2012年3月30日金曜日

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/30

1030日(土)Florenceの町からEugene、そしてPortland

いつもの様に朝の10時頃になってから、フローレンスで宿泊したモーテルを出発した。フローレンスと云う街は地図で見ると、西側は太平洋に面しており、そして東側は背の高い気に覆われた小高い丘が続く狭い処にある。今日はそこからほぼ直角に東に向かって、大きな川に沿って進んだ。途中から登りが急になり、カーブが続く山道となるが、そこをどんどん登っていく。しかし、山の中を走るのは数時間だけで、しばらく走ると峠を越して、平らな平原に出る。木や草原等の広大な自然が続く所は、南カリフォルニアとは大違いである。紅葉している木々もかなり見る事が出来る。しかも、赤一色か黄色一色と云うのではなく、色々な色が混じり合っている処は、何処か日本の風情に似ている。


1時間ほど走り続けると、大きな町の郊外にあるショッピング・センターと云った感じの処に出た。思いだせばまだ朝飯前だったので、トイレ休憩も兼ねて、ドでかい駐車場に車を止めた。


・マーケットの中はとても広い食品売り場有って、しかもいろいろな種類の出来上がった惣菜(デリ)を売っていた。とても陽気で元気な店員の叔母さんが話しかけて来たので、色々と話をしながら少しずつ何種類かの料理をパックして貰った。ラーメンとスパゲッティ・マカロニ・サラダ、スープ等である。それを車の中で食べながら、分厚いガイド・ブックを見ながら今日、行くべきところを探した。


・それからユージーンの中心街の方に車を進め、まずは土地勘をみにつける為に、街の中心市街を、あちこちを走った。この街はとても美しい街だった。広い通りには必ず大きな古い木が立ち並んでいて、そして大きな公園があちこちにある。街全体が公園の中にある様な感じがした。中心街から少し離れると、こじんまりしているが、やはり美しい住宅地が続いている。中心街には、幾つかのモーテルが有ったので、降りて値段を調べたり、銀行で預金を下ろしたりした。何と銀行では一度に40ドルしか下ろす事が出来なかった。しかも、一回につき手数料が3ドル掛ると云う。200ドル下ろしたら、手数料が15ドルと思うとバカバカしくなり、40ドルでやめてしまった。


・大きな図書館が有ったので、ユージーンやシアトルの見所を調べて見ようと思い中に入る。とても大きな図書館で、設備も近代的だった。沢山のPCがズラッと並んでいる処が有ったので、自分のGメールが読めるかと思っていじって見たが、よそ者がこれを使うには特別の許可がいるらしかった。


・若いカッコいい男性が座っていたインフォメーション・テーブルの処に行って聞いてみると、何故か彼氏の奥さんは日本人だと云う事で、普通の世間話になってしまった。今日はマーケットで叔母さんと少し話をしただけだったので、自分はやはり話し相手が欲しかった。買い物などの会話を別にして、一日に5人位の人と話すようにしないととても寂しいのだ。図書館のお兄さんはよそ者に対してとっても気を使って、色々話してくれたのでその優しさが本当に身にしみて嬉しかった。


・この街に暮らす日本人の女性が書いた本を、以前、読んだことが有り、ユージーンに対してとても素晴らしいイメージを持っていたので、この街に泊ってもう少し観察をしてみたい気がした。しかし、別の本で読んだポートランド、そしてシアトルの街のイメージがより強かった事もあり、取りあえず明るい内にポートランドに行ってみようと決めた。そして、早々に車に戻って出発する。


・ユージーンからは高速道路を使ったので、特に強い印象もないままポートランドに着いてしまった。そして、ここでもユージーンでやったように、街中をぐるぐる来るまで回って見た。ポートランドはとても大きな都会であった。都会の騒々しさと、所所はユージーンで見たような美しさを保っている処が入り交ざったような大きな町である。幾つもの高速道路が入り組んでいるので、地図を頭の中に入れることはできなかったし、第一、移動に思ったより期間が掛るので、途中でやめて今夜の宿泊場所を当たる事にした。今回は4件を覗いて話を聞いてみた。中程度のモーテルは7090ドル位の範囲であったので、その中から市の中心に近く中心地を往復しているトロリー電車の駅の前にある70ドルと云われたモーテルに決めた。そして駐車場に車を止めた。


・宿泊の手続きをしてから、夕食に久しぶりに寿司でも食べようと思った。既に夜の7時を過ぎており、辺りは真っ暗だったので、部屋に入る前に出かけることにした。まずは車の中を外から覗かれても、何も見えない様に荷物やカメラをトランクにしまって出かけた。


・街の中心部は綺麗な店や、マーシー等のデパートが立ち並ぶ通りが有り、人は少ないが東京の銀座通りの様なイメージだった。とても寒いせいか、ロスで良く見かけるような、ホームレスや物乞いをする人達は殆どいなかった。少し行くときれいな「さくら」と書かれた寿司屋が有ったので、中に入ると回転寿司で有った。しかし、今までに良く見かけた、カリフォルニア寿司ではなく、日本と全く同じ感じの本格的な握り寿司が廻っている。客に日本人は全くいなかったし、店員や板さんも日本人では無く、どうやら韓国人の様だった。ここで、寿司とビールを飲んで、支払いは14ドルでした。


・さて、モーテルに戻って、荷物を部屋に入れようと車の処に行った時に、自分にとって今まで全く経験した事のない大事件が起こった。


・運転席の窓が壊されていたのである。調べて見ると、大きな旅行バッグやその他の荷物はそのままだったが、カーナビと一眼レフのカメラが無くなっていた。運転席につみあがったガラスの大きな破片を取り除いていると、一組の若いカップルが近付いてきてそれを手伝ってくれたが、自分には彼らの仕業の様な気がした。しかし、何も証拠が無いので自分で荷物を取り返す事は、早々と諦めて、警察に電話をした。モーテルの掛りの男性がいろいろ相談に乗ってくれたが、パトロールカーは直ぐにやってきた。警官は恐ろしく形式的に調べただけで、盗難届用紙と登録NO.を記入して自分の名刺を渡すと、詳細は後で警察に来るか郵送でやってくれと云って直ぐに帰ってしまった。盗まれたものを後で書きかえることもできるではないか? 実際に自分は盗まれたカメラの型番が分からなかったので、その場ではおおよその買値を記入しただけだった。


・兎に角、運転席から大きなガラスを取り除いて、床のコンクリートの上に落とした。ガラスの始末はモーテルのオッサンガやってくれた。今日はもう遅いので、明日何をするべきかを書きだしてから、酒でも飲んで寝ることに事にした。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/29

1029日(金)EurekaからFlorenceの町へオレゴン州を走る

Eurekaで宿泊したモーテルを早々と朝の9時頃出発する。Eurekaはカリフォルニア州の北端にある海沿いの町であるが、いよいよ北カリフォルニアと別れて北上し、これからオレゴン州に行くことになる。しばらくは昨日に引き続いて、景色の良い海沿いの道を北に向かって走り続ける。そして左に広大な太平洋を、右にはフレッシュ・ウォーター・ラグーンという名前の潟に挟まれた、細長い土手の上をR101が走っている。この辺りではレッド・ウッド・ハイウェイという名前が付いている。潟を離れる所から急に山道に入っていく。直ぐに海が見えなくなってしまい、その代わりに鬱蒼としたとてつもなく高くそびえ立つレッドシダーの森に入っていく。本当に壮観な眺めであった。


