだった。処でここのトイレは、使用する時はカウンターで一言ことわってから鍵を借りて使用するシステムになっていた。


・サンフランシスコの町で気がつくことは、歩きながら携帯で話をしている人が多い。それも話が長く、延々と続く。一人で歩いている人の20%は、電話で話をしているようだ。アメリカ人は話好きが多く、皆、疲れを知らずに早口で喋りまくっている印象だ。メールを見ている人も多いが日本ほどではない。ただしこちらは、ブラックベリーや最近急に増えてきたらしいアイフォンが目に付く。日本とは少しだけだが、システムが違うようだ。ただし、日本のように高校生が多く使用しているかどうかは分からなかったが。


・サンフランシスコに着いて、ユニオン広場の近くのパブリック駐車場に車を止めた。道を歩いていたら、簡単な明るいカフェのような所で、日本の寿司を安く食わせる店があった。夕食の前に少し食べようと思い中に入る。店のオーナーも使用人も韓国人の様だった。日本のスーパーで売っているような簡単な寿司の他に、焼きそばやら色々なものがメニューに乗っている。客は少なかったが、東洋系は見当たらず白人系ばかりであった。しかし、彼らにはこの味は口に合わないらしく、自分の横にいた二人の男性も「幕の内弁当」を箸で食べていたが、半分位残して出て行った。やはり彼らには、味が濃くてしつこい食べ物でないと、満足できないようだった。近くには、ハンバーガーを食べさせるカフェがやたらと沢山目に付くが、みなそれぞれ満員に近い客が入っている。


・人の味覚には、味や食感や香りや色形といろいろあるが、その味覚を極限まで単純化して分けていくと、どれもこれも「辛くて、甘くて、シツコイもの」だけが生き残ってしまうのだろうと思う。アメリカ人は、その様に単純化された分り易い味でないと、我慢できなくなってしまったのだろうと思う。彼らに薄味の野菜の煮物を食べさせても、旨さが分かる筈がないと思う。寿司の人気は、単なるダイエット食から来ているのであって、多くの人に人気があるようには思えない。




・さて、モーテルを探していて、今日は週末であるということに気がついた。何処へ行っても満員で、しかも値段を聞くと馬鹿高い。あちこち探したが見つからず、結局、ロンバート通りに面した小汚い所が一室見つかった。しかもメキシコ人のような年取った男性が、カードでなくて現金で払えという。一泊、$110だった。しかも、部屋に入ってビックリした。今まで止まった中では最低で汚かった。田舎町なら$30でも高いと思えるような所だった。壁紙が剥がれており、それをガムテープで止めていたし、洗面所では水を使うとぽたぽたと絨毯に垂れるので、そこへ近づいただけで靴下の裏が濡れる。ベッドも綺麗とは言い難かったので、ダニがいたらどうしようかという不安が頭をかすめた程だった。




・夜、再びヨシズにナベサダを聴きに行く。バスでフィルモア・イーストのジャズ・クラブの近くで降りて、歩きながら探したタイ料理レストランで食事を取った。さていよいよジャズ・クラブ、ヨシ’ズへ! 普通アメリカでジャズ・クラブというと、主にアルコールを中心にしたバー・タイプと、食事を食べながら演奏を楽しむタイプに二分される。ヨシ’ズは大きなジャズ・クラブで、ミニ・コンサート・ホールにテーブル席を並べた演奏スペースからなる部屋と、主に食事を楽しみながら演奏を聞くスペースと、酒を飲みながら演奏を楽しむバー・スペースの三か所に部屋が別れている。どこの部屋でも同じ料理や飲物を注文できるのだが。 前回来た時はバーだったが、今回はチャージ$30を払って、分厚いドアでキッチリと分けられた、演奏中心としたスペースの会場(部屋)に入る。正面に少し高くなった舞台があり、その手前側が客席というか丸テーブルが沢山並んでいる。どのテーブルにも椅子が二つ付いているが、互いのテーブルは驚く程狭い。東京は表参道にあるブルーノート東京と似た感じの作りと雰囲気である。


・客の殆どは白人で黒人も1/5位、日本人もちらほらいた。演奏はクァルテットで日本人演奏家はナベサダだけだった。演奏は大好評で、自分はナベサダとは何の関係もないのに、同じ日本人としてとても気分が良かった。自分の隣にとても目立つ、センス良く着飾った美人の黒人女性がいたが、どの曲でも手を振り回して踊るような格好でのりにノッテいた。ナベサダも彼女のリアクションには大満足の様子で、彼女と時々何か反応しながら演奏していた。


・ナベサダが曲目やメンバーの紹介、そしてその合間にチョットしたジョークを挟むのだが、とても自然な英語を話すので感心してしまった。そう言えば彼はニューヨークの音楽大学を出ていたのだった。異国の町で、日本人同士が久し振りに出会って日本語を話すことを頭に描いていたが、現実は全くそんな感じとは程遠かった。自分が心配することはないよね。


・十分に満足して外に出ると、時計は既に12時を回っていた。近くの他のジャズ・クラブの看板が掛かった店からは、ジャズではなくロック。ミュージックがガンガン響いてくる。ここサンフランシスコでも平日と週末の夜と言う違いは大きいが、アメリカの普通の街では夜も10時を過ぎると、一部の店を除き店が閉まってしまい辺りが暗くなってしまう。しかし、ここでは大勢の大学生のようなグループが、酒によって奇声をあげながら騒ぎ踊りながら歩いていた。そう言えばアメリカに来てから、外で酔っぱらいを見るのは今回が初めてだ。しかも、男女のカップルか男性の二人組が多いアメリカで、不思議なことにここでは、7-8人の若い男女のグループがあちこちで騒いでいる。最近は日本でも、酔っぱらいを見掛けることは大分少なくなったが、この通りは自分の記憶にわずかに残っている、日本の新宿の夜のような雰囲気だった。自分もその昔、経験したことがある懐かしい光景が、アメリカで見られるとは意外だった。もちろんバスなどはなかったが、タクシーが沢山走り回っていた。

9月16日(木)カーメル・バレーを行く



・今日は朝からカーメル・バレーに行く。今日の目的の一つは更に奥に入り込んで、噂に聞いたTassaja Springという温泉宿を目指すのだ。何でも自然な露天風呂と素朴な木の湯船が幾つかあるらしい。男女が一緒になって、しかも全員が日本のように裸で入るらしい。本当にそんな所があるのだろうか。


・カーメル・バレーへの道のりは、正に私が頭に思い描いていたカリフォルニアがあった。低いがどこまでも続くなだらかな丘。山にはあまり高い木々が見当たらないが、所々、白っぽい葉のオリーブのような木が密集している。木の植えてない部分は枯れた草山であるが、所々は禿げている。森の横にはここにも枯れ草の草原があって、牛が寝転んでいたりする。