・地図で確認すると、このあたりは「レッドウッド国立公園」と「プレーリー・グリーク・レッドウッド州立公園」が繋がっている大きな公園で、ハイキングコースが幾つかあるようだった。車から降りて少しでも歩いてみたかったが、チャンとした駐車場を備えた本格的なコースしか無い様で、気軽に道路脇に車を止めて入っていけるような雰囲気の所はなかった。なので、止める場所を探しながら、走っている内に公園を通り過ぎてしまった。


・しかし、しばらく突っ走っていると再び、海の見える所に出てきた。そしてやがて大きな町に出たのだが、そこはクレッセント・シティという。ここを過ぎる直ぐにカリフォルニアとオレゴンの州境になる。しかし、地形的にはただ道路を走っている内に、いきなりオレゴン州ということになる。国境ではないのだから、当然かも知れないが、あっけない。


・しかしながら、オレゴン州に入った途端に大きな違いに気がつく。オレゴンはカリフォルニアと比べると雰囲気が一変するのである。幾つかの小さな街を通り過ぎたのだが、家の建て方が北カリフォルニアによく見られる風情のある木造建築の代わりに、ただの箱のような家が目立つのである。全体のイメージでは、昔の西部劇に出てくるテキサスの街並みの様な雰囲気である。今までは見られなかった、色とりどりの看板が目立つ。全体としては少し貧しくなった感じがする。


・もう一つ大きな変化は、街中を走る車の速度である。今までは広い道を街中といえども時速50-60マイルでは知っていたが、ここではどの車も時速30マイルを守っている。町の中を農業用のトラクターが走っているようなイメージで、皆、ノロノロと走っているのである。どうしても自分だけ群れから独走する体制になってしまい、慌ててブレーキを踏むことの繰り返しであった。


・フローレンスの近くで昼食を食べようとして、サブウェイに入る。しかし注文を使用としたのだが、どうしても相手の言葉聞き取れなかった。その上、相手もまた自分の英語が分からない様だったので、とても苦労すると共に自信が崩れていく。更にガソリン・スタンドでは、$25と頼んだのに$55ドルのクレジット請求が来た。


・今日は久しぶりに午後の早い時間であったが、フローレンスの町で泊まることにした。シルバー・サンド・モーテルという地元のモーテルで、価格は42.9ドルだった。今日は一週間分の溜まった洗濯物を持って、コインランドリーに行った。そして洗濯をしながら、スーパー・マーケットでかいものをする。と言っても、殆んど食料品とビール等であるが。


・フローレンスの街は、西に太平洋と、東は日本でもよく見かけるような低い山に囲まれた、静かなのんびりとした雰囲気の所である。ガイド・ブックを探しても、これといって有名な見所は見つからないが、自分は何となく落ち着いた気分になれる。


・宿に戻って、ビールを飲みながら写真の整理や文章を少し書いた。後は知り得る限りの友人にメールを書くことや、フェースブックで応答をしている内に時間がドンドン過ぎていく。夜は近くの中華料理屋(チャイナ・ベイ・レストランと言う名前の大きなドライブ・イン)でディナーを食べる。玉子ときくらげと幾つかの野菜が入った炒め物の一皿の料理と、後はスープとご飯だけで、払ったのは、チップを入れて$12だった。しかし、兎に角、量が多い。運んでくる娘さんもお母さんも中国人だったが、味はこんなもんかな。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/28


1028日(木)Gualala、及びEurekaの町で見て考えたことなど

・何時もスーパーを覗いた時に思うことは、カリフォルニアの西海岸では何処へ行っても不思議なくらい同じようなものばかりを売っていることである。ここのスーパーもご多分にもれず、この地方に特有なものは少なくとも食品に関しては見つけることが出来なかった。逆に言うと、ここで売っているようなものは、何処に行っても手に入れることができる。


・これらの料理はレストランで食べる料理よりも、一般的に味がさっぱりしていて自分の口にあっており、とても食べやすい。少なくとも、シツコすぎて食べられないという味付けのものは見当たらない。ただし、カリフォルニアだからかも知れないが、一般的に少しスパイスが効き過ぎている用な感じがあるようである。


・場所によって、メキシコ系の人たちや黒人が多く住んでいる所や、白人系の裕福な階層が多い所では、品質や値段が若干違う気もするが、扱っている料理が全く異なっているということはないようだ。その昔は独特のものを食べていたに違いない、インディアン系の人が数多く住んでいる村を通過した時でも、そこの土地の個人経営の様なマーケットの中で見掛けたものに、特別なものは見当たらず、彼らが特別なものを食べている様子はなかった。ただし、今まで通り過ぎてきた町は、すべてカリフォルニアだけなので、まだ、このように言い切るには早過ぎるという気もする。


・更に、「何故カリフォルニアでは、種類が同じようなものばかりで、また味付けも似ているものばかりを売っているのだろうか」、ということについて考えてみた。恐らくどの品物も、最初に売りだされてから それなりに時間を経ているものと仮定できる。多くの人達にとって、これがベストであると感じるものに仕上がっているのだろうと思う。問題は、アメリカにはいろいろな人種の人間が住んでいるにも関わらず、種類や味付けの尺度が似ているのかという事である。


・恐らくその理由は、彼らが物事を判断する際に、最初に最も重要視することが、その感覚や印象などではなくて論理であるからではないか。例えば「美味いハンバーグ」ときたら、「こんなスパイスの効き具合」で、「この程度のシツコさ」が必要でというように、その要因系を一つ一つ最適化していった結果が、今どこでも売られている商品担ったのではないか。そして、それを少しでもはみ出したような商品は、多分、価格が高くなってしまい結局誰も買わなくなってしまうという事ではないだろうか。


・そうだとすると、特別な味付けのものは、個人の家庭に行かなければ御目にかかれないということになりそうだ。そして、この考え方にあまり当てはまらないような、新しい食品の一つが日本食なのではないか。ただし、日本食はそれ程買い手が多くないこともあり、現時点ではローカルである。(日本食は、日本で考えられている程、広くアメリカ(カリフォルニア)で、強い人気と地位を勝ち取っているようには見えない。日本食のレストランは多くは韓国人オーナーの経営であるし、客の入りもそれほど多くはない。また、客も料理を食べ残したまま出て行ってしまう姿も多く見受けられた。)


・そうそう、実は今までの話に当てはまらない経験をしていたことを思い出した。それはLAのモンタレーという町にある、中国人街のマーケットに行った時のことであった。そこには、恐らく日本のマーケットよりも多種・多彩の見たこともないような食材が多数売られていた。だから、中国人だけはアメリカでは特別な存在だろうと思う。彼らがアメリカに来た時から今までずっと、彼らは自分達だけで集まって暮らしていることに原因があるのだろうと思う。だから自分達の考え方や習慣をあまり変えることなく、独自のものをいまだに保ち続けているのだろうと思う。


・中国人マーケットは、恐ろしく活気にあふれていたし、また特徴としては「生の素材の量り売り」が多い。魚や肉などが日本のようにパックされていないのである。アメリカの他のマーケットでは、逆に多くのものがパックされて安く得られているのだが、特徴は一つ一つが兎に角 巨大であることである。


・さて、今朝は9:50にGualalaの宿を発って1時間半ばかり走り、11:20にFort Braggという村についた。どちらも地図で見ると、北カリフォルニア州にあって太平洋に面したR1に沿った所にある村である。従って、この辺りのメイン・ルートであるR101からは遠く離れた所にあり、普通の環境客が多数訪れるというような所ではない。北カリフォルニアは砂漠を思わせる南カリフォルニアと大きく異なり、とてつもなく大きな森に覆われた所である。太平洋に面していることから、冬でも比較的暖かくて、雪もあまり積もらないようだ。


・この太平洋を直ぐ左側に見ながら、海に面した道であるルート1を北上していると、まず感じることは信じられない程の美しさである。広大に何処までも続く海岸線は切り立った土の絶壁になっていて、回りには人家も少なく荒涼としている。もちろん、行き交う車も少ないというよりも殆ど無い位である。道の両側に所々で見られる家は、LAやサンフランシスコの住宅街でよく見掛けるものとは大分異なっており、アーリー・アメリカかまたはイギリス調である。家とその周りを取り巻く丘や森が良く調和している。殆どが木造であるが、日本で見かけるアメリカン・ハウスよりもかなりサイズが大きい。



・何故、家の建て方がこうも違うのか? 普通の車で一日も走れば来ることが出来る距離であるし、住んでいる人種が全く異なるとは考えにくい。走りながら少し考えた結果、それはコストから来るものと思われた。LAで良く見かける何の変哲もないフラットな建物は、とても合理的な設計になっていてコストが安いものであると考えられる。しかしながら、ここで見掛ける多くの家は、豊かな緑に囲まれていることもあり、人々が美しさを気にしながら建てたものではないか。どの家もその周囲は、綺麗な庭が付いている。LAでは手入れの行き届いた庭のある家は、高級住宅地だけであり、しかもそれは住人が自ら手入れしたものではない。(メキシコ系の黒人があちこちの家で作業をしていた。) ここでは住人が自分達で作業をしているのだろうと思う。


・そんなことを考えながら走っていると、道は海からだんだん遠ざかっていき、両側を馬鹿でかい木々が取り囲むように生い茂っている山道に入った。そして、急に大雨になったのだが、この辺りはずっと前から雨が降っていたらしい。この周辺は背の高いRED WOODが生い茂っていることで有名である。周囲の風景を見ながらゆっくりと走りたい気分だったが、実際は全く逆の結果になってしまった。と言うのは、後ろから追いかけてきたピックアップが自分の後ろにぴったりとついてくるので、引き離してやろうと思いスピードを上げたからである。しばらく、二台の車でカー・チェイスのような事を続けている内に、あっという間に何車線かあるR101に出てしまった。


・それにしても、日本ではおとなしく運転していることが多いのに、何故こんなスピード競争をする様な気分になってしまうのか。自分でも嫌になってしまう。山道はアップダウンがはげしいし、きついカーブも多いので、何回もフロントのバンパーを道路にこすりつける音がした。こちらの道路は、日本と違ってカーブの所がかなりのバンクになっているので、高速で走り抜けることが出来るのだが、カーブの出口の所で前のバンパーが路面にこするのだ。それにしても、今乗っているのは韓国製のKIAという普通のオートマ車であるが、レバーを二速にシフトダウンした時のエンジン・ブレーキの効きが良い。つまり、何もしなくてもヒール・アンド・トウができるので、OUT to INと組み合わせると、その後で加速しながらで高速で走り抜けることが出来る。欠点は、タイヤとサスペンションがプアーなことで、ブレーキを強く踏んだ時に車がふらつくことである。


・山の中を走っているR101Free Wayと言いながら、道幅が狭くカーブでの速度のリミットが35mil/hになっている所もある。アメリカのFree Wayでは珍しい道路である。そんな山の中でぽつんとカフェ兼お土産屋が現れた。トイレ休憩にコーヒーとドーナッツでもあるかなと思い中を伺っていると、入り口のテラスの所で70歳位の男性に声を掛けられた。


・ハッキリと聞き取れる美しい英語を話す人だったので、教養のある人に思えた。そして、とても暖かみのある穏やかな人だったので、話が弾んだ。男性の出身はサンタ・クルズだが、今はLAのパサディナに住んでいると言っていた。長期の予定でここに滞在していると言う。しばらく二人で話をしていたら、彼の友人という男性と、更にしばらくして彼らの奥さん達が話しに加わった。そして、しばらくすると、その店の女主人が出てきて、やはり話しの輪に加わった。


・色々な話ができてとても嬉しい気分だった。そして、その時になっていきなり何かが分かった気がした。つまり、結局の所、人生の楽しみの目的の一つは、人との交わりや繋がりだったのだ。こちらに来て、一人で旅行していることもあり、何時間も誰とも話さないことも多い。そんな孤独の時間を沢山経験していると、それがよく分かるのだ。自分は今まで、二十代の若者と友人と言える様な付き合いをする機会がなかった。しかし、こちらに来て何人もの若い友人と呼べるような人と知り合うことができたのも、そんな経験をしているからだったのだということに、今になって気がついた。もちろん、彼らを上から目線ではなく、学生同士と言う同じレベルの目線で付き合えるという環境に飛び込んだと言うこともあるだろうと思う。そして、自ら経験した結果、やっと分かったのだった。そのことを、身をもって分かったことが、今回の旅行の収穫であるといって良いのではないか。


・このカフェを出てから、またしばらく走った後で急に空腹を覚えたので直ぐ次のICで降りた。時計を見たら、既に午後3時だったが、気が付いてみると、まだちゃんとした昼食を食べていなかった。ICの横の森の中に小さなうらぶれたカフェがあった。そこへ入ると、二人の若者が話をしていたのだが、全く自分に関心を示さない。コーヒーとアップルパイを注文して外に出て、車の中で昼食を取った。外は雨が降っているのに、何故だろう傘もささずに大きなリュックサックを担いで、一人で歩いている若者を見た。一体何なのだろう、何故、そして何処へ行くのだろう?既に体中が濡れているように見えた。


・再び高速道に戻って暫く行くと、何と渋滞にぶつかった。何事かと思いながらのろのろと走っていると、車がひっくり返って降り既に警官が事故現場の検証中だった。珍しいこともあるとおもったが、考えてみれば事故は何処でも起こりえることだし、まして今は雨なので下手にスピードを出して言うとカーブを曲がり切れないこともありうると感じた。そこを通り過ぎリト呆気無くまた、一人だけのドライブになった。


・夕方近くになって、Eurekaの街についた。地図を見ると、太平洋に面した外れの方にあるので、勝手に寂れたそして懐かしくも美しい光景を予想していた。所が町の中に入ってみると、ここはとても大きな街(といよりは大きく広がった街)だということが分かった。メイン通りはとても広い道幅があるのに、途中から二つに分かれて街の中はそれぞれが一方通行になっている。