・麓を走っている道路の両側には大木が茂っていて木陰を作っており、カリフォルニアの強い日差しを遮っているので、窓を開け放って走るのがとても心地良い。これが所謂、ビスタというものか。しかも山道に入ると、なだらかなカーブの連続なので、久しぶりに運転が楽しい。この辺りまで来ても、まだ家々が多く建っている。どの家もキチンと手入れされているし、家の周りにゴミもなく、また見苦しい生活道具が立てかけられていることもない。看板も見当たらない。電柱はあったが。



・そうこうしている内に、気が付いてみると道幅が狭くなってきた。カリフォルニアのど田舎の奥地に来たという感じがしてきた。行き交う車は全くない。その内に更に舗装道路が切れてしまった。自分の後ろにはもうもうとした砂ホコリが立っており、全く後ろが見えない。しばらく行くと、丁度良い木陰が有ったので、車を止めてランチにした。


・地元の車らしい小型トラックがすれ違いに通って行った。ここは田舎らしく互いに挨拶を交わす。やっぱり田舎の人達は観光客とは違うよなと思っていたら、さっきの車が戻ってきた。どうやら、見慣れないのが居るということで、不審に思ったのだろうと予測する。しかし、自分の側に寄ってくるのではなく、50m位離れた所にトラックを止めたと思ったら、しばらくして降りてきて更に犬を下ろして一緒に遊び始めた。どうやら、本当に不審者を監視しているような感じがした。



・随分とダートコースを走ってきたので、本当に道が正しいのだろうかと少し不安になっていた所だったので、彼と犬の方に向かって歩いて行った。今日はあまり人と話をしていなかったので、随分といろいろな話をした。分かったことは、つい4日前にこの先の温泉宿はクローズされたということであった。しかも、ここから更に20mlも先に有るらしい。


・どうしたものかと考え込んでいると、前から工事用の小型トラックがやってきた。様子を聞くと、彼は行ったことがないらしかったが、今からでは夜になってしまうので止めた方が良いという。ここまで来たのだし、中に入れなくても良いからと行くことにした。


・更にダートを行く。自分の後ろは砂ホコリ。車が真っ白になってしまった。このまま町を走るのは余りにも恥ずかしい。カリフォルニアの土地が実は雨の降らない砂漠地帯だと云うことが実感できる。道幅は十分に有るのだが、凹凸が激しくて上下にバウンドするだけではなく、時々、車体やバンパーをこする音が聞こえる。カーブの所で少しハンドルをきつく切ると、簡単にドリフトする。道の片側は谷になっているので、夜暗くなってから脱輪したり、谷に落ちたりしたら誰も助けてくれないだろうと思った。携帯電話のアンテナも出ていないし。レンタカーはダート走行では、保険が効かないと言われていたことを思い出した。こんな調子で往復4時間も走ることを思うとうんざりとしてくる。一体、自分は何をしに来たのかと考えてしまう。


・結局、戻ることにした。R16に戻ると、また先程の心地良いワインディング・ロードだった。はじめはゆっくりと走ろうと心に近い50kmで行くが、すぐにスピードが90km位に上がってしまう。道がカーブの所でバンクになっているせいだ。前を行く車が2台も、道路脇に車を寄せて自分に先に行けと道を譲ってくれた。そんなに自分の走り方が、せかせかとしているのだろうか。しばらくしてから、反省して少し休憩することにした。巨大なオリーブの木が2本植えてある民家の門の日陰のところで、車を止めてトマトをかじった。


・途中で腹が減ってきたので、並行して走っている筈のR101の方角に向かった。時計は午後430分で中途半端だったが、高速道のICの近くには高速道の外ではあるが所によっては大きなサービス・エリアがある。ここも他と変わらず、色々な店が沢山並んでいる。タコベル、マック、スターバックス、等、アメリのどこにでもあるブランドばかり。何処にも入りたいと思わなかったが、トイレもあるしバーガー・キングに入った。


・多くの客がいた。皆、大きなカップでコーラを飲み、一生懸命に考えて決めた筈の、しかし似た様なものを頬張っている。どの人も、男も女もデカイ体をしている。アメリカって、食生活に関しては少しさみしい感じがする。自分もバーガーとコーヒーを買った。



・年寄り夫婦とそのどちらかの母親である更にお年寄りの3人組が入ってきた。アメリカでは珍しい光景だ。お婆ちゃんがクーポン券と2ドル紙幣を握っていた。夫婦は決して貧しそうには見えなかったが、3人で楽しそうにバーガーをカジッている。とても羨ましい。


・子供2人を連れた若い女性が入ってきた。見ると車の中にことらもお婆ちゃんが座って待っている。ここは地元の人達の楽しみの場でもあるらしい。


・考えた末、モンタレー・ジャズ・フェスティバルには行かないことにした。そのかわり明日、再びサンフランシスコに戻って、幾つかのジャズ・クラブを梯子しようと思う。さて、サリナスでの今夜のディナーは何にするべきか。


P.S.:大分、車の運転には慣れた筈だったが、サリナスの町の中で左折する時に、対向車から激しくホーンを鳴らされ、守るべきルールを教えられた。交差点で左折する場合は、曲がった時に一番中央寄りの車線に入らなければならないということだ。アメリカの街中の道路は、どこでも3車線位あるので、考えて見れば当然なのだが、外側の車線はトラフィック・フリーで右折してくる車が優先の車線だからだ。





2011年7月6日水曜日

9月15日(水)9月15日(水)モンタレーのジャズ・フェスティバルを目指す



・今日は日本でも有名になった、モンタレー・ジャズ・フェスティバルに行こうと思う。ガイド・ブックによると、モンタレーは小さな町でこの時期には観光客で溢れてしまうと書いてあった。インターネットで見たブログによると、毎年この時期に行われるこの祭りは盛大なもので、ジャズ・フェスティバル会場の近くに駐車場を確保するのも難しいと書いてあった。なかなか宿が取れないとのことなので、直ぐ隣にある大きな町、サリナスに向かった。サリナスに2泊してモンタレーまで通う予定を立てた


・高速道101線に乗ってまずはサンホセを目指す。SFを離れると直ぐに湾沿いに景色の綺麗な所を突っ走る。相変わらず道路は車で一杯だが、しかし十分な速度で流れている。この辺りは都市の中だというのに、色々な車が走っている。意外とピックアップが多い。トヨタやホンダのマークをつけた車が目に付く。トヨタはレクサスが多い。日産は少なくむしろスバル(レガシー)を良く見かける。そして、日本の都市部と同様にBMWやベンツが沢山走っている。そしてどの車も大抵は一人しか乗っておらず、そして皆決まってサングラスをしている。