・ここでいつもの通り、ガイド・ブックと電話とカーナビを使って幾つかのモーテルに当たりをつけてから、実際に行ってみて眺め、そして話を聞いて確認するという方法でモーテルを探した。そして結局、中クラスのフランチャイズ・チェーンのモーテルであるアメリカン・ベスト・バリュー・インに決めた。一泊が税込で$62.15であった。部屋は二階にあり中は、可もなく不可もなく一人旅にはまあまあの感じであった。


・早速、近くのスーパーに散歩を兼ねて買物に出かけた。町は確かに大きくて、レストランや商店もそれなりにあったが、やはり田舎の町という感じだった。と言うのは、メイン・ストリートの数百メートル以外は、殆どすべての建物が木造の二階建てで、家と家の間も十分な空間があり、住宅地の中にポツンポツンと商店やレストランが有るような感じであった。しかし、一軒一軒のレストランは決してみすぼらしい感じではなく、とても粋なアーリー・アメリカン調の建物であり、綺麗な飾り付けなどがあったりして感じが良かった。


・ただし、町全体の雰囲気は、郊外の綺麗に手入れされた住宅街とは違って、チョットうらぶれた感じの家もあったりする。そして、これがアメリカの平均的な田舎町なのだろうと一人で勝手に納得した。通りには歩く人の数もあまりなく、平坦にだだっ広く広がった、とても静かな町だった。


・モーテルに帰ってから、久しぶりに町で一番のイタリア料理店で、美味いイタリア料理を食べようと思い、PCとカーナビで情報を集めた。モーテルの近くに3軒程見つかったので、今度は車でレストラン見学に出かけて、良さそうな所を絞り込んだ。選んだ店の名前は、Ray’s Club Italian Rest.であった。


・そして、この街は暗くなってから一人で歩いても危険は少ないだろうと感じたことや、ワインを飲みたかったこともあって今度は歩いて出かけた。レストランの中は暗かったが、ローソクの明かりがともされていてとても落ち着いた上品な雰囲気だった。アペリチフを注文しようと思ったが、メニューだけではよく分からないので、オーナーの様な雰囲気の中年の女性が来た時に色々聞いてみた。そして結局、いろいろな種類のチーズやハムの盛り合わせと、テリーヌ、野菜サラダ、スープ等を頼んだ。ワインも良かったし、料理がとても美味くてとても心地よい感じであった。


・しかし、メイン料理を何にするか悩んでしまった。前菜で十分な量があったので、簡単にスパゲティを頼むことにした。そしてテーブルに運ばれた皿を見てビックリし、一口食べてまたビックリしてしまった。まずは、大きな更に山の様に積まれた量の多さに対して。そして、食べてみてあまりの不味さに対してである。まず、極細のソーメンのような麺が使われていたのは良いが、ぐちゃぐちゃに茹でてあり、しかも冷たくて巨大な塊になっていた。刻まれた玉ねぎの大きな破片が、殆んど生の様に硬くてシャキシャキ音がする様に固かった。しかも一人ではとても食べきれる量ではなかった。持て余しながらやっと1/3位食べた。


・この麺が細くて柔らかくて固まったスパゲティは、同じようなものを何処かで食べた記憶があった。思い出した。LAで宿泊したホーム・ステイ先の奥さんが、良く作ってくれたスパゲティと同じだった。あの時、MeiKazと文句を言っていたことを思い出した。もしかするとこのようなグチャグチャに固まったスパゲティは、アメリカのカリフォルニア近辺では、アメリカ・ナイズされた極、普通の料理なのかも知れないと思った。


・そして店を出る時になって、値段の安さにまた驚いてしまった。チップを入れて、〆て$20でした。でも、スパゲティはホントに不味かった。自分で作った方が100倍は美味いのができる。


アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/27

1027日(水)やっとの思いでPoint ReyesLight House

・翌朝は、しかし、出かける前に少しだけモーテルでトラブルがあった。実は前の晩、テレビをいじくっていたらアダルト番組に入ってしまった。直ぐに元に戻したのだが、翌朝になって料金が付いていることが分かったためである。自分は見る気もなかったので、当然返却手続きをしてもらったが、カード払いだったので気が付かないことも有ったかも知れないと思った。

・いよいよ岬にある灯台に向けて出発した。しかし、昨日来た道を引き返すのが正解だったのだが、何を勘違いしたのだろうか時間を浮かそうと思って、R101に乗ってしまったのだった。そこで次のNovatoという町で降りて、何となくそれらしい方向に向かって、気分よく田舎道を疾走した。しかし、途中で全く道がわからなくなってしまった。周りには家など一軒もない所で、地図と磁石とカーナビを頼りに、景色のよさそうなルートを探す。

・訳もわからず大分走った所で、急にTomales Bayという所に出た。ここはもう海であった。                                     

・ライトハウスの左側は、切り立った断崖絶壁でしたの方は岩場になって波が打ち寄せている。波の音の他には、しきりに何かの動物の鳴き声だけが喧しく聞こえるが、妙に静けさが身にしみる。


・帰り道は再び同じ道を行く。相変わらず曲がりくねった道が続くが、名残惜しさと次に現れる景色や出会いに期待を抱いて、50km位のユックリした速度で走る。来る時に見かけた二度目のオイスター・ファームに寄ってみた。メイン・ルートにある入り口の案内に従って、脇道をドンドン下に降りていく。するとまもなく海岸沿いに小さな掘っ建て小屋とベンチ、それに小さな船が止められた海岸に出た。海岸には牡蠣のカラが山のように積まれている。イメージとしては100年前位の、アーリー・アメリカンの開拓時代を思わせる光景だった。





 ・小屋の中に入ると、養殖の方法や牡蠣の成長の過程を示す図が壁に飾ってあったので、それを読んでいたが人の気配がしない。しばらくするとオーナーらしき女性に声をかけられた。頼みもしないのに、図を説明してくれた。ここの牡蠣のタネは、広島から持ってきたものだと言っていた。そして自分が物欲しそうな顔をしていたのか、良かったらトライして頂戴と小さな牡蠣を4つばかり剥いてくれた。この所、しけが続いていて大きな牡蠣が取れないという。タバスコとレモン汁を掛けて食べてみたが、クサさは全く無くて甘い味がした。

・牡蠣をここで食べると大きいやつ6ケで$9だという。ただし、これは自分でむいて食べる場合で、むいてもらうと$12だという。

・そうこうしている内に船が着いて、オジサン達が作業を始めた。そこで彼らの写真を撮っていたら、こちらに来いと合図する。行ってみるといろいろと牡蠣についての話や、自慢話を聞かせてくれた。食べた牡蠣も美味しかったが、オジサン達との会話がとても楽しかった。

・村に戻る途中に小さなレストランがぽつんと建っていた。見かけは新しい感じでとても綺麗な店だったので、牡蠣なら新鮮で美味しいのが食べられるだろうと期待して中に入る。メニューを見ていると、おすすめの牡蠣フライのランチがあったので頼んだ。しかし、出てきた牡蠣はこれ以上熱を加えることができない位にカリカリ・コチコチに揚げた牡蠣と、フライド・ポテトがどちらも山のように積み上げられたものだった。全く牡蠣のジューシな味がしない。油が多くて体に悪そうな料理だった。しかも、サラダはキャベツを生のままザクザク切ったもの。それとドリンク。これでしめて$14.5だった。ただし、今日のスープはとても美味かった。豆、セロリ、玉ネギ、人参、ジャガイモ、トマトなどをミネストローネの様に煮こんだもの。これだけでは$2.5だった。税金とチップでTot.$21.2だった。

・一休みしてから、今度はノース・カリフォルニア海を左に見ながら北上を続けた。とても気持ちの良いドライブだった。午前中立ち寄った最初のオイスター・ファーム(Hog Island oyster)を通りすぎて、BondegaBayに来ると、ここには観光客用のモーテルが沢山あった。さらにSalmon Creekを過ぎた辺りのオーシャン・ビューはとても素晴らしかった。

・海岸線は岩と言うよりも土でできた低い崖が、ずっとどこまでも続いている。土だから、崖が波で現れて不思議な形をしている。何とも奇妙で美しい風景が続く。しかし、何処まで行っても同じ光景が嫌になるほど続くのだ。これがアメリカなのだと思う。日本では見たこともない様な景色に圧倒されるのだが、それが延々と続くのだ。日本のように山アリ谷アリ浜アリという様な変化とは、また違ったシツコサで迫ってくる。

・走りながら日本から20枚位持ってきたCDを聞いた。何を聞いたかというと、今回の旅行で初めてビギンの曲(島唄)だった。たった一人で誰もいない海辺の曲がりくねった道路を、高速で走りぬけながら曲を聞いていると、知らない内に自分が涙もろくなっていることに気づく。何故なのか理由は分からないが、妙に寂しい曲だったが繰り返し聴いた。

・夕方近くになってきたためか、あるいは雨が降ってきたためか、回りが薄暗くなってきたので、今夜の宿泊場所を物色する。The Sea Ranchという小さな村に来た時は、ここにしようかと思ったが、余りにも寂しい感じがしたので、もう一つ先の村であるGualalaに行く事にした。

・さて、Gualalaに着くと浜が開けていて明るい感じだったのと、道路沿いにスーパー・ストアや大きなガソリン・ステーションがあったので、とても良い雰囲気に思えた。そこで雨が降っていたが、スーパー・ストアの駐車場に車を止めて付近を歩いてみた。ついでに、幾つかモーテルを訪ねて、値段と雰囲気を見てみたかった。結局値段よりも帳場にいた奥さんの感じが良かったので、Gualala Country Innという所に決めた。部屋が一階だったということも気に入った。

・この宿は奥さんがガーデニングに凝っているということで、とても綺麗な庭が窓から見えた。そして何よりも、その先に広大な海が目の前に広がっているのが最高だった。部屋も少し狭いがとてもお洒落で女性が好きそうな感じに仕上がっていた。ただし、田舎の割には値段が少し高めの$87.69だった。

・ここの奥さんとは、なぜか話しが弾む。多分、商売のためだと思うが、とても愛想がよく、それが一人旅にはとても楽しいと感じる。

・ディナーを食べようと外に出たが、近くにはカフェとステーキハウス位しか無かったので、目の前にあったスーパー・ストアで食料を買って部屋で食べることにした。いつもながら、フライド・チキン、サラダ、スープとハイネッケン・ビール、それに果物とスナック菓子などを買った。

・既に調理された惣菜売り場に行くと、今日のスープが3種類、豆やサラダの色々な詰め合わせパックや量り売りのものが何種類かある。それにフライド・ポテトなどの冷凍食品を揚げた物や、煮た物、ビーフやポークやその他、ラザニア等のイタリア料理のようなものを何種類か売っている。いずれも量り売りで、フライド・チキンなどは1本から売ってくれる。





アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/26

1026日(火)いよいよノース・カリフォルニアへ

・朝10時にYRと会う約束をしていたので、9時半にモーテルを出て車を出してもらうように頼んだ。しかし、自分の前に3人組がいて既に車を出すように頼んでいた。彼らの車が玄関前についたのは9時45分だった。同じ人が取りに行くようだったので、急ぐように催促したが中々戻ってこない。結局、やってきたのは10時丁度だった。駐車場付きとはいえ、場所はかなり離れた所にあるようで、繁華街とは車の出し入れには本当に不便な所だと思った。

・10時3分にヒルトン・ホテル前に着いたが、車を停める場所がない。しかも、駐車違反は御法度である。ホテルマンにチップを出して、5分間止めて見ていて貰った。YRはロビーで時間通りに待っていた。挨拶もそこそこにして、これから空港に送っていくのだが肝心のカーナビをセットしている時間がない。急いでセットしようとするのだが、スペルが違うのかカーナビが空港を標示してくれない。兎に角、空港方面に向かう高速に乗れれば良いので、空港より少し先のSan Mateoに行き先をセットして走りだす。少し行くと、途中から空港方面を示す飛行機の道路標識が出てきてホッとする。空港には着いたが、国内と国際のウィング入り口がよく分からず、また、駐車出来るスペースが見つからず、同じ所をグルグル廻ってしまった。

・さていよいよYRを無事に下ろしてから、走りだす前に、再び、今度はゴールデン・ゲートをセットした。しかし、この作業中に、空港のガードマンに、車を早く移動させるようにと激しく怒られてしまった。窓を棍棒で強く叩かれたので、ガラスが割れてしまうのではないかと思ったくらいである。もしもトラブッタ場合には、どのように交渉したら勝てるのだろうか。色々頭の中で反論する英語を考えながら、走っていたら気持が高ぶってきてしまった。

・ゴールデン・ゲートを渡った所に展望台があったので、駐車場に車を入れて少し散歩しながら写真を取った。心地よい日差しを浴びながら、少し休憩して心の余裕を取り戻した。

・まずは直ぐ先にあるMill Valleyで高速道を降りて、そこからPoint Reyes NAT’L Seashore海岸通りを走って、Point Reyesという岬に行ってみたかった。その前にMill Valleyという小さな町にある近くのスーパー・マーケットで寿司とスープとリンゴを買って、近くの公園で昼食を食べた。日当たりがとても心地良かった。

・しかし、Mill Valleyから海の方へ入っていく道がどうしても見つからない。この辺りは山になっていて、しかも深い森が道路を覆っているので、カーナビが誤動作するのだ。集落の近くに保育園があって、そこに集まっていた女性の一人に道を聞くと、ノートを取り出して丁寧に教えてくれた。しかも、彼女が日本に行ったことがあるということで、また、北カリフォルニアは南カリフォルニアと違って森が沢山あって、何処か日本と似た雰囲気があるという話から始まって盛り上がってしまった。

・しかし、教えられた通りにそのまま行くと、道路が更に険しい山道になり、上り下りが激しい上、カーブがキツイ。その上、車がやっと1台通れる様な細い道に迷い込んでしまった。散々迷って走っていると、何と先程の保育園の前に出てしまった。そうこう、さ迷いながらも、迷路からやっと抜けだしてPoint Reyesに向かって、それらしい道を走り出したのは小1時間後だった。この約1時間の間、西も東もわからない所で、サバイバルする力もなく、たださ迷い続けるだけだった自分のレベルの低さを実感してしまった。本当に嫌な気分になって落ち込んでしまった。結局、海沿いの道を見つけることは出来ず、山の中をくぐり抜ける事になってしまった。