・大体は綺麗な車が多いが、アメリカに来る前から勝手にイメージしていた古くて綺麗とは言えない車も沢山見かける。殆どの車は窓を閉めきってエアコンを効かせているようだが、中には窓を一杯に開け、カーステレオをドシンドシン言わせながら走っている車もいる。そのようなウルサイ車や綺麗とは言えない車を運転している人を見ると、大抵、多くは黒人である。かかっているのはラップがたいていラップ音楽である。


・サンホセを過ぎてしばらく行ったところで休憩したくなったので、途中で高速道を降りて適当なカフェを探した。チョット小振りなマーケットがあったので駐車場に車を停める。店ばかりではなく、個人のオフィスのような建物が並んでいるが、寿司屋のような店もあった。角にある小さなカフェに入って、昼食をとりながら今夜の宿泊先を探す。(アメリカのカフェは何処でもインターネットが無料でつながるのでとても便利だと思う。日本のように、予めプロバイダと契約することもなく、その場でつなげることができる。)いずれもR101ICの近くにあるという、エコノロッジがハワード・ジョンソン・インかローレル・イン当たりが安くて良さそうである。前もって電話する方法もあるが、やはり予約は現物を確認してからにしたい。サリナスは大きな街なので、沢山あるモーテルが全て一杯になることは考えられなかった。


・高速道路のICからは近いが、サリナスの街の中心地からは離れた所に幾つか大きなモーテルがあった。部屋と値段を確認しようと思って、それらのうちの一つに入ってみた。聞くと、税込で$80位、部屋もとても広くて綺麗だったので、あちこち探すことはやめてその場で2泊を予約した。このモーテルは(どこでもそうだが)二階建ての建家がコの字型に並んでいて、その周りに駐車場があって中央にプールがある。建物もチョットスペイン封でオレンジ色の屋根が綺麗である。敷地の中には大きなレストランもある。


・少し時間が早いせいか駐車場には車が少なかった。多くの部屋が空いているように見えた。チェック・インの時間にはまだ早かったが、当然のように部屋に入ることができた。そこで部屋に荷物を置いて、冷蔵庫に買ってきたビールを入れて、早速、下見を兼ねてモンタレーに向けて出かけることにした。


・モンタレーまでは、良く手入れされた高速道で、時速130kmで飛ばすと20分もしない内に着いてしまった。町のメイン・ストリートへ行くと、リゾート地のようなこぢんまりとまとまった綺麗な町である。しかし、何と急に霧が出てきたのである。所でアメリカでは州法や市の条例が色々有って、車を運転する人は注意が必要である。例えば、高速道ではライトをつけなければならないし、普通の道路を走っていても霧や雨等でワイパーを動かす時は必ずライトも付ける事になっている等である。今、走っている町の道路もそんな決まりが有るらしく、地元のドライバーがお節介にも窓を開けて手で対向車に対して、ライトをつけろと知らせてくれる。クラクションを鳴らす車もある。日本では考えられないことだが、それも殆どの車がそうするのである。自分は直ぐにライトをつけたが、後ろの車が頑張ってつけないので、もう何十台ものドライバーが自分に合図をしているようだ。気になって仕方がなかった。


・ただし、ショッピングセンターの駐車場であるドライバーに道を聞いたら、店の中まで聞きに行ってくれた。ついでにジャズ・フェスティバルの会場を聞いたら、そんなモノは聞いたことがないという。店の店員が出てきて、フェスティバルはもう終わった筈だと自信を持って言った。




・しかし、少し走っているとフェスティバル会場の案内が見つかった。チョット名前の売れたミュージシャンの演奏は、モンタレー・ベイ水族館の近くにある講堂の様な建物の中で、コンサートのようにしてやるらしい。$50だった。そして、広大な公園の一角に出来ている無料の会場は、入場料だけでOKらしい。何か看板が見える。「JAZZ FESTE 2000Fairground Rd, Garden Stage, The West Lawn Stage, The Courtyard Stage, Café・・・」

ParkingMonterey Peninsula College (P.M.5:00-)$10 シャトルバス利用の事


・しかし、青空の下で、あまりにも広すぎる所で聞くジャズ演奏というのも何となく気が乗らない。このフェスティバルに期待して、ここまで来たと言うのに、実物を見てみると自分の期待していたものとはかけ離れた別世界のものに思える。


・一人きりのせいか、昼間からジャズを陽気に楽しむ感じもしない。このまま有名な観光スポットである17マイル・ドライブやペブル・ビーチに行って見たいとおもった。こちらへは、夜、再び来ても良いし。


・モンタレー・ベイは多くのアメリカ人がとても美しいと絶賛する所である。自分も直接そう聞いたことがあったし、ガイド・ブックにもそう書いてある。ガイド・ブックには、車を止めて走りだすと、直ぐにまた次に車を止めて写真を撮りたくなるスポットがあるので、通り抜けるだけでも時間がかかってしまうと書いてあった。実際に訪れて見ると、アメリカ人の美意識や憧れがどのような基準なのかが良く分かる。



・海に出ると、雄大で美しい景色が広がる。北海道の景色が少し近いが、こちらの方が雄大だ。そして、一番の違いは日本のように町が自然で素朴な感じではなく、もっとずっと高級な感じがすることである。雄大さの意味は、良く手入れされた公園や綺麗な家並みと庭が、海岸線に沿ってどこまでも果てしなく、途切れることもなく延々と続いていることだ。周囲の建物も庭も綺麗に手入れされており、電線も広告の看板もなく、もちろんゴミも落ちていない。磯の匂いもせず、太陽が照りつけているが、気温は高くなく風がとても爽やかだ。いや、のんびりするには風が少し冷たすぎる。歩いている人達の多くは観光客だと思うが、彼らの服装も綺麗である。何か美しくて綺麗すぎてしまう。見ていると一人きりの自分が寂しくて、段々感情が高ぶってしまい、思わず涙が出てくる。本当に何か寂しい。


・海辺には綺麗な家が並んでいる。その内の幾つかは、とても高級そうなモーテルのようだ。B&Bかも知れない。どの家も海が見える位置にリビングが有って、いながらにして海が眺められる様になっている。外から覗くと、家の中では父さんらしき人が海も見ないで新聞を呼んでいるのが見えた。


・自分もたまにはこのような場所で、毎日「ぼーっと」して過ごすのも良いかも知れない。しかし、いつまでも「ぼーっと」している訳にもいかないし、


・周りには人が群れている程ではないが、それでも多くの観光客が車を止めてぶらついている。しかし、気がついたのだが、しかも当たり前だが、訪れる人に一人で来ている者はいないようだ。若いカップルか、年寄りのカップルか、または男同士のカップルばかりである。年寄りのカップルは、ここまでやってきても車から降りようとせず、車の中から海を見つめている。中には椅子を倒して寝ているのもいる。