・しかし、どうにかやっと広い道に出た。木々や今度は美しいと思える森がある曲がりくねった快適な道を、時速80kmで走り続ける。他に車は全く見かけなかった。地図で確認すると、どうやらBolinas Stinson Beachに向かう道のようだった。

・段々と木が少なくなって、直ぐにあたり一面見渡す限りの平原ばかりになってしまった。Point Reyes Stationに着いた頃は、この道の駅は、そして周囲の風景は、チョットしたアーリー・アメリカン調の田舎の村という感じだった。メイン・ストリートには7軒くらいの店があって、チャンとガソリン・スタンドやスーパー・マーケットや本屋等があるのだが、どれもが古ぼけた木造の平屋の建物ばかりであった。ここで、またリンゴを4つ購入した。所でこの村でガスを補給したり、買い物をしたりしていて感じたことは、都会からほんの少しだが離れた村では、見知らぬ旅人に対する態度がクールであることだった。全く、愛想がない。とっつき難い感じの人ばかりのような気がした。

・この村から先は、バカでかい州立公園の中を、海に向かって そして突端にあるライト・ハウス(灯台)に向かって走り続けるつもりだった。しかし、地図を確認すると目的地までかなりの距離がありそうなことが分かったので、少し時間が早かったが今夜の宿泊場所を先に確保することにした。ガソリン・スタンドでモーテル情報を聞くと、この近くには一軒もないという。確かにカーナビで調べても、高速道から離れた所にある人気のない観光地なので、この近くのモーテルは出てこない。

Point Reyes Stationから少しだけ離れた所にあるOlemaの近くを走っていると、綺麗なモーテルが幾つか有った。見た感じでは、モーテルと言うよりは夕食の食べられるB&Bか、或いはペンションと言った感じの宿泊所ばかりである。その中で1軒程選んで中に入ってみた。入口の横が感じのよいレストランになっていて、待望の牡蠣料理が食べられるという。しかし、値段を聞くと一人で一泊$160ということなので、諦めて次を探すことにした。

・次の1軒もその次の1軒も同様だった。そこで、宿にいた若い女性に聞くと、R101に向かって大分走らないと無いだろうという。自分は午後になってから、R101の近くにあるMill Valleyからやって来たのではなかったか。そこで既に薄暗くなり始めた道を、来た時とは違う道だったが、R101に向かって宛もなく走り出した。恐らく自分が今、走っている道路は、ルーカス・バレイ・ロードだと思うが、それが当たっているとすると真っ直ぐに進めば、この先のR101の手前には大きなSan Rafaelという町があるはずだった。


・途中で既に真っ暗になってしまったが、Lucas Valley Marin Woodという大きな町があった。この街道瑞に幾つかモーテルが有ったので、その内の一つに寄ってみた。中には大きなプールがあって、それを囲うように綺麗な部屋が並んでいるモーテルだった。値段は$100と少し高めだったが、他を探す元気もなかった。

・部屋に入ってみると、その広さにビックリした。ドアを開けると右側にベッドルームが有り、大きなダブルベッドがおいてある。しかも、大きなクローゼットのドアは全面が鏡になっている。向かいに大きな洗面ルームがあり、その奥に42インチの薄型テレビがある巨大なリビング・ルームであった。


・リビングの奥にはダイニングテーブルが置いてあって、その横には日本のマンションのキッチンよりも、かなり大き目のキッチンがついていた。チャンと料理器具や皿も揃っている。料理をする気はなかったが、少しでもモーテル代を浮かそうと、スーパー・ストアで食品を買ってきて食べようと思った。








アメリカ西海岸のドライブ旅行日記10/25

1025日(月)今日も素敵なサニー・デイ

・朝、起きだしてから、昨日、送別会をやってくれた友人達に、サンキュー・レターを送信する。自分のカメラで取った写真を添付して、皆、同じ様な内容のコメントを書いて送った。それからモーテルの近くを散歩した。これは旅行に出てからは、すっかり朝の習慣になってしまったものである。


・散歩の前に、PCでグーグル地図を広げて、今、パルアルトのどの辺にいるのか、大まかな情報を見てから出かけた。BR101R101の旧道か)の通りを少し北の方に歩いてから、適当に気の向くまま住宅地の方に歩いていった。10月も月末に近づくと何処でもハロウィンの飾りが目に付く。と言っても日本にいる時に考えていたような、派手な飾り付けは殆んど見当たらない。多くは、本物のカボチャに色々と細工したものを、ただ、玄関のドアの前に素っ気なく置いてあるだけである。その横には脱ぎ捨てたスニーカーがニ三足転がっていたりする。カボチャは、人の顔よりかなり大きなサイズの物から、10センチ位の控え目なものまである。中には大胆にオブジェ風に工夫した飾りを入り口においてある家もあった。


・午前中は11時頃までユックリしてから、荷物を車に積んで出かけることにした。ガソリンを入れてから、車で街を少し走って観察する。大きな駐車場のあるショッピング・センターが有ったので、車を駐車させて少し歩いてみた。


・パロアルトはアメリカの他の平均的な街と比べてみても、落ち着いた綺麗な街だと思う。ショッピング・モールも他と違って感じが良い。何が違うのだろう? まず建物が赤レンガで出来ており、多くは平屋建てである。スペースはゆったりしていて、間に木々が植えてある。店の前の歩道には椅子とテーブルが出ていている所が多いし、また、所所には誰が座っても良い様な椅子とテーブルが置いてある所がある。しかも日陰になっていて、平日にもかかわらず本を読んでいる若い人がいる。


・一角にチョット小奇麗なスーパー・マーケットがあったのでトイレを借りようと入ってみる。近くの店員に挨拶をしてから、トイレに直行する。その後で店の中をうろつきまわりながら観察する。しかし、売っているものは、ビックルするくらい代わり映えがしない。どこの店に入っても同じ様なものばかりを売っているのである。珍しいものは見つかりそうもなかった。ただし、この店の様にチョット綺麗な店では、焼きたてのパンを売っていたり、ワインがレイアウト良く整然と並べられていたりする。サンドウィッチなどもチョット食欲をそそるようなものがある。サンドウィッチは、ハムやターキーや野菜等、内容は他の店と大差ないが、見た感じでは少し高級感がある。他の店では新鮮さの点で買う気がしなかった 寿司(カリフォルニア・ロール$4)、それにサラダ$3とジュース$1等を昼食用に購入する。


・車に戻ってから、昼食には時間が中途半端だったが、強い日差しで買ったものが心配だったので直ぐに食べ始めてしまった。食べながら、手持ちぶさただったこともあり、今日、気がついたことをメモしていった。しかし、車の中に一人座っていると、急に表現しにくい寂しさが込み上げてきた。こんな経験は今まではなかったものだった。はじめてアメリカに来た当初の3週間のドライブ旅行では、見るものが何もかもとても新鮮だった。海辺のドライブや通りの観察、ヨセミテの山登り、カリフォルニアの温泉探し、夜のナマのジャズ・クラブ、どれをとっても懐かしく楽しい思い出があった。