・駐車している車を見ると、地元の車はいないようだった。ナンバープレートには、色々な週の名前が書いてある。「NEVADA」「IDAHO」「ARIZONA」・・・


・夜はモーテルに戻って地図をもらい、サリナスの街に食事にでかけた。だ広い町で、大きなショッピング・マーケット街が四か所も見つかった。その内の一つの大きな駐車場に車を止めて店を探した。店は沢山あったが、デニーズやスターバックスやマック等、何処で食べても同じものしか出てこないチェーン店には、他の店より沢山の客で溢れていた。アメリカ人は、喜んで行くようだが私はどうしてもそのような店には足が向かない。入る前から既に味が分かっているからである。ちゃんとしたレストランもあるが、夜の7時だというのに客の姿が殆ど見えない。


・この町は田舎の町なので、日本人や日本食の店は見当たらなかった。しかし、しばらく行くと中華料理屋や韓国料理の店は見つかった。迷わずに中華料理店に入る。中華料理ならば、野菜が沢山食べられる様な気がしたからである。車なので残念ながらビールが飲めないが。そこで、「スチーム・ベジタブル・ウィズ・チキン」(五目野菜炒め)を頼んだ。$12だった。($10.3TIP$1.7) 味はまあまあだったが、とても量が多く一目見て、全部は食べられないと確信した。頼んだご飯は、パラパラでこれも全部はとても食べることが出来ない。捨てられてしまう事を考えると、何か申し訳ないきがするが体が量を受け付けない。一言謝ってしまったが、ため息が出た。結局、客は他に誰も来なかった。中国人のような店番が、二度ばかり例によって形だけの挨拶に来たが、愛想がないのであまり話をしなかった。日本人と言うよりも自分が、精神力と体力が十分ではないことを実感した。

9月14日(火)サンフランシスコと云う街

・朝起きて散歩した。サンフランシスコの朝は、シャツだけでは寒いほどであった。あわててジャケットを取りに戻ってから街歩きをした。一番の収穫は、イタリア人の年寄りが経営する小さな萬屋のような店だった。一見すると中が薄暗くてチョット入りにくい雰囲気だったが、朝からやっていて入り口の横には小さなテーブルと椅子が二つ並んでいた。奥の方はボトルに入った飲み物や、どこにでもあるスナック売り場だったが、入り口の近くには何種類ものパンや、その他に色々なウマそうなイタリアの食材がケースに入って並んでいる。どうやら量り売りのようだった。一瞬、売れ残りの古いものではと思ったが食べてみることにした。まずパンをローストしてバターを塗ってもらう。店番は子供だったが、ハムとソーセージ、ピクルスとチーズが入ったオリーブ漬けを、ほんの少しだけ入れてもらう。イタリアン・コーヒーは自分でカップに注ぐ。全部で$6位だった。外のテーブルで食べたところ、正直、病みつきになるとおもうほど美味かった。隣のテーブルでは、常連らしいおっさんが新聞を読みながら店主と話をしている。パンが香ばしくコリコリとして、パン自体が美味しいと思ったのはアメリカに来て初めてだった。サンフランシスコにいた3日間、朝食は必ずここで食べた位だった。帰り道は既に日が登って暑いくらいだった。


・アメリカ人はよくもまあ、皆、毎日、同じようなものばかり食べて、同じようなスタイルの生活を送っているように見える。それでいて良く飽きないものと思う。売り物は、時間を掛けて進化を続けた結果だと思うが、それぞれが一つの究極の理想に到達してしまったかのようだ。従って、店が違ってもどこでも同じものを売っている。そしてそれを皆が買っていくのである。それ以外の物では、満足できなかいの様である。どこのスーパーストアを覗いても、同じようなものを売っている。何処の雑貨屋さんを覗いても、同じような趣味の悪い原色の造花を売っている。少なくとも食事に関しては、日本人には楽しみが少ないような気がするが、家庭の中では違ったものを食べているのだろうか。


・今日、はじめてコイン・ランドリーを利用した。本当にいろいろな人が利用しているので驚いてしまう。洗剤$1、柔軟剤$1、洗い$2、乾燥40$2で、大量に洗っても全部で$6位だった。24枚と大量のコインが必要だが、入り口に側に両替機がある。客の中には、洗剤を自前で持ってくる人が多いので、旅行者らしくないのだが何者かは不明である。皆、当たり前だが車に乗ってやってくる。しかし、着るものを入れてセットすると、さっさと行ってしまう。店の前には、10分位しか駐車出来ないようだった。

9月13日(月)サンフランシスコのロンバード通り

・朝、少し寝坊してゆっくりと朝食をとってから、10時頃になってモーテルを出た。少し走ると、直ぐに高架の高速道が三方に見えるところに来たが、どちらに行けば良いか訳がわからない。頭の中に大体の地図が描けているので、とにかく高速道に乗ってしまえば後は何とかなると考えて、SF方面の標識を目指す。そうやって、一度はのったのだが、目の前にサクラメント方面という標識が見えたので、どうやら方向が逆なことが分かった。直ぐに次のICで降りて、反対側に回って乗り直す。アメリカの高速道はフリーなので、何度でも気軽にやり直しが効く。直ぐ目の前にサンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジが広がる。ただし、8車線位ある道路が全て車で埋まっておりしかも渋滞している。この時間では下り方向は流れているが、SF市内に向かう道は大渋滞であった。

・しばらくの間のろのろと走っていると、大きな吊り橋の手前のところに料金所のゲートが見えてきた。この辺りで急にトイレに行きたくなってしまったが、どうにもならない。$3の通行料を支払って、のろのろと橋を渡った。直ぐに出口が有ったので、降りて市内を少し走りながら、パーキング・メーターのあるスペースを探す。たまたま、ヒルトン・ホテルの近くに、空いているパーキング・メーターがあったので車を停める。


・見ると$1.5/30min onlyと書いてある。時間が中途半端だがとても安いと思ったのだが、生憎とクォーター・コインが無い。自分のクレジットカードは読み取ってくれない。トイレに行きたくてしょうがなかったので、そのままコインも入れずに、すぐ側にあった大きなホテルに飛び込む。係の人に聞いたら、その人がトイレまで案内してくれて入口の鍵を開けてくれた。ここでは外部の人は勝手にトイレを使うことは出来なかったのだ。


・そんなこんなで、身も心もすっきりした所で慌てて車に戻った。すると、車に何やら封筒が挟んである。中を見ると駐車違反の切符だった。罰金が$50とある。しかも、中を読むと、あなたは文句をつけることが出来ないと書いてあった。10分間止めただけなのに、$50は高いと思ったが、ここでブラックリストに載ってしまうと学生ビザが取り消されてしまうので即刻支払いをしなくてはならない。駐車違反だけは日本の感覚でやらないことと、肝に命じた。