・しかし、今、自分がここにいることの意味が何なのか、そして今、自分は果たして楽しいと感じているのか等、自分の気持が良く分からなくなってしまった。昨日までの4週間は多くの人が傍にいたが、今はたった一人きりで話し相手がいない。誰かと、話すことがなくなるまで話をしたかった。しかし、寂しさの理由は、本当にそれだけなのだろうか。いい年をしている筈なのに、子供のように段々と感情が高ぶってきて、不意に涙が溢れてきた。


・丁度、右側の道路脇で、しかも直ぐ横に交差点があり、信号待ちの車が列を作る場所に車を止めていた。そこで車を一時、停止させたドライバーとふいに目が合ってしまう。若い女性だった。自分が目に涙を溜めて、相手を見ているのが不思議だったのだろう、笑顔を作って挨拶をしてくれた。アメリカ人はとてもフレンドリーな人が多い。多分、彼ら自身が生きていくために自然に身につけた処世術なのだろうとおもう。しかし、こんな時の自分には、それでも彼らの挨拶がとても嬉しく感じた。


・止めた車の前の歩道を歩いていた人も、皆、自分をチラッと見ていくような気がしたが、今は何も気にならなかった。自分は何をやるためにここへ来ているのか? ここに来ている間に、できるだけアメリカのそこら中を見ていこう、そしてできるだけ英語を身につけて帰ろうと改めて想った。他のことは帰ってから考えても良いのだ。


・午後、1時にパロアルとの駐車場を出発し、140にはサンフランシスコのヒルトン・ホテルの前に着いてしまった。しかし、車を止めておく所が何処にもない。通りのパーキングは一杯だったし、路上で駐車出来る所は全く見当たらない。しかもパトカーが沢山うろついている。一つ二つ空いているパーキング・メーターがあったが、ここでは大量のコインが必要だ。20分毎にクォーター・コインが必要で、しかも、止められる時間の最大が2時間である。ここだけは、全く東京の様な感じがする。歩行者の方が何かと便利な街だ。


・街中を少し走りまわってから、前回、来た時に土地勘ができたランバート通りの裏の住宅街に車を停める。ここは2時間だけフリーという標識がでていた。ここに車を止めて、モーテル・ガイドでユニオン・スクウェアの近くで安い所を4軒位ピックアップする。そして、片端から電話をしていく。電話で分かるのは、空き情報と料金だけだ。そして、目星をつけてから 今度は、実際にそこの場所を訪れて部屋を確認したかった。兎に角、ここサンフランシスコは今までの所より部屋代が高いのだ。安い所はダニや汚れで寝る気も起こらない位のベッドではないかと、不安が一杯だったからである。


・バンク・オブ・アメリカで$10紙幣をコイン40枚に変えてから、駐車場付きで$69TAXであると電話で確認したホテルへ行って見た。ユニオン・スクウェアにあるヒルトン・ホテルの隣のブロックにあり、しかも外観は綺麗な所である。しかし、行ってみると料金は$80だった。さっき電話した時は$69だったと言いながら、モーテル・ガイドを見せたら、そこには$58と書いてあった。結局、あっさりと駐車場付きで$58にしてくれた。前回、大分外れにあるランバート通りの、小汚いモーテルで$100だったことを思うと、中心街の割には随分と安いと感じた。しかも、部屋を見せてもらった所、前回より数段綺麗だったのでビックリ。そして、自分が必要条件にしている、インターネットの出来るテーブルや、スタンドの他、ビールを入れる冷蔵庫も付いている。他の客を観察してみると、前回の安いモーテルには黒人も沢山 泊まっていたのに比べると、ここは欧米系の旅行者が目に付く。


・部屋に荷物をおいてから、早速、外に出て少し歩いてみた。そして、しばらく歩いてみた結果、料金が安い理由が分かってきた。ユニオン・スクウェアの横にあり、とても便利なのだが、ヒルトン・ホテルから西側の方は道路上に黒人が沢山いるのである。探してみると、それらしい施設があって、あまり綺麗とは言えない身なりの黒人が入り口の所から列を作っていた。夜道は注意が必要と思ったが、安全なヒルトン・ホテルからは僅か1ブロックしか離れていないのである。


・夕方、モーテルに戻ってシャワーを浴びて、ビールを飲んで一休みする。7時にYRと待ち合わせていたヒルトン・ホテルに行くと、そこに見覚えのあるそして懐かしい顔が待っていた。二人で夜の新宿と銀座と表参道を混ぜあわせたような街を、話をしながら歩く。中華料理の看板が掛かっている店に入って、アルコールと料理を注文し食べながら話を続ける。食事の後はカフェで一休み、もちろん夜の期待は全くない。


・明日、LAに飛行機で帰るということなので、サンフランシスコ空港へ車で送っていく約束をして別れる。明日は、自分はいよいよ、アメリカの西海岸をカナダの近くのシアトルに向けて、走ったことのない道を行く予定だった。


アメリカ西海岸のドライブ旅行10/24

アメリカ西海岸のドライブ旅行日記
10月24日(日)サンフランシスコへ向けて出発する
・約一ヶ月の間、ホーム・ステイをしながら学校に通ったことで、随分色々なことがあり結構楽しい生活だった。常に周りに人が沢山いて、一緒に食事に行ってワインやビールを飲みながら話をしたりすることができた。しかし、それらも終わってしまい、今日は以前から計画していた約5週間という長期間の旅行にこれから出かけようとしている。朝、ゆっくりと10時頃に起き出したのだが、隣の部屋のMEIはまだぐっすりと寝ているようだった。部屋を片付けて荷物をパッキングしてから、ホスト・ファミリーに会って最後のお別れを言う。今度、LAに来たら食事付きで、一晩25ドルで何日でも泊めてやるから連絡をくれ、と最後までビジネスが頭から離れない様だった。

・荷物を車に積んだりして、庭でホスト・ファミリーのスルジさんと最後の別れ話をしていると、Meiが出てきた。そして、寝ぼけ顔で挨拶を交わした後、自分の車を見送ってくれたのが嬉しかった。ホーム・ステイの家から直ぐ近くにあるGSでガソリン$20分を入れた。

・取り敢えず、行き慣れたWest Filedショッピング・センターの駐車場に車を入れた。このセンターはカリバーシティの中心地にあって、有名なデパートのメイシーズを始め、とても大きな店が幾つも入っている。何となく直ぐに高速に乗り入れてしまうのは心残りだったので、ここで昼食をゆっくり食べてから出発しようと想った。食事の後、駐車場で取りあえずカーナビをサンフラスンシコより少し手前にあるサン・ホセにセットした。

・いよいよ再び孤独な旅が始めるのだと心に決めて、やっと出発できた時には、既に午後を大分廻っていた。ショッピング・センターの直ぐ脇にあるICから高速道路Route1に乗り入れた。直ぐに時速130km/hまで加速し、そのまま走り続ける。今回は西海岸コースを取らないで、直ぐに大動脈であるR405に入り、それからR5に移動。そしてサンフランシスコの東までそのまま走ることにした。兎に角、できるだけ明るい内にできるだけ走行距離を稼いでおきたかった。