・はじめにモーテルを確保しようと、ジャズ・クラブが沢山あると言われている、ロンバード通りに行く。この道路はSFの街を東西に走っているメイン有名な道路らしいが、市内の中心を少し離れると沢山のモーテルが並んでいる。有名なゴールデン・ブリッジに近い公園とロシアン・ヒルを結んでいる通りである。公園の近い方にアメリカ???、エコノロッジ、スーパー8等があったので、それぞれ空きがあるかどうか、部屋の内容は、価格は等を調べて回った。結局、部屋が大きくてきれいだったこともあり、スーパーに決めた。料金は2泊で$180(税込)だった。ただし、まだ、時間が午前中だったので、部屋の掃除をしていないという。午後の1時には入れるようにすると言ってくれた。


・モーテルの受付にいる人は、今までの経験ではメキシコ系かインド系が多い。モーテルの仕事は、ホテルと違ってあまりレベルが高いとは言えないと感じた。そう言えば、今まで白人だったのは、LAのスーパー8とエルポータルのクリスティーナだけだった。しかし、サンフランシスコで泊まったモーテルは、何となくホテルの従業員を感じさせる服装のキチンとした白人だった。モーテルの宿泊料に比例して、彼らの服装が異なっていることがよく分かる。料金が安い所は、働く人が黒人系で身なりも何となくみすぼらしいのである。


・受付が白人系で服装がきれいだと、何となく親しみを覚えていろいろと些細なことでも聞いてみたくなる。また、暇なときは雑談をしに行きたくなるのが自分でも不思議である。相手もそのように対応してくれるのである。


・時間が少し早かったが、昼食はモーテルの隣にあった韓国レストランで、久しぶりに野菜のたっぷりはいった料理を食べることができた。味は少し辛さが強かったが、とても口にあったしビールも美味かった。


・近くにシティ銀行が有ったので、クォーター・コインに両替をしてもらった。$10でコインが40枚、さすがにズボンのポケットに入れておくには少し重量があった。


・午後、しばらく辺りをぶらついて、街を観察してからから部屋に入いる。荷物を整理してからベッドで寝転び、どうやって違反金を払ったら良いかを調べた。切符に警察のHPURLが有ったので、アクセスすると名前とメールアドレスとクレジットカードのNo.を入れるだけで有ることが分かった。支払いのキーを押すと直ぐに、サンフランシスコ警察から、自動返信メールが来た。内容は支払ってくれて有難うというものだった。


SFにはパーキング・メーターが沢山あるが、同時に取締り専用のミニカーが走っているのをよく見かける。運転しているのは、白い制服を着たおばさんであったが、よく見ると警察官ではなさそうだった。見たところでは権限を委託された民間業者のようだったが、金さえ払えばOKで全て終了。日本のように罰点のポイントが加算されるということもなく、合理的といえば合理的と思う。


・酔を覚ますために少し昼寝をしてから、車でSFの中心部分の地理を確認するために出かけることにした。フィッシャーマンズ・ワーフやロシアン・ヒルから、ユニオン・スクウェア辺りを走ることで、地理的な様子はほぼ理解できた。FW等は有名な観光地であるが、平日のためか観光客が少なく、何となく物悲しい感じがする。観光地巡りが目的ではないので、かねてから行きたいと思っていた、宇宙博物館か美術館に行こうとおもった。


SFの街は、一部ユニオン・スクウェアの近くを除くと、道路が綺麗な碁盤の目のようになっているのでとても分り易い。それにメイン通りのほかは、殆どが一方通行になっているので、曲がり方さえ間違わなければとても走り易い。




・ユニオン・スクウェアの周辺まで来ると、周りの環境が一変する。歩いている人や走っている車の数が格段に多いのである。LA等の今までのアメリカの道路と比べると、信じられないほど沢山の車と隣り合わせで走らなければならないが、それでも東京の道路から比べたら全く運転に不安を感じることはなかった。


・ユニオン・スクウェアの近くにあった大きなPublic Parkingに駐車させる。料金は、$3.5/hで、少しでも時間を超えると$3.5が加算されると書いた看板が掛かっていた。


・ユニオン・スクウェアは、観光客も多く含まれると思うが人が群れている。ロンバート通りには綺麗な洒落た店も多かったが、何か人を寄せ付けない雰囲気があった。人の数が少ないことと、ほとんどの店が閉まっていることもあって、とても閑散としていて少し寂しい。気軽に一休みするようなカフェもあるが、数は少なく中が薄暗い。しかし、ここユニオン・スクウェアの辺りはとても活気に満ちており、東京は銀座か六本木の周辺を歩いている様な安心感がある。街の様子がとても明るくて綺麗で、観光客が気軽に入れるような所が沢山ある。何となく若者の街のような気がしたし、自分にはこちらの方が落ち着くことができる。


9月なので爽やかと言っても、やはり午後の日差しが強く暑さを感じる。しかし、昼間からコートを着ている人がいる。夜はかなり寒いのだが、昼間半袖だった人は、夜も半袖で過ごしている人が多いようである。何故なら、夜なのにジャケットなしに半袖で歩いている人が、昼間と同じくらいいるので驚いてしまう。


・午後の遅い時間に、「サンフランシスコ近代美術館」に入った。大人は$18とあったのでチケットを買おうとしたら、シニアは$12と書いてあったので変えてもらう。パスポートも何も要求されなかった。ピカソやマチスの絵は好きなので、それなりに良かったが、一番印象に残ったのは、テラスのカフェであった。外のベンチが陽光を浴びて清々しかった。ここで持ってきたリンゴをかじりながら、ガイド・ブックを読む。六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛のオブジェと同じ形のものが中央に置いてあった。


・夕方、モーテルに戻ってシャワーを浴びて着替えた。レジストレーションで市内マップとバスマップを貰う。ここで貰ったバスマップは、とても見やすくて使いよかった。バスは色々な系統が縦横に走っており、一回乗り換えれば殆ど何処へでも行けることが分かった。料金は系統によって違うようだが、大体は一回あたり$1.5なのでとても安い。しかも、時間表はないが大体15分待つ覚悟があれば必ず乗れるし、夜も10時過ぎまで運行しているようだ。ただし、バス停のサインが無いところもあり、本当に泊まってくれるのか不安になる所もある。大抵は交差点を横切った先の角の所に、小さなサインが書いてある。バスを待っていると、たいてい何回かは観光客に乗り場を聞かれるので、親切に教えて上げる。




・夜はまずチャイナタウンへ行って中華料理を食べた。さすがにチャイナタウンは大きな街なので、良さそうなレストランが沢山ある。そんな中の一つに当たりをつけて中にはいった。中は驚くほど広い処だったが、しかも丁度、夕食時だったが、他に客が誰もいなかった。料理は美味かったが、量が多いので、たった一人で黙々と食べてビールを飲む。ウェートレスが暇なのか、あるいは気を利かしてくれたのか、側に来ていろいろと話し相手になってくれた。