LAの北側は山岳地帯である。高速道(R405)はゆっくりとした傾斜ではあるが、かなりの高い地点にめがけてずっと上りが続くのである。道路は狭い所で5車線、広い所では7車線ある。一番右側はトラックの専用道路になっていて、ここだけは大きなトラックが列車に付いているような大きな煙突を突き出して、時速70km/h位のゆっくりとした速度で列を作って並んで走っている。しかし、その他の車線では殆んど切れ目なしに車が続いているのである。自分は一番内側の高速車線をキープする。この道路を走っている車だけでも、相当な数である。7車線とも車がひしめき合い、そしてそれがどこまでも延々と続いている。このような壮観な風景を実際に自分の目で見ると、本当にアメリカの経済の大きさを実感できた様な気がする。

・この何千台という車がアメリカの大動脈の一つを流れている血液のような気がしてきた。アメリカの大統領が例え、どんなに偉大であったとしても、彼がこの経済を直接動かしている訳ではない。直接、この経済を支えているのは、末端まで血液を運んでいる、この一台一台の車、すなわち一人一人のアメリカ人なのだろうと思う。彼ら自身がエネルギーを生み出していると感じた。そして自分もその一人なのだろうと思う。自分は金を使うだけで稼いでいる訳ではないが、随分アメリカ経済には貢献している筈だ。確かにアメリカの都市部には多くのホームレスがいた。しかしここには、そのホームレスの数の何千倍もの数の車が、全速力で流れている。実に壮観な眺めだ。

・途中の分岐点で道を間違えてしまい、R5をそのままベーカー・フィールド方向に進んでいる事に気がついたがそのまま走り続ける。ベーカー・フィールドからフレズノ方向に少し行った所に、珍しくサービス・エリアが見えたので立ちよる。回りには荒野が続き、殆んど他には家が見当たらない所だ。何となく気がせくので、10分もしない内に出発した。この後はかなりの長い間、ずっと続いている平地の上を、殆んどカーブなしに真っ直ぐと道が続く。それをどこまでもただひたすら走り続ける。

Los Banosの近くの山の中で、道をサンフランシスコ方面に戻るため進路を変更する。San Luisの近くに来た時に、気がつくとまわりは山道で上り下りのあるカーブが続く。しかも激しい雨が降ってきた。そしてしばらくすると、あたりが薄暗くなり、そしてついには真っ暗闇になってしまった。アメリカの高速道路には、日本のように何処を走っても明かりが付いているわけではない。明かりのない所は沢山あるし、もちろん日本のようにガードレールもない所が多い。日本と比べると道路状態はかなり悪く、舗装が剥がれてガタガタになっている所がとても多い。そして道の外側には至る所に、バーストしたタイヤの破片が転がっている。そして、あらぬ方向へタイヤのスリップ痕が、あちらこちらにクッキリと残っている。

R101を廻ってサン・ホセに着いたのは夜の7時頃で、辺りは真っ暗だった。自分がどのあたりにいるのかさえ全く分からなかった。コンビニの駐車場に車を止めて、ランプ付きの虫眼鏡を使って地図を確認する。自分はこの拡大鏡がないと、広大なアメリカをカバーする細かい地図が見えないのだ。ここでも、カーナビがとても有効なことが分かった。当たり前だが、現在地点が分かるからである。ここまでで、何km走ったのだろうか、ガソリンを約25ドル分使った事になる。随分長い距離を移動した割には、安いのでお買い得感があると感じた。

・ここから、カーナビをパロアルトにセットして、更に真っ暗な道を走りだす。本当に先月に行ったドライブ旅行と違って、今回はカーナビのお陰で大変なエネルギーを節約できたと思う。真っ暗で道路標識も全く見えない道路を、ただ、カーナビの指示に従って走り続ける。何処をどう走っているのか、さっぱり分からないが、カーナビが指示してくれる。アメリカのシンプルなカーナビの使い方にもかなり慣れてきた。そして7:30にパロアルトに到着した。

・パロアルトはとても美しい町だが、それだけにゴチャゴチャした通りにあるような安そうな店など全く無い。綺麗なレストランばかりである。大きな駐車場のあるレストラン街に車を止める。少し歩いてみたが、綺麗に着飾った地元民で賑わう綺麗な店ばかりであった。そんな中でカリフォルニア料理店を選んで中に入る。店の名前は、Calafia caféであった。中は大勢の客で込み合っていたが、殆どが男女のカップルばかりである。自分は店の一番奥にあったカウンターに席をとってもらう。そしてスープとCafelinaを注文する。米のような物が入っている、メキシコの郷土料理らしい。

・ウェイターが形通り時々話しかけてくるのだが、相手の言っていることが全く聞き取れない事に気がつく。相手も自分の英語が良く分からない様だった。回りを見渡して、そして聞き耳を立ててみたが、やっぱり聞き取れない。一人きりの孤独なディナーになってしまった。悲しい!

・席がカウンターで調理場の前だったので、作っている様子が良く見える。何というべきか、あらゆる国の料理をMIXした感じの、そして盛り付けだけは素晴らしく豪華ディッシュばかりだった。それも必要以上に大きな陶器の皿で、これは日本風だと分かる。皿の上のサラダを敷いて、その上に綺麗に飾るのである。逆にヌードルの上にサラダを乗せたり、サラダの上にバカでかいギョーザを載せたり、テリ焼きチキンを刻んで載せて出している。いまここではこれが一番NOWなのだと言っていた。確かにオシャレなレストランである。

・自分の頼んだものは、今日のスープとカレー料理。カレーと言ってもアメリカでは汁気は全くない。ドライカレーにしたスクスクの上に、キノコとスピナチを刻んだものを載せただけのもの。兎に角、飛び上がるほどに辛い! スープも辛い! これで$17は高くないか? TIPは$3(Tot$20)。 先週末、自分のお別れパーティの時にサンタモニカで食べて、そして飲んだイタリア料理の時と同じ値段だった。

・9時半頃に店を出た。次の大仕事は今夜の宿泊所を探すことと、夜に嗜むビールを購入することだった。車にガソリンがあまり残っていないので、あまり走ることなしに早く決めたかった。カーナビでモーテルを調べると、この付近には3軒あることが分かった。いずれも、今いる通りに面している筈だったので、まずは現物をチェックして比較しようと思った。途中、道路沿いでまだ開いていたリカーショップでハイネッケン・ビールをハンダース購入する。

・しかし、どういう訳か一軒目は満員だと断られた。駐車場には、それなりの車が止まってはいたが、とてもそれ程多くの客が予約を取っているようには見えなかった。試しに値段を聞くと$80とかなり高い! ガソリンを気にしながら、次の所に行く。隣には大きなシーフード・レストランがある、結構綺麗なモーテルだった。値段は気に入らなかったが、パルアルトは高いのだと言い聞かせて、夜も遅くて運転に疲れてしまったこともあり直ぐにそこに決める。

・早速、シャワーを浴びる。そしてビールを飲みなが、YRにメールを出した。YRは明日の朝にサンフランシスコに来る筈だったので、明日は会いたいと想った。二本目のビールに移る頃に、彼女から返信が来た。とっても懐かしい気がした。ヒルトン・ホテルで夕方7時に会う約束をする。