・目指すはジャズ・クラブ「PEAR’S」であるが、それは直ぐに見つかった。しかし、インターネットの情報は宛にならず、近くにいた人に聞いたら既に店を閉めてしまったらしい。


・ただし、チャイナタウンは日本人が夜遅くに、一人で通りを歩くような街ではない。街はチャイナタウンに入った途端に、街全体がとても汚いし暗い。道がゴミ箱の様になっている。何故かジャズ・クラブというと、このような危険そうな場所に有ることが多いようだ。しかも、交差点で信号を待っている間に、通りすぎて行く車のドライバーが、自分に向かって何か叫んでいる。何を言っているのか聞き取れないのだが、おそらく危険だと教えてくれているような気がした。タクシーを拾って、次の候補である、YOSHI’Sへ行く


・サンフランシスコは夜遅くまで、タクシーが道路上で拾える所が良い。他の地域だと、電話番号を調べて、いちいち呼び出さなければならないので時間がかかりそうである。フィルモア・イーストにあるヨシズへ向かったタクシーの運転手は、自分がクロス・ストリートを告げただけで、「ヨシズへ行くのか?」と聞いてきた。ジャズがとっても好きだと言っていた。チップを入れて$10だった。


・ジャズ・クラブは通常では、チャージ料金と2ドリンク以上が約束になっているらしい。しかし、日本の暴力バーと同じで、法外な料金を請求される所も中にはあるらしい。しかし、ヨシズは本当に良心的な店らしくて客が沢山いた。オーナーはYoshiと呼ばれている女性で、バークレーの学生だった時から開いているという。そのせいか、酒のつまみは日本の居酒屋のようなメニューも多かった。「瀬戸内海の塩をかけたエダマメ」とか。レストランが中に別にあって、こちらの方では、とても料理に工夫を凝らしているらしい。その夜の演奏は、残念ながらメンバーの名前を忘れてしまった。


4日後には、渡辺貞夫が来ると書いてあったので、都合をつけてまた来ようと思った。何故ならば、日本人プレーヤーの名前を聞いて、不意に懐かしさが込み上げてきたからだ。まだ、わずか10日しか経っていないというのに、この間に気が付いてみれば全く日本語をしゃべっていなかった。少し前までは世界中の何処にでもいたと言う日本人は、ここサンフランシスコにはいるかもしれないが、今回の自分の旅行ではいなかった。誰でもいいから、無性に日本人に声をかけてみたい気持ちだった。


・帰りは12時も過ぎている時間だったが、ロンバート通りに向かって歩いていたら、後ろからタクシーが来たので直ぐに呼び止めた。やはり、$10だった。サンフランシスコはロスアンジェルスと違って、街が夜中まで明るい事とタクシーが拾えるので、アメリカでは他にない本当に良いところだと思う。タクシーは行き先の交差点(クロス・ポイント)を言えば直ぐに分かって貰える。

9月12日(日):オークディールからオークランドと云う街へ

・翌朝、10時頃にオークランドに向けて出発した。しかし、直ぐにセブンイレブンが有ったので、ATMから$100を引き出した。それにしてもシティ・バンクの使えるキャッシュ・ディスペンサーがあちこちに有って便利である。(そう云えばチャンと一回当たり¥210の手数料が掛かっていることを忘れていた。)

・田舎道とはいえ、例によって平均速度は90km/h以上である。このスピードで流れている。たまにこのスピードより遅い車がいる場合は、その後ろに長い行列ができている。速度制限は、遅い所で80km/h、速い所で96km/hである。「絶対に追い越しをするな」とのサインも良く出てくる。良くしたもので、片側一車線だけではなく、ところどころでかなり長い距離の間、片側二車線になっていて追い越し用の車線があるので、無理な追い越しをする車は見当たらない。


・アメリカ人は思いの外、ルールはキチンと守るようである。違反の路上駐車をしている車も殆ど見かけない。少し行けば、必要な所には、必ず安い料金の駐車場もある。それに、何回もルール違反をしていると、たまには捕まって高い罰金を払うことになるということを、アメリカに来る前にガイド・ブックで読んだことがある。


・しばらく走ると直ぐに片側2車線のフリーウェイに出た。(車線が少ない道をフリーウェイと言うようだ。片側5車線以上ある道路は高速道路というらしい。)フリーウェイは、どんな田舎に行っても、網の目の様に縦横に走っている。もちろん高架ではなく、要するにチョット良い普通の道なのであるが、車線が少ないだけで、道路の作りは高速道路と全く同じである。(ガソリン・スタンドで買った道路地図は、相当細かい地図だったが、フリーウェイまでは載っているが、所謂、もっと普通の田舎道は載っていない。)フリーウェイに出ると、とたんに平均速度が130km/hになってしまう。廻りを走っている車も同様である。多分、この環境における人間のスピードへの欲望と、それを制御しようとする感覚、及び車の性能がバランスした速度が丁度この位なのだと思う。(法的な制限速度は90km/h位である。)


・高速道やフリーウェイを快適に走っていると、必ず目につくのが道端に突っ込んでいくタイヤのスリップ跡である。それも、あちこちに有る。更に道の両側には、バーストしたタイヤの破片が、あちらこちらに転がっているのを目にする。明らかに日本で見かけるよりずっと多い。平均スピードが上がった結果だろうが、このスピードはアメリカの広さが要求すると思うので、どちらが安全なのかについて、日本とそのまま比較することはできないと思った。事実、自分自身の運転感覚の変化がそうである。こちらでは、高速で走る方が、普通であると感じる。


・マンテカまで来るとサンフランシスコやオークランドに繋がる高速道が現れた。その高速道で流れている速度は、一般のフリーウェイと変わらない。しかし、ずっとこのまま高速で走っていては、ただ走っているだけで何の変化もなく、すぐにオークランドについてしまう距離なので、また、田舎道をドライブすることも今回の目的の一つなので、トレーシーと言う小さな町で高速道を降りた。ここは素朴な田舎町というより、大きな工場が幾つか並ぶだけの面白みのない町である。


・田舎道は地図に載っていないし、カリフォルニアの田舎道はフリーウェイと違って道が真っ直ぐではなく、丘に沿ってアップダウンを繰り返しながら曲がりくねっている。案の定、直ぐに方角が分からなくなってしまった。そうこうしている内に、完全に道に迷ってしまった。右も左も同じような風景が、ただ、延々と続いている。単調な風景だが、これぞまさに頭に描いていたカリフォルニアだと思った。


・まず、人の住む家が見当たらないし、もちろん人も歩いていない。どこまでも続いている丘は、牧草地と言っても枯れた草ばかりで、どちらかというと砂漠のような感じがする。背の高い木々は殆ど無く、まばらに低木が所々固まって見える。時々、むき出しの電線と電信柱が立っているのが見える所が、唯一日本に似ている。街の中には電信柱は見当たらないが。


・太陽だけが頼りだが、自分が何処にいるかが全く分からない。ここから抜け出すのが、サバイバルゲームとしての面白さだと思ったが、見渡す限りの牧場地で広い荒野に人が全くいない。たまに家が有っても、道路からかなり引っ込んだ所に有って人影がまったく見えない。これで夜になってしまったら、目的地に向かって走るのではなく、ただあてもなく走るだけになってしまう。太陽と持参したコンパスと、たまに見掛ける地名が掛かれた地図だけが頼りだが、他には殆ど何の手掛かりも得られない。



・そんな時に道端にポツンと、ホーム・クッキングと書かれたカフェ・レストランがあった。車は何台か止まっていたが、とても人がいるという感じではなかった。しかし、誰かしらはいるだろうから、道を聞こうと思い車を止めた。中に入ってみて驚いた。丁度、昼時だったせいか中は客で一杯だった。皆、知り合いのようで、ワイワイガヤガヤ楽しそうにしゃべり食べている。ウェートレスの女性と近くのテーブルにいた客の一人が親切に教えてくれた。今まで、現在位置の予想と太陽とコンパスの方角情報から、当たりを付けて走って来たのだが、結局、分かった事は、そんなに大きな狂いはなかった。


・カフェで昼飯を食おうとも思ったが、再びそのまま出発した。しばらく走ると、とてもきれいな家ばかりが立ち並ぶ町に出た。一見して素朴では有るが今まで見て来た家並みより、数段綺麗な家ばかりである。全ての家の庭が良く手入れされているし、何処にもゴミが見当たらない。庭では小さな子どもが何人か遊んでいたので、住んでいる住民は若い人が多いのだろうと思う。多分、アメリカの中流クラスの人だけが集まって住んでいる町だろうと思う。アメリカでは、大きな都市の近くには、此の様なクラスが違う人達が集まって住んでいる所が有るようである。キット、もっと凄い金持ちはまた別の処に住んでいるのだろう。それにしてもここは別天地というか、都会に大勢住んでいる普通のアメリカ人より所得が多そうな感じである。そして、気がついたことは、今まであちこちで見かけた黒人やメキシコ系の人達が何処にも見当たらない。しかし、何と言っても刺激のない町である。


・しばらく走ると、街のメイン・ストリートなのか、銀行やレストランが何軒か並んでいる処に出た。その中で、入り口にカフェと書かれた一軒を選んで中に入った。カフェならば、一人旅にあったカジュアルな所だろうと思ったので。しかし、中は整然と白いクロスの掛けられたテーブルが並んでいた。客の多くが綺麗に着飾った服を着た家族連れの様だった。若い家族と上品な感じのお爺さんお婆さんが一緒の席についているのが目に付く。どうやら、話しあって、一緒に食事を食べているらしい。皆、スープ等のコース料理らしきものを、静かに行儀良く食べている。そう言えば、今日は日曜日で午後なので、家族で教会へ行った帰り何だと分かる。ここは珍しく、ウェートレスやウェイターも白人である。しかし、キチンと給仕して貰って食事をするのも良いが、自分には話し相手がいないことに気がつく。自分は汚れたズボンを履いて、Tシャツを着ている客は他にいなかった。何となくその場の雰囲気に合っていない感じがする。自分は軽くピザ($10)とジュース($5)を頼んだ。TIP($2)を含めて$17の昼食は、決して高くはなかったが(メニューを見ても高額の料理は無かったが、多分、ピザも皿ばかり豪華だが冷凍だろうと思った。)、もっとフリーな感じの処の方が良かった。ピザを半分食べて、テイクアウトにしてもらった。


・帰りに隣のレストランを覗いてみた。こちらはグリルカフェとかいてあり、テーブルクロスはなしで、客の服装もラフだった。多分、価格は大きく違わないと思うが、地元民はチャント店を使い分けているのだろう。


・今回の旅行では、アメリカの生活と文化を体験することも一つの目的だった。それも中の下、中の中、中の上を体験したいと思っている。それにしても、アメリカでは沢山のホームレスが目に付くし、もっと高級なところはいくらでも有りそうである。アメリカの光と影の部分を、早くも実際に見てしまった気がした。


・レストランで道を教えて貰い出発した。少し走ると今度は住宅地ではなく、アメリカで普通に見られる街並みの所に出た。要するに片側二車線の広い道路が縦横に走り、通りにはドライブインが並んでおり、ガソリン・スタンドがある。ガソリン・スタンドで$20分を給油した。ここのオフィスは閉鎖的で、金網越しに料金を払ってお釣りを貰う。フロントガラスをゴムベラで洗ってから出発した。


・程なく進むと高速道が見つかり、サンフランシスコやオークランドの標識が見えた。今度は迷わずオークランドへ直行した。



・オークランドではあちこち聞きながら、モーテルを探したが、結局、ダウンタウン近くの、チャイナタウン・ブロードウェイと言う通りにある安いモーテルに決めた。ここは税込で$49であり、下のクラスではあるがその中でも少しは上の所で、これ以上はレベルを落としたくないというぎりぎりの所だった。しかしながら、思った程、部屋は汚くはなく、設備内容も、昨日の処と大差ない。むしろ大きなテーブルがあるのが嬉しかった。


・他にも客が結構いたが、殆どが黒人かメキシコ系の様に見えた。やっぱり都会だからか、途中で会っても、互いに挨拶をするという感じではなかった。私の方にも、うまく説明できないが、何のかんの言っても自分に偏見や差別の心があることを実感した。また、彼らの方だって、自分に対して白人と同じような愛想の良さがあるとは決して言えない。カリフォルニアに住む白人のアメリカ人は、皆、とても愛想が良さのだから、これは大きな違いだと言える。何故なのだろう。気質の違いなのか、単なる過去の歴史の問題に原因があるのか、今のところ全く不明である。来月、学校に行ったら、黒人の友達を作ってそれとなく聞いてみようと思った。


・このモーテルに泊っている他の人達は、どう見ても旅行者ではなく、ここに長く住みついている様な感じだ。近くには中国人が多く、中華レストランも幾つかあった。今日の夕食は久しぶりに中華料理にしようと思った。


・まだ、大分明るかったので、街を2時間位掛けてあちこち散歩した。通りを散歩していると、一見してシュナウザーのような犬を連れている若い女性がいた。とても懐かしい感じがしたので、つい、声を掛けて犬と遊んでしまった。犬の名前は忘れてしまったが、犬のオーナーと話ができたのは良かった。


・街を歩いていて気が付くことは、まず、日本人が何処にもいないこと。オークランドばかりか、この一週間で日本人には殆ど出会っていないのである。一見して日本人に似ているかと思うと、大抵は韓国人か中国人ばかりである。この街にも、中国語と韓国語(ハングル語)の店の看板などが随分と目に付く。通りを歩いている人の話し声が、日本語と韓国語は違うのですぐに分かる。大体、韓国人はグループで見掛けることが多いせいか、日本人より声が大きくエネルギッシュな感じがする。そして、どこにでもいる。しかし、街の中に日本人や日本語の文字は、全く見掛けることはなかった。


・オークランドを宿泊地に選んだ理由の一つは、ジャズが盛んだということを何かの雑誌で読んだからである。今回の旅行の目的の一つが、ジャズハウス巡りだったので。チョット前までブルースが盛んだったらしいが、しかし、その面影は街の中では全く感じることが出来ない。散歩の時に探したが、この近くには無い様だった。帰ったらインターネットで検索してみようと思った。結局、INで探しても近くには無かった。飲んだ後に、タクシーを手配することは何となく面倒だし、夜道を遠く歩いて帰るのも、車で出かける気にもならなかったので、ジャズ・クラブ巡りは明日のサンフランシスコにかけることにした。サンフランシスコは湾の向こう側にあり、海沿いの公園からは直ぐ近くに見ることができる。

9月11日(土):ヨセミテの滝とオークディールと云う街

・マリポサの宿を午前9時頃に出発したが、やはりマリポサはヨセミテからは結構離れており、思いの外時間がかかり(1時間30分)10時半頃にやっとヨセミテに着いた。カリー・ビレッジの奥にある駐車場は既にいっぱいだった。チョット不便な所にある駐車場を見つけて止めた。やはり日本とは違って、いくら混んでいると言ってもスペースの感覚が全く違う。日本の山では本当に止める所がない事が多い。ストアで地図等を探している内に時間が経ってしまい、結局、ハイキングに出発したのは11時だった。

・今日、行った所は、「Nevada Fall」で、昨日行った「Yosemite Fall」よりは高低差が少なく幾分楽な筈であった。行く前から少し眠くて疲れている感じだったが、やはり行って良かったと思った。素晴らしい滝、素晴らしい景色、素晴らしい環境だった。滝は水が枯れていることもなく、雄大な姿を目の前にさらけ出した。自分としては、こんな大きな滝を見るのは初めての体験だった。


・第一フォールを過ぎた当たりで昼食にした。出発したのは12半頃だった。今日は土曜日なので、この分では街に戻るのに時間が掛かってしまいそうである。早めに戻ってきて、夕方の4時頃には出発しない。また、今夜の宿探しが思いやられる。


・歩いたのは、いつの日かこのトレイルを歩きたいと思っていた、有名な「J.ミューア・トレイル」の基点から途中までのほんの一部であったが十分に満足した。すべての行程を歩くには3カ月位掛かる。例えその一部を歩くだけとしても、基本的にはテントと食糧を持って行かなければならないので、膝が悪い自分には無理だろうと諦めている。


・駐車場に戻ってきたのは午後520分だったが、さすがに疲れていたので30分位休憩してから、フリー・サービス(無料)のホット・ドッグとコーヒー、及びリンゴを一個かじる。帰り道、今度は来た道を戻るのではなく、R120に向けて出発した。




R120は景観の良さが売りの山岳道路であり、走ってみてやはりその素晴らしさに十分満足した。時速90kmで走り抜ける快感! それでも追い抜いて行った車がいた。顔を見なかったが、きっとレーサーだと思う。普通ではない。


R120の途中の牧場を通過した時は、アメリカン・スタイルの良い感じのホテルが有った。しかし、降りて行って値段を聞いたら、部屋は空いていたがあまりにも値段が高いので止めた。(一人で寝るだけだし。)


・しかし、時速100km以上のスピードで田舎道を走り続けたが、兎に角、丘のような山の景色が延々と続くだけである。当たりは既に真っ暗で、走っている車は他には誰もいない。しかし、既に高い山は降りてしまったので、ここまで来れば次の町に必ずモーテルがあるだろうと思って、何の不安も感じなかった。しかしながら、夜になると真っ暗になるので、地図を見難くなる。自分は最近視力が0.7まで落ちているので、少し暗くなると地図が見えなくなる。こんな時の事を考えて、懐中電灯と小さな虫眼鏡を用意していたが、本当に助かった。地図に顔を近づけて虫眼鏡で地図を観ている姿は格好良いものではないが、こんなモノでもなかったら、立ち所に何処へ行って良いか途方にくれてしまうに違いない。道を聞こうとしても、人はおろか店も何もないのだから。


9時過ぎに宿をとったのは、Oakdaleと云う小さな街にある安っぽいモーテルだった。しかし、それでも料金が$70で、その割には内容がお粗末だった。今までの中では最低の部類だった。部屋が狭くテーブルもない。シャワーは使えるが器具が壊れている。ドライヤーもコーヒーメーカーもない。朝飯が付いていると看板に書いてあったので、一言、催促をしたら、近くにあるデニーズの朝食のセット券をくれた。



・安っぽいモーテルだったが、結構、泊まっている客が他にもいて、その全てが白人だった。私の隣は一人で泊っている自分と同じ位の年令の爺さんだった。部屋の鍵の調子が悪く中々開けられないで困っている様だったので、開け方のコツを教えてあげた。そんなことから、少しだけ話が弾んだが、あまり楽しい話し相手ではなかった。爺さんだから。


・夜、腹が減ったのでメイン・ストリートをドライブしながら適当な店を探した。タコベルとかマクドナルド、デニーズ等、アメリカでは何処へ行っても必ず見掛ける店が並んでいたが、そんな所には入る気がしない。その内、寿司バーとか新鮮シーフードと書かれた看板の有る店が有って、気を引いたが、他に車が止まっていないし、どんな物出てくるか予想できてしまうので、ここも入る気がしない。何となく、その横にあったリカーショップの方に入ってみた。店番が色々話しかけてくるので、ハイネッケン・ビールを6本買う。約$9だった。近くに大きなマーケットはないかと聞いたら、1マイル先に有ると云う。行って見たらとても大きなマーケットだったが、売っている商品の一つ一つが大きすぎて買うことが出来ない。それでも林檎とトマト、バナナ等、及びその他、チキンの唐揚げやポテトフライ等のバラ売りチキン等の食糧を、こんなに食えるかなと思いながらも、結構、沢山買ってしまった。宿でインターネットをやりながら、ビールを飲み、ついでに夕食の代わりに買ってきた食料を食った。日本を出てから、やっと一週間が経ったと思ったが、同時にもう何週間もアメリカに居るような気もする。しかし、多くの旅行記に登場するような出会いは無かった。